第十話 公開
三影島観光特設サイトは、八月九日の午前十時に公開される。公開作業は、東京の本社から行う。
午前九時四十分。
私は会社の小会議室でノートパソコンを開き、本番公開用のチェックリストを上から一つずつ確認していた。
会議室の外では、すでに通常の業務が始まっている。
ガラス越しに見える営業担当者は、片手で電話を押さえながら、もう片方の手で画面上の資料を送っている。複合機の前では、印刷された企画書を揃える音がし、少し離れた席では、デザイナーが大型モニターへ表示した画像を拡大し、細かな文字の位置を調整していた。
八月の東京は、朝から陽射しが強い。窓の外に並ぶビルの壁面は白く光り、道路を走る車の屋根には、眩しいほどの光が反射している。
三影島の海も、山も、ここからは見えない。
それでも、私の画面の中には、霧をまとった島の遠景が表示されていた。
トップページ。
スマートフォン表示。
画像の読み込み。
連絡船の時刻表。
祭礼見学時の注意事項。
立入禁止区域の表示。
問い合わせフォーム。
画像の代替テキスト。
アクセス解析用のタグ。
検索エンジンへの登録設定。
SNSで共有された際に表示される画像と説明文。
一つ確認するたび、チェック欄へ印をつけていく。目立った不具合はない。
祭礼日時も、船の発着時刻も、役場から受け取った最新の資料と一致している。
白布の写真には短い説明だけをつけ、五つの禁忌は掲載していない。
昭和六十三年の祭礼中断についても、黒川正臣の名前についても、公開用の文章には一文字も入れていなかった。
私は最後に、トップページの本文を検索する。
『読んだ者だけが、山へ近づく。』
該当なし。
管理画面を開き、見出し、本文、画像キャプション、検索結果に表示される説明文を順番に確認する。
どこにもない。HTMLのソースにもない。
削除した昭和六十三年の作業用ページへも、念のためアクセスする。
◇
> 404 Not Found.
>
> 指定されたページは存在しません。
◇
白い画面に、前回と同じ数字が表示される。削除した頁は、今も存在しない。
それを確認してから、もう一度、本番公開前のトップページを開いた。
海上から撮影した三影島の遠景が、横長の画面いっぱいに表示される。
島の下半分は白い霧に覆われ、濃い青色をした山の輪郭だけが、その上に浮かんでいる。
私が初めて三影島へ向かった朝、連絡船の甲板から撮影した写真だった。
その中央に、白い文字が重なっている。
◇
【三影島観光特設サイト トップページ】
海の向こうに、山の婚礼がある。
四国沖に浮かぶ小さな島、三影島。
この島には、年に一度、山の神へ婿を迎える祭りが残されています。
日没後、白装束の祭礼役は提灯に導かれ、旧参道を上ります。
鳥居の奥に祀られるのは、島の人々が「山の女様」と呼んできた神。
その由来には分からないことも多く、祭りは今も静かに受け継がれています。
八月十六日。
海の向こうで、山の婚礼が始まります。
◇
私は文章を読み返す。書きすぎてはいない。そう思う。
山の女様が男性を欲しがるとは書いていない。婿を返さないとも、祭りを怠れば災いが起こるとも書いていない。
奥本さんから聞いた、
名を呼ばぬこと。
夜に山を見るな。
婿を止めるな。
白きものを拾うな。
戻るまで数えるな。
という言葉も、公開用の頁からはすべて外した。
それらに対応する内容は、一般的な安全上の注意へ置き換えている。
祭礼関係者へ声をかけないこと。
指定された区域から出ないこと。
神社の供物や祭具へ触れないこと。
夜間に一人で行動しないこと。
どこの祭りにもあり得る、普通の注意事項だった。
白布については、神社の倉庫で撮影した写真を掲載した。
ただし、説明は役場と保存会の双方が確認した短いものだけに留めている。
◇
【画像キャプション】
祭礼で神前に供えられる白布。
島では、山の神の衣とも伝えられています。
◇
白いものを拾うな、とは書いていない。道に白布が落ちるとも、拾った者に何かが起こるとも書いていない。
