第101話:託された力、選ぶ力
ミラの制御法が形になった翌日。
ユートがケイスに申し出た。
「鍛冶場を使わせてくれ。——剣の力を、試したい」
ケイスは少しだけ間を置いてから、頷いた。
「いい。ただし——炉の近くでは振るな。共鳴が起きて、炉が乱れる。手前の広間を使え」
鍛冶場に通じる広間。天井が高く、壁面に妖精族の古い紋様が刻まれている。源流の調和の中だが、魔力の流れが複雑で——ミラに言わせれば「練習にはちょうどいい環境」だった。
ユートは広間の中央に立った。再鍛造された剣を鞘から抜く。金色と銀色。二つの色が断面で溶け合う刃。手に馴染む重さ。——だが、この剣の力を実戦で使ったことは、まだない。
再鍛造前は——エイルの残滓が剣の出力を支えていた。ユートの魔力は橋渡しに過ぎず、剣が勝手に動いてくれる部分が大きかった。だが今は違う。剣の半分はユート自身の魔力で構成されている。つまり——出力も、制御も、ユート次第だ。
「ユートさん。——何をするつもりですか」
アルトが壁際から声をかけた。ノートを膝に開いている。ミラもいる。杖を手に、魔力感知を展開している——ユートの剣の出力を記録するつもりだろう。バルはアルトの隣に置かれていた。
「まず——剣にどれくらいの力が通るか確認する。次に、その力を安定させる。最後に——自分の意志で出力を調整できるかどうか」
「段階的に、ってことですね」
「ああ。——昨日のミラを見て思ったんだ。力があっても、制御できなきゃ意味がない。いきなり全力で振ったら壊すのは自分の方だ」
ミラが——少しだけ、口元を緩めた。褒められている、とは思っていないだろうが。
* * *
最初の段階。剣に魔力を通す。
ユートは両手で柄を握り、目を閉じた。再鍛造の時と同じ要領で——自分の魔力を、指先から柄を通して刃に流す。あの時は全てを曝け出す覚悟が必要だった。だが今は——剣がもう受け入れている。道は開いている。あとは、通すだけだ。
銀色の光が刃に走った。柄から断面へ、断面から刃先へ。淡い月明かりのような光が、剣全体を包んだ。
「……通った」
当たり前のように言ったが——手応えが違う。再鍛造の時はただ流すだけで精一杯だった。今は——流れる量を感じられる。多く流せば光が強くなり、少なく流せば弱くなる。蛇口のように調整できる。
エイルの時は、この感覚がなかった。エイルの残滓が勝手に動いて、ユートはそれに乗っかかっているだけだった。今は全部自分だ。自分の魔力で、自分の意志で、剣を動かしている。——不安だが、同時に、初めて「自分の剣」を振っている実感があった。
「出力——安定しています。波形の乱れもない」
ミラが術式ノートに書き込みながら報告した。
「基底出力はエイルの時より低い。——でも、安定度はむしろ上。エイルの残滓で動いていた時は、残滓の量に出力が依存していたから波がありました。今は全部ユートの魔力だから——安定供給できてる」
「弱いけど安定してる、ってことか」
「弱いっていうか——効率がいいのよ。少ない魔力で剣を動かせてる。エイルは圧倒的な魔力量で力押ししてたけど、あんたは量がないぶん、通し方が丁寧。——これは悪いことじゃないわ」
ユートは——少しだけ、笑った。量では勝てない。だから、質で補う。それがユートのやり方だと、剣自身が教えてくれた。
ミラが、ふと、術式ノートから顔を上げた。剣を見る目が、数値を記録する目から、別の何かに変わっていた。
「……ねえ、これ。刃の中に、魔力の通り道が彫り込んであるわ。肉眼じゃ見えない細さで——並の剣なら、こんな細工をしたら、一振りで折れる。なのに、折れもせず魔力を通してる。これが、妖精の鍛冶なの?」
ケイスが、道具の手を止めた。少し、間を置いてから——訥々と、言った。
「……この炉と。製法と。元の刃に使われた、希少な鉱石。三つ揃って、初めて打てる」
「それと——打ち手と剣が、互いを覚えるまで、何度も火を入れる。剣に、持ち主を覚えさせる打ち方だ。手間がかかる。……今は、誰も、やらない」
ケイスは、炉の方を、見た。
「祖父は言っていた。——これはもう、失われた剣の打ち方だと」
* * *
第二段階。出力を上げる。
ユートは魔力の流量を徐々に増やした。光が強くなっていく。手応えが重くなる。剣が震え始めた——出力が剣の許容量に近づいている。
「ゆっくり。——今の七割くらいが安定域の上限ね」
ミラが声をかけた。
七割。エイルの全力に比べれば——三割にも満たないだろう。だが、それがユートの今の器だ。背伸びしても仕方ない。
七割で固定した。光が安定する。剣の震えが収まる。——ここが、今の自分の「全力」だ。
「よし。——振る」
ユートが剣を構えた。正眼。エイルに教わった基本の構え——だが、そこから先は自分の体で覚えた動きだ。
一振り。横薙ぎ。銀色の光が弧を描いて空気を裂いた。風圧が広間の壁面に当たり、紋様が微かに明滅した。——手応えがある。軽くはない。だが——制御できている。
二振り。袈裟斬り。三振り。突き。四振り。返しの薙ぎ。刃が空気を切るたびに銀色の残光が尾を引く。金色ではない。エイルの軌跡とは違う色。——ユートの色だ。
エイルの剣は蜜のようだった、とユートは思う。重く、甘く、圧倒的な密度で世界を断つ。自分の剣は——水かもしれない。軽くて、澄んで、触れたものを静かに裂く。派手ではない。でも——まっすぐ届く。
五振り目——出力が揺れた。
