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春夏秋冬〜四度目の茶会で、私は離縁状をお出ししました〜  作者: 九葉(くずは)


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第8話 冬の茶会、茶器の下の離縁状

冬の茶会の朝、玄関の門前に、見慣れぬ馬車が一台、止まっていた。


雪はまだ降っていない。けれど、空気は冬のものだった。

窓辺で身支度を整えていた私は、案内係の若い使用人が、門の方へ駆けていくのを目の端で見た。何かの異変ではないかと、足音にためらいがあったのだ。


「奥様、玄関に……モルゲンシュテルン辺境伯領の馬車が、止まっています」


マルテが部屋の入り口で告げた。

私は手元の真珠の留め具を、一度、外した。


「閣下が、お越しになっているの?」

「いえ、お客様はいらっしゃいません。馬車と、馭者だけです。昨夜のうちに到着して、そのまま、門前で待っています」

「待っている……何を?」


マルテは私の方を、しばらく見ていた。

それから、静かに答えた。


「奥様の、ご指示を」


私は留め具を、もう一度、つけ直した。

鏡の中の自分は、いつも通り、冬の茶会の朝の若夫人の顔をしている。けれど、頬の色だけが、ほんの少し、いつもより明るく見えた気がした。


「マルテ、馭者に、お茶を一杯、出してくれる? 寒い朝だから」

「かしこまりました」

「それから、今日は……今日の茶会が終わるまで、玄関にそのまま待っていただくよう、伝えて」


マルテは深く頷いた。

何も尋ねなかった。彼女には、もう、伝わっていたのだ。


冬の茶会には、過去最多の来賓が来た。

春に二十名、夏に二十二名、秋に二十四名。それが今日は、二十六名。


「ヴァルトハイム家の若夫人の茶会には、是非にも伺いたいの」

そう言ってくださった夫人たちが、招待状の返信の段階で何人もいた。最近の社交界では、若夫人が主催する茶会の招待状の差出人の名前を、皆さまよく見ているそうだ、とマルテが教えてくれた。


席次表に、当主の隣のシビラ様の席は、もう、最初から書き込まれていた。

今日は争わない。私はそう決めて、自分の席に着く。


茶会は滞りなく進んだ。

私はもう、何度この大広間で同じ動きをしてきたか、思い出さなくても手が動くようになっていた。紅茶のお代わりを促すタイミング。話の流れを切らずに席を立つ作法。退席の合図を一拍だけ早く読み取る目。

すべて、私の身体に染み付いていた。


マチルダ様は、今日も最後までいらっしゃった。

ローザリンデ様も、最後まで席を離れずに、私の方を時折ご覧になる。

シビラ様は当主の隣で、いつもより少しだけ静かだった。秋の茶会の後、義母様が何度か、シビラ様と話をされていた、その影響かもしれない。


茶会の終わり、見送りの時、マチルダ様は私の前で、扇を一度、畳まれた。


「奥様、本日もありがとう存じました」


私は会釈をした。

マチルダ様は、会釈の終わる前に、私の手を一度、軽く握られた。

夏の茶会の時にもしてくださった仕草。けれど、今日のマチルダ様の手の力は、夏の時より、ほんの少しだけ、強かった。


「奥様、お元気で」


マチルダ様は、それだけ言って、馬車へ向かわれる。


「お元気で」は、通常の見送りでは使わない言葉だ。「またお目にかかりましょう」や、「次の春には」と、再会を前提に申し上げるのが、社交の慣わし。

マチルダ様の「お元気で」は、再会を前提にしない言葉だった。

それが何を意味するのか、マチルダ様ご自身がご存じだったのか、私には分からない。ただ、私の手の甲にはまだ、マチルダ様の指先のわずかな温かさが残っていた。


最後の馬車が遠ざかった後、大広間には、片付け途中の銀器と、冷め始めた紅茶のカップが残された。

テオドリック様は、来賓の見送りの途中で、シビラ様を伴って書斎へ移っていらっしゃった。義母様は片隅の窓辺で、静かに立っていらっしゃる。


私は、当主席の正面の小さなテーブルへ歩み寄った。

そこには、結婚祝いに義母様から頂戴した、白磁の茶器が一客、置かれている。

普段、この茶器は私の食堂の戸棚にあるはずのもの。けれど、義母様が春の書斎で、独り言のように言われた日から、私は、この茶器を時々、ご自分の傍に置かれていることに気づいていた。

