115話 店先で
閉店まで、まだ少し時間がある頃だった。
店の中は相変わらず慌ただしい。お客さんの対応をして、少し手が空いたら裏へ行き、また呼ばれたら店先へ戻る。その繰り返しで、今日はほとんど座っていない気がする。
「こちらは足用石鹸になります。普通の石鹸より少し洗浄力が強めなので、足専用で使ってくださいね」
「へえ、足専用なんてあるのね」
「はい。こちらに使い方を書いた紙も入れてますので、ご自宅でも確認できます」
商品を紙袋へ入れながら説明し、会計を済ませる。お客さんを見送って、次の商品を補充しようとしたところで、また入口のベルが鳴った。
「いらっしゃいませ」
入ってきたのは、見慣れない男性だった。
三十歳手前くらいだろうか。背筋がすっと伸びていて、服装もきちんとしている。髪も乱れなく整えられていて、眼鏡の奥の目は落ち着いていた。
なんというか。
ものすごく仕事ができそう。
石鹸を買いに来る男性のお客さんが珍しいわけではないけれど、店に入ってきた瞬間から周りをよく見ている感じがして、少しだけ印象に残った。
「何かお探しですか?」
「いえ。初めてなので、少し見せてもらっても?」
「もちろんです。ごゆっくりどうぞ」
そう答えると、男性は棚を一つずつ見ていった。商品そのものだけじゃなく、置いてある説明書きや包装まで丁寧に見ている。
ずいぶん熱心に見る人だな。
私はまた別のお客さんに呼ばれて、そちらへ向かった。
「この二つは何が違うの?」
「こちらはシャボンノアです。体全体に使っていただけますし、簡単な洗い物なんかにも使えますよ」
「こっちは?」
「こちらはフィオラ石鹸です。使い心地はシャボンノアと似ていますけど、香りを楽しみたい方向けですね」
説明しながら商品を手渡し、途中で裏へ行って在庫を確認する。戻ってきたところで、さっきの男性が液体石鹸の棚を見ているのが目に入った。
「そちら、気になりますか?」
「はい。これは固形ではないんですね」
「液体石鹸です。髪用に作ってあります」
私は隣に置いてある専用ボトルを示した。
「こちらの液体石鹸専用ボトルに入れて使っていただくのがおすすめです」
「専用の?」
「はい。上から補充して、下を押すと一回分だけ出るようになってるんです。あちらで試せますよ」
試用できる場所を示すと、男性は興味深そうにそちらへ目を向けた。
「容器まで一緒に売っているんですね」
「はい。液体石鹸はこのボトルで使うのが一番便利だと思ってます」
男性は実際にボトルを押し、出てくる量や仕組みを確かめるように見ていた。
「なるほど。毎回同じくらい出るんですね」
「そうなんです。出しすぎにくいようにしてあります」
そう答えると、男性が少しだけ笑った。
その後も店は忙しく、私は何度も店先と裏を行き来した。お客さんに呼ばれれば説明し、会計をして、手が空けば商品の補充や在庫の確認をする。
さっきの男性は、その間も店内をゆっくり見ていた。
商品を見るだけじゃなく、お客さんがどんなものを手に取るのか、私やノエルがどう接客しているのかまで見ているような気がする。
でも、別に嫌な感じはしない。
ただ、よく見ている人なんだろう。
気づけば閉店時間も近づいていた。
最後のお客さんを見送り、店内を見ると、残っているのはあの男性だけだった。
「お待たせしてしまってすいません。もうすぐ閉店なんですけど、どれか気に入ったものはありましたか?」
「いえ、こちらこそ。長居してしまってすみません」
「大丈夫ですよ。気になるものがあれば、もう少し説明しますけど」
「そうですね」
男性が棚へ視線を向けた、その時。
入口のベルが鳴った。
「こんばんは」
「あ、シリルさん」
入ってきたシリルさんを見て、私は自然と笑った。
「ちょうどもうすぐ閉店です」
「そうですか」
シリルさんはそう答えたあと、私ではなく、店に残っていた男性へ視線を向けた。
「……レックスさん」
「どうも」
「え?」
私は二人を交互に見る。
シリルさんが少しだけ眉を寄せた。
「早いですね」
「そうですか?」
「閉店後に来てもらう話だったと思いますけど」
「時間を間違えたんじゃないですかね」
「……わざとですよね」
「何のことでしょう」
男性――レックスさんが、何でもない顔で答える。
私はそこでようやく意味が分かった。
「えっ。この方がレックスさんだったんですか?」
「はい」
シリルさんが頷く。
「昨日話していた、紹介したい人です」
「あ、そうだったんですね!」
私は思わずレックスさんを見る。
道理で。
身なりもきちんとしているし、ずっと店の中をよく見ていたから、普通に石鹸を買いに来た人にしては少し珍しいなと思っていた。
「あなたがレックスさんだったんですね。気づかず普通に接客してしまって、すいません」
「いえ。むしろ、その方がよかったです」
「え?」
「店の様子も見られましたし」
「そうだったんですね」
私は少しだけ納得して、レックスさんを見る。
なんだか掴みにくい人だ。
「少し片付けしますので、もう少しだけ待ってもらってもいいですか?」
「もちろんです」
「すぐ終わらせますね」
私はそう言って片付けに戻った。
ノエルが商品を整えていたので、そちらへ向かうと、すぐにそっと近づいてくる。
「あの人が、シリルさんの紹介の人だったんすか?」
声を潜めて聞いてきた。
「そうだったみたい」
「全然気づかなかったっす」
「私も」
二人でちらっとレックスさんを見る。
「なんか、すごく落ち着いた人だよね」
「そうっすね」
ノエルももう一度ちらっと見てから、また手元の片付けに戻った。
私も残っていた仕事を片付け、閉店の準備を終える。ノエルや製造を手伝いに来てもらっている人にも帰ってもらうことにした。
「お疲れ様でした」
「お疲れ様っす!」
扉が閉まり、さっきまで人の出入りが続いていた店の中が急に静かになる。
残っているのは、私とシリルさんとレックスさんだけ。
私は店の中にある小さなテーブルを整え、椅子を三つ用意した。
「じゃあ、こちらでお話しましょうか」
「お願いします」
私が座ると、レックスさんも向かいに腰を下ろす。シリルさんは少し横の席に座った。
改めて向かい合ってみても、やっぱり仕事ができそうな人だと思う。
眼鏡の奥の目は穏やかだけど、さっきまで店の様子を見ていた視線を思い出すと、ただおとなしい人というわけでもなさそうだ。
私は少しだけ姿勢を正した。
「改めまして。シャボンノアの店主をしています、ノアです」
「レックスと申します。シリル様よりお話をいただきました」
「今日はよろしくお願いします」
「こちらこそ」
そう答えながら、少しだけ緊張してきた。
これって。
私がこの人を面接するんだよね。
……なんか急に責任重大な気がしてきた。




