第79話:新しい目標
三日後の夜。
山岳地帯の入り口にある小さな村——リースの手前で、三人は野営をしていた。
焚き火の光が揺れる中、アルトがノートを広げて話し始めた。
「一度、整理しましょう」
ペンで地図の略図を描く。ここ数日で集めた情報を線で結んでいく。
「僕たちの目標は三つ。リアラを取り戻すこと。ルーナさんを救うこと。バルの状態を安定させること。——で、今回の旅で新しく加わったのが、勇者の剣の修繕」
「四つ目、か」
ユートが焚き火の向こうから言った。膝の上に、折れた勇者の剣を置いている。布に包んで持ち運んでいるが、時折ユートの紋様と共鳴して、柄が微かに光る。
「四つ目です。でもこれは独立した目標じゃなくて、他の三つに繋がってる気がします」
アルトはノートに書き込みながら続けた。
「まず、剣を直せばユートさんの暴走を安定させられるかもしれない。バルの中にあった剣とユートさんの残滓が共鳴したことからも、剣がユートさんの鍵になる可能性は高い」
「一応——あの剣を持ってから、記憶の暴走は減ってるな。ゼロじゃないが、頻度が下がった」
「二つ目に、剣はエイルさんが妖精族の鍛冶場で打った。その鍛冶場が北東にあるなら、リアラの足跡と方角が一致する。ルーナさんがリアラを連れて行った先も北東。——全部が、同じ方向を指してる」
「偶然じゃないわね」
ミラが杖を弄びながら言った。
「妖精族の里は隠された場所にあるけど、ルーナは元々勇者と妖精に縁がある。むしろ、あの子が妖精の領域に近い場所にいる方が自然かもしれない」
「はい。だから当面は——北東に進みながら、妖精族の鍛冶場とルーナさんの手がかりの両方を追います」
アルトは地図に矢印を描いた。
「ただし、問題がいくつか」
「一つ目。妖精族の鍛冶場の正確な場所がわからない。ユートさんの記憶の断片がヒントにはなるけど、確実じゃない」
「二つ目。北東に進むほど魔物の出現率が上がってる。さっきの自警団みたいな連中も増える可能性がある」
「三つ目——」
アルトの目がバルに向いた。
「バルの状態。声は出るようになったけど、安定してない。混線が進んだら——旅を続けられるかどうか」
『大きなお世話だ』
バルが不機嫌に言った。
『俺様は世界最強の魔道具だぞ。頭の中がぐちゃぐちゃだろうが、お前ごときに心配される覚えはねぇ』
「でも、今日だけで三回口調が変わったろ」
『……うるせぇ』
バルの声が——少しだけ、小さくなった。自覚があるのだ。自分が不安定であることの。
* * *
「もう一つ、気になることがあるの」
ミラが焚き火の傍で膝を抱えながら言った。
「私の魔法のずれ。世界の魔力が乱れてるのが原因だって話をしたでしょう。あの乱れが——北東に進むほどひどくなってる」
「え?」
「今日の探知魔法、範囲が半分まで落ちたの。グレンフォードにいた時は二百歩だったのが、今日は百歩。——大気中の魔力の乱れが、ルーナのいる方角に近づくほど強くなってるとしたら」
「ルーナさんの存在自体が、魔力を乱してる?」
「可能性はあるわ。魔王が復活した直後から、空に赤黒い筋が走ってる。あれが魔力の流れを歪めてるなら——発信源に近づくほど、影響は大きくなる」
重い情報だった。
ルーナに近づくほど、ミラの魔法は不安定になる。最大の火力が——最も必要な場面で使えなくなるかもしれない。
「だから——新しい術式を、急いで作る必要があるの。乱れた魔力でも精密に制御できる理論を。時間との勝負よ」
「ミラさん。その研究と旅を並行するのは——」
「やるしかないでしょ。止まってる暇はないわ。移動しながら考える。私の頭脳を甘く見ないでちょうだい」
ミラの目に、炎が映っていた。強い光だ。不安の裏返しだと知っていても——頼もしい。
* * *
「よし。じゃあ、方針はこうです」
アルトがノートに最終的な整理を書き込んだ。
「一。北東に進み、妖精族の鍛冶場とリアラの手がかりを同時に追う」
「二。ユートさんは折れた剣を持ち続けて暴走を抑える。記憶の断片で鍛冶場の位置を掴む」
「三。ミラさんは移動中に新術式の理論を組む。戦闘時は僕がフォローに入る」
「四。バルの混線が悪化したら、すぐに対策を考える。隠さないでくれ」
『……しょうがねぇな』
バルが渋々と言った。
「五。偵察と索敵は僕が中心でやります。夜の見張りも、当面は僕の比重を多めに——」
「待ちなさい」
ミラが遮った。
「……あんた、自分のことは何も入れてないじゃない」
「僕は大丈夫ですから」
「大丈夫かどうかじゃなくて。全部自分でやろうとしてない?」
「してないですよ。ちゃんと役割分担してるじゃないですか」
アルトは軽く笑った。穏やかで、真っ直ぐな笑み。
ミラは何か言いかけて——口を閉じた。今はまだ、指摘するには早すぎる。
「……まあいいわ。その方針で」
「はい。——明日から、本格的に山に入ります。妖精族は人里から離れた場所にいるはずだから」
ユートが剣の布を解き、折れた刃を焚き火の光にかざした。金色の光が、穏やかに明滅している。
「この剣が——エイルの作った場所に、俺たちを導くのかもしれないな」
その時。バルが不意に声を上げた。
『——おい。そっちは嫌な匂いがする』
「え?」
『どっちだ。北か? 北東か? ——いや、もっと……東寄りの、奥の方だ。嫌な匂い。冷たくて、重い。何か……でかいのが、そこにいる』
全員が黙った。
「ルーナ……か?」
ユートの声が低い。
『わかんねぇ。ただ——』
バルの声が、一瞬だけ変わった。
いつもの荒っぽい口調ではなく——静かで、どこか悲しげな声。
『——あの子は、泣いている』
沈黙が落ちた。
バルは何も続けなかった。アルトが声をかけても、『知らねぇ、今のは俺じゃねぇ』としか答えなかった。
焚き火の炎が揺れる。
北東の空で、赤黒い筋が脈動していた。