折り畳まれた一枚の布を、祭礼で使用される祭具として紹介しただけだった。
確認は取っている。
中川支所長。
潮見さん。
保存会を代表する浜谷さん。
社内の営業担当者。
デザイナー。
直属のチーム長。
公開用の原稿と使用写真には、必要な確認をすべて通している。
誰か一人の独断で、島の伝承を外へ出すわけではない。
それでも、確認を取ったという事実が、何を守ってくれるのか分からなくなることがある。
誤った情報を載せた際の責任。
写真の権利。
祭礼を運営する人々との合意。
行政事業としての適切な手順。
人間同士の問題については、許可も確認も意味を持つ。
しかし、奥本さんが心配していたのは、おそらく、そのようなことではなかった。
私は時計を見る。午前九時五十九分。
公開予定時刻まで、あと一分だった。
この時点で公開を止める理由はない。
試作ページで起きた表示の違いには、ブラウザやサーバー上の何らかの不具合が関係していた可能性がある。
不明なIPアドレスから作業用頁へアクセスされた件も、情報管理上の問題ではあるが、公開予定のサイトそのものに異常が見つかったわけではない。
黒川正臣の頁は削除した。謎の一文ももう存在しない。
公開する内容には、役場と保存会の確認が取れている。
私は公開処理の画面を開き、反映対象となるファイルを確認した。
午前十時。
公開ボタンを押す。
画面の中央に、処理中であることを示す小さな円が現れる。
それは数秒間ゆっくり回転し、やがて、公開が完了したことを知らせる表示へ変わった。
私は本番用のURLを開く。
――霧に沈む三影島。海の向こうに、山の婚礼がある。
試作環境で何度も見たものと、まったく同じ頁だった。
ただし、今度は誰でも見ることができる。
◇
【送信メール】
宛先:
三影町役場 三影島支所
中川支所長
潮見悠真様
弊社担当各位
件名:
【公開完了】三影島観光特設サイト
本文:
お世話になっております。秋原です。
本日午前十時、三影島観光特設サイトを公開いたしました。
以下URLよりご確認ください。
公開後、町公式SNSへの投稿および広告配信についても、順次進めてまいります。
初動のアクセス状況につきましては、本日夕方時点で一度ご報告いたします。
保存会の皆様にもご共有をお願いいたします。
どうぞよろしくお願いいたします。
◇
メールを送信してから、椅子の背へ身体をそっと預けた。
公開作業は無事に終わった。少なくとも、画面上では何も起きていない。
私はアクセス解析の頁を開き、公開直後の数字を確認する。
地方自治体の観光サイトは、公開しただけでは、ほとんど見られない。
どれほど丁寧に原稿を作り、どれほど美しい写真を選んでも、そのサイトが存在することを誰かに知らせなければ、人は来ない。
検索結果に表示されるまでには時間がかかり、自治体の公式SNSには、企業の人気商品や著名人のアカウントほどの拡散力はない。広告費も限られている。
それは分かっている。
それでも、公開直後のアクセス解析を見る時には、毎回少しだけ期待する。
数字が一つ増える。どこかにいる誰かが、この頁を開いた。次に二つ増える。
社内の確認かもしれない。
役場の担当者かもしれない。
島の人が、家族へURLを送ったのかもしれない。
午前十一時。利用者数は二十六。
そのうち、半数ほどは社内からのアクセスだった。正午を過ぎた頃には五十八。
午後一時には八十一。悪くはない。
ただし、KPIとして設定した、公開後三か月で一万ページビューという目標を考えれば、喜べるほどの数字でもない。
怪異が起こらないことへの安心と、誰にも見られないことへの仕事上の焦りが、同じ画面の中にあった。
◇
【アクセス解析 公開初日】
対象期間:
八月九日 十時〇〇分から十七時〇〇分。
ページビュー:
二百三十四。
ユーザー数:
九十七。
主な参照元:
・直接流入 四十七。
・三影町公式サイト 三十一。
