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第十八話 第三記録


 王都中央へ続く階段を、俺たちは無言で上っていた。


 地下施設を出てから、まだそれほど時間は経っていない。


 けれど、地上へ近づくほど、さっきまでとは違う緊張が身体にまとわりついてくる。


 地上では何も起きていないように見える。


 街の明かりも消えていない。


 人の声も聞こえる。


 それでも。


 この世界のどこかで、確実に何かが進んでいる。


「……レオン」


 前を歩いていたアルベルトが足を止めた。


「どうした?」


「お前は、さっきの話をどう思っている」


「リゼリアのことか?」


「ああ」


 俺は少し考える。


「まだ分からない」


「そうか」


「ただ、一つだけ分かったことはある」


「何だ?」


 俺は自分の手を見る。


「俺が今まで信じていた記憶は、全部が本物とは限らない」


 アルベルトは何も言わなかった。


 それは肯定だった。


「だったら、三百年前に俺が何をしたのかも分からない」


「そうだ」


「ミレイアとの関係も」


「そうだ」


「リゼリアとの関係も」


「……そうだ」


 アルベルトの返事は、いつもより重かった。


「なら、第三記録を見れば全部分かるのか?」


「全部ではない」


「じゃあ何が分かる?」


 アルベルトは振り返る。


「お前が、なぜ第七周期へ送られたのか」


「……」


「そして」


 その目が、俺をまっすぐ捉える。


「なぜ今回だけ、記憶が戻り始めているのか」


 俺は足を止めた。


「今回だけ?」


「ああ」


「過去の六回は違ったのか?」


「違う」


 アルベルトは淡々と答える。


「過去の六回で、お前が第七周期の情報を取り戻すことはなかった」


「じゃあ、今までの俺は?」


「何も知らないまま、同じ結末へ進んだ」


「……」


 胸の奥が重くなる。


 六回。


 六回も同じ世界を生きて。


 六回とも同じ場所へ辿り着いた。


 なのに。


 今回だけが違う。


「何が変わった?」


 アルベルトは答えなかった。


 代わりに、俺の隣にいるミレイアを見る。


 ミレイアも、その視線の意味に気づいたらしい。


「私ですか?」


「ああ」


「私が何かしたんですか?」


「したというより」


 アルベルトは少しだけ言葉を選んだ。


「お前が、ここにいる」


「……」


「それが一番大きい」


 ミレイアが困惑したように俺を見る。


 俺も答えられなかった。


 そのとき。


 階段の先から、地上の光が見えた。


「出口だ」


 ルナが呟く。


 俺たちは階段を上りきり、王都の通りへ出た。


 夜の王都は、いつもと変わらなかった。


 商店の明かり。


 行き交う人々。


 遠くから聞こえる馬車の音。


 昨日までなら、それを見て安心していたかもしれない。


 けれど今は。


 この平穏そのものが、偽物に見えてしまう。


「……静かすぎる」


 セレナが周囲を見回す。


「何が?」


「王都がです」


 セレナは黒いペンダントに触れた。


「父が言っていました。王都が静かなときほど、地下では何かが起きているって」


「父親が?」


「はい」


 セレナは小さく頷いた。


「昔は意味が分かりませんでしたけど」


 彼女は王城を見る。


「今なら少し分かる気がします」


 王城。


 その地下には、古代施設がある。


 門がある。


 そして。


 俺たちが知らない何かが眠っている。


「中央地下施設までは?」


 俺が尋ねると、アルベルトは懐から古い地図を取り出した。


「ここからなら一時間ほどだ」


「そんなに近いのか?」


「地下施設は王城の真下にある」


「じゃあ、王城へ入るのか?」


「いや」


 アルベルトが地図の一点を指差した。


「ここだ」


 そこには王城から少し離れた場所に、小さな建物が記されていた。


「何だ、これ?」


「旧王立図書館」


「図書館?」


「ああ」


 アルベルトは地図を畳む。


「第三記録は、そこに隠してある」


 俺たちはすぐに移動を始めた。


 旧王立図書館は、王都の中心から少し外れた場所にあった。


 建物そのものは古く、現在は使われていないらしい。


 扉を開けると、埃の匂いが鼻についた。


「ここに本当にあるのか?」


「ある」


「何でそんな場所に?」


「王が探しても見つけられない場所だからだ」


 アルベルトは迷うことなく奥へ進んでいく。


 俺たちもその後を追った。


 やがて。


 アルベルトが一冊の本を棚から抜き取った。


 何の変哲もない古い本だった。


 だが。


 その瞬間。


 地下から、小さな音が響いた。


 カチッ。


「……」


 棚の奥がゆっくり動く。


 隠し扉だった。


「やっぱりここか」


 アルベルトが呟く。


「知ってたのか?」


「当然だ」


「じゃあ最初からここに来ればよかったんじゃないか?」


「王都に戻る必要があった」


「何のために?」


「お前の記憶を呼び起こすためだ」


「……」


 俺はアルベルトを見る。


「どういう意味だ?」


「地下施設でリゼリアに会う必要があった」


「なぜ?」


「お前が、彼女の声を聞く必要があったからだ」


「それが記憶を戻すため?」


「ああ」


 アルベルトは扉を開いた。


「第三記録を見るには、今のお前でなければならない」


 地下へ続く階段が現れる。


 俺たちは慎重に下りていった。


 階段の先には、小さな部屋があった。


 中央に机がある。


 その上には。


 一つの黒い箱が置かれていた。


「これが?」


「ああ」


 アルベルトが近づく。


 しかし。


 箱には鍵がなかった。


 代わりに。


 中央に小さな鏡が埋め込まれている。


「レオン」


「分かってる」


 俺は鏡に手を伸ばした。


 触れた瞬間。


 鏡の表面に波紋が広がった。


 そして。


 黒い文字が浮かび上がる。


『反射能力者を確認』


