第二十四話 選択される者
王都の地下深くにある門の間では、無数の鏡が淡い光を放ち続けていた。
その一つ一つに映っているのは、同じ世界の別の場所ではない。
燃え上がる王都。
雪に閉ざされた王都。
砂に沈んだ王都。
誰もいない王都。
見たこともない建物が並ぶ世界。
空そのものが海になっている世界。
そして。
俺たちが生きている、この王都。
それぞれの鏡の中で、違う時間が流れていた。
同じ人物が生まれ、別の人生を歩み、別の選択をし、別の結末を迎えている。
その光景を見ていると、自分が今立っている場所すら、本当に一つだけの現実なのか分からなくなってくる。
「……これだけの世界が」
セレナが呟いた。
「ずっと存在していたんでしょうか」
「分からない」
アルベルトは答えた。
「だが、少なくとも今までは互いに干渉していなかった」
「それが、今は?」
「門が開きかけている」
アルベルトは中央の黒い柱を見上げた。
「だから境界が薄くなっている」
柱の表面には、さっきまでなかった亀裂がいくつも走っている。
亀裂の奥からは赤い光が漏れ、そのたびに周囲の鏡が震えていた。
俺は無意識に右手を握った。
あの光。
反射・無限化を使ったときと同じものだ。
けれど。
今回は少し違う。
手の甲に浮かぶ光が、俺の意思とは関係なく、一定の間隔で明滅している。
「レオンさん」
ミレイアが隣から声をかけてきた。
「ああ」
「手、大丈夫ですか?」
「痛くはない」
「でも、光っています」
「分かってる」
俺は手の甲を見る。
「たぶん、この門が俺に反応してる」
「……門が?」
「アルベルトがそう言ってた」
「そうですか」
ミレイアは少し考えるように黙った。
それから、自分の胸元へ手を当てる。
「私も」
「何かあるのか?」
「さっきから、少し変なんです」
俺は彼女を見る。
「何が?」
「頭の中に、知らない場所が浮かびます」
「また記憶か?」
「たぶん」
ミレイアは目を閉じた。
「白い部屋です」
「白い部屋?」
「はい」
彼女の眉間に皺が寄る。
「壁も床も全部白くて、何もありません」
「そこに誰かいる?」
「……います」
「誰?」
「私です」
俺は黙った。
「今の私と同じ姿です。でも、少しだけ違います」
「どう違う?」
「目が」
ミレイアがゆっくり目を開く。
「赤いんです」
その言葉に。
俺は以前見た鏡の中のミレイアを思い出した。
あのときの彼女も、どこか今とは違っていた。
「そのミレイアは何をしてる?」
「扉を見ています」
「扉?」
「はい」
「何か言ってる?」
「……」
ミレイアが黙り込む。
「どうした?」
「聞こえました」
「何が?」
彼女は俺を見る。
「『もうすぐ選ばれる』って」
地下室に。
嫌な沈黙が落ちた。
ルナが剣へ手をかける。
「選ばれる?」
「誰にだ?」
セレナが聞く。
ミレイアは首を振った。
「分かりません」
「向こう側の世界か?」
「……たぶん」
アルベルトが静かに口を開いた。
「それなら、急いだ方がいい」
「どういうこと?」
「門がこちらから向こうへ繋がるだけなら、まだ対処できる」
「逆は?」
「向こうからこちらへ繋がれば」
アルベルトは一つの鏡を指した。
「選択そのものを奪われる可能性がある」
俺は鏡を見る。
そこには。
今とは違う王都が映っていた。
街は壊れていない。
人々も普通に暮らしている。
その世界の俺も。
普通に歩いていた。
隣には。
ミレイアがいる。
「……あれは」
俺は鏡へ近づいた。
「第七周期なのか?」
「分からない」
アルベルトが答える。
「ただ、今までの六つとは違う」
「どうして?」
「リゼリアがいない」
俺は鏡の中を見る。
確かに。
そこにはリゼリアがいなかった。
代わりに。
俺とミレイアが並んで歩いている。
俺は何かを話している。
ミレイアが笑っている。
セレナも。
ルナも。
アルベルトも。
みんな生きている。
「……これが」
セレナが呟く。
「私たちが望んでいる未来なんでしょうか」
誰も答えなかった。
あまりにも穏やかな光景だった。
だからこそ。
俺は違和感を覚えた。
「おかしい」
「何が?」
ミレイアが聞く。
「平和すぎる」
「……」
「俺たちはまだ何も解決してない」
俺は鏡を見る。
「なのに、あの世界では全部終わってる」
