第二十話 六つの選択
映像の中の俺が、ゆっくりと顔を上げた。
『六回とも、あなたは私を選びました』
リゼリアの声が響く。
その言葉に、俺は眉をひそめた。
「……私を選んだ?」
ミレイアが呟く。
映像の中では、リゼリアが俺の前に立っている。
その表情は。
今、地下施設で会った彼女と同じだった。
悲しそうで。
それでも、どこか諦めている。
『だから世界は、六回とも同じ場所へ戻った』
映像が切り替わる。
炎に包まれた王都。
崩れ落ちる城壁。
空を覆う黒い雲。
そして。
その中心に立つ俺。
『あなたは私を救おうとした』
次の映像。
今度は雪に覆われた王都。
俺の腕の中で、リゼリアが目を閉じている。
『だから世界を失った』
また映像が変わる。
今度は何もない。
真っ白な世界。
そこに俺だけが立っている。
『あなたは世界を救おうとした』
その俺は。
誰かを失ったような顔をしていた。
『だから私を失った』
「……」
部屋にいる誰も口を開かなかった。
映像はさらに続く。
六つの世界。
六つの結末。
そのどれもが。
完全な答えではなかった。
俺は映像を見ながら、胸の奥に奇妙な感覚を覚えていた。
知らないはずなのに。
どこか懐かしい。
見たことがないはずなのに。
自分の記憶のように感じる。
「……これが」
ルナが口を開いた。
「本当に、過去のレオンなのか?」
「分からない」
アルベルトが答える。
「だが、少なくとも同じ魂を持っている可能性は高い」
「同じ魂……」
セレナが呟く。
「じゃあ、今ここにいるレオンさんも?」
アルベルトは俺を見る。
「そうだ」
「でも」
ミレイアが不安そうに言った。
「それなら、どうして今までのレオンさんの記憶がないんですか?」
アルベルトは少し考えた。
「それが記憶封印の理由だろう」
「でも、今は少しずつ戻ってきています」
「ああ」
「なぜですか?」
アルベルトは答えなかった。
代わりに。
映像の中のリゼリアが、こちらを見た。
『第七周期だけは』
その声に。
俺は顔を上げる。
『今までと同じではありません』
映像の中の俺が、リゼリアの隣に立つ。
『なぜなら』
そこで映像が一度途切れた。
暗闇。
そして。
一文字だけが浮かび上がる。
『ミレイア』
「……!」
ミレイアが息を呑んだ。
俺も。
言葉を失った。
『第七周期には、彼女がいる』
映像が戻る。
今度は。
今のミレイアと同じ姿の少女が映っていた。
ただし。
今のミレイアとは違う。
服装も。
髪型も。
表情も違う。
それでも。
間違いなくミレイアだった。
『第七周期で初めて』
『リゼリアの記憶を持つ器と、レオンの記憶を持つ器が同時に目覚めた』
「器……?」
ミレイアが自分の胸元へ手を当てた。
『だから、この世界だけが』
映像の中のリゼリアが言う。
『六つの世界と違う結末へ進む可能性を持っている』
「可能性……」
俺は呟く。
『第七周期のレオン』
映像の中の俺が、まっすぐこちらを見た。
『お前は、すでに一つの選択をしている』
「俺が?」
『そうだ』
「いつ?」
『ミレイアを連れて、ここまで来た時だ』
「……」
『過去の六回』
『お前は、彼女と出会う前に選択を迫られた』
『だから、どの世界でも答えは同じだった』
映像の中で。
六人の俺が並ぶ。
その前に。
三つの文字が浮かんだ。
『世界』
『リゼリア』
『自分』
俺は目を細めた。
「……この三つ」
さっき黒い箱に表示されたものと同じだ。
『六回の世界では』
映像の中の俺が言う。
『この三つのうち、必ず一つが失われた』
『だから世界は、完全には救われなかった』
俺は黙って聞いていた。
だが。
何かがおかしい。
「待て」
俺は映像に向かって言った。
「さっき、お前は言ったよな」
返事はない。
それでも俺は続ける。
「六回とも、俺はリゼリアを選んだって」
『……』
「だったら、どうして世界が六回とも違うんだ?」
映像が止まった。
「俺が同じ選択をしたなら、結果も同じになるはずだろ」
アルベルトが目を細める。
「……確かに」
セレナも首を傾げた。
「私も、それは変だと思います」
映像の中の俺は。
しばらく何も言わなかった。
そして。
『その通りだ』
声が響いた。
『だから、ここから先は第零記録の本当の内容になる』
記録媒体の光が強くなる。
部屋全体が白く染まった。
次の瞬間。
俺たちは。
