幕間 第3話:紅蓮は消えず
——あの日から、1年と少しが過ぎた。
炎が、夜空を焦がしていた。
魔物の群れが巣食っていた廃砦の残骸が、赤々と燃え上がっている。その炎の中を、長い赤みがかったブラウンの髪を揺らしながら、一人の魔法使いが歩いていた。
ミラ。
かつてアルトやユートと共に旅をした魔法使い。
その姿は、1年前のあの余裕ある微笑みのお姉さんとは、まるで別人だった。
燃える廃砦を背にして歩くミラの装いは、以前のワインレッドのコルセットではなく、焦げ跡と血の染みが重なった暗い赤のマントで全身を覆っている。肩に提げた魔道具のポーチは、以前の倍以上に膨れ上がっていた。中には戦利品として回収した魔道具が詰め込まれている。
そして何より——その目つきが変わっていた。かつてのような挑発的な明るさはなく、静かに、鋭く、獲物を追い続ける猟犬のような光を湛えている。
「……これで十二ヶ所目」
ミラは立ち止まり、小さな手帳を取り出して書き込んだ。
そこには、魔族の動きに関する情報が細かく記されている。部下の拠点と思しき場所の一覧、目撃証言の日時と位置、襲撃パターンの傾向。一見すると冒険者というよりも、執念に取り憑かれた情報屋の仕事に見えた。
「魔族の動きが西に寄ってきてる。あの葬送の指揮者のようなディアルの直接の手駒はまだ出てこない。……何を準備してるの、あいつは」
誰に聞かせるでもなく呟き、手帳を仕舞う。
* * *
深夜。人里離れた森の中で、ミラは一人焚き火を囲んでいた。
火の扱いは得意だ。得意すぎるくらいに。この1年で、彼女の魔法は生き延びるために研ぎ澄まされ、以前とは比べものにならない精度と出力を手に入れていた。
代わりに、失ったものがある。
「……ユート」
小さく、その名前を呼んだ。
あの爆風で森の奥に飛ばされた後のことは、断片的にしか覚えていない。
木々に叩きつけられ、意識が途切れ途切れになりながら、気づいたら森の中で倒れていた。全身の骨が軋むほどの痛みの中で最初にしたことは、元の場所に戻ることだった。
だが、崖の上にはもう誰もいなかった。ディアルも、ユートも。血痕と戦闘の痕跡だけが残され、ユートの姿はどこにもなかった。
(あの子まで死んだなんて……信じたくない。でも——)
ミラの脳裏に、最後の光景が焼きついている。
ユートの胸を貫くディアルの手。それでもアルトを庇って笑った、あの優しい顔。
そして——自分は何もできなかった。
「私が……もっと強ければ」
焚き火の炎が、ミラの瞳を赤く照らした。
ユートは——連れ去られた。死んだのか、生きているのかも分からない。アルトも、おそらく——。
何度そう結論づけようとしても、心のどこかが拒絶する。特に、アルトのことは。
(あの子は、ああ見えてしぶといのよ。ゴブリンに追い回されても、ディアルに蹂躙されても、最後まで足掻き続けた子。……死ぬはずがない)
根拠のない確信。だが、ミラはそれを捨てられなかった。捨ててしまったら、自分が何のために戦い続けているのかがわからなくなる。
「アルトは生きてる。……絶対に」
焚き火に薪をくべる。
そうだ。あの子は生きている。だから自分も立ち止まらない。
魔族を追い、ディアルの尻尾を掴み、ユートの仇を——いや、仇などという言葉では足りない。あの日奪われたすべてに、決着をつけるために。
* * *
翌朝。次の情報を求めて立ち寄った小さな街の酒場で、ミラは冒険者たちの会話に耳を傾けていた。
「おい聞いたか? 北の集落がまたやられたらしいぜ」
「ああ、魔族の仕業だろ? 最近ホント物騒になったよな……」
「魔族っつーか、目撃した奴の話じゃ、一人の人間の剣士だったって話だぜ? ただ、目に生気がなくて、胸に赤黒い光が見えたとかなんとか——」
ミラの手が、テーブルの上で止まった。
「……何ですって?」
「おわっ、姉ちゃんびっくりした! いや、最近噂になってるんだよ。各地の古い遺跡とか封印を壊して回ってる剣士がいるって。すげえ強いけど、まるで感情がないみたいだって——」
ミラは椅子を蹴るようにして立ち上がり、酒場を飛び出した。
冷たい朝の空気が頬を打つ。心臓が、痛いほどに暴れていた。
(剣士。目に生気がない。胸に赤黒い光——)
まさか。
でも、もし。
ミラの手帳に、新しい情報が震える筆跡で書き加えられた。
そのページの隅にはたった一行、滲んだインクでこう記されている。
——『ユートかもしれない。生きている?』
消すことも、確信することもできないその一行を抱えたまま、ミラは北へと歩き出した。
紅蓮の炎は、まだ消えていない。
* * *
その頃。
ミラの知らない遠い街の酒場では、こんな噂がひっそりと語られていた。
「なあ知ってるか、赤い髪の魔法使い。女一人で魔族の拠点を焼き尽くして回ってるって話」
「ああ、聞いたことある。誰ともつるまず、一人で最前線を渡り歩いてるんだろ? 化け物じみた火力なのに、ギルドにもどこにも所属せず、噂によると何かを探してるらしい」
「そんな危険なところを渡り歩いて、何を探してるんだろうな、その女」
誰かが呟いた。
その答えを知る者は、この酒場にはいない。
ただ一つ確かなのは、あの日すべてを失ったはずの赤い炎が、世界のどこかでまだ燃え続けているということだった。