その瞬間。
鏡の中の俺が。
足を止めた。
こちらを向いた。
「……!」
俺は息を呑む。
鏡の中の俺は。
ゆっくりこちらへ顔を向けた。
そして。
口を動かす。
声は聞こえない。
けれど。
何を言っているのかだけは分かった。
『違う』
次の瞬間。
鏡の中の世界が。
真っ二つに割れた。
「――!」
ミレイアが俺の腕を掴む。
割れた世界の向こう側から。
一人の男が歩いてくる。
俺だった。
ただし。
さっきまで鏡の中にいた俺とは違う。
黒い服。
長い髪。
右目を覆う傷。
そして。
左手に黒い剣を持っている。
男は鏡の境界まで歩いてくると。
こちらを見た。
「やっと会えたな」
声が響いた。
俺は息を呑む。
「……お前」
「そうだ」
男が笑う。
「お前だ」
ルナが剣を抜いた。
「レオンから離れろ」
「安心しろ」
男はルナを見る。
「俺は今すぐこいつを殺すつもりはない」
「なら何のために来た?」
「話をするためだ」
俺は一歩前へ出る。
「何を話す?」
「四日後のことだ」
「門が開く?」
「違う」
男は首を振る。
「門が開くのは結果だ」
「じゃあ何が起きる?」
「選択される」
「誰が?」
男は俺を見る。
「お前たち全員だ」
背後でセレナが息を呑んだ。
「選ばれるって」
「そうだ」
男は笑った。
「今までお前たちは、世界を選ぶ側だった」
「……」
「どの世界を残すか」
「……」
「誰を救うか」
「……」
「誰を捨てるか」
「……」
「全部、お前たちが決めてきた」
俺は拳を握る。
「六回とも?」
「六回ともだ」
「でも、俺は記憶がない」
「記憶がなくても選択は残る」
「……」
「選択した結果だけが世界に残る」
男は黒い剣を肩へ乗せた。
「だから、お前たちは何度でも同じところへ戻った」
「じゃあ」
俺は聞いた。
「今回も同じになるのか?」
「その可能性は高い」
「お前たちがこっちへ来れば?」
「それも一つの可能性だ」
「じゃあ、何が目的なんだ?」
男は少し黙った。
そして。
「俺たちは、戻りたい」
静かな声だった。
「自分たちの世界へ」
「……」
「俺たちは、選ばれなかった」
「だから?」
「だから、今度はお前たちの世界を選ぶ」
その言葉と同時に。
周囲の鏡が一斉に光った。
無数の世界がこちらを向く。
まるで。
それぞれの世界が。
こちらを見ているようだった。
「俺たちは」
男が続ける。
「お前たちから奪うつもりはない」
「なら何をする?」
「交換する」
「交換?」
「そうだ」
男が剣を下ろす。
「お前たちの世界と、俺たちの世界を入れ替える」
「……」
「お前たちは俺たちの世界で生きればいい」
「そんなことができるのか?」
「門が開けば可能になる」
「でも」
ミレイアが口を挟んだ。
「その場合、私たちの世界にいる人たちはどうなるんですか?」
男はミレイアを見る。
「消える」
「……」
「正確には、お前たちの世界が選ばれなかった世界になる」
ミレイアの顔が青ざめる。
「それって……」
「死ぬより悪いかもしれない」
男は淡々と言った。
「でも、俺たちにとっては同じことだ」
「だからって」
「分かってる」
男の声が初めて揺れた。
「分かってるんだよ」
黒い剣を握る手に力が入る。
「俺たちだって、最初から奪いたかったわけじゃない」
「……」
「ただ」
男は目を伏せた。
「何度も世界が終わるのを見た」
その声は。
どこか疲れていた。
「一回目は、まだ耐えられた」
「……」
「二回目は、理由を探した」
「……」
「三回目は、自分たちが悪いと思った」
「……」
「四回目には、もう何も感じなくなった」
「……」
「五回目に、怒った」
男は笑う。
「六回目に、諦めた」
「……」
「そして今」
男は俺を見る。
「七回目だけは、俺たちが選ぶ番だ」
俺は何も言えなかった。
その気持ちが。
少しだけ分かってしまったからだ。
自分たちの世界を失い続けた者が。
最後に残った世界へ縋ることを。
「でも」
俺は言った。
「それじゃ、また同じことになる」
「何が?」
「どちらかの世界が捨てられる」
「……」
「お前たちが俺たちを選べば、今度は俺たちの世界が残る」
「そうだ」
「その代わり、俺たちの世界が捨てられる」
「……」
「だったら、六回と何も変わらない」
男は黙った。
