第十九話 選ばれなかった世界
黒い箱の中に収められていた記録媒体を、俺はじっと見つめていた。
薄い板状のそれは、金属にも石にも見えない。
表面は黒く、光を吸い込むように静かだった。
ただ、その中央に刻まれた文字だけが異様なほど鮮明に残っている。
『第零記録』
その文字を見てから、アルベルトは一度も口を開いていない。
「……第零記録って」
セレナが小さな声で呟いた。
「本当に存在しないものなんですか?」
「そうだ」
アルベルトは答えた。
「私が知る限り、この世界の記録に第零記録というものは存在しない」
「でも、ここにある」
「ああ」
「じゃあ、誰が作ったんですか?」
「それが分からない」
アルベルトの声には、珍しく迷いがあった。
俺は記録媒体から目を離せなかった。
存在しないはずのもの。
それが、俺を待っていた。
しかも。
さっき鏡の向こうにいた、もう一人の俺が言っていた。
『俺は、お前が選ばなかった世界のレオンだ』
あの言葉が頭から離れない。
「アルベルト」
「何だ」
「さっきの奴が言っていたことを整理したい」
「ああ」
「俺と同じレオンが、別の世界にいる」
「そうだな」
「その世界では、王都が滅んでいない」
「そうだ」
「リゼリアも生きている」
「……ああ」
「じゃあ、あの世界は」
俺は言葉を選んだ。
「俺たちの世界とは違う選択をした結果なのか?」
アルベルトはしばらく黙っていた。
「可能性は高い」
「可能性?」
「あくまで推測だ」
アルベルトは鏡へ視線を向ける。
先ほどまで映っていた世界は、まだそこにあった。
青い空。
壊れていない王都。
人々が歩く街並み。
そして、その中心に立つもう一人の俺。
その隣にいるリゼリア。
何も知らなければ。
こちらの世界より、あちらのほうがずっと普通に見える。
それが逆に不気味だった。
「なら、どうして俺たちの世界はああならなかった?」
「それを調べるための記録だろう」
アルベルトが、黒い箱を見た。
「第零記録が何を残しているのか。それを確認しなければ分からない」
「……開けるぞ」
「待て」
アルベルトが俺の手を掴む。
「まだだ」
「何で?」
「お前は今、かなり動揺している」
「だから?」
「そういう状態で、この記録に触れるべきではない」
「でも、時間がない」
俺は壁を見る。
さっきまで赤く輝いていた文字が、まだ消えていない。
『残り五日』
五日。
それだけしかない。
リゼリアは七日目に何かが起きると言っていた。
門が完全に開けば、ミレイアの中に眠る何かが目覚める。
それを止める方法も。
俺が死なずに済む方法も。
まだ何一つ分かっていない。
「ここで立ち止まってるほうが危険だ」
俺はアルベルトの手を振り払った。
「開く」
「レオン」
「大丈夫だ」
自分でも、説得力のない言葉だと思った。
けれど。
これ以上、何も知らないまま進むのは嫌だった。
三百年前の俺が何をしたのか。
六回の世界で何が起きたのか。
リゼリアがなぜ俺に殺され続けたのか。
そして。
どうして今の俺だけが、過去とは違う道を歩き始めているのか。
その答えが。
この中にあるかもしれない。
「レオンさん」
ミレイアが俺の袖を掴んだ。
「無理はしないでください」
「分かってる」
「本当に?」
「……たぶん」
「それ、一番信用できない答えです」
ミレイアが少しだけ笑った。
その笑顔を見て。
ほんの少しだけ、肩の力が抜けた。
「大丈夫だ」
俺はもう一度言った。
「今度は、一人で決めない」
ミレイアは黙って頷いた。
その隣で、セレナが黒いペンダントを握り直す。
「私もいますから」
「セレナ?」
「ここまで来たの、私も関係あります」
彼女はペンダントを見る。
「父が残したものも、この世界のことも。まだ何も分かってません」
「……そうだな」
「だから、最後まで知りたいです」
ルナも剣の柄に手を置いた。
「私も同じだ」
「ルナまで?」
「ここまで来て、今さら帰るつもりはない」
