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『ノロマ、死ぬなよ』〜毒舌カバンと最弱少年の英雄譚〜  作者: 塩とわかめ
第三章:壊れた空と、取り戻すための戦い
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第116話:助けるための作戦

 食事を終えた後——ミラが、床に杖の先で図を描き始めた。


 赤い結晶の床に、魔力の光で白い線が走る。城の構造図。下層から中層、上層——そしてまだ行っていない最上層。


「整理するわ。まず現在地。私たちは上層の中間あたり——リアラちゃんが閉じ込められていた部屋。最上層までは、構造物の広間を抜けて、さらに上。バルの共鳴で方角は掴めてるけど——距離が問題ね」


「リアラが解放された以上、城の防衛が再起動する可能性がある」


 ユートが補足した。リアラの干渉でこの部屋は静かに保たれているが、その範囲は限られている。一歩外に出れば——城は敵だ。


「守護体も、さっきより強い個体が出てくるでしょうね。上に行くほど城の中核に近い。防衛が厚くなる」


 ミラの線が走る。通路の予測図。守護体の出現パターン。魔力変動の波。——杖の先端から流れる光が、精密な作戦図を床に刻んでいく。


「でも——本題はそこじゃないわ」


 ミラが顔を上げた。


「本題は——ルーナのところに着いた後。どうやって救うか」


 全員の目がミラに集まった。


「リアラちゃんの証言と、今まで私たちが見てきたことを合わせると——こう整理できる」


 杖がまた動いた。今度は構造図ではない。概念図だった。


「ルーナの中には——二つの力がある。一つはルーナ自身。妖精族の血を引く少女としての意識と魔力。もう一つはディアルの憎しみ。魔族の力として、ルーナの中に根を張っている」


 二つの円が重なる図。ルーナの円は小さく、ディアルの円が大きく覆い被さっている。


「リアラちゃんの話を聞く限り、ルーナの意識はまだ生きている。でも——ディアルの力に押し負けている。表に出てこられる時間が短い。名前すら思い出せないほど圧迫されている」


「——でも消えてない」


 リアラが言った。静かに。確認するように。


「消えてない。だからこそ——救える。問題は方法よ」


 ミラは杖を置いた。両手を膝の上に揃えて——考えていた。魔法使いの脳が回っている。理論を組み立てている。


「倒すなら簡単——とは言わないけど、方法は明確よ。全員で力を合わせて、ルーナごとディアルの力を砕けばいい。でもそれは——ルーナを殺すことと同義だわ」


 誰も異論を挟まなかった。それはもう全員が了解していることだった。倒す選択肢は——ない。


「救うとなると——ディアルの力だけを、ルーナから引き剥がす必要がある。ルーナの意識を残したまま。魔族の力だけを分離する」


「……普通に聞けば無茶だな」


 ユートが腕を組んだ。


「魔族の力はルーナの体の中に根を張ってる。無理に引き剥がせば——ルーナの体が持たない。繊細な作業が要る」


「そうね。——でも、手がかりがある」


 ミラの目が——バルに向いた。


「バル。あなたの魔力——合成魔力は、魔族の魔力と反発する性質を持ってるわよね」


 バルは——しばらく沈黙した。


『……ああ。前からそうだった。ディアルとやり合った時も——俺の魔力だけ、あいつの力と食い合わなかった。弾いた』


「弾いた——のではなく、正確には反発したのよ。合成魔力は人間の魔力でも妖精の魔力でも魔族の魔力でもない。どこにも属さない。だから魔族の力と混ざらない。——それを利用できるかもしれない」


 ミラが図を描き足した。ルーナの円の中に、小さな楔を打ち込む矢印。


「バルの合成魔力をルーナに流し込む。魔族の力だけに反発する力を——ルーナの内側から。そうすれば、ルーナの意識を傷つけずに、ディアルの力だけを剥離できる——理論上は」


『理論上は、って付けるなよ。不安にしやがって』


「だって理論上でしかないもの。こんな症例、歴史上にないわ。ルーナが初めてよ」


 バルが低く唸った。ミラは正直だった。実績のない理論を実績があるように語ることはしない。


「それに——問題がもう一つ。バル、あなたの消耗よ」


 部屋の空気が重くなった。


「漏出が続いてる。器が損傷してる状態で——剥離に必要な魔力を出せるの?」


 沈黙。


 バルは——答えなかった。すぐには。アルトが口を開きかけた。代わりに答えようとした。——だが、止めた。バル自身の問題だ。バルが答える。


『……出せる』


 バルの声は低かった。嘘をついていないか確認するように、全員がバルを見た。


『出せるかどうかは——出してみなきゃわからねぇ。だが、やるしかねぇだろ。俺以外にこの役を務められる奴はいない。——合成魔力を持ってるのは、俺だけだ』


「無理をしたら——」


『無理をしなきゃ届かねぇなら、無理をする。——それだけだ』


 バルの声に——覚悟があった。虚勢ではない本物の覚悟。漏出で削れ続けている器が、それでもまだ戦える——戦うと決めている声。


 アルトは——口を結んだ。何か言いたかった。「無理するな」と。「他の方法を探そう」と。——だが、それはバルの選択を奪うことだと知っていた。一人で抱え込まない。バルのことはバルが決める。自分はそれを支える側に回る。