・三影町公式Instagram 十三。
・三影町公式X 十一。
・社内確認と思われるアクセス 複数。
平均滞在時間:
一分二十九秒。
備考:
大きな外部流入なし。
SNS投稿の反応は限定的。
白布写真を掲載した頁の閲覧率が、ほかの詳細頁と比較してやや高い。
◇
夕方、三影町の公式Instagramへ、サイト公開を知らせる投稿が掲載された。
役場から送られてきた原案を、私がSNS向けに少し短く整えたものだった。
◇
【三影町公式Instagram投稿】
霧の海を越えた先にある、小さな島。
三影島には、古くから続く「山神婚礼祭」があります。
年に一度、山の神へ婿を迎える夜。
提灯の灯りに導かれ、白装束の祭礼役が旧参道を上ります。
今年は八月十六日に斎行予定です。
見学に関する注意事項は、特設サイトをご確認ください。
#三影島
#山神婚礼祭
#離島観光
#四国旅行
#古い祭り
#三影神社
添付画像:
一枚目 三影島遠景。
二枚目 一の鳥居。
三枚目 旧参道の石段。
四枚目 白装束の後ろ姿。
◇
投稿から一時間ほど経った時点で、いいねは四十一件だった。コメントは三件。
一件は、島の出身者らしい人物による、
> 懐かしいです。
というものだった。
二件目は、
> 雰囲気がありますね。
そして三件目には、
> 山の女様って何ですか?
と書かれていた。
私はそのコメントを開き、公式アカウントから返す文章を考えた。
山の女様。
島の人々が使ってきた呼び名。
本当の名を呼ばないための名。
欲しがるもの。
山へ入ったものを返さない女。
奥本さんから聞いた複数の言葉が頭に浮かぶ。
その中から、公開できるものだけを選ぶ。
◇
【公式返信案】
山の女様は、三影島で古くから伝わる山の神様の呼び名の一つです。
詳しくは、特設サイト内「山神婚礼祭について」をご覧ください。
◇
嘘はない。断定しすぎてもいない。
私は潮見さんへ返信案を送り、確認を依頼した。
数分後、
> 問題ありません。お願いします。
という返答が来る。
公式アカウントから返信が投稿される。
山の女様、という言葉が、質問者の画面へもう一度表示される。
その返信を見た別の人が、特設サイトを開く。それだけだった。
◇
【初動報告メモ】
公開初日の反応は限定的。
ただし、平均滞在時間は比較的長く、写真を中心とした頁の閲覧率が高い。
反応が良い素材:
・三影島の遠景。
・一の鳥居。
・白装束の後ろ姿。
・「山の女様」という語。
・白布写真。
今後の施策案:
・祭礼当日まで、町公式SNSで写真を小出しに投稿。
・「旧参道」「白布」「神社由緒」など、テーマ別投稿を作成。
・地元メディア向けにプレスリリースを配信。
・離島観光、旅行情報を扱うアカウントへ情報提供。
・心霊、怪談方向へ寄せすぎないよう注意。
◇
最後の一行を見て、私はしばらく手を止めた。
――心霊、怪談方向へ寄せすぎないよう注意。
そう書きながら、サイトの中で最も強く見せているものは、三影島の漁業でも、水産加工場でも、石垣のある集落でもない。
山の女様。
山の婚礼。
夜の旧参道。
白装束。
二の鳥居。
白い布。
怖がらせすぎないようにしながら、怖いものとして見せている。
最初に船上から霧に包まれた島を見た時、私は観光企画に使えると思った。
そして現地で暗い木々の中に立つ二の鳥居を見た時、その前へ白装束の男を立たせれば、よい写真になると考えた。
何も作り足してはいない。
しかし、何を選んで、どの順番で並べるかは、私が決めた。
画面上に現れた三影島は、島そのものではない。
私が、初めて見る人間に理解できるように組み直した三影島だった。
スマートフォンが震える。カナちゃんからメッセージが届いていた。
> 公開、確認しました。
> 早いね。
> 見てくださいと言ったのは、先輩です。
> そうでした。
> 綺麗です。でも、怖がらせに行っていますね。
> 観光サイトです。
> 観光サイトの顔をした、怖い話です。
> 褒めてる?