 続いて。


『第七周期』


『記憶照合』


『個体番号――』


 そこで文字が止まった。


「個体番号?」


 セレナが呟く。


 次の瞬間。


『一致しません』


「……え?」


 ミレイアが声を漏らした。


『照合対象』


『レオン・アーデル』


『不一致』


 俺は眉をひそめる。


「俺じゃない?」


 その直後。


 文字が一気に変わった。


『訂正』


『対象はレオン・アーデルではない』


 部屋の空気が凍った。


「何を言ってるんだ?」


 俺は鏡を睨む。


 だが。


 次に現れた文字を見て。


 言葉を失った。


『対象名』


『レオン』


『世界番号――』


 その数字だけが。


 何度も書き換わっていく。


『第七』


『第六』


『第五』


『第四』


『第三』


『第二』


『第一』


 そして。


『該当なし』


 鏡が暗くなった。


「……」


 誰も動かなかった。


 アルベルトだけが。


 静かに息を吐いた。


「やはりな」


「何が、やはりなんだ」


「お前は一人じゃない」


「……」


「正確には」


 アルベルトは黒い箱を見る。


「お前という存在そのものが、一つの個体ではない」


 俺の背筋に寒気が走った。


「どういうことだ?」


「第三記録を開ければ分かる」


「だったら早く開けろ」


 アルベルトは首を振った。


「私には開けられない」


「何?」


「これは、お前が選ばなければ開かない」


「また選択か」


 俺が呟く。


 すると。


 箱の上に文字が浮かんだ。


『選択してください』


 その下に。


 三つの言葉が現れる。


『世界を残す』


『ミレイアを残す』


『自分を残す』


「……」


 俺は目を細めた。


「何だよ、これ」


 ミレイアが不安そうに俺を見る。


「レオンさん……」


 俺は答えなかった。


 この三つは。


 今の俺が考えていたものと同じだった。


 世界。


 ミレイア。


 自分。


 まるで。


 最初から俺の考えを知っていたように。


「これを選べば第三記録が開くのか?」


「おそらくな」


「どれを?」


「私には分からない」


「アルベルト」


「これは第七周期のために作られたものだ」


 アルベルトは言った。


「だから、答えを持っているのはお前だけだ」


 俺は三つの文字を見る。


 世界を残す。


 ミレイアを残す。


 自分を残す。


 どれか一つを選べという。


 けれど。


「……全部残したい」


 俺が呟くと。


 鏡が一瞬だけ光った。


 そして。


『選択を拒否しました』


 と表示された。


「……」


 セレナが驚いた顔をする。


「拒否?」


「選ばなかったってことか?」


 ルナが尋ねる。


 その瞬間。


 地下室全体に、声が響いた。


『正解』


「……!」


 俺たち全員が振り返る。


 誰もいない。


 それでも。


 声だけは確かに聞こえた。


『それが、今までの世界になかった選択です』


 俺の心臓が強く鳴った。


「誰だ?」


『あなたです』


「俺?」


『正確には』


 声が続く。


『選ばれなかった世界のあなた』


 その言葉を聞いた瞬間。


 鏡が割れた。


 いや。


 割れたように見えただけだった。


 鏡の向こうに。


 一つの世界が映った。


 王都。


 青い空。


 燃えていない街。


 人々が普通に暮らしている。


 そして。


 その街の中央に。


 一人の男が立っていた。


 俺だった。


「……」


 だが。


 その俺は。


 こちらを見ていなかった。


 隣にいた少女を見ている。


 銀色の髪。


 白い服。


「リゼリア……?」


 ミレイアが呟く。


 違う。


 あれは。


 リゼリアだ。


 俺たちのいる世界とは違う。


 滅んでいない王都。


 死んでいないリゼリア。


 そして。


 その世界の俺は。


 誰も殺していなかった。


「こんな世界が……」


 セレナが息を呑む。


 アルベルトは。


 ただ静かに鏡を見ていた。


「これが」


 アルベルトが呟く。


「選ばれなかった世界だ」


「選ばれなかった?」


「ああ」


「何を選ばなかった?」


 アルベルトは答えなかった。


 代わりに。


 鏡の中の俺が。


 こちらを向いた。


 目が合った。


「……!」


 俺は反射的に一歩下がる。


 鏡の中の俺は。


 ゆっくり口を開いた。


『やっと見つけた』


 声は。


 俺自身のものだった。


『第七周期のお前』


 俺は息を呑む。


「お前は誰だ」


 鏡の中の俺は。


 少しだけ笑った。


『俺は』


 その瞬間。


 鏡の向こうで。


 リゼリアが俺の隣に立った。


 そして。


『お前が選ばなかった世界のレオンだ』


 そう言った。


 黒い箱が。


 初めて音を立てて開いた。


 中に入っていたのは。


 一枚の記録媒体だった。


 そして。


 その表面には。


 たった一つの文字が刻まれていた。


『第零記録』


 俺は。


 その文字を見つめた。


 アルベルトの顔から。


 初めて余裕が消えた。


「……そんなものが」


「知ってるのか?」


 俺が尋ねる。


 アルベルトは。


 しばらく黙っていた。


 そして。


「第零記録は存在しない」


「じゃあ、これは何だ?」


「存在してはいけない記録だ」


 その瞬間。


 鏡の向こうから。


 もう一人の俺の声が響いた。


『だから俺は』


 その声は。


 どこか寂しそうだった。


『六回とも、お前に選ばれなかった』


 俺は。


 言葉を失った。


 そして。


 鏡の向こうの世界で。


 リゼリアが静かに笑った。


『今度は』


『お前が、どちらを選ぶ番だ』

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