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第二十三話 選ばれる者


 地下深くにある巨大な空間では、誰も言葉を発さないまま、無数の鏡だけが静かに光を放っていた。


 鏡の一枚一枚に映し出されている景色は、どれも同じ王都ではなかった。


 燃え上がる王都。


 雪に閉ざされた王都。


 海に沈みかけた王都。


 見たこともない建物が並ぶ王都。


 そして、俺たちが知っている王都。


 それらが一つの空間に並んでいる光景は、現実という言葉では到底説明できないものだった。


 俺はその中央に立ちながら、自分の手を見つめていた。


 さっきまで何度も感じていた、あの奇妙な感覚がまだ残っている。


 反射・無限化。


 自分が持つ唯一の力。


 これまで何度も使ってきた。


 攻撃を反射し、魔法を反射し、時には相手の力そのものを無効化することさえあった。


 けれど。


 この場所に来てから、その能力がこれまでとはまるで違うものに感じられていた。


 まるで。


 俺が能力を使っているのではなく。


 能力の方が、俺を知っている。


「レオン」


 アルベルトの声がした。


「何だ?」


「その手を見せろ」


「手?」


「ああ」


 俺は右手を差し出した。


 アルベルトはしばらく眺めたあと、指先を近づける。


 だが、触れる直前で止めた。


「やはりだ」


「何が?」


「魔力の流れが変わっている」


「どういう意味だ?」


「今までのお前の反射は、外から来た力を受けて、それをそのまま返していた」


「それは分かる」


「だが今は違う」


 アルベルトが俺の手の甲を見る。


「この場所に入ってから、お前の魔力が外へ向かって流れている」


「外へ?」


「ああ」


「俺から何かを送ってるってことか?」


「正確には違う」


 アルベルトは少し考えた。


「向こう側と、お前の間に繋がりができている」


 その言葉に、ミレイアが顔を上げた。


「向こう側って……あの鏡の世界ですか?」


「そうだ」


「でも、どうしてレオンさんなんですか?」


「それが分からない」


「……」


 アルベルトが鏡を見る。


「いや」


 少ししてから、言葉を続けた。


「分からないというより、理解したくないという方が正しいのかもしれない」


「どういう意味だ?」


「この門は、世界と世界を繋ぐために作られたものではない」


「じゃあ何のためだ?」


「選ぶためだ」


 俺は鏡を見る。


 そこには、別の王都が映っている。


 こちらとほとんど同じなのに、どこか違う。


 建物の位置。


 城壁の形。


 空の色。


 人々の服。


 細かな違いが積み重なって、まったく別の世界を作っていた。


「世界を選ぶっていうのは?」


「どの世界を残すか」


 アルベルトの声は低かった。


「そして、どの世界を捨てるかだ」


 その言葉が。


 妙に重く響いた。


 俺は以前、リゼリアから聞いた。


 選ばれなかった世界。


 選ばれなかった俺たち。


 世界が一つの結果を選ぶことで、それ以外の可能性が捨てられる。


 その捨てられたものが、あの白い空間に残される。


 けれど。


 もし本当にそうなら。


 今、目の前にある鏡の世界は。


 すべてが捨てられる可能性を持っているということになる。


「じゃあ」


 俺は鏡を見たまま言った。


「この中のどれかが、俺たちの世界になるのか?」


「逆だ」


「逆?」


「今ある世界のどれか一つが残る」


 アルベルトが答える。


「そして、それ以外が消える」


 ミレイアが小さく息を呑んだ。


「そんな……」


「だから四日しかない」


 アルベルトが中央の黒い柱を見る。


「門が完全に開けば、選択が始まる」


「誰が選ぶ?」


「それが問題だ」


「向こうの世界じゃないのか?」


「違う」


 アルベルトは俺を見る。


「選ぶのは、こちら側だ」


「……俺たちが?」


「ああ」


 俺は黙った。


 さっき鏡の中の俺が言った言葉を思い出す。


『今度は、お前たちが俺たちを選ぶ』


 あれは脅しではなかった。


 少なくとも。