「お前も分かってるんだろ」
「……」
「そのやり方じゃ、また誰かが選ばれなくなる」
男の顔から。
笑みが消えた。
「じゃあどうする?」
「……」
「どうすればいい?」
「俺が知るかよ」
思わず声が荒くなる。
「俺だって探してるんだ」
「……」
「世界を残すために誰かを殺すのも」
「……」
「誰かを残すために世界を壊すのも」
「……」
「もう嫌なんだよ」
俺の声が。
鏡の間に響いた。
「そんな選択しかないなら」
俺は男を睨む。
「俺は選ばない」
男が目を見開いた。
「……選ばない?」
「ああ」
「それは拒否か?」
「違う」
俺はミレイアを見る。
彼女も。
まっすぐ俺を見ていた。
「まだ答えを決めてないだけだ」
「……」
「俺たちの世界だけを残す答えも」
「……」
「お前たちの世界だけを残す答えも」
「……」
「今は選ばない」
男はしばらく俺を見つめていた。
やがて。
「……第七周期」
そう呟いた。
「やっぱり、お前は今までと違う」
「何が?」
「俺たちは皆、一人で答えを出した」
「……」
「でも、お前は違う」
男の視線がミレイアへ移る。
「二人で決めようとしている」
ミレイアが一歩前へ出た。
「はい」
「怖くないのか?」
「怖いです」
「なら、なぜ?」
「怖いからです」
ミレイアは静かに答えた。
「一人で決めるのが怖いから」
男が黙る。
「もし失敗したら」
ミレイアは続けた。
「二人で責任を取ればいいと思っています」
「……」
「私だけでも」
ミレイアは俺を見る。
「レオンさんだけでもなく」
「……」
「二人で」
男は。
長い間。
何も言わなかった。
そして。
「それでも」
黒い剣を構える。
「俺たちの世界は、待ってくれない」
空気が変わった。
「レオン!」
アルベルトが叫ぶ。
男が。
鏡の境界を越えた。
その瞬間。
無数の鏡が一斉に割れた。
黒い影が溢れ出す。
「来るぞ!」
ルナが叫ぶ。
セレナが魔法を展開する。
アルベルトが剣を抜いた。
俺も。
右手へ力を集中させる。
「ミレイア」
「はい!」
「下がるな」
「分かってます」
男が迫ってくる。
黒い剣が振り下ろされた。
俺は腕で受ける。
激しい衝撃。
「ぐっ……!」
足が床を滑る。
男は力を緩めない。
「お前は」
剣を押し込みながら。
「まだ知らない」
「何を!」
「この世界が、どうやって選ばれたのか」
「……!」
「第七周期は、お前が始めたんじゃない」
「何?」
「誰かが、お前を選んだ」
その言葉に。
俺の身体が一瞬止まった。
黒い剣が。
俺の肩を掠める。
血が飛ぶ。
「レオンさん!」
ミレイアが叫ぶ。
俺は後ろへ飛び退いた。
「今の言葉」
俺は肩を押さえる。
「どういう意味だ?」
「そのままの意味だ」
「誰が俺を選んだ?」
「知らない」
「お前も?」
「ああ」
男は剣を下ろした。
「俺たちの世界にも、その記録だけが残っている」
「何て書いてある?」
「『第七周期を選定する者が現れる』」
「……」
「その人物が誰なのかは」
男は笑った。
「俺たちにも分からない」
その瞬間。
俺の右手が。
強く光った。
「……!」
門の中央。
黒い柱の亀裂が一気に広がる。
その中から。
一つの文字が浮かび上がった。
『選定者』
俺は息を呑む。
「……選定者?」
アルベルトがその文字を見て。
顔を強張らせた。
「知ってるのか?」
「……聞いたことがある」
「何だ?」
「第零記録に、一度だけ出てくる言葉だ」
「第零記録……」
俺は振り返る。
「詳しく話せ」
「今は無理だ」
「どうして?」
アルベルトが中央を見る。
「門が開く」
黒い柱の奥で。
真っ暗な穴が。
ゆっくりと広がっていた。
「まだ四日あるんじゃなかったのか?」
「違う」
アルベルトが答える。
「これは本開門じゃない」
「じゃあ何だ?」
「予備接続だ」
男が笑った。
「始まったか」
「何を知っている?」
俺が睨む。
「俺たちの世界との接続だ」
「……」
「今から少しずつ」
男は鏡を見る。
「お前たちの世界と俺たちの世界が重なり始める」
その言葉の通り。
周囲の鏡から。
別の世界の景色が溢れ始めた。
石の壁に。
雪が積もる。
床に。
砂が流れ込む。
天井から。
水が落ちてくる。
炎が一瞬だけ走り。
すぐに消える。
「世界が混ざってる……」