別の場所に立っていた。
「……!」
地下室が消えている。
周囲には何もない。
白い空間。
上下も。
左右も分からない。
「ここは……?」
セレナが周囲を見回す。
ルナが剣を抜いた。
「敵は?」
「いない」
アルベルトが答える。
「少なくとも、今は」
「今は?」
俺が聞き返した。
その瞬間。
前方に人影が現れた。
一人。
二人。
三人。
次々に。
同じ顔が現れる。
俺だった。
十人。
二十人。
それ以上。
無数のレオンが。
白い空間に立っている。
「……」
俺は言葉を失った。
その中の一人が。
こちらへ歩いてくる。
傷だらけの俺。
別の俺は、王族のような服を着ている。
子供のような姿の俺もいる。
老人になった俺までいた。
「全部……」
ミレイアが震える声で言う。
「レオンさんなんですか?」
「分からない」
俺は答える。
だが。
その顔を見ていると。
否定することもできなかった。
やがて。
一人のレオンが俺の前に立った。
その男は。
今の俺より少しだけ大人に見えた。
「ようやく来たか」
「お前は誰だ?」
「第六周期の俺だ」
「……」
「正確には」
男は苦笑する。
「第六周期で最後まで生き残った俺だ」
「最後まで?」
「ああ」
その男はミレイアを見る。
そして。
目を伏せた。
「彼女を失った後もな」
ミレイアが息を呑む。
「私を……?」
「そうだ」
男は俺を見る。
「お前は、まだ彼女を失っていない」
「……」
「だから分からないだろう」
「何が?」
「失った後に、何が残るのか」
男は自分の胸を指で叩いた。
「記憶だけだ」
その声には。
怒りも。
悲しみも。
諦めも。
全部が混ざっていた。
「俺は世界を残した」
「……」
「王都も残した」
「リゼリアも?」
「死んだ」
即答だった。
「俺が殺した」
ミレイアが息を呑む。
「どうして……」
「そうしなければ門が閉じなかった」
男は答える。
「世界を残すためには、彼女を殺すしかなかった」
「でも」
俺は言った。
「それなら、俺が知っている話と違う」
「何が?」
「リゼリアは、俺が六回とも彼女を選んだと言っていた」
「ああ」
「なのに、お前は彼女を殺した」
「それが『選んだ』ってことだ」
「……何?」
男は苦笑した。
「彼女を殺してでも、世界を残すと選んだ」
「……」
「お前が考えている『選ぶ』とは違う」
その言葉に。
俺は黙り込んだ。
確かに。
そうかもしれない。
選択とは。
必ずしも。
欲しいものを手に入れることじゃない。
何かを失うことを覚悟することも。
選択なのかもしれない。
「じゃあ」
俺は聞いた。
「六回の俺は、それぞれ何を選んだ?」
男が答える前に。
別の俺が前へ出てきた。
「俺は世界を選んだ」
次の男。
「俺はリゼリアを選んだ」
さらに別の男。
「俺は自分を選んだ」
一人。
また一人。
次々に。
声が重なる。
「俺は世界を選んだ」
「俺はリゼリアを選んだ」
「俺は自分を選んだ」
「俺は世界を」
「俺は彼女を」
「俺は……」
その言葉が。
白い空間に響き続ける。
俺は頭を抱えた。
「……やめろ」
声が止まる。
「何が正しいんだよ」
誰も答えない。
「世界を残しても、誰かを失う」
「……」
「彼女を残しても、世界が壊れる」
「……」
「自分を残しても、何かが消える」
俺は顔を上げた。
「だったら、どうすればいい?」
誰も答えなかった。
その代わり。
背後から声が聞こえた。
「だから、第七周期が必要なんです」
「……!」
振り返る。
リゼリアが立っていた。
今のリゼリアと同じ姿。
ただ。
白い空間の中にいる彼女は。
地下施設にいたときよりも、ずっと穏やかな顔をしていた。
「お前は……」
「ここは記録の中です」
「記録?」
「はい」
リゼリアは周囲を見回す。
「あなたがたが残した、選ばれなかった可能性の記録」
「じゃあ、この世界は?」
「現実ではありません」
「……」
「まだ」
その一言に。
俺は眉をひそめた。
「まだ?」
「選択されていないからです」
リゼリアは答える。
「ここにある世界は、まだ誰にも選ばれていません」
「じゃあ」
俺は周囲を見る。
「こいつらは?」
「選択されなかったあなたたちです」
無数の俺。
それぞれが。
黙って俺を見ている。
「……俺が選ばなかった?」
「違います」
リゼリアは首を振った。
「あなたたちが選ばなかったのではありません」
