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『ノロマ、死ぬなよ』〜毒舌カバンと最弱少年の英雄譚〜  作者: 塩とわかめ
第三章:壊れた空と、取り戻すための戦い
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第121話:最後の番人

 門の向こうは——玉座の間ではなかった。


 白に近い光が目を焼き、アルトは一瞬視界を失った。手をかざす。光に目が慣れるまでに数秒。——光の正体は、空間を満たす魔力だった。密度が高すぎて、視覚に干渉している。


 目が慣れた時——見えたのは、長い道だった。


 黒い石の参道が、さらに奥へ続いている。ただし幅が狭くなっていた。十人分あった幅が、三人分に。柱はない。左右は——虚空だった。石の道の両側に床がない。暗い穴が下に広がっている。どこまで落ちるかわからない深さ。


 細い橋の上を歩くような構造だった。


「……狭いな」


 ユートが剣を構えたまま、足元を確かめた。橋は安定している。崩れる気配はない。だが——落ちたら終わりだ。


「まっすぐ進みます。左右に広がる余裕がないから——縦一列で」


 アルトの指示に、全員が頷いた。


 ユートが先頭。ミラ。アルト。リアラ。縦一列で——細い橋を渡り始めた。


 足元の石は硬かった。上層までの赤い結晶とは違う、最初の城の名残のような黒い石。だが両側は底なしの虚空だ。視線を落とすと——暗い。どこまでも暗い。光が届かない深さ。落ちたら——何も残らない。音すらしないだろう。


 門で見えた小さな影は——もういなかった。光の残像だったのか。それとも——奥に消えたのか。アルトが背中のバルに聞いた。


「バル。共鳴は——奥から?」


『奥だ。——さらに奥。この橋の先。……だが——何かが間にいる』


 間にいる。橋の向こうに、ルーナではない何かがいる。


 二十歩。三十歩。橋の終わりが見えない。魔力の光が空間を白く染めていて、奥の距離感がつかめない。足音だけが反響する。五人分の足音が、虚空に吸い込まれていく。リアラが無意識に干渉を広げた。橋の周囲の魔力密度を——少しだけ下げた。バルのきしみが和らぐ。本人は気づいていないかもしれないが。


 五十歩目で——空気が変わった。


 橋の先に——何かがいた。


 人型だった。


 守護体とは違う。獣型の雑な結晶体ではない。人の形をしている。——正確に。腕が二本、足が二本、頭が一つ。身の丈は人間と同じ程度。だが全身が赤い結晶でできていて、顔がない。のっぺりとした結晶の面が、こちらを向いている。


 手に——剣を持っていた。結晶の剣。赤い光を帯びた、一本の長剣。


「……番兵か」


 ユートが足を止めた。


「守護体とは違う。——構えてる。待ってる。俺たちが来るのを」


 番兵。城の最後の門番。守護体のように壁から生まれるのではなく——この場所を守るために置かれた存在。意志はない。だが——戦い方がある。剣を持っている時点で、ただの結晶の塊ではない。


「橋の上だ。広がれない。——一対一でやるしかない」


 ユートが一歩前に出た。


「俺がやる。——後ろに下がってろ」


「ユートさん」


「この幅じゃ、二人で並んで斬り込める余裕はない。一人が前に出て、一人が後ろから支援する。——前は俺だ」


 アルトは——頷いた。以前なら自分が前に出ようとしただろう。だが今は違う。ユートが最適だと判断し、ユートが自分でその役を選んだ。アルトは後ろから支援する。


「ミラさん。杖の支援をお願いします。隙があれば撃ってください」


「了解」


「バル。防壁は——出せますか」


『……薄い——が——出す』


「橋から落ちないように、足元だけでいい。薄くていい」


 アルトの指示が——具体的だった。バルの限界を知った上で、バルにできる最小限を頼んでいる。無理をさせない。でも役割を奪わない。


 ユートが剣を構えた。銀色の光。金の力は——重ねない。エイルの残滓は、いざという時のために取っておく。まず様子を見る。相手の出方を確認する。出会った頃からユートは変わらない。——最初は七割で探り、急所を見つけてから全力を出す。


 番兵が——動いた。


 速かった。結晶の体が滑るように踏み込み、赤い長剣が横一文字に薙ぐ。ユートが受け止めた。金属と結晶がぶつかる鋭い音が、虚空に響いて消えた。重い。守護体の獣型とは比較にならない。一撃が——重い。腕に衝撃が走り、足元の石がわずかに軋んだ。


「……腕があるな、こいつ」


 ユートが低く笑った。笑いが出るのは余裕がある証拠——ではなく、強敵への敬意だった。


 剣と剣が交差した。橋の上で。三歩の幅しかない足場で。ユートが斬り込み、番兵が受け、番兵が突き返し、ユートが弾いた。一合。二合。三合。火花が散る。赤い光と銀色の光が交互に明滅する。


 四合目——番兵の突きがユートの肩口を掠めた。衣服が裂ける。浅い。だが幅が狭い。避けきれない距離での戦闘は、一撃のズレが致命傷に直結する。


 五合目。ユートが下段から斬り上げた。番兵が後退して受ける——が、退がる距離がない。背後に空間はある。だが退がった先が橋の端だ。番兵もそれを知っているかのように、すぐに前に出た。反撃。横薙ぎ。ユートが首を傾けて回避し、すれ違い様に剣で叩いた。結晶の肩が削れた。だが——再生する。傷口が赤く光り、結晶が再び盛り上がった。