一瞬だけ魔力の流れが途切れかけた。剣の光が明滅し——だがすぐにユートが流量を調整して、戻した。
「……今の」
「出力の途切れ。五振り目で集中が切れかけた。——体力の問題だと思うわ。魔力は足りてる。振りながら魔力を維持する体力が追いついてない」
ミラの分析は冷静だった。
「剣を振る体力と、魔力を通す集中力。両方を同時に使うのは——まだ慣れてないですよね」
アルトが補足した。
「ミラさんの制御法と似てますね。並列処理の負荷。体で動きながら、頭で魔力を制御する。——慣れるしかない」
「ああ。——わかってる」
ユートが息を整えた。汗が顎から落ちた。
六振り目から——もう一度。今度は出力を六割に落とした。安定域の中で振る。体に覚えさせる。魔力を通しながら剣を振ることを、呼吸と同じくらい自然にできるまで。
十振り。二十振り。三十振り。——体力が削れていく。腕が重い。だが、出力は安定している。六割なら——維持できる。
五十振りを超えた時——ユートは剣を下ろした。肩で息をしている。手がわずかに震えている。だが——柄を離さなかった。
「……五十振り。六割出力で。——これが今の限界だ」
エイルなら——たぶん、百振りでも全力で振り続けられたのだろう。ユートはそれを知っている。記憶の中のエイルは、永く剣を振り続ける人だった。
でも——それと比べるのは、もうやめた。比べたら負けるのはわかっている。剣が教えてくれた。ユートの剣は、ユートの剣だ。“量”ではなく“質”で。力押しではなく、丁寧さで。
「十分よ。初日で五十振り安定させたのは大したもんだわ。明日は六割五分で試して。段階的に上げていけばいい」
ミラの声は厳しかったが——認めてもいた。
* * *
ケイスが壁際から——無言で、石でできた的を広間の端に設置した。何も言わずに。ユートを見て——顎で促した。
「……斬れ、ってことか」
ケイスは答えなかった。
ユートは剣を構え直した。もう体力はほとんど残っていない。だが——一振りだけなら。
的は広間の端。十歩の距離。石の塊。直径は腕ほど。——斬れるか。六割出力の今の自分で。
踏み込んだ。短い助走。三歩で距離を詰め——
袈裟に振り下ろした。
銀色の光が石を断った。
断面が滑らかだった。溶けるように切れている。エイルの金色の力押しとは違う——鋭くて、静かで、丁寧な断面。ユートの剣の質が、そのまま切り口に現れていた。
ケイスが——初めて、はっきりと頷いた。
「……悪くない」
寡黙な鍛冶師の、この上ない賛辞だった。
バルがアルトの隣で、小さく震えた。
『……へえ。あの野郎、やるじゃねぇか』
声はかすれていたが——素直な感心が混じっていた。バルはユートの成長を、自分の消耗と照らし合わせているのかもしれない。みんなが強くなっていく。自分だけが——減っていく。
ユートは——剣を鞘に収めた。膝に少し力が入らなくなっている。体力の限界は近い。だが——手応えを掴んだ。この剣を、自分の意志で、自分の力で振ることができる。エイルの模倣ではなく。ユートの剣として。
「ユートさん」
アルトが、ノートを閉じて、立ち上がった。
「剣に魔力を通すの、見てて思ったんですけど。——僕の魔法剣と、似てますね」
ユートは、少し考えて、首を振った。
「いや。——逆だ」
「制御は、自分でやれるようになった。エイルに頼らずに。——でも、魔力を流す道そのものは、この剣が、もう持ってる。俺は、そこに通してるだけだ。剣がなけりゃ、何も通せない。お前のは——違うだろ」
ユートは、アルトの腰の、ただの直剣を見た。
「媒介も、彫り込みも、なし。ただの鋼に、自分の力で、無理やり道を通してる。……あんなもん、俺には真似できない」
アルトは、何と返していいか分からず、ノートの背を、指でなぞった。嬉しいような、こそばゆいような。
* * *
その夜。洞窟で焚き火を囲んだ。
空気は穏やかだった。ミラが自分の制御法を磨き始め、ユートが剣の力を掴んだ。——パーティ全体が、前に進み始めている実感があった。
「明日はもう一段上げるわよ。持久力の強化。——三十発安定まであと二日で詰める」
「俺も七割出力を安定させる。——あと、連続戦闘を想定した動きも」
二人が前を向いている。立て直しが進んでいる。それは——本当に、良いことだ。
アルトは笑って言った。
「すごいですね、二人とも。——あと少しで、出発できそうですね」
笑顔。穏やかな笑顔。嬉しそうな笑顔。——本心だ。嘘ではない。ユートとミラが力を取り戻しているのは、本当に嬉しい。
だが——その嬉しさの裏で。
時計が鳴り続けていた。
リアラのこと。バルのこと。ルーナのこと。——立て直しが進むほど、「もう急がなきゃ」という圧力が胸の奥で膨らんでいく。みんなが力を取り戻した。なら——もう待つ理由はない。早く出発しなきゃ。早く動かなきゃ。バルの器が潰れる前に。リアラが——
胸の奥で、何かが絞まるように痛んだ。一瞬だけ。すぐに飲み込んだ。笑顔の裏に。
『アルト』
バルが、低い声で呼んだ。
「……何」
『笑ってんな』
「え?」
『いや。——いい。何でもない』
バルの声は——意味深だった。だが、それ以上は何も言わなかった。
焚き火の明かりが揺れていた。ユートとミラは明日の計画を話している。洞窟の外では岩壁の光が淡く瞬いている。
アルトは——笑顔のまま、膝の上のノートを閉じた。
右手が、震えていた。