> 半分は。
> もう半分は?
> 心配です。
私は返信欄を開いたまま、少し考えた。
――心配です。
カナちゃんは、時々そのような言葉を、冗談へ変えずに置く。
何が心配なのかを細かく書かない。
危険だと断定もしない。
ただ、そのまま伝えてくる。
> 危ないことはしてないよ。昭和六十三年の件も、黒川さんの名前も出してない。
> そこは良かったです。
> でしょ。
> でも、山の女様は出したんですね。
> 許可は取ったよ。
> 誰の許可ですか?
指が止まる。
――誰の許可。
中川支所長。
潮見さん。
保存会。
浜谷さん。
役場と保存会の確認は取った。
島の祭礼を外部へ紹介するために、手続き上必要な人間の許可は得ている。
しかし、カナちゃんの問いを読んだ時、最初に頭へ浮かんだのは、それらの名前ではなかった。
奥本さんの、細く痩せた顔だった。
――知っとるもんは、知らんと言う。
そして続いて潮見さんの言葉がよぎる。
――知らずにするのと、知っていてするのと、山にとって、両者には違いがあるんでしょうか。
> 役場と保存会。
> そうですか。
> 何か気になる?
> 気にはなります。ただ、もう公開したんですよね。
> うん。
> では、アクセスログは確認しておいてください。変わった流入元があれば教えてください。
> 変わった流入元?
> 匿名掲示板、まとめサイト、動画配信者などです。
◇
動画配信者。
その言葉を見ても、私はまだ深く考えなかった。
現在のアクセス数では、動画配信者どころか、一般の旅行者へも十分に届いていない。
私は、
> 分かった。
と返信し、初動報告書の作成へ戻った。
◇
公開二日目。アクセスは、初日より少しだけ増えた。
三影町公式Instagramの投稿が、近隣地域の観光情報を扱う小さなアカウントに紹介され、そこから数十件ほどの流入があった。
公式投稿へのコメントも十件ほどに増えていたが、どれも軽いものだった。
> 雰囲気がすごい。
> 行ってみたい。
> 四国にこんな祭りがあるんだ。
> 白装束が怖い。
> 映画の撮影場所みたい。
そこに強い悪意はない。祭りを侮辱する言葉も、島民を責める言葉もなかった。
画像を見て、感じたことを短く書いているだけだった。
私も、ほかの土地の観光広告を見れば、同じようなことを書くかもしれない。
公開三日目になると、アクセスは再び減少した。
一日のページビューは百を下回り、町の公式Xに掲載した投稿も、ほとんど拡散されなかった。
役場からは、
> 地方自治体の新規サイトとしては、想定の範囲内だと思います。
という返答が来た。
間違ってはいない。しかし、事業の成果を説明するには、もう少し数字が必要だった。
私は広告配信の条件を調整し、三影島遠景の画像を少し明るく補正した別のバナーを作成した。
霧の濃さを弱め、海の青色が見えるようにする。怖さを抑え、旅行先としての美しさを強くするためだった。
地元の新聞社や旅行情報サイトへ送る、プレスリリースの文面も作る。
◇
【プレスリリース案】
四国沖の離島・三影島で、古くから続く「山神婚礼祭」が今年も斎行されます。
人口二百人未満の小さな島に残る、山の神へ婿を迎える祭り。
日没後、白装束の祭礼役が旧参道を上り、三影神社で島の安寧を祈ります。
過疎化が進む中、三影町では島の文化継承と観光振興を目的に、特設サイトを公開しました。
◇
文化継承。
観光振興。
仕事で何度も使ってきた言葉だった。
どちらも正しい。
島に人が住み続けなければ、祭りも残らない。
船を維持するにも、民宿や商店を続けるにも、外から訪れる人と、そこで使われる金は必要になる。
浜谷さんが守ろうとしているものも、祭礼だけではない。
加工場で働く人。
港へ届く荷物。
