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第十七話 選ばれなかった世界

地下施設の奥で、何かが目を覚ました。


 その感覚は、音として聞こえたわけではない。


 ただ、空気が変わった。


 長い間眠っていた何かが、こちらの存在に気づいたような。


 そんな不気味な感覚だった。


「……今のは何だ?」


 ルナが剣を構えたまま、周囲を見回す。


 アルベルトも、険しい表情で地下の奥を見つめていた。


「ここに長居するのは危険だ」


「何が起きてる?」


「この施設そのものが起動している」


「起動?」


「ああ。三百年前に止めたはずの術式が、今になって動き始めている」


 アルベルトが壁へ近づく。


 そこには、さっきまで存在しなかった魔法陣が浮かび上がっていた。


 複雑に絡み合った線の中心には、三つの紋章がある。


 アーデル。


 エルネスト。


 そして、レオン。


「俺たちが来たからか?」


「それだけじゃない」


「じゃあ何が原因だ?」


 アルベルトは答える前に、ミレイアを見た。


「彼女だ」


「……私?」


「君が、この場所に近づいたからだ」


 ミレイアが不安そうに自分の胸元へ手を当てる。


「私に、何かあるんですか?」


「ある」


 アルベルトの返事は迷いがなかった。


「君の魂には、第六周期の記憶だけじゃない。もっと古いものが残っている」


「もっと古い?」


「第六周期より前の記憶だ」


 俺は思わずミレイアを見る。


「でも、昨日の記録には六周期分の記憶が封印されていたって」


「それはレオンの話だ」


 アルベルトは首を振る。


「ミレイアは違う」


「どう違う?」


「彼女は、最初からこの世界の人間ではない」


「……」


 ミレイアの顔が固まった。


「どういう意味ですか?」


「そのままの意味だ」


 アルベルトは淡々と続ける。


「君はこの世界で生まれた人間だ。だが、君の魂が最初に生まれた場所は、この世界ではない」


「……」


「だから門が君を認識する」


 その瞬間。


 地下の奥から、低い音が響いた。


 ズン――。


 壁に浮かんでいた魔法陣が一斉に輝く。


「っ!」


 ミレイアがよろめいた。


 俺は反射的に彼女の腕を掴む。


「大丈夫か?」


「はい……でも」


 ミレイアは苦しそうに眉を寄せた。


「頭の中に、知らない声が……」


「何て言ってる?」


「……分かりません」


 彼女は目を閉じる。


「ただ、誰かが私を呼んでいます」


「誰だ?」


「それが……」


 ミレイアが目を開く。


 その瞳には、明らかな恐怖が浮かんでいた。


「私自身の声なんです」


「……」


 誰も言葉を返せなかった。


 アルベルトだけが、静かに目を伏せる。


「やはり始まったか」


「何が始まった?」


「記憶の共鳴だ」


 アルベルトが答える。


「お前とミレイア。二人の魂が近くにいることで、封印されていた記憶が互いを呼び起こしている」


「だから俺も、さっきから……」


「ああ」


 アルベルトは頷いた。


「お前が見ている記憶の一部は、ミレイアの記憶でもある」


「……」


 俺はミレイアを見る。


 彼女も俺を見ていた。


 何かを言おうとして。


 けれど、言葉にならない。


 そのときだった。


 地下施設の奥から。


 コツ。


 コツ。


 と、足音が聞こえた。


「……誰かいる」


 ルナが剣を握り直す。


 アルベルトがすぐに手を上げた。


「戦うな」


「でも」


「今の王都で、この音を立てられるのは一つしかない」


 アルベルトの顔が強張る。


「門の向こう側だ」


 足音が近づいてくる。


 一歩。


 また一歩。


 やがて。


 暗闇の奥から、一人の少女が姿を現した。


「……!」


 俺は息を呑んだ。


 銀色の髪。


 白い服。


 地下施設で何度も見た少女と同じ姿だった。


 ただし。


 今度は鏡の中ではない。


 目の前にいる。


 確かに。


 この場所に立っている。


「ミレイア……?」


 俺の口から名前が漏れた。


 少女は。


 ゆっくり顔を上げた。


「……違う」


 ミレイアが呟く。


「私じゃありません」


「分かってる」


