15. 死にかけた美月の前に、黒い仮面のS級ハンター零が現れた
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【美月視点】
飛ばされた先には、オークがいた。それだけじゃない。さらに奥には、オーガまでいる。
「……ここ、何階層なの?」
声が震えた。少なくとも三階層じゃない。さっきまでいた森の匂いは消えている。土と草の匂いではなく、湿った石の匂いがした。壁は暗く、空気は重い。遠くから聞こえる魔物の鳴き声も、浅い階層で聞いたものとは全然違う。十階層前後。そんな考えが頭をよぎった。まずい。私一人じゃ無理だ。
「誰か……」
とにかく、人を探そう。ハンターがいれば助けてもらえる。巡回している人でも、ほかのパーティーでもいい。誰か一人でもいれば、入口まで戻る方法が分かるかもしれない。そう思って、私は壁沿いに歩き出した。足音を殺す。できるだけ明かりを抑える。魔物の気配がしたら、物陰に隠れる。休憩がてら隠れながら、人が通るのを待つ。それからまた歩く。でも。誰もいない。しばらく歩いても、人の気配すらなかった。どれくらい経っただろう。一時間は過ぎたかもしれない。スマホは当然、圏外。ハンターアプリも、階層表示が乱れたまま動かない。ダンジョンの中だから連絡もできない。
「……どうしよう」
だんだん、怖くなってきた。
その時。地面が揺れた。
「え?」
低い足音。重くて、速い。振り返る。オーガが、こっちへ走ってきていた。
「うそ……!」
見つかった。そう思った瞬間、身体が先に動いていた。逃げる。戦うなんて無理だ。あんな大きな相手、今の私がどうにかできるわけがない。曲がり角を探して走る。息が苦しい。足が重い。でも、止まったら終わる。後ろから、足音が近づいてくる。速い。速すぎる。距離が、どんどん縮まっていく。
次の瞬間。
「きゃっ!」
腹を蹴られた。身体が軽々と吹き飛ぶ。受け身なんて取れなかった。床に叩きつけられた瞬間、両腕に激痛が走った。
「――っ!」
声にならない悲鳴が喉に詰まる。動かない。腕が動かない。右も。左も。痛い。痛い。痛い。たぶん、折れている。剣も持てない。逃げることもできない。オーガがゆっくり近づいてくる。逃げなきゃ。分かってる。でも身体が動かない。
「……怖い」
涙が出てきた。嫌だ。死にたくない。お母さん。師匠。誰でもいい。
「……助けて」
その時だった。オーガの巨体が、突然横へ吹き飛んだ。
「え……?」
何が起きたのか分からなかった。轟音が遅れて耳に届く。さっきまで目の前にいたはずのオーガが、壁に叩きつけられている。その代わりに。黒い影が、私の前に立っていた。黒い装備。黒い外套。黒い仮面。見覚えがあった。スマホの画面で見た人。低い声で、サクラ様を尊敬していると答えていた人。S級ハンター。
「……零、様?」
仮面の男は、振り返らなかった。ただ、私の前に立っていた。それだけで、呼吸が少し戻った。
次の瞬間。零様が動いた。いや、動いたように見えた。それくらいしか分からなかった。オーガが立ち上がろうとする。その前に、黒い線が走った。巨体が崩れる。奥から出てきたオークが吠える。でも、その声は最後まで続かなかった。一体。二体。三体。次々に倒れていく。私には、何が起きているのかほとんど分からなかった。剣なのか。魔法なのか。それとも、その両方なのか。黒い外套が揺れるたびに、魔物が倒れる。仮面の奥の表情は見えない。でも、焦っている様子はなかった。ただ、当然のように片づけていく。気づけば、周囲にいたモンスターは全部倒れていた。さっきまで死ぬと思っていた場所が、嘘みたいに静かになった。
零様が私の前にしゃがむ。
「大丈夫か?」
あの声。配信で聞いた声だった。低くて、落ち着いていて、余計なことを言わない声。
「……腕が」
「折れてるな」
零様は短くそう言うと、アイテムボックスから回復薬を取り出した。慣れた手つきで蓋を開け、私の腕へ使う。温かいものが、折れた場所に染み込んでいくような感覚がした。じくじくした痛みが、少しずつ引いていく。指先が動く。肘が少し曲がる。まだ完全に元通りではないけれど、さっきまでの痛みとは全然違う。
「もう大丈夫だ」
その言葉を聞いた瞬間。緊張が切れた。
「……怖かった」
涙が止まらなくなった。さっきまでは泣く余裕もなかった。逃げること。生きること。それだけで頭がいっぱいだった。でも、もう大丈夫だと言われた瞬間、全部が一気に押し寄せてきた。
「お、おい」
気づけば私は、零様に抱きついていた。
「怖かった……本当に……!」
死ぬと思った。一人だった。誰にも連絡できなくて。誰も来てくれないと思って。それでも、助けてほしくて。情けないくらい泣いた。零様は何も言わなかった。ただ、私が落ち着くまで、そのままでいてくれた。背中を叩くわけでも、優しい言葉をかけるわけでもない。でも、突き放しもしなかった。それが、今はありがたかった。
その時。ふと、どこかで嗅いだことのある匂いがした。薬草みたいな。金属みたいな。それから、少しだけ古い木のような匂い。どこで嗅いだんだろう。師匠?それとも、家?
「……?」
頭の奥に何かが引っかかった。でも、考える余裕なんてなかった。私はまだ震えていて、涙も止まりきっていない。零様はゆっくり立ち上がる。
「帰るぞ」
「え?」
零様がそう言った次の瞬間。視界が歪んだ。足元から光が広がる。
「な、なに――」
言葉は最後まで出なかった。そして。気づけば。私は、ダンジョン一階にあるギルド管理フロアに立っていた。
「……え?」
さっきまで、十階層近くにいたはずなのに。周囲には受付職員やハンターたちがいる。明るい照明。人の声。管理端末の音。いつものギルド管理フロアだった。戻ってきた。生きて、戻ってきた。転移。零様がやったんだ。私は隣を見る。黒い仮面の男が立っている。表情は見えない。でも、その存在感だけで、さっきまでの恐怖が少しずつ薄れていく気がした。やっぱり。かっこいい。さっきまで泣いていたのに。今度は別の意味で、胸がうるさかった。
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――次回予告――
何十年ものあいだ、一度も変わらなかった星継ぎのサクラ。
けれどその日、大賢者が告げる。
眠り続ける彼女に――初めて“変化”が起きた、と。
次回
『16. 何十年も眠り続けたサクラに、初めて変化が起きた』
次回【朝06:00/夕方18:00】更新です!