今朝も、義母様の指示でこの茶器を大広間に運んだと、マルテが告げてくれていた。


私は懐から、一通の書状を取り出した。

昨夜のうちに、モリッツ様にもう一度内容を確認していただいて、正式に整えた合意離縁の申し入れ書。封蝋は赤。差出人はヴァルトハイム侯爵家若夫人 ライラ。宛先はヴァルトハイム侯爵 テオドリック殿。


書状を、白磁の茶器の下にそっと挟む。

書状の縁が、茶器の脚の白さの下から、ほんのわずかにのぞいた。


「ようやくですね」


義母様の声だった。

窓辺から、義母様が私の方を見ていらっしゃる。

怒りでも、喜びでもない声。ただ、長く待っていたものが、ようやく動いた、という響きだった。


「お母様」


私は会釈をした。


「お先に」

義母様は、それだけ言って、紅茶のカップを、もう一度、ソーサーの上に静かに戻された。

春の茶会の終わりにマルテが耳打ちした音。夏の茶会の中盤に響いた音。秋の茶会でシビラ様を呼ばれた時の音。今日の音は、それらすべての終わりの音だった。


「ライラ?」


書斎から戻ってこられたテオドリック様が、大広間の真ん中で立ち止まられた。

私が当主席の正面のテーブルの前に立っているのを、不思議に思われたのだ。テオドリック様の視線が、私の手元から、茶器の方へ降りていった。

茶器の脚の下から、書状の縁がのぞいている。


「これは……」


テオドリック様は、茶器を一度持ち上げて、書状を引き抜かれた。

赤い封蝋。差出人の名前。

封を切る指が、最初の数秒、震えていた。


「ライラ、これは、本気か」


私は何も答えなかった。

ただ、深く頭を下げて、大広間の入り口へ向かう。


「待ちなさい、ライラ。話を……話を、もう一度しよう。私たちは家族だ。家族なら、もう一度話せば……」


「家族でございますから、と」

私は振り返った。

「テオドリック様は、夏の茶会の時、マチルダ様にそうお答えになりました。私の隣にシビラ様が座っていらしたのも、家族でございますから、と」


テオドリック様の口が、半分、開いたまま止まった。


「家族同然と仰ってくださった言葉は、私の隣を譲るための言葉でした。私はその言葉に、四度、応えてまいりました。春、夏、秋、冬。四度の茶会の間、私の席は少しずつ動いて、最後には、当主席の三つ向こうまで参りました」


私は会釈をした。


「もう、これ以上は、お受けできません。来賓の方々には、お詫び申し上げます。この家の茶会は、今日が最後でございました」


大広間の扉の前で、マルテが私を待っていてくれた。

彼女の手には、すでに、私の旅装の包みが用意されていた。今朝のうちに、私が指示したものではない。けれど、マルテは、私が今夜、ここを出る支度を、もう何日も前から少しずつ進めてくれていたのだ。


玄関の扉を開けると、門前の馬車が、まだそこにあった。

馭者は、私の旅装の包みを見て、一度だけ頷く。


馬車に乗らずに、私はその場で振り返った。

今夜は、まだ、辺境へは向かわない。明日からの協議のために、王都の実家へ戻る。けれど、玄関に止まる馬車は、私の選択の合図だった。「いつでも、辺境伯領で奥様を迎える準備がございます」という、あの短い便りの答え。


「お母様に、よろしくお伝えして」


私はマルテに、それだけ言った。

マルテは深く頭を下げた。


冬の風が一度、玄関の前を通り抜ける。

門の向こうで、紺色の覆いをかけた馬車が、静かに私を待っていた。

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