アルベルトが三人を見回す。
そして。
「なら、始めるか」
俺は記録媒体に手を伸ばした。
指先が触れる。
瞬間。
黒い表面に、細い光が走った。
カチッ。
小さな音がした。
次いで。
部屋の中央にある鏡が震える。
「……!」
鏡の向こうの景色が歪んだ。
王都の街並みが消えていく。
青空も。
建物も。
人々も。
全部が黒い霧のように崩れていく。
そして。
一つの文字が浮かんだ。
『第零記録』
その下に。
『記録対象――レオン』
俺は息を呑んだ。
「俺……?」
『記録開始』
声が響く。
それは。
俺自身の声だった。
『この記録を聞いているということは』
俺は無意識に拳を握っていた。
『お前は、第七周期に到達した』
「……」
アルベルトの表情が変わる。
ミレイアも。
セレナも。
誰も口を挟まなかった。
『まず最初に言っておく』
声が続く。
『この記録を残した俺は、お前と同じ記憶を持っていない』
「……何?」
俺は思わず声を出した。
もちろん、記録の中の俺が答えることはない。
『お前がこれを聞く頃には、俺が知っていることの多くが失われているはずだ』
『だから、この記録を信じる必要はない』
俺は眉をひそめる。
「またかよ……」
以前見つけた記録にも。
似たような言葉が残されていた。
――俺を信じるな。
それと同じだ。
自分自身の記録なのに。
自分を信じるなと言っている。
『ただし』
声が一度途切れた。
『一つだけ、絶対に覚えておけ』
空気が張り詰める。
『第七周期のお前は、今までの俺たちとは違う』
「……」
『それは能力でもない』
『記憶でもない』
『世界そのものだ』
鏡の中に、一つの光景が映った。
広大な白い空間。
その中央に巨大な魔法陣が浮かんでいる。
そして。
その魔法陣の周囲には、無数の人影があった。
よく見ると。
全員が俺だった。
「……またか」
俺は息を呑む。
昨日も見た。
無数のレオン。
違う世界。
違う時間。
それでも。
同じ顔。
『俺たちは、何度も同じ場所に戻った』
『何度も同じことを繰り返した』
『何度も選択を迫られた』
映像の中で、一人のレオンが魔法陣の前に立つ。
その向かい側には、銀髪の少女がいる。
リゼリアだ。
ただ。
顔つきが今まで見た彼女とは違っていた。
泣いている。
それでも。
笑おうとしている。
『世界を残すか』
『彼女を残すか』
『自分を残すか』
三つの文字が浮かび上がる。
俺は思わず目を細めた。
「……これ」
さっき見たものと同じだった。
黒い箱に表示された三つの選択肢。
世界を残す。
ミレイアを残す。
自分を残す。
けれど。
映像の中にある三つ目の文字だけが違っていた。
『自分を残す』
同じ。
そして。
その下に。
『いずれか一つを選択せよ』
と表示されている。
「……」
映像の中のレオンが。
一つを選んだ。
瞬間。
世界が崩壊した。
炎。
瓦礫。
叫び声。
黒い空。
俺は思わず目を背けた。
映像が切り替わる。
別のレオン。
また同じ選択。
また別の結末。
そして。
また別のレオン。
同じ選択。
同じように世界が崩れていく。
「六回……」
アルベルトが呟いた。
俺はアルベルトを見る。
「今の映像」
「ああ」
「六回あった」
「……そうだ」
映像の中では。
六人のレオンが、それぞれ違う選択をしていた。
けれど。
最後には。
必ず世界が崩れている。
『これが、俺たちの知っている六回だ』
記録の声が言う。
『だが』
映像が暗くなる。
『第七周期だけは違った』
白い光。
そこに。
一人の少女が立っていた。
ミレイア。
「……私?」
ミレイアが呟く。
映像の中のミレイアは。
今の彼女と同じ顔をしていた。
けれど。
その姿はどこか違っていた。
銀色の光が、身体の周囲を包んでいる。
そして。
彼女の背後に。
リゼリアが立っていた。
「……」
ミレイアが息を呑む。
「私の後ろに……」
リゼリアが。
鏡の向こうから静かにミレイアを見つめていた。
『第七周期では』
記録の声が続く。