「再生する——外殻を削っても意味がない。核を潰す」


 ユートが呟いた。だが核がどこにあるか、見えない。結晶の体は透きとおらず、核の光が外から特定できない。


 アルトの目が——追っていた。番兵の動きの一つ一つを。横薙ぎの後は必ず半拍の間がある。突きの後は退がる。上段からの振り下ろしは体重を乗せるために右足が軸になる。——そして六合目。番兵が胸を庇うように左腕を引いた。無意識の動作。あの中だ。核は胸にある。


 だがまず——崩す必要がある。アルトの目が軸足を見た瞬間。


「ユートさん——上段の直後、右が軸です!」


 ユートの目が光った。アルトの声が聞こえた。信じた。


 番兵が上段を振り下ろした。ユートがわずかに左に体を逸らし——振り下ろした長剣が橋の石を砕いた。右足が軸。そこへ——ユートが踏み込んだ。


 九割。斜め下からの斬り上げ。番兵の右腕を結晶ごと切り飛ばした。剣を持つ腕が落ちて、虚空に消えた。


 だが番兵は止まらなかった。残った左腕が——拳になってユートの胴を殴った。距離が近い。ユートの体が後方に押された。橋の端。足が一瞬、虚空に出たところで——


 バルの防壁が足元に展開された。薄い。靴の裏に敷かれる程度の——薄い足場。だがユートの体重を支えた。虚空に足を置いた瞬間、防壁が踏み台になった。


「——っ!」


 ユートが防壁を蹴って体勢を戻した。橋の上に着地する。番兵に向き直る。


「バル——助かった」


『……礼は——いらねぇ』


 バルの声が震えていた。たったあれだけの防壁で——消耗している。だが——間に合った。


「ミラさん!」


「——わかってる!」


 ミラの杖から魔力弾が飛んだ。腕を失った番兵の胴体を撃ち抜く。二発。三発。結晶にヒビが入った。核が露出する。


 ユートが踏み込んだ。渾身の一撃。核を断ち切った。


 番兵の体が——崩れた。結晶が砕け、光を失い、橋の上にばらばらと散った。赤い破片が虚空に落ちていく。音が——しない。どこまでも落ちていく。闇の底に消えるまで、長い時間がかかった。


 静寂。


 全員の呼吸が荒かった。短い戦闘だったが——密度が高かった。橋の上という制約。一対一の正面戦。バルの防壁の限界。アルトの観察。ミラの射撃。全員が噛み合った——一つの戦闘。


 ユートが肩口の傷を確認した。浅い。出血もほぼない。だが衣服の裂け目から覗く肌に、一瞬だけ——紋様が光った。勇者の残滓の紋様。すぐに消えた。ユートは何も言わなかった。


 ミラが杖を下ろし、額の汗を拭った。ユートへの出力補正を切り、通常の制御に戻す。魔力弾三発。消耗量は大きくないが——最上層の魔力密度の中で精度を保つのが難しい。指先が微かに震えていた。


「——バル。大丈夫?」


 アルトが背中に声をかけた。


『……大丈夫——つったら嘘になるが。——まだいける』


 バルの声は薄い。あの一枚の防壁で——確実に削れた。砂時計の砂が、また少し落ちた。だがバルの防壁がなかったら、ユートは虚空に落ちていた。必要な消耗だった。必要だったと、分かっていても——胸が痛い。


「……全員が——役割を果たした」


 アルトが呟いた。自分に言い聞かせるように。


「一人でやったんじゃない。みんなで倒した」


 ユートが剣を下ろした。振り返って——微かに笑った。


「いい指揮だったぞ。——軸足の声、助かった」


「……見えただけです」


「見えたのが、お前の力だろ」


 アルトは——目を伏せた。前に出たくなる衝動は——あった。ユートが殴られた時、自分が飛び出したくなった。だが堪えた。代わりにバルに防壁を頼み、ミラに射撃を頼んだ。——それが正しかった。一人で全てをやろうとしていた自分なら、ユートの横に飛び出して二人で斬りかかって、橋から落ちていたかもしれない。


 リアラが——大きく息を吐いた。戦闘中、リアラは何もできなかった。橋の幅では干渉も支援も届かない。ただ見ていることしかできなかった。——だが、リアラの干渉は戦闘の前から効いていた。橋の周囲の魔力を和らげていた。それがバルのきしみを少し抑えていた。見えない支援。リアラはたぶん気づいていない。


「リアラ。——ありがとう」


「え? 私、何も——」


「干渉。——バルが少し楽になってた。リアラのおかげ」


 リアラが——瞬きした。自分の干渉が、戦闘に貢献していたことに気づいていなかった。


「……そっか。——よかった」


 小さな声で。でもその声に——安堵があった。自分がここにいる意味。役割を果たせたという実感。


 橋の先が——見えた。


 もう一つの門が、奥に佇んでいた。さっきの門よりも小さい。人が一人通れるほどの無骨な石の扉。文様は刻まれていない。ただの石の扉。


 その向こうに——魔力の気配があった。巨大な。圧倒的な。


『ルーナが——いる』


 バルの声が——震えていた。掠れた声が、確信だけを伝えていた。


『この——向こうに』


 全員が——扉の前に立った。


 小さな石の扉。手を伸ばせば触れる。押せば開く。その向こうに——魔王がいる。ルーナがいる。救うべき少女がいる。


 アルトは全員を見た。最後の確認。


「準備はいいですか」


 ユートが頷いた。


 ミラが頷いた。


 リアラが——深呼吸して、頷いた。


 バルが——何も言わなかった。言わなかったが——アルトの背中が、微かに温かくなった。覚悟の温度だった。


 アルトが——扉に手を置いた。


 冷たい石。城の中で唯一——魔力を含んでいない石。人間が触れるための石。


 押した。


 扉が——音もなく開いた。


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