 ただの脅しには聞こえなかった。


 あいつは本気で。


 俺たちに選ばせようとしている。


「だったら」


 俺は言った。


「向こうの世界は何をするんだ?」


「こちらを選ばせる」


「どうやって?」


 アルベルトは答えなかった。


 その代わり。


 一枚の鏡が突然、激しく揺れた。


 鏡面が波打つ。


 水面のように歪み。


 そこに映っていた王都の景色が崩れていく。


「下がれ!」


 ルナが叫んだ。


 全員が距離を取る。


 鏡の中心から。


 黒い手が伸びた。


 指先だけがこちら側へ出てくる。


 そして。


 その手が床を掴んだ。


「来るぞ」


 アルベルトが剣を抜く。


 俺も構えた。


 鏡の向こうから。


 一人の男が姿を現した。


 顔を見た瞬間。


 俺は息を止めた。


 俺だった。


 昨日見たものと同じ。


 いや。


 少し違う。


 あのとき鏡の中にいた俺よりも。


 今、目の前にいる俺の方が。


 ずっと人間らしかった。


 傷もない。


 服も普通だ。


 目も黒い。


 ただ。


 その表情だけが。


 妙に穏やかだった。


「……また俺か」


 思わず呟く。


 男は俺を見る。


「そうだな」


 声まで同じだった。


「お前は俺で」


「お前も俺だ」


「ああ」


 男は周囲を見回す。


「懐かしいな」


「ここに来たことがあるのか?」


「ある」


「いつ?」


「俺が、まだこの世界を信じていた頃だ」


 その言葉に。


 俺は眉をひそめた。


「どういう意味だ?」


「そのままの意味だ」


 男は笑う。


「俺は、お前より少しだけ先を知っている」


「何を?」


「選択の結果を」


「……」


「俺たちは、何度も選んだ」


 男が一歩近づく。


「世界を選んだこともある」


「リゼリアを選んだことも?」


「ああ」


「自分を選んだことも?」


「ある」


 男は頷いた。


「だから、全部知っている」


「だったら聞く」


 俺は男を睨む。


「どうすればいい?」


「分からない」


「……」


「俺たちも分からなかった」


「じゃあ何をしに来た?」


 男は少しだけ笑った。


「選ばせに来た」


「何を?」


「お前たちに」


 男の視線がミレイアへ移る。


「彼女を」


 ミレイアの身体が僅かに強張った。


「……私?」


「そうだ」


「どうして?」


「お前は、今まで存在しなかったからだ」


 ミレイアは言葉を失った。


 俺は男の前に立つ。


「ミレイアに何をさせるつもりだ?」


「何もしない」


「だったら何だ?」


「ただ、選んでもらう」


「何を?」


 男は答える。


「自分が誰なのかを」


 ミレイアの顔が曇った。


「私は……私です」


「本当に?」


「はい」


「なら、証明してみろ」


「どうやって?」


 男がミレイアを見つめる。


「リゼリアの記憶を捨てろ」


 空気が凍った。


 俺は反射的に男へ踏み込む。


「ふざけるな!」


 拳を振る。


 男は避けなかった。


 俺の拳が胸に触れた瞬間。


 光が弾ける。


 男の身体が後ろへ吹き飛んだ。


 壁へ叩きつけられる。


 だが。


 すぐに立ち上がった。


「やっぱり」


「何がだ?」


「お前は、彼女を守る」


 男は口元の血を拭う。


「それが、お前の選択なんだな」


「違う」


「何が違う?」


「俺はまだ何も選んでない」


「もう選んでいる」


 男が言った。


「そうやって、彼女の前に立った時点でな」


 胸の奥に。


 嫌な感覚が広がる。


「お前は何を選んだ?」


「俺?」


「ああ」


「俺は……」


 男が言葉を止める。


 その表情から。


 初めて笑みが消えた。


「俺は、彼女を選んだ」


「……」


「だから世界を失った」


 俺は黙った。


「でも」


 男は続ける。


「お前はまだ間に合う」


「何に?」


「全部を失わずに済む可能性がある」


「なら教えろ」


「教えられない」


「なぜ?」


「俺たちが知らないからだ」


