第四話 盗賊少女は、俺の反射を盗めない
街へ向かう旅を始めて、三日が経った。
「……平和だな」
街道を歩きながら、俺は空を見上げた。
青い空。
穏やかな風。
遠くには緑の山々。
魔物も出ない。
盗賊にも襲われない。
異世界に来てから、初めてと言っていいくらい平和な時間だった。
「坊ちゃま」
「何?」
「歩きながら寝ないでください」
「寝てないって」
「目が半分閉じています」
「……ちょっと眠いだけ」
隣を歩くガレスが呆れたようにため息をつく。
俺たちは今、次の目的地であるエルグランドという街を目指していた。
王都から西へ進んだ先にある大きな商業都市らしい。
俺にとっては、異世界で初めて訪れる大きな街になる。
「エルグランドまで、あとどれくらい?」
「今日の夕方には到着するでしょう」
「おお」
思わず声が弾む。
村を出てから三日。
ミアのいる村を離れたことには少し寂しさもあった。
だが。
これからどんな場所に行けるのか。
どんな人と出会えるのか。
そう考えると、楽しみの方が大きかった。
「……そういえば」
「はい」
「エルグランドには冒険者ギルドってある?」
「あります」
「やっぱりあるんだ」
「ええ」
「登録してみたい」
「必要ありません」
「なんで?」
「坊ちゃまは貴族です」
「でも、冒険者って楽しそうじゃん」
「遊びではありません」
「それ、昨日も聞いた」
ガレスは何も答えなかった。
どうやら本気で反対しているらしい。
「じゃあさ」
「はい」
「俺が冒険者になったら、どのくらい強いと思う?」
「知りません」
「即答だな」
「私にも分かりません」
「だよな」
俺は苦笑する。
自分でも分からない。
俺が神様からもらった転生特典。
それは――。
「反射を無限にする力」
俺は小さく呟いた。
能力そのものは分かっている。
反射。
それを無限化する。
そこまでは間違いない。
ただ。
問題は、その「反射」がどこまで適用できるのかということだ。
石。
剣。
炎。
魔法。
音。
光。
熱。
それ以外にも反射できるものがあるのか。
それは、まだ分からない。
能力の正体が分からないわけじゃない。
能力の限界が分からないのだ。
「……」
俺は自分の手を見る。
神様は言っていた。
俺が選んだのは「反射」。
そして、それを無限にする。
なら。
一度始まった反射は、終わらない。
少なくとも。
今まで試した限りでは。
「坊ちゃま」
「ん?」
「また考え事ですか?」
「うん」
「能力のことですか?」
「まあね」
俺は笑った。
「もっと色々試してみたいんだ」
「危険なことはしないでください」
「善処します」
「それはしない人の返事です」
「バレた?」
そんな話をしているうちに。
街道の先に、大きな門が見えてきた。
「見えてきました」
「……あれがエルグランド?」
「はい」
「でか……」
遠くからでも分かる。
高い城壁。
巨大な門。
その前には、多くの人々が並んでいる。
商人。
旅人。
冒険者らしき格好をした人。
大きな荷物を積んだ馬車。
俺の知らない世界が。
そこには広がっていた。
「早く行こう!」
「坊ちゃま、走らないでください!」
俺はガレスの制止を聞かずに駆け出した。
* * *
「すごい……」
街へ入った瞬間。
俺は思わず立ち止まった。
人が多い。
とにかく多い。
大通りの両側には、店がずらりと並んでいる。
武器屋。
防具屋。
薬屋。
魔道具店。
食料品店。
見たこともない料理を売っている屋台まである。
「これが異世界の街……」
「坊ちゃま」
「何?」
「田舎者みたいですよ」
「実際、田舎から来たようなもんだろ」
「貴族でしょう」
「中身は普通の人間だから」
「意味が分かりません」
俺は笑った。
そのとき。
香ばしい匂いが鼻を刺激する。
「……」
見る。
串に刺された肉。
表面にはこんがりと焼き色がついている。
「ガレス」
「何ですか」
「あれ食べたい」
「到着したばかりですよ」
「でも美味しそう」
「……」
「一本だけ」
「一本だけですよ」
「やった」
屋台へ駆け寄る。
「これください!」
「毎度!」
受け取った串を一口。
「……うまっ!」