『彼女が選択の外側に現れた』
「選択の……外側?」
俺が呟く。
『それまでの世界では、必ず一つが失われた』
『世界』
『彼女』
『俺』
『そのどれかを選ぶことでしか、門を閉じられなかった』
『だが』
映像の中のミレイアが顔を上げる。
『第七周期では、彼女がその選択そのものを拒否した』
「……」
俺はミレイアを見る。
「覚えてるか?」
「……いいえ」
ミレイアは首を振る。
「何も」
その答えは。
不思議なほど自然だった。
映像の中のミレイアが。
魔法陣の前へ歩いていく。
そして。
三つの選択肢を見つめる。
しばらくして。
その三つを。
全部消した。
「……!」
セレナが息を呑む。
『彼女は選ばなかった』
『世界も』
『自分も』
『そして、俺も』
そこで。
記録の声が初めて震えた。
『だから世界が分岐した』
鏡の映像が二つに分かれる。
一方は。
燃える王都。
もう一方は。
青い空の下にある王都。
俺とリゼリアがいる。
そして。
どちらにもミレイアがいる。
「……」
俺は何も言えなかった。
今まで俺は。
世界が一つあって。
そこから何度も周期が繰り返されていると思っていた。
でも。
違うのかもしれない。
世界は。
選択するたびに。
枝分かれしている。
そして。
俺たちはその中の一つを生きている。
『だから』
記録の声が続く。
『選ばれなかった世界は消えていない』
俺は鏡を見る。
さっきの世界。
滅びていない王都。
生きているリゼリア。
そこにいる俺。
『ただ、こちらから見ることができなかっただけだ』
「……じゃあ」
俺は言葉を絞り出す。
「六回の世界も……」
アルベルトが答える。
「可能性として残っているのかもしれない」
「だったら、俺たちがいるこの世界は?」
アルベルトは答えなかった。
その沈黙が。
妙に怖かった。
『そして』
記録の声が続く。
『ここからが、第零記録を残した理由だ』
映像が消える。
真っ暗になる。
しばらく。
何も起きない。
そして。
小さな音がした。
コツ。
コツ。
誰かが歩いている。
「……?」
暗闇の中から。
一人の人影が現れた。
レオンだった。
俺と同じ顔。
鏡の向こうにいた男とは違う。
服装も違う。
傷だらけだった。
その男がこちらを見る。
『この記録を聞いているお前へ』
声は俺自身のものだった。
『お前が今、どこにいるのかは分からない』
『どんな仲間がいるのかも』
『ミレイアが生きているのかも分からない』
『リゼリアが生きているのかも分からない』
そこで。
俺の胸が妙にざわついた。
『だが、一つだけ確かなことがある』
男が自分の胸に手を当てる。
『俺たちは、ずっと間違えていた』
「……何を?」
思わず呟く。
『門を閉じることを、目的にしていた』
映像の中のレオンが笑った。
『でも、本当は違った』
『門は、閉じるためにあるんじゃない』
そこで映像が乱れる。
『門は――』
音声が途切れた。
「おい!」
俺は記録媒体を叩いた。
「続きは!?」
何も起きない。
ノイズだけが響く。
「ふざけるな……」
セレナが記録媒体を覗き込む。
「途中で切れたんですか?」
「そうみたいだ」
アルベルトが眉を寄せる。
「いや」
「何?」
「これは故障じゃない」
「じゃあ?」
「意図的に消されている」
アルベルトが記録媒体を手に取る。
「誰かが、ここから先を削除した」
「誰が?」
「分からない」
「またか……」
俺は頭を掻いた。
重要なところになると。
いつも何かが途切れる。
だが。
そのときだった。
ミレイアが小さく呟いた。
「……門は、閉じるためにあるんじゃない」
「ミレイア?」
「さっきの言葉」
彼女は目を閉じている。
「何か……引っかかります」
「何を?」
「分かりません」
ミレイアは胸元に手を当てた。
「でも、前にも聞いた気がします」
「どこで?」
「分からない……」
その瞬間。
ミレイアの身体がわずかに震えた。
「ミレイア!」
俺が肩を掴む。