「……」


「第七周期だけが、答えを持っている」


 その言葉を残して。


 男の身体が揺らいだ。


「待て」


 俺が手を伸ばす。


「お前はどこへ行く?」


「戻る」


「向こうの世界へ?」


「ああ」


「また来るのか?」


「来る」


「いつ?」


「明日」


「何をしに?」


 男は俺を見る。


「今度は、俺一人じゃない」


 その瞬間。


 鏡が閉じた。


 男の姿が消える。


 あとには。


 静かな鏡面だけが残った。


「……」


 ミレイアが黙っていた。


 俺は彼女を見る。


「大丈夫か?」


「はい」


 そう答えたものの。


 声には明らかな震えがあった。


「本当に?」


「……少しだけ怖いです」


「そうだよな」


「でも」


 ミレイアは顔を上げる。


「私、リゼリアさんの記憶を捨てたくありません」


「……」


「私の中にあるものが何なのか、まだ分かりません」


「うん」


「でも」


 ミレイアは自分の胸元へ手を当てる。


「知らない誰かの記憶だったとしても、今の私がそれを知ってしまったなら、それも私の一部だと思うんです」


 俺は何も言わずに聞いていた。


「だから」


 ミレイアは俺を見る。


「誰かに捨てろと言われても、捨てません」


「それでいい」


 俺が答えると。


 ミレイアは少しだけ笑った。


 その直後だった。


「待ってください」


 セレナが声を上げた。


 彼女は一枚の鏡を指している。


「これ……」


 そこには。


 セレナの父親が映っていた。


 先ほどと同じ記録。


 だが。


 今度は違う場面が映っている。


 父親が誰かと話している。


 相手は。


 アルベルトだった。


「……!」


 アルベルトが動きを止めた。


「知ってるの?」


 セレナが聞く。


「……ああ」


「いつ?」


「昔だ」


「何を話してるの?」


「……」


 アルベルトは答えない。


 鏡の中の二人が話している。


『門を開けば、世界は一つに収束する』


『それでいいのか?』


 若いアルベルトの声が聞こえた。


『よくはない』


 セレナの父親が答える。


『だが、選ばなければ世界そのものが壊れる』


『なら、別の方法を探せ』


『時間がない』


『だからといって、セレナを使うのか』


 俺はアルベルトを見る。


「……セレナを?」


 アルベルトは黙った。


 鏡の中で。


 セレナの父親が続ける。


『あの子は門と繋がっている』


『知っている』


『なら、あの子を使えば閉じられる』


『それでセレナは?』


『……』


 沈黙。


『死ぬ』


 セレナの顔から。


 血の気が引いた。


「……嘘」


 アルベルトが鏡へ歩み寄る。


「セレナ」


「嘘ですよね?」


「……」


「私が死ぬって」


「違う」


 アルベルトが答えた。


「それは昔の話だ」


「でも……」


「今のお前には関係ない」


「どうして?」


「門の構造が変わった」


「何が変わったんですか?」


 アルベルトは答えられない。


 セレナが震える声で言う。


「また隠すんですか?」


「……」


「父も。


 あなたも。


 みんな私に何も言わない」


「セレナ」


「私が何なのか、教えてください」


 アルベルトは目を閉じた。


 そして。


 長い沈黙のあと。


「お前の父は」


 静かに話し始めた。


「この門を閉じるために、お前を生かした」


「……?」


「門は、生きた人間の記憶を基準に世界を固定する」


「記憶……」


「ああ」


「それが私?」


「そうだ」


「じゃあ」


 セレナが自分の胸元のペンダントを握る。


「私は、世界を固定するための……」


「鍵だ」


 その言葉に。


 セレナの指が震えた。


「だから父は私を守ったんですか?」


「ああ」


「私を利用するために?」


「違う」


 アルベルトが即座に否定する。


「お前を生かすためだ」


「同じじゃないですか」


「違う」


「どう違うんですか!」


 セレナの声が響いた。


