02. 美桜は幸せだったと言って、サクラを俺に託した
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【皐月視点】
あの日、「ただいま」と言った女が誰だったのか。その答えを、俺たちはもう知っている。知るまでに、少し時間はかかった。けれど、分かってしまえば、あまりにも当然だった。あの瞳も。あの笑い方も。俺の名前を呼ぶ声も。何もかもが、俺の知っている女のものだった。
「……皐月」
弱々しい声に呼ばれて、俺はベッドの横に座った。
「ここにいる」
細くなった手を握る。皺の増えた指。白くなった髪。それでも、笑った時の顔だけは昔と変わらない。美桜は安心したように目を細めた。
部屋には俺たち以外にも何人かいた。美桜の子供。そして、少し離れたところには十五歳の孫娘が立っている。美桜が地球へ戻ってきてから、長い時間が過ぎた。俺たちは結婚した。子供ができた。その子も大人になり、家庭を持った。やがて、孫が生まれた。何もかもが、当たり前のように進んでいった。朝起きて。飯を食って。喧嘩をして。仲直りをして。子供の成長に驚いて。孫の顔を見て、美桜が泣いて。そんな、どこにでもあるような時間だった。ただ一つだけ、普通じゃなかったのは。美桜は歳を取った。俺だけが、ほとんど変わらなかったことだ。
「ねえ、皐月」
「なんだ」
「私……幸せだったよ」
「……俺もだ」
「ほんと?」
「嘘ついてどうすんだよ」
美桜が小さく笑った。その笑い方を見ていると、何十年も前のことを思い出す。知らない姿で現れて。知らない声で、俺の名前を呼んで。俺たちの前で、『ただいま』なんて言った女。あれが、美桜だった。姿は違った。髪の色も、瞳の色も、俺が知っている水無瀬美桜とは違っていた。それでも、あいつは確かに美桜だった。俺のところへ、帰ってきた女だった。
「皐月」
「ん?」
「一つだけ……お願いしていい?」
「ああ」
断る理由なんてなかった。美桜は少しだけ視線を動かした。窓の外。そのずっと先にいる誰かを見るように。
「サクラちゃんのこと……お願いね」
俺は答えなかった。答えられなかった、という方が正しい。サクラはまだ眠っている。あの日からずっと。星継ぎとして、地球の生命循環を支え続けている。世界は救われた。けれど、サクラは戻ってこない。
「もう……十分、頑張ったと思うから」
「……ああ」
今度は、ちゃんと答えた。
「必ず助ける」
「うん」
美桜は満足そうに笑った。
そして最後に、
「皐月」
「なんだよ」
「ありがとう」
そう言って、美桜は静かに目を閉じた。
「……美桜?」
返事はなかった。握った手から、少しずつ温もりが消えていく。ゆっくりと。本当にゆっくりと。俺の手の中から、美桜の時間が離れていく。八十五歳。美桜は、人間としての人生を終えた。長い人生だった。幸せな人生だったと、本人は言った。だから。俺も、そうだったと思うことにした。そう思わなければ、俺はまた、美桜を間に合わせられなかったことにしてしまうから。
ふと顔を上げる。部屋の隅で、孫娘が俺を見ていた。泣いている。祖母を失った悲しみで。けれど、その目には悲しみとは別の感情も混じっている。戸惑い。疑問。そして、ほんの少しの恐怖。孫娘は俺の手を見た。顔を見た。そして、もう一度、美桜を見る。皺だらけになった祖母。白い髪。細くなった身体。その隣にいる、何十年経ってもほとんど変わらない俺。
「……なんで」
孫娘が、小さく呟いた。
「?」
「なんで、おじいちゃんだけ……歳を取らないの」
俺は何も言えなかった。説明できる言葉はいくらでもある。でも、今ここで孫に向けて言える言葉は、一つもなかった。少女は俺から目を逸らした。その表情には、明らかな恐怖があった。
その日から、孫娘は俺と少し距離を置くようになった。無理もない。祖母は歳を取り、死んだ。祖父だけが、昔の写真と同じ顔をしている。普通なら、怖い。それが正しい。俺は、普通じゃない。そんな当たり前のことを、家族に突きつけられただけだった。そして、三年後。十八歳になったその少女は、ハンターになった。その理由を、俺はまだ知らない。ただ。その選択が、止まっていた俺の時間をもう一度動かすことになるとは。この時の俺は、まだ知らなかった。
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――次回予告――
英雄クロに憧れ、祖母・美桜のようなハンターを目指す美月。
けれど彼女はまだ知らない。
家で暇そうにしている“気味の悪い祖父”こそ、自分が憧れる本物の英雄だということを――。
次回
『03. 英雄に憧れる孫娘は、家にいる本物の英雄を嫌っていた』
次回【朝06:00/夕方18:00】更新です!