「大丈夫です」
「顔色が悪い」
「大丈夫……」
ミレイアが顔を上げる。
その瞳は。
一瞬だけ銀色に見えた。
けれど。
すぐに元へ戻った。
「今……」
ルナが剣に手を掛ける。
「何か見えた」
「俺も見えた」
ミレイアは困惑している。
「私には、何も……」
そのとき。
鏡の向こうから。
声が聞こえた。
『まだ、思い出さなくていい』
全員が振り向く。
鏡の中に。
リゼリアが立っていた。
さっきまで隣にいたもう一人のレオンはいない。
リゼリアだけが。
こちらを見つめている。
「リゼリア」
俺は鏡へ近づく。
「お前は何を知ってる?」
『少しだけです』
「第零記録について?」
『それも』
「じゃあ、教えてくれ」
リゼリアは首を振った。
『今は、まだ』
「どうして?」
『知れば、あなたはまた同じ選択をするから』
「同じ選択?」
『はい』
「俺は何を選んだ?」
リゼリアは答えなかった。
「六回の俺は何を選んだ?」
『それを知れば、七回目のあなたも同じ道を選ぶ』
「だから教えない?」
『はい』
「……」
俺は拳を握った。
「でも、それじゃ何も変わらない」
『変わっています』
「何が?」
『あなたが、私に答えを求めていることです』
「……?」
『今までのあなたは、私に答えを求めませんでした』
その言葉に。
俺は黙った。
『あなたはいつも、自分で決めていました』
『私を殺すことも』
『世界を残すことも』
『そして、自分が消えることも』
「……」
『だから』
リゼリアは静かに笑った。
『今回は違います』
「何が違う?」
『あなたは、まだ決めていない』
その言葉を聞いた瞬間。
俺の胸の奥に何かが落ちた。
そうだ。
俺はまだ。
何も選んでいない。
昨日。
リゼリアに「俺が死ねば世界は残る」と言われた。
そのとき。
俺は一度、死ぬことを選びかけた。
けれど。
ミレイアに止められた。
そして。
一緒に答えを探すと約束した。
だから。
まだ選んでいない。
「リゼリア」
『はい』
「お前は、本当に俺に殺されたいのか?」
リゼリアの顔から。
笑みが消えた。
『……はい』
「本当に?」
『……』
「それは、お前自身の意思なのか?」
リゼリアは答えない。
「それとも」
俺は続けた。
「何度もそうしなきゃいけなかったから、そう思ってるだけなのか?」
長い沈黙。
やがて。
『分かりません』
その声は。
今まで聞いたどの言葉より弱かった。
『私にも、もう分かりません』
俺は黙った。
『六回も同じことを繰り返しました』
『そのたびに、私はあなたに殺されました』
『そのたびに、世界は次へ進みました』
『だから、それが正しいことなのだと思っていました』
リゼリアが自分の胸に手を当てる。
『でも』
『第七周期で、あなたが違う顔をしているのを見て』
『初めて分からなくなりました』
「……何が?」
『私が、本当に終わりたいのか』
鏡の中のリゼリアが。
こちらを見つめる。
『それとも』
少しだけ。
悲しそうに笑った。
『誰かに、終わらせてほしいだけなのか』
誰も何も言えなかった。
ミレイアが。
静かに一歩前へ出る。
「リゼリア」
『……はい』
「私の中に、あなたがいるんですよね」
『……はい』
「だったら」
ミレイアは胸元に手を当てた。
「あなたが本当に望んでいることを、私も知りたいです」
リゼリアの瞳が揺れる。
「私があなたを殺すのか」
「……」
「レオンさんが殺すのか」
「……」
「それとも」
ミレイアは。
俺を見る。
「誰も殺さなくていいのか」
リゼリアは。
しばらく何も言わなかった。
やがて。
『それを決めるのは』
彼女が俺を見る。
『あなたたちです』
「……」
『私は、もう選べない』
その言葉を最後に。
鏡の表面に亀裂が走った。
「待て!」
俺が手を伸ばす。
しかし。
リゼリアの姿は消えた。
鏡は元の黒い表面へ戻る。
静寂だけが残った。
「……消えた」
セレナが呟く。
俺は伸ばした手をゆっくり下ろした。
そのとき。
カチッ。