「じゃあ誰が?」
「世界です」
「……」
「世界が、あなたたちを選ばなかった」
その言葉の意味が。
すぐには理解できなかった。
リゼリアは続ける。
「一つの世界には、一つの結果しか残りません」
「……」
「だから、別の可能性は捨てられる」
「その捨てられたものが、ここに?」
「はい」
「じゃあ」
俺は無数の自分を見る。
「こいつらは、死んだわけじゃないのか?」
「死ぬこともできません」
「……」
「生きることもできません」
リゼリアは悲しそうに笑う。
「ただ、選ばれなかった結果として残り続けるだけです」
俺の背筋を。
冷たいものが走った。
死ぬより。
生きるより。
ずっと残酷だと思った。
「だったら」
俺はリゼリアを見る。
「お前も?」
「はい」
「お前も選ばれなかった世界にいるのか?」
「私は少し違います」
「どう違う?」
「私は」
リゼリアが胸元に手を当てる。
「何度も選ばれました」
「……」
「だから何度も死にました」
俺は息を呑む。
「選ばれるたびに、世界が一つ終わる」
「はい」
「選ばれなければ?」
「世界は続きます」
「でも、お前は?」
「私は存在しません」
「……」
それなら。
リゼリアが「私を選ばないで」と言った意味も。
少しだけ分かった気がした。
彼女を選べば。
世界が壊れる。
彼女を選ばなければ。
彼女が消える。
どちらを選んでも。
誰かが失われる。
「じゃあ」
俺は尋ねる。
「第七周期は何が違う?」
リゼリアは。
ミレイアを見る。
「彼女です」
「ミレイア?」
「はい」
ミレイアが戸惑ったように自分を指差す。
「私が……?」
「あなたの魂には、私の記憶が残っています」
「……」
「でも、あなたは私ではない」
ミレイアは黙っている。
「だから」
リゼリアは俺を見る。
「第七周期には、今まで存在しなかった第三の存在が生まれました」
「第三の存在?」
「私でもない」
「ミレイアでもない?」
「はい」
「じゃあ何だ?」
リゼリアは少しだけ微笑んだ。
「あなたと彼女が、一緒に選ぶという可能性です」
俺は言葉を失った。
「……一緒に?」
「今までの六回」
リゼリアは言う。
「あなたは一人で選びました」
「……」
「私を殺すのも」
「……」
「世界を壊すのも」
「……」
「自分を捨てるのも」
「……」
「すべて」
リゼリアの声が少し震えた。
「あなた一人で決めました」
胸の奥が痛んだ。
地下施設で。
ミレイアに言われた言葉を思い出す。
『また置いていかれるのは嫌です』
あれは。
今のミレイアだけの言葉ではなかったのかもしれない。
過去の六回。
何度も。
俺が誰かを置いていった。
世界を守るため。
彼女を守るため。
自分が責任を取るため。
理由はいくらでもあった。
けれど。
結果だけを見れば。
俺はずっと一人で決めていた。
「だから」
リゼリアが言った。
「今回だけは、私を選ばないでください」
「……」
「ミレイアも」
リゼリアは彼女を見る。
「世界も」
「……」
「そして、自分も」
俺は目を細めた。
「じゃあ、何を選べっていうんだ?」
リゼリアは答えなかった。
その代わり。
白い空間の中央に。
一つの扉が現れた。
扉には。
三つの鍵穴がある。
その下に文字が浮かび上がった。
『世界』
『リゼリア』
『レオン』
俺はその文字を見る。
「また三つ……」
「はい」
リゼリアが言う。
「これが最後の選択です」
「どれか一つを選ぶのか?」
「いいえ」
「じゃあ?」
「選ばないでください」
「……」
「三つとも」
リゼリアは静かに言った。
「選ばないことが、この扉を開く条件です」
「そんなことができるのか?」
「できます」
「どうやって?」
「一人では無理です」
リゼリアがミレイアを見る。
「だから、第七周期なのです」
ミレイアが一歩前へ出た。
「私に何をしろというんですか?」
「あなた自身の意思で、私を拒んでください」
「……」
「そして」
リゼリアは俺を見る。
「レオン」
「何だ?」
「あなたも、私を選ばないでください」
「……」
「でも」
リゼリアは続けた。
「私を捨てることも選ばないでください」
「……どういう意味だ?」
「殺すことも」
「……」
「救うことも」
「……」
「どちらもしない」
俺は黙り込む。
そんなことが可能なのか。
俺には分からない。
けれど。
それこそが。
