表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
38/82

幕間 第4話:沈黙の底で

 暗い。

 どこまでも、暗い。


 音もない。光もない。温度すらない。

 無限に広がる虚無の底に、ぽつんと一つだけ、かすかな意識の欠片が沈んでいた。


 ——俺は、誰だ?


 その問いすら、もう何度目かわからない。

 暗闇の中で、意識はゆらゆらと揺れている。覚醒と消滅の間を行ったり来たりしながら、形を保つことすら危うい状態で。


 ここは、バッグの内側だった。

 黄色い布地の裏側。かつて魔物を呑み込み、魔力を喰らい、武器を吐き出していた場所。だが今は、あの銀色の魔力によって厳重に封印され、何も出入りできない閉じた空間になってしまっている。


 ——俺は……バル、だ。


 名前を思い出す。

 それだけで、暗闇の中の「自分」が少しだけ確かなものになった気がした。


 バル。

 喋るバッグ。毒舌で、わがままで、大飯食いで、偉そうで——


(……俺は、何をしていた?)


 記憶が、ぼやけている。

 断片的な映像が、暗闇の中で明滅する。

 ゴブリンの酸っぱい魔力の味。錆びた短剣をビビりながら振るう小さな手。焚き火の横で必死にノートに何かを書き込んでいる少年の横顔——


(……アル、ト……?)


 名前が浮かんだ途端、意識の輪郭が急に鮮明になった。

 アルト。あの臆病で、鈍くて、ノロマで——だけど、なぜか手を離してやれないガキ。


(そうだ。俺はあいつの……)


 だが、思い出そうとすればするほど、銀色の封印が意識を押さえつけてくる。まるで、目覚めることそのものを禁じるように。思考の輪郭がぼやけ、名前が溶け、感覚が遠のいていく。


(くそ……何だよ、この……っ!)


 毒を吐こうにも、喉がない。叫ぼうにも、口がない。

 バルという存在は今、自分の身体の中に閉じ込められた「ただの意識」でしかなかった。


 * * *


 時間の感覚がない。

 一瞬だったのか、何ヶ月だったのかもわからない暗闇の中で——ふと、外から何かが聞こえた気がした。


 ——……る。


 声だ。

 銀色の封印越しに、外の世界の音が、ほんのかすかに漏れ聞こえてくる。


 ——ま……だ……な。


 遠い。水の底から聞こえる声のように、ぼやけて歪んで、ほとんど意味を成さない。

 だが、バルの意識はそれに向かって全力で手を伸ばした。


(誰だ……? おい、誰だ! 聞こえてんのか!!)


 叫ぶ。もちろん声にはならない。だが、意識のすべてをそこに集中させる。


 ——……今日も……った。……法剣の……だいぶ……してきた……もっと……ないと。


 断片的に。だが確実に。あの声が聞こえる。

 静かで、低くて、昔よりもずっと大人びた——だけど、確かにあの声だ。


(アルト……? おい、アルト!!)


 封印の壁が厚すぎて、声は届かない。こちらからは一切の反応を返すことができない。

 だが——聞こえた。あいつの声が。


 ——……お前さ、いい加減起きてくれよ。……一人で喋ってると……馬鹿みたいだろ。


 声が、少しだけ震えていた。


(……おい。てめぇ、泣いてんのか? ノロマが。誰が許可した)


 バルの意識が、暗闇の中でもがいた。

 封印が厚い。分厚すぎる。あの日バルを貫いた剣——あの銀色の魔力が、傷を塞ぐと同時にバルの全機能を凍結してしまっている。声を出すことも、魔力を動かすことも、何一つできない。


 だが。

 一つだけ、わかったことがある。


(あいつ、生きてやがる)


 アルトは生きている。

 しかも、あの泣き虫のノロマが、一人で戦いながら、毎晩こうして語りかけてきている。


(……クソガキが。勝手に一人で……強くなってんじゃ、ねぇよ……)


 毒舌のつもりだった。だが、その意識の端が——ほんの少しだけ、温かく揺れた。


 暗闘の底で、バルは再び沈黙の中に沈んでいく。

 だが、今度の闇は、前とは少し違った。

 完全な無ではない。暗闇の端に、ほんのかすかに——蜂蜜色の、温かい光の残滓が、ちらちらと揺れていた。


 * * *


 それから、どれだけの時間が流れただろう。


 外からの声は、不定期に聞こえてきた。

 戦いの報告。手がかりが見つからない焦り。次の目的地の独り言。

 そして必ず最後に、同じ言葉で締めくくられる。


 ——また明日な。


 毎晩。毎晩。一日も欠かさず。

 バルが何の反応も返せないことを知っていながら、あの少年は語りかけ続けていた。


(…………)


 バルの意識が、暗闇の中でゆっくりと形を取り直していく。

 封印は解けない。声も出せない。何もできない。

 だが——消えることだけは、しなかった。


 あの声が聞こえる限り。

 あの馬鹿が毎晩「また明日な」と言い続ける限り。


(……上等だ、クソノロマ。……いつか絶対、叩き起こされてやるから、覚悟しとけよ……)


 暗闇の底で、誰にも聞こえない悪態を一つ。

 それがバルにできる、たった一つの抵抗だった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