「そうでしょうね」
「ガレスも食べる?」
「私は結構です」
「いいから」
「……」
渋々受け取ったガレスも、一口食べる。
「……美味しいですね」
「だろ?」
なんだかんだ言いながら。
俺は笑った。
異世界の旅。
思っていたより。
ずっと楽しいかもしれない。
* * *
その後、俺たちは宿を探して街を歩いていた。
「どこに泊まる?」
「普通の宿で十分でしょう」
「せっかく街に来たのに?」
「旅費には限りがあります」
「父上から結構もらったけど」
「無駄遣いはしないでください」
「はい」
俺は素直に頷いた。
そのとき。
ドンッ。
「うわっ」
誰かと肩がぶつかった。
「すみません」
反射的に謝る。
だが。
ぶつかった相手は、すでに人混みの中へ消えていた。
「……?」
俺はその後ろ姿を見る。
「どうしました?」
ガレスが尋ねる。
「いや……」
何となく。
変な感じがした。
「……」
「坊ちゃま」
「何?」
「財布は?」
「……え?」
懐を探る。
ない。
「……ない」
「やはり」
「やはりって」
「先ほどの人物でしょう」
「盗られた?」
「おそらく」
「マジか……」
異世界初の盗難。
ちょっとショックだ。
「追えますか?」
「分かりません」
「そうですか」
ガレスが周囲を見回す。
「ですが、まだ近くにいる可能性はあります」
「どうして?」
「財布の中には貴族の紋章が入っています」
「……あ」
つまり。
普通の財布を盗んだわけではない。
俺が貴族だと気づいて、狙った可能性がある。
「探そう」
俺たちは人混みを抜け、路地へ入った。
さらに奥へ。
だが。
「いないな」
「逃げられたようですね」
行き止まり。
俺はため息をつく。
「財布……」
別に金が惜しいわけじゃない。
ただ。
異世界に来て最初の街で、いきなり盗まれるとは思わなかった。
そのとき。
「へえ」
頭上から声がした。
「そこまで分かるんだ」
「!」
俺たちは上を見る。
建物の屋根。
そこに、一人の女が座っていた。
黒い髪。
長い髪を後ろで束ねている。
細身の身体。
軽装の革鎧。
腰には二本の短剣。
そして。
どこか人を食ったような笑み。
「……」
俺は思わず目を奪われた。
服装はかなり際どい。
胸元は大きく開いていて、動くたびに柔らかな身体のラインが見える。
細い腰。
すらりと伸びた脚。
そして。
こちらを見下ろす瞳は、いたずらっぽく細められていた。
「何見てんの?」
「いや」
「胸?」
「違う」
「本当に?」
「……ちょっとだけ」
「正直だね」
女が笑った。
そのまま屋根から飛び降りる。
かなりの高さだ。
普通なら怪我をする。
だが。
彼女は軽々と着地した。
「……身体能力、高くない?」
「それ、褒めてる?」
「うん」
「じゃあ、ありがと」
彼女は笑う。
その手には。
俺の財布。
「それ、返して」
「嫌」
「即答?」
「だって盗ったもん」
「開き直るなよ」
「盗賊だし」
「自分で言うんだ……」
彼女は財布を指先でくるくる回す。
「私はルナ」
「俺はレオン」
「知ってる」
「なんで?」
「財布に貴族の紋章が入ってたから」
「ああ……」
納得した。
「で、どうする?」
「何が?」
「私から財布を取り返す?」
「返してくれるなら、それが一番楽なんだけど」
「嫌だって言ったでしょ?」
「……」
どうする。
追いかけても逃げられる。
ガレスに任せることもできるが。
せっかくだ。
試してみるか。
俺はルナを見る。
「じゃあ」
「うん?」
「俺が取り返す」
「できるの?」
「やってみる」
俺は手を伸ばす。
「反射・無限化」
能力を起動する。
財布に意識を向ける。
ルナの手から。
俺の手へ。
「――反射」
次の瞬間。
財布がルナの手から飛び出した。
「え?」
宙を舞う。
そのまま。
俺の手へ。
パシッ。
「……」
「……」
ルナが固まる。
「何、それ」
「俺の能力」
「魔法?」
「違う」
「じゃあ何?」
「反射」
「反射?」
「うん」
俺は財布をしまう。
「俺は反射を無限にできるんだ」
「……」
ルナが俺をじっと見る。
「無限に?」
「そう」
「何でも?」
「そこまでは分からない」