「私が門を閉じるために必要なら、私は結局、道具でしょう!」


 アルベルトは何も言えなかった。


 俺はセレナの隣へ歩いた。


「セレナ」


「……はい」


「お前は道具じゃない」


「でも」


「門を閉じるかどうかを決めるのは、お前だ」


「……」


「少なくとも、俺はそう思う」


 セレナは俺を見る。


 目に涙が浮かんでいた。


「レオンさんは……」


「ん?」


「怖くないんですか?」


「何が?」


「私が門を開くかもしれないって」


 俺は少し考えた。


「怖い」


 正直に答えた。


「でも」


「……」


「だからって、お前を疑う理由にはならない」


 セレナは俯いた。


 しばらくして。


「ありがとうございます」


 小さな声だった。


 そのとき。


 中央の黒い柱がまた光った。


 今度は。


 鏡のすべてが同時に反応する。


「何だ?」


 ルナが周囲を見る。


 鏡の中の景色が。


 一斉に変わった。


 王都。


 王都。


 王都。


 すべて違う世界。


 その中央に。


 一つの文字が浮かぶ。


『選定対象』


 続いて。


 名前が一つずつ現れた。


『レオン』


『ミレイア』


『セレナ』


『ルナ』


『アルベルト』


 そして。


 最後に。


『リゼリア』


 ミレイアが息を呑む。


「……リゼリアさんも?」


 俺は答えられない。


 彼女は今。


 どこにいるのか。


 あの白い空間なのか。


 鏡の向こうなのか。


 それとも。


 別の世界なのか。


 分からない。


 だが。


 文字の下に。


 新しい言葉が浮かんだ。


『五つの魂』


『六つの世界』


『一つの選択』


 そして。


『選ばれなかったものは消える』


「……」


 俺は拳を握った。


 やはり。


 避けられない。


 この門は。


 俺たちに選択を迫っている。


 そのとき。


 ミレイアが俺の袖を掴んだ。


「レオンさん」


「ああ」


「私」


「ん?」


「さっき、鏡の中を見ていたときに」


 ミレイアが少し迷う。


「一つだけ、思い出しました」


「何を?」


「リゼリアさんが言っていました」


「何て?」


 ミレイアは目を閉じる。


 そして。


 ゆっくりと口を開いた。


「『あなたが私を選ばなかったら、私は消える』」


 胸が痛んだ。


「それから」


「まだあるのか?」


「はい」


 ミレイアが俺を見る。


「『でも、あなたが私を選んでも、私は消える』」


「……」


「どういう意味なんでしょう」


 俺は答えられなかった。


 けれど。


 その言葉には。


 今まで見えていなかったものがある気がした。


 リゼリアは。


 選ばれることそのものを拒んでいた。


 自分を選んでも。


 選ばなくても。


 結果として自分が消える。


 なら。


 彼女が望んでいるのは。


 自分が残ることではない。


 別の何か。


 もしかすると。


 「選択そのものを変えること」なのかもしれない。


「レオン」


 ルナが呼んだ。


「どうした?」


「鏡が一つだけ違う」


 見ると。


 確かに。


 一枚だけ。


 他とは違う光を放っていた。


 近づく。


 そこに映っていたのは。


 王都ではなかった。


 真っ白な空間。


 その中央に。


 一人の女性が立っている。


「リゼリア……」


 ミレイアが呟いた。


 鏡の中のリゼリアが。


 こちらを見る。


 今までのような記録ではない。


 彼女は。


 こちらを認識していた。


「聞こえるか?」


 俺が鏡へ近づく。


 リゼリアが頷いた。


『はい』


「そこはどこだ?」


『第零層です』


「第零層?」


『すべての世界の外側』


「外側……」


『選ばれなかった世界が生まれる場所』


「じゃあ、お前はそこにいるのか?」


『はい』


「どうして出てこられない?」


『出る必要がないからです』


「そんなわけないだろ」


『あります』


 リゼリアは微笑んだ。


『私はもう、世界に属していません』


「……」