黒い箱の奥から音がした。
「……?」
箱が。
もう一段階開いた。
今まで見えていなかった小さな空間が現れる。
そこには。
一枚の紙が入っていた。
俺は慎重に取り出す。
紙は古い。
端は焼け焦げている。
そして。
そこには短い文章だけが書かれていた。
『第七周期へ』
その下に。
『第三記録を見た者へ』
俺は息を止めた。
「第三記録……?」
アルベルトが反応する。
「どういうことだ?」
「分からない」
紙を読み進める。
『もし第零記録まで到達したなら、第三記録はすでに開かれているはずだ』
「……」
『だが、それだけでは足りない』
『第三記録に記された答えは、門を閉じる方法ではない』
『第七周期を終わらせる方法だ』
俺は紙を握りしめた。
「第七周期を……終わらせる?」
アルベルトが低く呟く。
「つまり」
ルナが続ける。
「世界を次の周期へ送らないということか?」
「たぶんな」
俺は読み進める。
『六回の世界は、すべて次の周期へ進んだ』
『それは世界を救ったのではない』
『ただ、世界の終わりを先送りしただけだ』
胸の奥が冷たくなる。
六回。
六回とも。
俺たちは世界を救ったつもりだった。
でも。
実際には。
ただ次へ押し出していただけなのか。
『第七周期では、それを止めろ』
『世界を残せ』
『彼女を残せ』
『お前自身を残せ』
俺は目を見開いた。
「……」
さっきの三つの選択肢。
その下に。
さらに一行あった。
『三つを選ぶな』
『三つとも残せ』
ミレイアが息を呑む。
「それって……」
「ああ」
俺は紙を見る。
これが。
俺たちが探していた答えなのか。
世界を残す。
ミレイアを残す。
自分を残す。
その全部を。
選ぶ。
けれど。
『そのためには』
文章が続いていた。
『門を閉じるのではなく』
そこで。
文字が途切れている。
「……またかよ」
俺は紙を裏返す。
何もない。
アルベルトが紙を受け取る。
「続きが焼けている」
「読めないのか?」
「無理だ」
「じゃあ、ここまで?」
「いや」
アルベルトは紙の端を指差した。
「この紙は、途中から破られている」
「破られた?」
「ああ」
「誰かが持ち去った?」
「そう考えるのが自然だ」
俺はため息を吐いた。
答えが見えたと思った瞬間。
また一つ足りない。
けれど。
今までとは少し違った。
初めて。
目指す方向が見えた。
世界を残す。
ミレイアを残す。
俺自身も残す。
その三つを。
全部。
「アルベルト」
「何だ?」
「中央地下施設に行くんだよな」
「ああ」
「第三記録があるんだろ?」
「そのはずだ」
「だったら」
俺は紙を折りたたむ。
「そこに行けば、続きが分かる」
「……そうだな」
「行こう」
アルベルトは頷いた。
「だが、その前に一つ確認したい」
「何?」
「今の記録を見て、お前はどう思った」
俺は少し考えた。
「分からない」
「正直だな」
「ただ」
俺はミレイアを見る。
「死ぬ必要がないかもしれないと思った」
ミレイアが目を見開く。
「レオンさん……」
「まだ方法は分からない」
「はい」
「でも、最初から俺が死ぬしかないって決めつける必要はない」
ミレイアは。
小さく頷いた。
「約束しましたから」
「ああ」
「一緒に決めるって」
「そうだな」
セレナが微笑む。
「じゃあ、行きましょう」
ルナも立ち上がる。
「時間がない」
俺は記録媒体を懐へしまった。
そして。
地下室の出口へ向かおうとした。
そのとき。
鏡の中に。
一瞬だけ。
何かが映った。
「……?」
俺は足を止める。
振り返る。
そこには。
誰もいない。
ただの黒い鏡。
「レオン?」
「いや……」
気のせいか。
そう思った。
けれど。
鏡の表面に。
一瞬だけ文字が浮かんでいた。
『残り四日』
俺は目を細める。
昨日。
地下施設で見たときは五日だった。
もう一日が過ぎた。
時間は。
確実に進んでいる。
「急ごう」
俺はそう言った。
地下室を出る。
階段を上り。
古い図書館へ戻る。