「じゃあ今のは?」
「俺の意思で、財布を反射させた」
「……」
「たぶん、物の移動そのものを反射できたんだと思う」
「たぶん?」
「能力が『反射を無限にする』ってこと自体は分かってる。でも、何をどこまで反射できるのかは、まだ試してる途中なんだ」
「なるほど」
ルナの目が輝いた。
「面白い」
「そう?」
「うん」
彼女は楽しそうに笑った。
「そんな能力、初めて見た」
そのとき。
遠くから声が響く。
「いたぞ!」
「そいつだ!」
「捕まえろ!」
ルナの表情が変わった。
「……まずい」
「何したの?」
「ちょっと盗んだ」
「何を?」
「魔道具」
「……」
「必要だったの」
「それ、普通に犯罪じゃない?」
「だから逃げてるんでしょ」
悪びれもせず言う。
俺は頭を抱えた。
「本当に盗賊なんだな」
「だから言ったじゃん」
兵士たちの足音が近づいてくる。
ルナが俺を見る。
「ねえ」
「何?」
「助けて」
「嫌だよ」
「なんで?」
「俺まで捕まるだろ」
「大丈夫」
「何が?」
「あなたなら逃げられる」
「根拠は?」
「その能力」
「……」
ルナがニヤッと笑う。
「それに」
「それに?」
「私、役に立つよ」
「どういう意味?」
「盗み」
「それは今分かった」
「潜入」
「うん」
「鍵開け」
「うん」
「罠解除」
「うん」
「気配を消す」
「それは便利だな」
「情報収集も得意」
「……」
「あと料理」
「最後だけ生活感あるな」
ルナが笑う。
「どう?」
俺は考えた。
確かに。
かなり便利だ。
俺は魔法を覚えたばかり。
戦闘経験もない。
ガレスは強いが。
旅をするなら、こういう技能を持つ仲間がいるのは大きい。
「……一緒に来る?」
「え?」
「俺たち、旅をしてるんだ」
「知ってる」
「なら」
俺は手を差し出した。
「仲間になる?」
ルナは少し驚いた顔をした。
そして。
ゆっくり笑った。
「いいよ」
その手を握る。
「よろしく、レオン」
「よろしく、ルナ」
直後。
「いたぞ!」
「来た!」
「走って!」
「え?」
ルナが俺の手を引いた。
俺たちは路地を駆け出した。
* * *
「こっち!」
「道分かるの?」
「全部覚えてる!」
ルナは迷うことなく路地を走っていく。
細い道。
階段。
建物の隙間。
普通なら迷ってしまいそうな場所でも、彼女は一切迷わない。
「すごいな」
「でしょ?」
「本当に盗賊向きだ」
「褒めてる?」
「褒めてる」
ルナが笑う。
そして。
「ここ!」
突然、建物の壁を蹴った。
そのまま屋根へ。
「えっ」
「早く!」
「無理だろ!」
「できるって!」
俺も壁を蹴る。
何とか屋根へよじ登った。
「……怖かった」
「弱いなあ」
「俺、戦闘経験ないから」
「そうなの?」
「うん」
「じゃあ、これから鍛えないとね」
「ルナが?」
「もちろん」
彼女は楽しそうに笑った。
そのまま屋根の上を走る。
しばらくすると。
「ここから飛ぶ」
「また?」
下を見る。
そこには荷馬車があった。
「乗るよ」
ルナが飛び降りる。
「ちょっ――」
俺も続く。
荷台へ着地。
「……」
「成功!」
「心臓止まるかと思った」
「大げさ」
ルナが笑う。
そのとき。
馬車が揺れた。
俺の身体が傾く。
「危ない」
ルナが俺の腕を掴んだ。
ぐっと引き寄せられる。
「……」
顔が近い。
近すぎる。
彼女の身体が俺の胸に触れる。
「……」
「どうしたの?」
「いや」
「顔赤いよ」
「暑いだけ」
「今日涼しいけど?」
「……」
ルナが楽しそうに笑う。
「ふふっ」
「笑うなよ」
「面白いから」
しばらくして。
兵士たちの声が遠ざかった。
「もう大丈夫」
ルナが離れる。
「……助かった」
「どういたしまして」
彼女は何事もなかったように座った。
俺だけが妙に意識している。
……異世界って。
女性との距離感が近い人が多いのだろうか。
* * *
夕方。
俺たちは街の外れにある宿へ向かった。
「ここ、私がよく使う宿」
「へえ」
中へ入る。
受付の女性がルナを見る。
「あら、ルナ」
「久しぶり」
「また何かやったの?」
「ちょっとだけ」
「兵士が探してたわよ」
「知ってる」