島に残る家。
そこで生きる人々の仕事。
それでも、文化継承と観光振興という整った言葉を画面の上へ並べると、三影島で聞いた声や、神社の湿った匂いから切り離された、乾いた標語のように見えた。
私は文章を保存した。
◇
公開四日目。八月十二日の昼過ぎ、アクセス数が突然跳ね上がった。
私は最初、広告配信の設定を誤ったのだと思った。
昼食から戻り、アクセス解析の頁を開くと、午前中まで緩やかだった折れ線が、正午を過ぎたところから不自然な角度で上昇している。
現在サイトを見ている人数を示す数字も、画面を更新するたび増えていた。
三十七。
六十二。
百十四。
地方自治体の小さな観光サイトとしては、明らかに通常ではない増え方だった。
私は広告管理画面を確認した。
予算の上限は変わっていない。配信地域も、対象年齢も、昨日設定したままだった。
参照元を見る。最上部に、見慣れないURLが表示されている。
動画投稿サイトだ。
特定のチャンネルから、数百件単位のアクセスが流れ込んでいた。
私はURLを開いた。
◇
【動画サイト投稿】
チャンネル名:
レイジ怪奇録。
動画タイトル:
【四国の離島】山の神に婿を出す祭りが本当にあった。三影島「山神婚礼祭」が怖すぎる。
投稿日時:
八月十二日 十二時〇三分。
概要欄:
視聴者さんからDMで情報をいただきました。
四国沖にある小さな島に、毎年一人の男性を「山の神の婿」として選ぶ祭りがあるそうです。
公式サイトを見る限り、かなり雰囲気があります。
しかも、今年の祭りは八月十六日。
近い。
行けるかどうか調整中ですが、これは現地に行くしかないかもしれません。
※島の方の迷惑にならないよう、ルールを守って取材します。
※詳しい場所や見学上の注意事項は、公式情報をご確認ください。
◇
レイジ怪奇録。
登録者数が二十万人を超える、心霊・怪談系の動画チャンネルだった。
廃墟。
心霊スポット。
事故物件。
古いトンネル。
曰くのある土地。
そのような場所を、現地映像や資料とともに紹介する配信者らしい。
念のため、チャンネルについて言及している幾つかのサイトも確認した。少々大げさな演出はあるものの、無断侵入や器物損壊を積極的に行うような人物ではないようだった。チャンネルの概要欄にも、現地のルールを守ると明記してある。
動画は、公開からまだ一時間も経っていなかった。
それでも、再生数はすでに二万回を超えている。
画面の下では、コメントが次々に増えていた。
私はイヤホンを接続し、動画を最初から再生する。
◇
【動画文字起こし 一部】
レイジ:
はい、どうも。レイジ怪奇録です。
今日はですね、視聴者さんから、かなり興味深い情報をいただきました。
四国沖にある三影島という小さな島。
そこに、山の神様に毎年一人、婿を出す祭りがあるらしいんですよ。
これ、ネット怪談とか、誰かが作った話ではありません。
自治体の公式サイトがあります。
で、このサイトがまた、かなり雰囲気あるんですよね。
山の女様。
山の婚礼。
白装束の男が、日没後の旧参道を上る。
これ、完全にホラーの導入じゃないですか。
しかも、二の鳥居より先は、一般の見学者は立入禁止。
祭礼役への声かけは禁止。
供物や祭具には触らないでください、と書かれています。
供物って何なのか。
何に触れたら駄目なのか。
気になりますよね。
それで、サイトに白い布の写真があります。
神前に供えられる白布。
島では、山の神の衣とも伝えられているそうです。
山の神の衣。
白い布。
いや、これ、何なんでしょうね。
今年の祭りは八月十六日なので、予定が調整できれば、現地へ行ってみたいと思います。
◇
十七分ほどの動画のうち、三影島の祭礼について紹介しているのは、冒頭の五分ほどだった。