セレナが呟いた。
「そうだ」
アルベルトが答える。
「このままでは、四日を待つ前に境界が崩れる」
「じゃあ止めろ!」
「それができない」
「どうして!」
「門が俺たちの命令を受け付けない」
「……」
俺は中央の黒い柱を見る。
柱の表面に。
俺の右手と同じ光が走っている。
「なら」
俺は一歩前へ出た。
「俺がやる」
「レオン!」
アルベルトが叫ぶ。
「待て!」
「何を?」
「お前が触れれば、接続が強くなる可能性がある」
「なら、逆もある」
「……」
「反射できるかもしれない」
「何を反射する?」
「この世界との接続を」
アルベルトが黙る。
俺は柱へ近づく。
右手を伸ばす。
その瞬間。
ミレイアが俺の手を握った。
「私も」
「……」
「一緒にやります」
「危険だぞ」
「分かってます」
「失敗するかもしれない」
「それも分かってます」
「それでも?」
「はい」
ミレイアは頷く。
「一人で決めないって約束しましたから」
俺は。
少しだけ笑った。
「ああ」
二人で。
黒い柱へ手を触れる。
瞬間。
世界が白く染まった。
音が消える。
身体の感覚も消える。
ただ。
無数の声だけが聞こえた。
『選べ』
『選べ』
『選べ』
何百。
何千。
何万という声。
世界の数だけ。
選択肢があるようだった。
『世界を』
『リゼリアを』
『自分を』
『ミレイアを』
『セレナを』
『ルナを』
『アルベルトを』
『俺たちを』
『お前自身を』
無数の言葉が重なる。
俺は耳を塞ぎたかった。
けれど。
身体が動かない。
その中で。
一つだけ。
聞き覚えのある声がした。
『レオン』
リゼリア。
「……!」
俺は声の方向を見る。
白い空間の中に。
彼女が立っていた。
今まで見たどのリゼリアとも違う。
傷ついていない。
泣いていない。
笑ってもいない。
ただ。
静かに俺を見ている。
「リゼリア……?」
『はい』
「ここは?」
『選択の中です』
「何を選べっていうんだ?」
『まだ』
「まだ?」
『選ばなくていい』
その言葉に。
俺は目を見開く。
『今は、聞いてください』
「何を?」
『あなたが、何を選びたいのか』
「……」
『世界を救いたい?』
「……ああ」
『私を救いたい?』
「……」
『ミレイアを守りたい?』
「……」
『自分を守りたい?』
俺は答えられなかった。
全部。
欲しかった。
世界も。
ミレイアも。
自分も。
そして。
リゼリアを見捨てたくもなかった。
「そんなの」
俺は言った。
「全部に決まってるだろ」
リゼリアが。
ほんの少しだけ笑った。
『そうですね』
「……」
『だから、第七周期なのです』
その瞬間。
白い空間に。
一つの亀裂が走った。
その向こうから。
ミレイアの声が聞こえる。
『レオンさん!』
「ミレイア!」
『聞こえますか!』
「ああ!」
『手を離さないでください!』
「分かった!」
俺は手を伸ばす。
亀裂の向こうに。
ミレイアがいる。
その姿へ手を伸ばす。
指先が触れた。
瞬間。
白い世界が。
一気に砕けた。
――。
俺たちは。
門の間へ戻っていた。
「……!」
膝をつく。
ミレイアも。
隣で息を切らしている。
「大丈夫か?」
「はい……」
彼女が俺の手を見る。
「光が」
「……?」
俺の右手。
そこに浮かんでいた光が。
消えていた。
代わりに。
ミレイアの手の甲に。
同じ光が浮かんでいる。
「……」
「これ」
ミレイアが手を見る。
「私にも?」
アルベルトが。
信じられないものを見るような顔をしていた。
「……二人に分かれた」
「何が?」
「選定権が」
俺は眉をひそめる。
「選定権?」
「今まで一人に集中していたものが」
アルベルトが中央を見る。
「二人に分かれた」
「それで何が変わる?」
「分からない」
「……」
「だが」
アルベルトが続ける。
「第零記録に書かれていた条件と一致する」
「条件?」
「『二つの魂が同じ選択をしたとき、境界は一つになる』」
俺はミレイアを見る。
彼女も俺を見る。
「同じ選択?」
「何を選べばいい?」
アルベルトは首を振る。
「それまでは書かれていない」
その瞬間。
鏡の向こうから。
大きな音がした。
男がこちらを見る。
「時間切れだ」
「何?」
「今日はここまでだ」
「待て!」
俺が叫ぶ。