『だから、どの世界にも行けない』


「じゃあ、ミレイアは?」


 リゼリアの表情が少し変わった。


『彼女は違います』


「どう違う?」


『彼女には、世界がある』


 リゼリアがミレイアを見る。


『だから、彼女は選べます』


「何を?」


『自分がどの世界に生きるのか』


 ミレイアが一歩前へ出た。


「リゼリアさん」


『はい』


「あなたは、私に何をしてほしいんですか?」


 リゼリアは黙った。


 長い沈黙。


 やがて。


『私を選ばないでください』


 ミレイアが俯く。


「……」


『でも』


 リゼリアが続ける。


『私を消さないでください』


「どういう意味ですか?」


『私を世界の外に置いたままにしてください』


「……そんなこと」


『できます』


 リゼリアが俺を見る。


『あなたの力なら』


「俺の?」


『反射・無限化は、物を跳ね返す力ではありません』


「……」


『選択された結果を、固定しない力です』


 俺は目を見開いた。


「どういうことだ?」


『あなたが本当に無限化できるなら』


「……」


『一つの結果に世界を固定する必要はありません』


 その言葉を。


 俺はしばらく理解できなかった。


「じゃあ」


 俺はゆっくり尋ねる。


「全部残せるのか?」


『可能性はあります』


「可能性?」


『ただし』


 リゼリアの表情が曇った。


『そのためには、あなた一人では足りません』


「ミレイアか?」


『はい』


「何をする?」


『彼女には、選ばないことを選んでもらいます』


「……」


『あなたには、選択された世界を反射してもらいます』


「意味が分からない」


『すべての世界を一つにするのではありません』


 リゼリアが静かに言う。


『すべての世界を、互いに干渉しない形で存在させるのです』


「そんなことが……」


『普通なら不可能です』


「普通なら?」


『あなたの能力なら可能です』


 俺は自分の手を見る。


 反射。


 受けたものを返す。


 無限化。


 限界をなくす。


 もし。


 この能力が単純に力を増幅するものではないのなら。


 世界と世界の境界そのものを。


 反射できるのだとしたら。


「……」


 頭の中で。


 何かが繋がった。


 世界を一つ選ぶ。


 それ以外を消す。


 それが今までのやり方だった。


 でも。


 選ばない。


 どれかを消すことを拒否する。


 世界同士を切り離し。


 それぞれをそのまま存在させる。


 それなら。


 世界を犠牲にする必要はない。


 リゼリアも。


 ミレイアも。


 俺も。


 全員を残せる。


「リゼリア」


『はい』


「お前は」


 俺は鏡を見る。


「本当に、それを望んでいるのか?」


 彼女は答えなかった。


 しばらくして。


『望んではいけないと思っていました』


「どうして?」


『私が望めば、また誰かが傷つくからです』


「……」


『六回とも、そうでした』


「でも」


 俺は言った。


「今回は違う」


 リゼリアが目を見開く。


「俺一人で決めない」


 ミレイアを見る。


「ミレイアもいる」


 セレナを見る。


「セレナも」


 ルナを見る。


「ルナも」


 そして。


 アルベルトを見る。


「アルベルトも」


 最後に。


 鏡の中のリゼリアを見る。


「お前もだ」


 リゼリアの目から。


 一筋だけ涙が落ちた。


『……それは』


「何だ?」


『ずるいです』


「そうか?」


『そんなことを言われたら』


 彼女は笑った。


『期待してしまいます』


 俺は少しだけ笑った。


「期待していい」


 その言葉を口にした瞬間。


 鏡が大きく揺れた。


「……!」


 リゼリアの顔が歪む。


『いけません』


「何が?」


『向こうが来ます』


「向こう?」


『選ばれなかった世界が』


 次の瞬間。


 すべての鏡が一斉に割れた。


 無数の黒い影が。


 鏡の中から飛び出してくる。


「全員、構えろ!」


 ルナが叫ぶ。


 セレナがペンダントを握る。