残りは、彼がこれまで訪れた心霊スポットや、類似する祭礼、都市伝説の紹介に充てられている。
動画の中で語られている祭礼の内容は、すべて公式サイトに掲載したものだった。
三影島。
山の女様。
白装束。
二の鳥居。
立入禁止区域。
祭礼関係者への声かけ禁止。
供物や祭具へ触れないこと。
白布。
レイジは、存在しない伝承を加えていない。
祭礼を生贄の儀式だとも、祟りがあるとも断定していない。
ただ、公式サイトの中から、怖く見える情報を選び、順番を変え、言葉を繰り返している。
私が島の情報を組み替えたのと同じように。
黒川正臣が、三十八年前に行ったかもしれないことと同じように。
動画を一度止める。
白布。
レイジは、その言葉を何度も口にしていた。
サイトには、白布を拾うなとは書いていない。白布へ触れるなとも書いていない。
ただ、神社の供物や祭具には触れないでほしいと書き、別の頁へ白布の写真を掲載した。
それらをつなげれば、白布には触れてはいけない、という意味になる。
間違ってはいない。しかし、私が書いた文章そのものでもない。
私はコメント欄を開いた。
◇
【コメント欄抜粋】
・公式サイトを見たけど、もう普通に怖い。
・山の女様って名前がもう無理。
・婿って何?生贄系?
・自治体の公式なのに、ホラー感が強すぎる。
・八月十六日って、もうすぐじゃん。
・白装束の後ろ姿、顔を写してないのが逆に怖い。
・供物に触るなって、普通の注意書きじゃないですか?
・でも白布の写真をわざわざ載せてるの、意味ありそう。
・こういうの、地元では絶対もっとやばい話がある。誰か調べてください!
・DMした人、よく見つけたな。
・レイジさん、現地配信お願いします!
・二の鳥居より先へ行くなよ。絶対行くなよ。
◇
コメントの大半は、この種の動画によくある反応だった。
怖い。
面白い。
行ってみたい。
現地へ行くな。
いや、行ってほしい。
書き込んでいる人々のほとんどは、実際に三影島へ行くつもりなどないのかもしれない。
昼休みや移動時間に動画を開き、思ったことを数秒で書き、そのまま別の動画へ移る。
それでも、サイトのアクセス数は増えていた。
船便の時刻表を開く人も増えている。
祭礼見学案内の頁。
島内地図。
民宿とアクセス。
単に怖がっているだけではなく、実際に島へ行くために必要な情報を見ている人がいる。
私が求めていた流入だった。実際に成果指標として設定した数字が伸びている。
サイト閲覧数。
平均滞在時間。
SNS上の共有。
船便情報の閲覧数。
島の名前を知る人の数。
観光事業としては、明らかな成功だった。
社内チャットにも、営業担当者から連絡が入る。
◇
【社内チャット】
営業担当:三影島、急に伸びていますね。心霊系チャンネルからの流入のようです。先方にも速報を入れます。
チーム長:アクセス増加は良いですが、祭り当日の受け入れ態勢を確認してください。想定以上に見学希望者が増える可能性があります。
営業担当:了解です。メディア露出としては大きいので、レイジ怪奇録側から取材連絡が来た場合の対応も整理しましょう。
◇
成功。その言葉は、まだ書かれていない。
しかし、営業担当者の文章にも、急上昇する数字にも、同じ意味が含まれていた。
スマートフォンが震える。カナちゃんからだった。
> 動画、見ました?
> 今見た。
> 視聴者からDMで送られたようですね。
> 誰だろう。
> 分かりません。公式サイトを偶然見つけた人かもしれません。
> 島の人が送った可能性もある?
> あります。観光客を呼びたい人なら、宣伝のために送るでしょう。反対に、危険だと知らせたい人が送った可能性もあります。
> 危険だと知らせるために、二十万人へ紹介する?