「まだ話は終わってない!」
「分かっている」
男は笑った。
「だから、また来る」
その身体が。
鏡へ引き戻される。
最後に。
「レオン」
「何だ!」
「四日後」
男は俺を見る。
「お前が俺たちを選ばなければ」
「……」
「俺たちは、お前たちを選ぶ」
鏡が閉じる。
静寂が戻った。
しばらく誰も動かなかった。
やがて。
ルナが剣を収める。
「……敵なのか?」
俺は答えられなかった。
「分からない」
アルベルトが言った。
「少なくとも、単純な敵ではない」
「じゃあ?」
「彼らも被害者だ」
セレナが小さく呟く。
「私たちと同じ……?」
「ああ」
アルベルトは頷いた。
「違う世界に生きているだけで」
中央の柱を見る。
「同じものを失い続けている」
俺はミレイアを見る。
彼女の手の甲に。
まだ光が残っている。
「……ミレイア」
「はい」
「怖いか?」
「怖いです」
「俺もだ」
「でも」
ミレイアは少し笑う。
「一人じゃないですよね」
「ああ」
俺も頷いた。
「一人じゃない」
その言葉に。
なぜか。
胸の奥が少しだけ軽くなった。
けれど。
まだ分からない。
俺たちは何を選べばいいのか。
どうすれば二つの世界を救えるのか。
そして。
なぜ第七周期だけが。
今までと違うのか。
答えは。
まだ門の向こう側にある。
そのとき。
遠くで。
鐘が鳴った。
一度。
二度。
三度。
王都の夜を震わせるように。
鐘の音が響く。
セレナが顔を上げた。
「……鐘?」
アルベルトが懐中時計を見る。
そして。
表情を変えた。
「日付が変わった」
「……」
「残り三日だ」
俺は天井を見る。
その向こうには。
もう一つの世界がある。
選ばれなかった世界。
俺たちを選ぼうとしている世界。
そして。
そこには。
俺と同じ顔をした男たちがいる。
俺たちと同じように。
失いたくないものを抱えている。
だからこそ。
戦うしかないのかもしれない。
けれど。
俺はまだ。
あの男を敵だとは思えなかった。
もし。
俺が別の世界に生まれていたなら。
同じことをしていたかもしれない。
そう思ってしまったからだ。
「戻ろう」
俺が言った。
「今日はもう休む」
ルナが頷く。
セレナも。
アルベルトも。
ミレイアも。
それぞれ歩き出す。
俺もその後ろを歩いた。
門の間を出る直前。
俺は一度だけ振り返った。
無数の鏡。
その一つに。
誰もいない世界が映っている。
そこには。
何もない。
人も。
建物も。
空も。
ただ白い地面だけが広がっている。
その中央に。
一人だけ。
少女が立っていた。
長い白髪。
黒い瞳。
そして。
俺たちの世界には存在しない服。
少女は。
こちらを見ていた。
「……誰だ?」
俺が呟く。
少女は。
ゆっくりと笑った。
そして。
口を動かした。
『私は、選ばれなかった者』
声は。
聞こえなかった。
それでも。
なぜか意味だけが伝わった。
『あなたたちが最後に選ぶもの』
鏡が暗くなる。
「レオンさん?」
ミレイアの声がした。
「……今行く」
俺は振り返った。
その瞬間。
背後の鏡の中で。
少女がもう一度口を動かした。
『三日後に会いましょう』
そして。
完全に消えた。
俺はその言葉を。
誰にも伝えなかった。
まだ。
何なのか分からなかったからだ。
ただ。
これだけは確かだった。
四日後ではない。
俺たちが本当に向き合うことになるのは。
その前だ。
残り三日。
そして。
この三日間で。
俺たちは。
世界を選ぶ側から。
選ばれる側へ変わっていく。
そのことを。
まだ誰も知らない。
王都の地下で。
無数の鏡が。
静かに閉じていく。
けれど。
一枚だけ。
最後まで閉じなかった鏡があった。
そこに映っていたのは。
俺たちの王都。
そして。
その王都の中央に立つ。
もう一人のミレイアだった。
彼女は。
鏡の向こうから。
静かにこちらを見つめていた。
その胸元には。
リゼリアと同じ紋章が刻まれている。
そして。
その隣には。
一冊の黒い本が置かれていた。
本の表紙には。
こう記されている。
『第零記録』
そのページが。
誰の手にも触れられていないのに。
ゆっくりと開いた。
最初のページ。
そこには。
たった一行だけ。
『第七周期を選定した者――ミレイア』
その文字が。
赤く光った。