 ミレイアが魔法陣を展開する。


 アルベルトが剣を抜く。


 俺は。


 右手を前へ出した。


「反射・無限化」


 光が。


 地下空間を覆った。


 迫ってきた影が。


 一斉に停止する。


 その身体が。


 俺の前で砕けていく。


 だが。


 一体。


 また一体。


 消えていく影の奥から。


 巨大な何かが姿を現した。


 人間ではない。


 形もない。


 黒い霧のようなもの。


 その中央に。


 一つだけ。


 赤い目が浮かんでいる。


『――レオン』


 声が響いた。


 今度は。


 俺自身の声ではない。


 もっと古い。


 もっと深い。


 世界そのものが喋っているような声だった。


「何だ?」


『お前は、選ばなければならない』


「断る」


『拒否は選択だ』


「……」


『すでに、お前は選んでいる』


「だったら」


 俺は拳を握った。


「その選択ごと、反射する」


 赤い目が。


 初めて揺れた。


『……何?』


「俺が選ぶんじゃない」


 光が。


 右手に集まる。


「お前たちの選択も、俺たちの選択も」


 一歩。


 前へ出る。


「全部、返してやる」


『そんなことは――』


「やってみなきゃ分からないだろ」


 光が弾けた。


 地下空間全体が白く染まる。


 無数の鏡が一斉に輝いた。


 燃える世界。


 雪の世界。


 海に沈んだ世界。


 何も起きなかった世界。


 そして。


 俺たちがいる世界。


 すべての世界が。


 一瞬だけ。


 重なった。


 その中で。


 俺は。


 一人の少女を見た。


 ミレイアだった。


 いや。


 ミレイアではない。


 リゼリアだった。


 二人が。


 同じ場所に立っている。


 互いに向かい合っている。


 そして。


 リゼリアがミレイアへ手を伸ばした。


『あなたは、私ではありません』


 ミレイアが答える。


『はい』


『でも』


 リゼリアは微笑む。


『あなたの中に、私がいる』


『はい』


『なら』


 リゼリアの手が。


 ミレイアの胸へ触れる。


『私の記憶を、あなたのものにしてください』


 光が二人を包む。


 俺は叫んだ。


「ミレイア!」


 次の瞬間。


 現実へ戻る。


 ミレイアが。


 俺の目の前に立っていた。


 その瞳が。


 いつもと少しだけ違って見える。


「ミレイア?」


「……大丈夫です」


「何が起きた?」


 彼女は胸に手を当てる。


「分かりました」


「何を?」


「リゼリアさんが、どうして私の中にいるのか」


「……」


「私が、何者なのか」


 ミレイアは顔を上げる。


「私はリゼリアさんの器として作られたわけじゃありません」


「じゃあ?」


「リゼリアさんの記憶を受け継ぐために、生まれたわけでもない」


 彼女は自分の手を見る。


「私は」


 少しだけ息を吸う。


「リゼリアさんが選ばれなかった後に残った、もう一つの可能性なんです」


「……」


「だから、私はリゼリアさんではない」


「うん」


「でも」


 ミレイアは俺を見る。


「リゼリアさんが持っていたものを、私が持つことはできる」


「記憶を?」


「はい」


 そして。


 彼女は小さく笑った。


「だから、もう怖くありません」


 俺は何も言えなかった。


 その瞬間。


 黒い霧が再び動いた。


『選択は、まだ終わっていない』


 アルベルトが叫ぶ。


「レオン!」


「分かってる!」


 俺は右手を掲げる。


 だが。


 今度は。


 能力が発動しない。


「……!」


 光が消える。


「レオンさん!」


「くそ……!」


 身体の中から。


 何かが抜け落ちていく。


 反射・無限化を使おうとしても。


 何も起こらない。


『一つを選ばない者に、力は与えられない』


「……」


『お前は何も選べない』


 黒い霧が迫る。


 ルナが前へ出る。


「なら私が――」


「駄目だ!」


 俺は叫ぶ。


「これは俺の問題だ!」


「でも!」


「一人で決めるなって言われた」