 俺も分かっていた。


 目の前の少女は、今のミレイアとは違う。


 顔立ちはよく似ている。


 声も似ている。


 けれど。


 決定的に違う何かがあった。


 少女が俺を見る。


 その目に浮かんでいたのは。


 悲しみだった。


「……レオン」


 その声を聞いた瞬間。


 頭の中に、記憶が流れ込んだ。


 白い部屋。


 巨大な魔法陣。


 その中央に立つ少女。


 そして。


 その前に立つ三百年前の俺。


『これで最後です』


『……ああ』


『本当に、私を置いていくんですね』


『そうするしかない』


『また同じことになるかもしれません』


『ならない』


『どうして言い切れるんですか?』


『次は、俺がいないからだ』


「……!」


 視界が戻る。


 俺はその場に膝をついた。


「レオンさん!」


 ミレイアが駆け寄ってくる。


「大丈夫ですか?」


「ああ……」


 俺は額を押さえながら、目の前の少女を見る。


「お前は……誰だ?」


 少女は答えない。


 代わりに、アルベルトを見る。


「……久しぶりですね」


「そうだな」


 アルベルトが静かに答える。


「生きていたのか」


「あなたもでしょう」


「私は死ねなかっただけだ」


「私も同じです」


 その会話を聞いて。


 俺は立ち上がった。


「アルベルト」


「何だ」


「こいつは誰だ?」


 アルベルトは、少し迷ってから口を開いた。


「彼女の名前は、リゼリア」


「リゼリア……」


「第六周期より前から、この世界の記録に存在している」


 少女が俺を見る。


「そして」


 アルベルトが続ける。


「お前が初めて世界を壊したとき、最後までお前のそばにいた人間だ」


「……」


 少女――リゼリアは。


 悲しそうに笑った。


「私は、あなたをずっと待っていました」


「俺を?」


「はい」


「何のために?」


 リゼリアは答えなかった。


 ただ、俺の後ろにいるミレイアを見る。


「彼女は」


「……」


「まだ何も知らないのですね」


 ミレイアが一歩前へ出る。


「私に何かあるんですか?」


「あります」


 リゼリアはミレイアを見つめる。


「あなたは、私ではありません」


「……」


「けれど」


 その瞳に涙が浮かんだ。


「私と同じものを持っています」


 ミレイアの表情が変わる。


「何を?」


「あなたの魂の中に」


 リゼリアは、自分の胸へ手を当てた。


「私の記憶が残っています」


「……!」


 ミレイアが息を呑む。


「どうして?」


「それが、第六周期を終わらせるために必要だったからです」


「第六周期を?」


「はい」


 リゼリアが俺を見る。


「あなたは、私を殺しました」


 俺の身体が固まった。


「……俺が?」


「はい」


「でも、アルベルトは――」


「第六周期の記録では、あなたはミレイアを殺していない」


 リゼリアが言う。


「それは正しいです」


「……」


「あなたが殺したのは、私です」


 地下施設が静まり返った。


「……どういうことだ」


「三百年前」


 リゼリアは静かに語り始めた。


「あなたは、王都を滅ぼす前に一人の人間を殺しました」


「誰を?」


「私です」


「なぜ?」


「私が、門を開こうとしたからです」


 俺は言葉を失った。


 アルベルトが目を閉じる。


「だから言っただろう」


「……」


「第六周期の記録は、半分が改竄されている」


 リゼリアが続ける。


「私は門を開こうとしました」


「どうして?」


「世界を救うためです」


「……」


「あなたも同じでした」


 俺を見る。


「あなたは世界を救うために、私を殺した」


「だったら」


 俺は混乱したまま問いかける。


「なぜ俺は王都まで滅ぼした?」


「私を殺しただけでは、門は閉じなかったからです」


「……」


「門を閉じるには」


 リゼリアは、ゆっくりと言った。


「王都にある全ての魔力を消す必要があった」


 昨日の記録と同じだった。


 王都を滅ぼした。


 門を閉じるために。


 だが。


「待て」


 俺は気づいた。


「じゃあ、三百年前の記録にあった『ミレイアを殺そうとした』っていうのは?」


「それは」


 リゼリアがミレイアを見る。