「……わかった。バルがやると言うなら、それを前提に組み立てるわ」


 ミラが頷いた。感情を挟まない。作戦会議だ。


 * * *


「役割分担を決めましょう」


 ミラの杖が再び動いた。


「まず——ルーナの前に立った時、何が起きるか。ルーナは暴走状態。ディアルの力が全面に出ている。まともに近づこうとすれば——魔力の嵐に巻き込まれる」


「正面から抑えるのは俺の役だな」


 ユートが言った。迷いなく。


「勇者の剣で——ルーナの攻撃を受け止める。俺の魔力を、剣に全部通して、正面を抑える。他の全員が動けるようにする」


 ミラが頷いた。


「道切り。あなたしかできない役よ。——ルーナの力は桁違い。長くは保たないと思って」


「わかってる。時間を稼ぐ。その間にバルが仕事を終えればいい」


「ミラさんは——」


 アルトが声を出した。控えめに。指示ではなく、確認する声。


「制御をお願いできますか。ユートさんの魔力消費を最適化して、バルの剥離を支援する形で。ミラさんの制御法がなかったら——全員の魔力がばらばらに散る」


「もちろん。——それが私の仕事よ」


 ミラの声に——力が入っていた。今度こそ、支えきる。あの日——ユートが倒れた時、何もできなかった自分。もう二度と繰り返さない。


「リアラちゃん」


 ミラがリアラに向き直った。


「あなたの役割が——一番大切かもしれない」


 リアラは瞬きした。


「楔よ。ルーナの自我を引き出す——楔」


「……楔?」


「バルの合成魔力でディアルの力を剥がすには——ルーナ自身の意識が少しでも表に出ている必要があるの。完全にディアルに呑まれた状態では、何がルーナで何がディアルか判別できない。剥離ができない」


 リアラは——理解した。顔つきが変わった。


「私が——ルーナに呼びかける」


「そう。あなたはルーナと信頼を築いた。ルーナが一番反応する人間は——たぶんあなた。あなたの声に、あなたの気配に、ルーナは応える。一瞬でいい。ルーナの意識が表に出た隙を——バルが突く」


 リアラの手が——胸の前で握られた。小さな拳。だが固い決意があった。


「——わかった。呼ぶよ。何度でも」


「何度もは——必要ないかもしれない。一回で十分かもしれない。ルーナは戻りたがってるんだから。あなたの声が届けば——ルーナは自分から出てくる」


 ミラの声が——少しだけ柔らかくなった。理論家の声から、仲間の声に戻った。


「そしてアルト」


 アルトが顔を上げた。


「あなたの役割は——全体を見ること」


「……全体を?」


「ユートの消耗、ミラの負荷、バルの漏出、リアラの安全——全部を見て、判断する。タイミングを計る。誰がいつ動いて、いつ退くか。——あなたの観察眼が、この作戦の要よ」


 アルトは——黙った。


 前に出る役ではない。一番先に突っ込む役ではない。全体を見て、みんなを活かす役。——それは、アルトが一番苦手なことだった。自分が動きたくなる。自分が前に出たくなる。でも——。


「……僕がやります」


 声は静かだった。


「僕が——みんなを見ます。無理してる人がいたら止めます。タイミングが来たら言います。——一人で突っ走りません」


 最後の一文を——自分に言い聞かせるように。


 バルが背中で、小さく笑った気がした。


 * * *


「もう一つ——確認しておくことがある」


 ユートの声が、空気を締めた。


「ナナシだ」


 全員の意識が切り替わった。


「リアラの証言では——ディアルとは別の存在がいた。ルーナに敬語を使いながら管理していた。リアラを魔法陣に繋ぐ提案をしたのもそいつだ」


「……正体はわからない。ただ——底が知れなかった」


 リアラが言った。思い出すだけで肌が粟立つような声で。


『ルーナ戦で出てくるかもしれねぇな』


 バルが言った。


「出てくるかもしれないし、出てこないかもしれない。だが——想定はしておく必要がある」


 ユートが全員を見渡した。


「もしナナシが介入してきた場合——俺が対応する。ルーナとの正面を維持しながらは厳しいが、二方面になるなら俺が動く。アルト、その場合は全体の指揮をさらに広く取ってくれ」


「はい」


「ナナシの目的が何かは——今はわからない。だが、ルーナを管理していたなら、俺たちがルーナを救おうとすることを妨害する可能性は高い。——気を抜くな」


 その言葉は全員に向けられていた。


 沈黙が落ちた。短い沈黙。作戦の全貌が——見えた。


 道切り、ユート。制御、ミラ。剥離、バル。楔、リアラ。指揮、アルト。


 五人の役割。五人でなければ成立しない作戦。誰か一人が欠けても崩れる。——だからこそ、全員でやる意味がある。


「……よし」


 アルトが立ち上がった。右腕はまだ痺れている。体は万全ではない。バルの漏出は続いている。リアラは衰弱から戻りきっていない。ミラの制御法は上層の変動に対する負荷が高い。ユートだけが安定しているが——一人で支える限界は明らかだ。


 不完全なパーティだった。全員がどこか壊れている。


 でも——全員が、ここにいる。


「行きましょう。——ルーナのところへ」


 アルトの声は——穏やかだった。焦りがなかった。急いでいないわけではない。バルの時間は減り続けている。だが——急ぐことと焦ることは違うのだと、ようやくわかり始めていた。


 ユートが剣を背に負った。ミラが杖を握り直した。リアラが壁から手を離して、自分の足で立った。バルがアルトの背中で、何も言わずにいた。


 赤い光の脈動に照らされた部屋を——五人が、出た。


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