外へ出ると。
夜の王都が広がっていた。
街は相変わらず平穏だった。
店の明かり。
通りを歩く人。
遠くから聞こえる馬車。
誰も。
あと四日で何かが起こるなんて知らない。
この街の人間にとって。
明日も。
明後日も。
その先も。
普通に続くはずなのだ。
俺たちだけが。
その未来が保証されていないことを知っている。
「……レオン」
ミレイアが隣を歩く。
「何?」
「さっきの記録」
「ああ」
「一つだけ、気になることがあります」
「何?」
「第零記録を残したレオンさんは」
ミレイアは少し考えてから言った。
「どうして、私が生きているかどうかを知らなかったんでしょう」
俺は足を止めた。
「……確かに」
記録の声は。
ミレイアが生きているのか分からないと言っていた。
リゼリアが生きているのかも。
俺がどこにいるのかも。
つまり。
第零記録を残したレオンは。
俺たちとは違う場所にいた。
「選ばれなかった世界……」
俺が呟く。
ミレイアが頷く。
「はい」
「じゃあ、あの世界のレオンが残した記録なのか?」
「分かりません」
「俺もだ」
そのとき。
少し前を歩いていたアルベルトが振り返った。
「その考えは捨てるな」
「何?」
「だが、決めつけるな」
「……分かった」
「鏡の向こうにいた男が、必ずしも第零記録の記録者とは限らない」
「じゃあ、あいつは何なんだ?」
「それも第三記録を見れば分かるかもしれない」
また第三記録。
結局。
そこへ行くしかない。
俺たちは王都中央へ向かって歩き始めた。
しばらくすると。
セレナが口を開いた。
「アルベルトさん」
「何だ?」
「一つ聞いてもいいですか?」
「構わない」
「父は」
セレナが黒いペンダントを握る。
「第七周期のことを知っていたんでしょうか」
アルベルトはすぐには答えなかった。
「分からない」
「でも、地下施設のことを知っていた」
「それは間違いない」
「じゃあ、どうして私にこの石を渡したんでしょう」
セレナの声が少し震えた。
「三年前に死んだ父が」
「……」
「どうして、今になって私たちをここまで導いているんでしょう」
俺もそのことを考えていた。
セレナの父親。
黒い石。
王都地下。
古代施設。
そして。
今、第七周期。
全部がどこかで繋がっている。
「たぶん」
俺は言った。
「お前の父親も、何かを知ってた」
「はい」
「でも、全部は知らなかったんじゃないか」
「どうして?」
「俺たちだって、まだ何も分かってないから」
セレナが少し笑った。
「確かに」
それから。
しばらく誰も話さなかった。
王都中央へ続く道を歩く。
夜風が少し冷たい。
空を見上げる。
星が見えた。
昨日までなら。
綺麗だと思ったかもしれない。
でも。
今は。
あの星空の向こうにも。
別の世界があるのではないか。
そんなことを考えてしまう。
そして。
その世界には。
俺と同じ俺がいる。
生きているリゼリアがいる。
滅んでいない王都がある。
選ばれなかった世界。
それが本当に存在するなら。
俺たちは。
今まで何を「選んできた」のだろう。
何を捨てて。
何を残して。
ここまで来たのだろう。
答えは。
まだ分からない。
けれど。
一つだけ。
俺はもう決めていた。
勝手に死ぬことはしない。
勝手に誰かを殺すこともしない。
そして。
世界か。
ミレイアか。
自分か。
その三つから一つだけを選ぶこともしない。
全部を残す。
その方法を探す。
たとえ。
今まで一度も成功していなかったとしても。
七回目くらい。
違う答えを選んでもいいはずだ。
俺たちは。
王都中央へ向かって歩き続けた。
その先にある。
第三記録を求めて。
そして。
誰もまだ知らない。
選ばれなかった世界の向こう側で。
一人のレオンが。
こちらと同じ夜空を見上げていたことを。
『第七周期のお前へ』
誰にも届かない声で。
彼は呟いた。
『今度こそ、俺たちを選べ』
その言葉だけが。
暗い世界の中に。
静かに残った。