「彼女の中に私の魂が残っていたからです」


「……!」


「あなたが殺そうとしたのは、ミレイアではありません」


 リゼリアが言う。


「私です」


 その瞬間。


 俺の中で、いくつもの記憶が一つに繋がった。


 炎の王都。


 銀髪の少女。


 俺が手を離した瞬間。


 そして。


 ミレイア。


 全部が重なる。


「じゃあ……」


 俺はミレイアを見る。


「お前の中に、リゼリアの魂がある?」


「分かりません」


 ミレイア自身も困惑していた。


「私には何も……」


「まだ完全には目覚めていない」


 リゼリアが言った。


「だから、あなたは今のミレイアとして存在していられる」


「完全に目覚めたら?」


 ルナが尋ねる。


 リゼリアは答えなかった。


 代わりに。


「この世界が終わります」


 そう言った。


「……」


「七日後」


 リゼリアの声が静かに響く。


「門が完全に開いたとき、ミレイアの中に眠っている私の魂が目覚める」


「それが世界の終わり?」


「違います」


 リゼリアは首を振る。


「世界が次の周期へ移るだけです」


「……」


「今までと同じように」


 俺は拳を握った。


「じゃあ、六回とも」


「はい」


「ミレイアの中で、お前が目覚めた?」


「そうです」


「そのたびに俺は……」


「私を殺しました」


「……」


「そして」


 リゼリアの目が悲しそうに細められる。


「世界を壊しました」


 俺は何も言えなかった。


 六回。


 同じことを繰り返している。


 世界が崩壊する。


 俺がミレイアを守ろうとする。


 その結果。


 世界そのものが次の周期へ移行する。


 なら。


 俺が七回目で選ばなければならないものは。


 ミレイアでも。


 世界でもない。


「リゼリア」


「はい」


「お前は、何を望んでる?」


 少女は、少しだけ驚いたような顔をした。


「私の望みですか?」


「ああ」


「……私は」


 長い沈黙のあと。


 彼女は答えた。


「終わりたい」


「……」


「もう、何度も繰り返したくありません」


 その言葉には。


 疲れ切った人間のような響きがあった。


「六回」


 リゼリアは呟く。


「六回、あなたに殺されました」


「……」


「六回、あなたは私を守ろうとしました」


「……」


「六回、世界は壊れました」


 そして。


「だから七回目だけは」


 彼女は俺を見る。


「私を殺さないでください」


 ミレイアが。


 小さく息を呑んだ。


「……え?」


 俺も。


 その言葉の意味が分からなかった。


「殺さない?」


「はい」


「でも、それじゃ門は閉じられない」


「閉じる方法はあります」


「何だ?」


 リゼリアは。


 俺をまっすぐ見つめた。


「あなたが死ぬことです」


「……」


 空気が止まった。


「門を閉じる最後の鍵は」


 リゼリアが言う。


「レオン・アーデル自身です」


「俺が死ねば、門が閉じる?」


「はい」


「それなら」


 俺は考える。


「それで世界は残るのか?」


「残ります」


「ミレイアは?」


「生き残ります」


「……」


 これなら。


 全部解決する。


 俺が死ぬ。


 門が閉じる。


 世界は残る。


 ミレイアも生きる。


 それなら。


 七日後。


 俺が死ねばいい。


「レオンさん」


 ミレイアの声が聞こえた。


「その顔、やめてください」


「……何が?」


「何か一人で決めようとしてます」


「そんなこと――」


「嘘です」


 ミレイアが俺を見る。


 その目には、涙が浮かんでいた。


「私は」


 彼女は震える声で言う。


「また置いていかれるのは嫌です」


 その瞬間。


 胸の奥で。


 何かが強く痛んだ。


 まるで。


 遠い昔にも。


 同じ言葉を聞いたことがあるように。


『私を置いていかないで』


 俺は目を閉じる。


 そして。


 ようやく理解した。


 三百年前。


 俺が手を離した理由。


 あれは。


 ミレイアを捨てたわけではなかった。


 彼女を生かすためだった。


 けれど。


 その結果。


 何度も世界を繰り返した。


 俺は。