> 人は、止めたいものを説明するために、広めてしまうこともありますから。
私は、その文章をしばらく見ていた。
――祭りに人を呼びたい者。人が来ることを止めたい者。
どちらも、同じ動画のURLを誰かへ送ることができる。
目的が正反対でも、行われる操作は同じだった。
共有する。
保存する。
見てほしいと伝える。
カナちゃんから、もう一件メッセージが届く。
> コメント欄も見てください。
> 見てるよ。
> 新しい順に並べて。
私は動画のコメント表示を、新しい投稿順へ切り替えた。
画面を更新するたび、数件ずつ新しいコメントが増えている。
白布。
山の女様。
二の鳥居。
生贄。
現地配信。
同じ言葉が、少しずつ形を変えながら繰り返されていた。
その中に、一件だけ、ほかとは違う書き方のコメントがあった。
◇
【コメント欄】
昭和六十三年の婿役、黒川正臣については載せないんですね。
◇
私は思わず画面へ顔を近づけた。
心臓がどくりと脈打った。
――黒川正臣。
公式サイトには、その名前を出していない。町のSNSにも、プレスリリースにも書いていない。
黒川の記事を引用した紀要も、翌年の雑誌目次も、死亡記事も公開していない。昭和六十三年の作業用頁は、もう仮サーバーから削除している。
誰かが独自に昔の雑誌へ到達した可能性はある。
島で祭礼を知る者なら、黒川の名を覚えているかもしれない。
黒川の家族や、当時の雑誌関係者かもしれない。
けれど、そのコメントの書き方は、少なくとも初めて名前を発見した人間のものには見えなかった。
黒川正臣とは誰ですか、ではない。
昭和六十三年に何かあったのですか、でもない。
――載せないんですね。
その言葉には、公式サイトを読んで初めて祭りを知った人間の好奇心ではなく、何かを知っている者が、意図的な省略を見つけた時の非難が含まれていた。
祭りへ人を呼ぶためのページを見て、黙っていられなかった者が書いたようにも読める。
コメントの投稿時刻を確認する。
八月十二日、十二時三十分。動画が公開されてから、二十七分後だった。
> 黒川さんの名前が出てる。
> はい。
> 私、出してないよね。
> 出していません。
> 動画にもない。
> ありません。
> 投稿、二十七分後。
> 動画を見てから、一から調べた人にしては早いです。ただし、以前から知っていた人なら可能です。
> 島の人?
> 可能性はあります。祭りに人が集まることを警戒していた人なら、何も知らないまま来る人を止めるために、過去のことを書こうとしたのかもしれません。
> でも、これを書いたら余計に気になるよ。
> 書いた本人は、そこまで考えなかったのかもしれません。あるいは、書かずにはいられなかったのかもしれません。
――書かずにはいられなかった。
私は、コメントをもう一度見る。
『昭和六十三年の婿役、黒川正臣については載せないんですね。』
その下には、まだ返信がついていない。高く評価した人もいない。
膨大なコメント欄の中に置かれた、短い一文にすぎなかった。
しかし、そこには名前がある。
現地に行った私でさえ、複数の資料を並べなければ、一つの出来事へ結びつけられなかった名前。
そして、リンクのない作業用頁へ一度だけ置かれ、誰かに開かれた可能性のある名前。
私が公開用のサイトから外した名前。
それが今、二十万人を超える登録者を持つ動画の下へ、誰でも読める文字として置かれている。
私はページを更新した。
先ほどまで返信のなかったコメントの下に、二件の返答がついていた。
> 黒川正臣って誰ですか?
> 昭和六十三年に何かあったんですか?
もう一度更新する。さらに一件増える。
> ソースありますか?
私は画面の上で、黒川正臣という名前が増えていくのを見ていた。
最初に書いた者が、島へ人を呼ぶことを止めたかったのかは分からない。
警告したかったのか。
隠されていると感じ、腹を立てたのか。
亡くなった人間の存在を、なかったことにされたくなかったのか。
ただ、理由が何であったとしても、その一文によって、黒川正臣という名前は再び読まれた。
一人が読む。
質問する。
別の人が検索する。
見つけたものを貼る。
それを、さらに別の誰かが読む。
サイトの公開から四日目。
私が掲載しなかった名前は、私たちの手を離れ、誰でも見ることのできる場所へ置かれていた。




