第5話 秋の贈答品、選定の夜
秋の贈答品を選ぶ夜は、いつもベルガー商会の茶葉の香りで始まる。
夏の茶会から、二ヶ月が経った。
夏の終わりから秋の入り口にかけて、私は辺境伯閣下との書簡のやり取りを、三度ほど重ねていた。
最初の三つの質問への返信。それに対する閣下からの追加のお尋ね。さらに、その追加のお尋ねへの私の答え。
閣下からの便りは、いつも短い文章だけだ。
けれど、私の使った専門用語が、そのまま閣下の返信に載って戻ってくる。「臨時支出」の分類基準も、「家族同然」の格付けについての社交慣行の整理も、私が書いた言葉のまま、閣下の机の上で受け取られているのだ。
返信の文章を整える夜、私は何度か紅茶を冷ました。
言葉を選ぶのに、時間がかかった。
仕事の話だから、形式は決まっている。それでも、私はその夜、便箋を二度書き直した。
応接室にベルガーが訪ねてきたのは、九月の初めの夕方だった。
「奥様、本日はご贔屓に与りまして」
ベルガーは王都の老舗、ベルガー商会の主だ。五十代半ばで、商人の中でも一段、見立てに目の利く男だと、私は嫁いだ最初の年から知っていた。
彼が選んでくれる茶葉は、ヴァルトハイム家の名で各家へ送られて、もう三年になる。
「ベルガー、本日もよろしく。秋の贈答先を、もう一度相談したくて」
「かしこまりました」
ベルガーが応接室の机の上に、五種類の試飲用の茶葉を並べてくれた。
私は二つ目までは、香りだけで言い当てた。一つ目は南方山地の春摘み、二つ目は東方海岸の二番茶。三つ目は迷って、ベルガーに「これは?」と尋ねる。
「これは、北方の新しい産地のものでございます。今年から取り扱いを始めました」
「初めてのところ?」
「左様でございます」
「では、まだ送らないでおきます。慣れていない銘柄を、初めての方に送るのは、贈り主が手抜きをしたように映りますから」
ベルガーは深く頷いた。
私は手元の贈答記録帳を開く。
三年分の蓄積。各家への過去三年間の贈答銘柄が、日付つきで記録されている。
「ライヒャルト伯爵家のマチルダ様には、一昨年にも昨年にも、東方海岸の二番茶を送っているのね」
「左様でございます」
「では、今年は別の銘柄に変えましょう。同じ銘柄を三年続けて送るのは、相手様の好みを覚えていない手抜きと取られかねないから」
「奥様、よくご存じでいらっしゃいます」
ベルガーは一度、姿勢を正した。
「お若い方の中には、その慣わしをご存じない方もいらっしゃいます。最近ですと、ある侯爵令嬢様に頼まれて贈答銘柄を選んだところ、『これは私の好みなの』と仰って、ご自分のお好きな銘柄ばかりを贈答先にお送りになろうとされたことがございました」
私はベルガーの顔を見た。
ベルガーは、その「ある侯爵令嬢様」がどなたなのか、決して言わない。けれど、彼の目元には、商人としての穏やかな苦笑があった。
「贈り物は、贈る相手の好みを覚えるためのものでございますからね」
私はその通りだ、と答えた。
ベルガーは満足そうに頷いて、五種類の茶葉から、今年の贈答先に合う三種類を、私と一緒に選び終えてくれた。
選定の終わりに、応接室の扉が開いた。
「お義姉様、何をしていらっしゃるの?」
シビラ様だった。
彼女はベルガーの並べた茶葉と、私の手元の贈答記録帳を、立ち止まって見ている。
「秋の贈答品を、選んでいます」
「あら、私もお手伝いしたい!」
シビラ様は応接室の椅子に腰を下ろした。私はベルガーと目を合わせて、それから、選定済みのリストの写しをシビラ様に見せる。
「これが、今年のリストです。シビラ様、よろしければ、各家の宛名と銘柄を、もう一度確認していただけますか」
「素敵なリストね」
シビラ様はリストを手に取って、目で追う。
「マチルダ様には……」とだけ読み上げて、それから先は、つぶやくのをやめた。
私は、シビラ様が手元のリストの細部までを書き留めているかどうか、見ようとした。けれど、シビラ様は紙を手に取って眺めるだけで、何かを書き写すための紙もペンも、持っていない。
「素敵ね、お義姉様。私、本当に勉強になるわ」
シビラ様は十分ほどリストを眺めて、それから、「お部屋に持ち帰って、もう少しゆっくり読みたい」と言った。
私が「どうぞ」と答える前に、シビラ様はもうリストを手にしたまま、応接室を出ていく。
応接室には、ベルガーと私と、五種類の試飲茶葉だけが残った。
「奥様」
ベルガーが、しばらくしてから口を開く。
「先ほどのリスト、最終の正本は、こちらにお残しでございますか?」
「あ……」
私は自分の机の上を見た。
シビラ様に見せたのは、私が念のためにもう一枚控えを取った写しだった。けれど、正本は……
正本も、シビラ様の手の中にあった。
私は「素敵なリスト」と言った時のシビラ様の手元を、もう一度、頭の中で確認する。彼女は二枚を一緒に手に取って、そのまま応接室を出ていったのだ。
「これは、誰の選択でございますか」
ベルガーが、ぽつりと尋ねた。
その問いの意味を、私はすぐには受け止められなかった。
ベルガーは私の顔を見ながら、続けて言う。
「先ほど『私のお気に入りばかりを送ろうとされた令嬢様』の話を申し上げましたが……奥様、もしも、贈答先のリストが、選定の場ではないところで、別の方の手によって変更されることがありますなら、商人としては、その正本をお預かりしておきとうございます」
ベルガーの目は、応接室の扉の方を一度だけ見た。シビラ様が出ていった、その先を。
「これは、私の選択です」
私はようやく、そう答えた。
「左様でございますか」
ベルガーは深く頭を下げた。
「では、奥様の選択を、商会の正式な発注書として承ります。発注書には奥様のご署名のみを頂戴いたします。よろしゅうございますか」
「お願い、ベルガー」
私は発注書に、自分の名前を書いた。
ヴァルトハイム侯爵家若夫人 ライラ。
一筆で書き終える。書き終えて、私の名だけがその紙の上に並んでいることを、不思議に思った。
これまでは「ライラ・ヴァルトハイム」と書いた時、自分の名前と侯爵家の名前が、いつも対になって並んでいた。けれど、今夜の発注書では、ヴァルトハイム家の家紋の下に、私の名だけが残ったのだ。
ベルガーが帰った後、私室に戻ると、紺色の封蝋の手紙が机の上にあった。
辺境伯閣下からの返信。
中には、私が先日尋ねた「贈答記録の保管方法」への、丁寧な答えが書かれていた。
そして、最後の一節に、こうあった。
——貴方様が記録される筆跡は、私の机の上で、半年前から一度も変わっておりません。誰かに代筆をされる必要のない仕事でいらっしゃると、私は存じております。
その一節を、私は二度読んだ。
三度目を読もうとして、便箋を裏返して置く。
ベルガーが「これは、誰の選択でございますか」と尋ねた時、私は答えに迷った。
辺境伯閣下は、その答えを、私よりも先に、ご存じだった気がする。