今まで誰も試していないことなのだと。
ようやく気づいた。
「つまり」
俺はゆっくり言う。
「三つのどれかを犠牲にするんじゃなくて」
「はい」
「三つ全部を残す方法を探す」
「はい」
「そのために」
俺はミレイアを見る。
ミレイアも俺を見る。
「俺一人じゃなく、二人で決める」
「そうです」
リゼリアが微笑んだ。
「それが、第七周期です」
その瞬間。
白い空間にいた無数のレオンたちが。
一斉にこちらを見た。
そして。
一人ずつ。
消えていく。
「……!」
俺は驚いて周囲を見る。
最初に。
傷だらけのレオンが消えた。
次に。
王族の服を着たレオン。
老人のレオン。
子供のレオン。
次々と。
白い光になって消えていく。
「何が起きてる?」
俺が叫ぶ。
リゼリアは答えた。
「記録が終わるんです」
「記録が?」
「はい」
「じゃあ、こいつらは?」
「もう必要ありません」
「待て!」
俺は一人のレオンへ手を伸ばした。
だが。
指先に触れる前に。
その姿は消えてしまった。
最後に残ったのは。
第六周期の俺だった。
男は。
少しだけ笑った。
「お前は」
「……」
「俺たちとは違う答えを出せ」
「お前は、どうすればよかったと思う?」
男はしばらく考えて。
「分からない」
そう答えた。
「だから」
男は俺を見る。
「お前に託す」
その身体も。
白い光になった。
そして。
最後に。
一言だけ残した。
「今度は、一人で決めるな」
光が消える。
白い空間が。
静かになる。
残ったのは。
俺。
ミレイア。
リゼリア。
そして。
三つの鍵穴がある扉だけだった。
「……」
ミレイアが。
俺の隣に立つ。
「レオンさん」
「ああ」
「私」
彼女は少し震えていた。
「怖いです」
「俺もだ」
「でも」
ミレイアが俺の手を握った。
「今回は、一緒に決めるんですよね」
「ああ」
「なら」
彼女は笑った。
「一人で怖がる必要はないですよね」
俺も。
少しだけ笑う。
「ああ」
リゼリアは。
そんな俺たちを見ていた。
その目には。
今まで見たことのない表情が浮かんでいる。
「……そうですか」
「何が?」
「これが」
リゼリアは小さく呟く。
「私が六回待っていたものなんですね」
「……」
「ずっと」
彼女は目を閉じる。
「あなたに、別の答えを出してほしかった」
俺は。
その言葉を聞いて。
胸が締め付けられた。
「だったら」
俺は言う。
「最初からそう言えばよかっただろ」
リゼリアは目を開いた。
「……できませんでした」
「どうして?」
「あなたが、私を選んでしまうから」
「……」
「私は、あなたに選ばれたくなかった」
その言葉に。
俺は何も返せなかった。
しばらくして。
白い空間に亀裂が走る。
「時間切れです」
リゼリアが言う。
「戻らないと」
「どこへ?」
「あなたたちの世界へ」
視界が白く染まる。
「待て!」
俺はリゼリアを見る。
「お前はどうなる?」
「私は」
彼女は微笑んだ。
「まだ、ここにいます」
「……」
「でも」
その声が。
少しずつ遠ざかっていく。
「次に会うときは」
リゼリアは俺を見る。
「私を選ばないでください」
光が。
すべてを覆った。
――。
「レオン!」
誰かの声が聞こえた。
目を開ける。
「……」
地下室だった。
黒い箱。
机。
記録媒体。
全部。
元の場所に戻っている。
「大丈夫ですか?」
ミレイアが俺の肩を支えていた。
「……ああ」
俺は周囲を見る。
セレナ。
ルナ。
アルベルト。
全員がそこにいる。
「どれくらい経った?」
「ほんの数秒です」
セレナが答える。
「数秒……?」
俺は記録媒体を見る。
さっきまで光っていたはずなのに。
今は。
何の変化もない。
「第三記録は?」
俺が聞く。
アルベルトが黒い箱を確認する。
「……消えた」
「消えた?」
「ああ」
箱の中には。
もう何も入っていない。
「じゃあ、あれは何だったんだ?」
「記録そのものではなく」
アルベルトが言う。
「記録を見るための鍵だったのかもしれない」
「鍵?」
「お前の中にある何かを開くためのな」
俺は自分の胸に手を当てる。
何も感じない。
けれど。
以前とは違う。
確かに。
何かを知った。
六つの世界。
六つの選択。
そして。
第七周期。
「アルベルト」
「何だ?」
「一つ聞きたい」
「ああ」
「第零記録って」
俺は言葉を選ぶ。