 俺はミレイアを見る。


「だから」


 手を伸ばす。


「一緒にやろう」


 ミレイアが。


 迷わず俺の手を取った。


「はい」


 その瞬間。


 失われていた光が。


 戻ってきた。


 俺の手からではない。


 ミレイアの手から。


 そして。


 二人の間から。


 白い光が広がっていく。


『……何をしている』


 黒い霧が揺れる。


「選ばない」


 俺は言った。


「世界も」


 ミレイアが続ける。


「リゼリアさんも」


「自分も」


「私自身も」


 二人の声が重なる。


「「誰も、選択の犠牲にしない」」


 光が。


 爆発した。


 地下空間に浮かんでいた無数の鏡が。


 一斉に砕ける。


 だが。


 今度は消えない。


 砕けた破片が。


 それぞれの世界へ戻っていく。


 燃える王都。


 雪の王都。


 海の王都。


 そして。


 俺たちの王都。


 すべてが。


 互いに離れていく。


 黒い霧が。


 大きく震えた。


『これは……選択ではない』


「そうだ」


『なら、何だ』


「分からない」


 俺は笑った。


「でも」


 ミレイアの手を握る。


「これから決める」


 黒い霧が。


 最後に。


 赤い目だけをこちらへ向けた。


『ならば』


 声が低くなる。


『次は、お前たち自身を選ばせる』


 その瞬間。


 地下空間の奥に。


 巨大な扉が現れた。


 その扉には。


 一つだけ。


 文字が刻まれている。


『第零世界』


 アルベルトが。


 その文字を見た瞬間。


 顔を青ざめさせた。


「……そんなものが」


「知ってるのか?」


「知っている」


「何だ?」


 アルベルトは答えなかった。


 ただ。


 震える手で剣を握り直した。


「第零世界は」


 しばらくして。


 ようやく言葉を絞り出す。


「世界が生まれる前の世界だ」


「……」


「そこには、まだ何も選ばれていない」


「じゃあ」


 俺は扉を見る。


「そこに行けば」


 アルベルトが首を振った。


「行ってはいけない」


「どうして?」


「そこには」


 アルベルトの声が震えた。


「最初のレオンがいる」


 俺は。


 扉を見つめた。


 その向こうから。


 誰かが。


 こちらへ歩いてくる音がする。


 一歩。


 また一歩。


 ゆっくりと。


 近づいてくる。


 ミレイアが俺の手を強く握った。


 俺も握り返す。


 扉の向こうで。


 足音が止まった。


 そして。


 低い声が響く。


『ようやくここまで来たか』


 俺は息を呑んだ。


 その声は。


 俺と同じだった。


 けれど。


 今まで聞いたどの「俺」とも違う。


 もっと古い。


 もっと深い。


 まるで。


 俺という存在そのものが。


 初めて言葉を発したような声だった。


『第七周期』


 扉が。


 ゆっくり開く。


『お前たちが、最後の選択だ』


 その先に。


 一人の男が立っていた。


 俺と同じ顔。


 けれど。


 その瞳だけは。


 赤かった。


 男は。


 俺とミレイアを見て。


 静かに笑った。


『今度こそ』


 その声が。


 地下深くに響き渡る。


『私を選んでもらう』


 扉が。


 完全に開いた。


 その向こうには。


 世界がなかった。


 空も。


 大地も。


 光も。


 闇も。


 何も存在しない。


 ただ。


 一人の男だけが。


 何もない場所に立っていた。


 俺はその姿を見つめながら。


 なぜか。


 初めて。


 自分自身のことを。


 少しだけ理解した気がした。


 そして。


 同時に。


 この先へ進めば。


 もう戻れないことも。


 分かっていた。


 残り時間。


 四日。


 その数字だけが。


 どこにもない空間の中で。


 赤く。


 静かに。


 浮かび上がっていた。

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