俺は苦笑した。
「……本当に大丈夫?」
「大丈夫だよ」
ルナが俺の肩に腕を回す。
「この人、私の仲間だから」
「そうなの?」
「今日から」
「……」
宿の女性が俺を見る。
「大変ね」
「俺もそう思います」
「何それ」
ルナが頬を膨らませた。
* * *
夕食。
俺とルナ、そしてガレスは同じテーブルについていた。
「それで」
俺はルナを見る。
「本当に一緒に旅するの?」
「うん」
「何で?」
「面白そうだから」
「それだけ?」
「それだけじゃないよ」
ルナが少しだけ真面目な顔になる。
「あなたの能力」
「反射?」
「うん」
「気になる?」
「すごく」
ルナはパンをちぎりながら言う。
「私、盗賊だから、人の動きとか物の動きを見るのが得意なの」
「うん」
「でも」
ルナが俺を見る。
「あなたの能力は、私の知ってる『反射』と違う」
「どういうこと?」
「普通の反射は、一回跳ね返ったら終わる」
「そうだな」
「でも、あなたは違う」
ルナが指を立てる。
「一度始まった反射を、終わらせない」
「……」
「だから、あなたが言う『無限』って」
「うん」
「単純に威力が無限になるわけじゃないんだね」
「そう」
俺は頷いた。
「俺の能力は、反射を無限にする」
「……」
「でも、何が反射できるのかはまだ分からない」
「なるほど」
「だから、これから色々試す」
「私も手伝う」
「頼む」
ルナが笑った。
「任せて」
ガレスがため息をつく。
「坊ちゃま」
「何?」
「この女を信用しすぎでは?」
「大丈夫だよ」
「なぜ?」
「財布を返してくれたから」
「それだけですか?」
「それに」
俺はルナを見る。
「役に立つから」
「……」
ガレスは頭を抱えた。
ルナは楽しそうに笑っている。
こうして。
俺たちの旅は。
一人増えた。
* * *
その夜。
俺は部屋で一人、窓の外を眺めていた。
「反射……」
今日分かったことがある。
俺の能力は。
「反射そのものを無限にする」。
これは確実だ。
だから。
一度成立した反射は。
俺が解除しない限り。
何度でも続く。
問題は。
その「反射」の対象だ。
「物だけじゃない」
財布。
剣。
炎。
それぞれ性質が違う。
それでも反射させることができた。
「……」
なら。
まだあるはずだ。
音。
光。
熱。
衝撃。
魔法。
もしかしたら。
もっと別のものまで。
「……」
俺はベッドに横になる。
神様は。
あのとき何と言っていた?
『反射なら、いろいろ使えそうだし』
俺がそう言ったとき。
神様は。
少しだけ寂しそうな顔をした。
「……」
あれは何だったんだろう。
そして。
あの謎の男。
『無限化の力を持つ者』
そう言っていた。
俺以外にも。
無限化の力を知っている人間がいる。
なぜ。
俺を知っている?
なぜ。
反射の能力を狙っている?
まだ何も分からない。
でも。
今は考えても仕方がない。
「……寝よう」
明日は。
冒険者ギルドへ行く。
そう決めて目を閉じた。
* * *
「レオン」
「ん……?」
翌朝。
耳元で声がした。
「起きて」
「……あと五分」
「駄目」
肩を揺さぶられる。
「誰……?」
「私」
目を開ける。
「……ルナ?」
「おはよう」
寝起きなのか。
髪を下ろしている。
昨日とは違った雰囲気だった。
「何でここにいるの?」
「起こしに来た」
「どうやって入った?」
「鍵開けた」
「それ犯罪だろ」
「細かいなあ」
ルナは笑った。
「それより」
「何?」
「朝ご飯食べたら、冒険者ギルド行こう」
「……!」
「登録したいんでしょ?」
「したい!」
俺は飛び起きた。
「やった!」
「子供みたい」
「だって楽しそうじゃん」
「じゃあ決まり」
ルナが部屋から出ていく。
俺も急いで着替える。
冒険者ギルド。
魔物。
依頼。
そして。
新しい出会い。
俺の旅は。
まだ始まったばかりだ。
* * *
だが。
俺は知らなかった。
このエルグランドで。
俺たちは。
新たな仲間と出会うことになる。
そして。
その出会いが。
俺の「反射」という能力を。
さらに大きく変えていくことを。
――異世界での旅は。
まだ始まったばかりだった。