「本当に存在しないのか?」
アルベルトは。
しばらく黙った。
「……存在してはいけない」
「答えになってない」
「それが私に言える全てだ」
「じゃあ」
俺は立ち上がる。
「誰が作った?」
アルベルトは。
初めて。
目を逸らした。
「……分からない」
「本当に?」
「本当にだ」
「アルベルト」
「私は、第七周期を始めるための記録しか残していない」
「じゃあ第零記録は?」
アルベルトは答えなかった。
その沈黙が。
何よりも雄弁だった。
俺はそれ以上追及しなかった。
今は。
まだ。
分からないことが多すぎる。
「戻ろう」
俺が言うと。
ミレイアが隣に並んだ。
「はい」
俺たちは地下室を出る。
階段を上がる。
古い図書館へ戻る。
地上へ出ると。
夜の王都は変わらずそこにあった。
けれど。
俺には。
もう以前と同じ景色には見えなかった。
世界が一つではない。
選ばれなかった可能性が存在する。
そして。
この世界にも。
まだ選ばれていない未来がある。
「レオンさん」
「ん?」
ミレイアが俺を見る。
「さっきのこと」
「ああ」
「私の中に、本当にリゼリアさんの記憶があるんでしょうか」
「分からない」
「ですよね」
「でも」
俺は歩きながら言った。
「一つだけ分かった」
「何ですか?」
「お前はリゼリアじゃない」
ミレイアが目を丸くする。
「……はい」
「だから」
俺は彼女を見る。
「お前が何を選ぶのかは、お前が決めればいい」
ミレイアは少しだけ笑った。
「じゃあ、レオンさんも」
「ああ」
「自分のことを勝手に決めないでくださいね」
「……分かった」
「本当に?」
「本当に」
ミレイアが満足そうに頷く。
その少し後ろを。
セレナとルナが歩いている。
「……何か、二人とも雰囲気変わったね」
セレナが小さく言った。
「そうか?」
「そうですよ」
ルナも頷く。
「少なくとも、レオンは前より何かを隠そうとしなくなった」
「……」
俺は苦笑した。
隠していたつもりはない。
けれど。
確かに。
自分一人で抱え込もうとしていたのかもしれない。
そのとき。
王都の鐘が鳴った。
夜の街に。
一度。
二度。
三度。
鐘の音が響く。
俺たちは足を止めた。
「……何だ?」
セレナが王城を見る。
王城の上空。
雲の切れ間から。
赤い光が見えた。
それは。
昨日地下施設で見たものと同じだった。
「門が……」
アルベルトが呟く。
「起動を始めた」
「まだ五日あるんじゃないのか?」
「予定より早い」
「どうして?」
アルベルトは答えない。
ただ。
俺の手を見る。
正確には。
俺が握っている黒い箱を。
「……レオン」
「何だ?」
「今すぐ王城へ行く必要がある」
「何がある?」
「門の起動が早まった理由を調べる」
「分かった」
歩き出そうとした。
その瞬間。
俺の頭の中に。
声が響いた。
『――聞こえるか』
「……!」
足が止まる。
聞き覚えのある声。
俺自身の声だった。
『第七周期』
俺は周囲を見る。
誰も気づいていない。
俺にしか聞こえていない。
『まだ、終わっていない』
「……何が?」
思わず呟く。
ミレイアが振り返った。
「レオンさん?」
俺は答えられない。
声は続いている。
『第零記録は、記録ではない』
「……」
『あれは、世界そのものだ』
次の瞬間。
王都全体が。
一瞬だけ暗くなった。
そして。
遠く。
王城の上空に。
巨大な鏡が浮かび上がった。
「……!」
鏡の中に。
別の王都が映る。
燃えていない。
崩れていない。
そして。
その中央に。
一人の男が立っている。
俺だ。
鏡の中の俺が。
ゆっくり顔を上げる。
そして。
こちらへ向かって。
口を開いた。
『見つけた』
俺の背後で。
ミレイアが息を呑む。
アルベルトが。
初めて明確な動揺を見せた。
「……まずい」
「何が?」
アルベルトは。
鏡から目を離さずに答えた。
「向こうから、こちらを見つけた」
俺は鏡を見る。
そこにいる俺は。
笑っていた。
『次は』
その声が。
王都中に響く。
『選ばれなかった世界の方から、選ぶ』
鏡が。
一斉に砕けた。
その瞬間。
空に浮かんだ文字が。
赤く染まる。
『残り――四日』
俺たちは。
誰一人として。
動けなかった。
七日目まで。
まだ五日あると思っていた。
けれど。
世界は。
俺たちが考えていたよりも早く。
次の選択へ向かい始めていた。