 また同じことをしようとしている。


 自分一人で答えを決めて。


 ミレイアを置いていこうとしている。


「……違うな」


 俺は呟いた。


「何がですか?」


「三百年前と同じことをするところだった」


 俺はミレイアを見る。


「俺一人で決めようとしてた」


「……」


「今回は」


 俺は。


 ミレイアの手を取った。


「一緒に決めよう」


 ミレイアの目が大きく開く。


「レオンさん……」


「世界を残す方法も」


 俺はリゼリアを見る。


「お前を終わらせる方法も」


 そして。


「俺が死なずに済む方法も」


 リゼリアは。


 少しだけ目を細めた。


「……そんな方法があると思いますか?」


「分からない」


 俺は答えた。


「でも」


 握った手に力を込める。


「七日ある」


 アルベルトが。


 小さく笑った。


「それでこそ、第七周期だ」


「何がおかしい?」


「三百年前のお前は、最初から一人で答えを出した」


「……」


「だが今のお前は違う」


 アルベルトは。


 俺たち三人を見た。


「それが、今までの六回と違うところだ」


 そのとき。


 地下施設の奥から。


 再び大きな音が響いた。


 ズン――。


 壁に刻まれた文字が、一斉に赤く染まる。


『残り五日』


「……!」


 セレナが息を呑む。


「もう一日……」


 昨日から今日。


 そして。


 六日目から五日目へ。


 時間は待ってくれない。


 アルベルトが立ち上がる。


「急ぐぞ」


「どこへ?」


「王都中央地下施設だ」


「また戻るのか?」


「ああ」


 アルベルトは、リゼリアを見る。


「門が完全に起動する前に、中央施設にある『第三記録』を回収する」


「第三記録?」


「第七周期のために、私が残した最後の記録だ」


 俺は眉をひそめる。


「それに何が書いてある?」


 アルベルトは。


 少しだけ笑った。


「お前が死なずに、門を閉じるための方法だ」


 俺は立ち上がった。


 ミレイアも。


 セレナも。


 ルナも。


 それぞれ武器や荷物を整える。


 リゼリアだけが。


 その場に残っていた。


「お前は?」


 俺が聞く。


「私はここに残ります」


「なぜ?」


「私が中央へ行けば、門の起動が早まります」


「……」


「だから」


 リゼリアは微笑んだ。


「七日目まで、ここで待っています」


「七日目?」


「はい」


「何を?」


 リゼリアは。


 少しだけ寂しそうに笑った。


「あなたが、本当の答えを見つけるのを」


 俺は。


 彼女を見つめた。


 そして。


 地下施設を出るために歩き始める。


 ミレイアが隣へ並んだ。


「レオンさん」


「ん?」


「さっき」


「何?」


「一緒に決めるって言いましたよね」


「ああ」


「約束ですよ」


 ミレイアは。


 小さく笑った。


「勝手に死ぬのは禁止です」


「……分かった」


「本当に?」


「本当に」


「なら、信じます」


 俺は。


 その言葉を聞きながら。


 地下施設の出口を見上げた。


 残り五日。


 俺たちはまだ。


 門を閉じる方法も。


 リゼリアの正体も。


 六回の世界で何が起きたのかも。


 完全には分かっていない。


 それでも。


 今までとは一つだけ違う。


 三百年前の俺は。


 一人で答えを選んだ。


 六回の俺も。


 一人で答えを選んだ。


 なら。


 第七周期の俺は。


 一人で選ばない。


 王都を守る。


 ミレイアを守る。


 リゼリアを終わらせる。


 そして。


 自分自身も失わない。


 そんな都合のいい答えが存在するのかは分からない。


 それでも。


 残された五日間で。


 俺たちはそれを探す。


 地上へ戻る階段を上がりながら、俺はふと後ろを振り返った。


 暗闇の奥。


 リゼリアはまだ、そこに立っていた。


 そして。


 俺にしか聞こえない声で。


『今度こそ』


 そう呟いた。


『私を、選ばないでください』


 俺は。


 その言葉の意味を。


 まだ理解していなかった。

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