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名前を忘れた私ですが、たぶん異世界で石鹸屋をはじめます。〜いい人しかいないんですが、罠ですか?〜  作者: まの月


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111/118

111話 サラサラとしたい

 その日の夜。ベッドに入ったものの、なかなか眠る気になれなかった。目が冴えているというより、考えることが多すぎる。


 王都でのシャボンノア販売。今日の話で大まかな流れは決まったけれど、実際に始めるとなれば、まだまだ準備することは山ほどある。最初に置く商品の種類と数、売り場の飾り付け、説明書き。販売員さんへの研修もあるし、最初の商品陳列は私自身が王都へ行ってやるつもりだ。


 それから、小さなアラボン。リディアさんに少しずつ作ってもらえることになったけど、王都の売り場に飾ったら絶対かわいいと思う。


 枕に頭を預けたまま、ぼんやり天井を見つめる。


 あとは――シリルさんのお家。


 今日、ライネルさんに一度遊びに来てくださいと言われた。家族も私に会いたがっているらしい。


「……彼氏の家」


 ぽつりと口に出した瞬間、なんだか急に恥ずかしくなった。


 彼氏の家に行って、彼氏の家族に会う。


 なんというか、ものすごく恋人っぽい。


 いや、恋人なんだけど。


 私は布団を鼻の辺りまで引き上げた。そういえば、一緒に住むかなんて話までされたんだった。まだ何も決めてないけど、家や土地を見に行く話にはなっている。


 付き合い始めたばっかりなのに、なんでこんなに一気に進んでるんだろう。


 ……シリルさん、最近ちょっと積極的すぎない?


 そう思ったところで、不意に別のことまで思い出した。


 髪。


 耳の後ろあたりから一房すくわれて、指先がするりと毛先まで滑っていった、あの感触。


「…………」


 私は無意識に自分の髪を一房つまみ、指にくるくると巻きつけた。ほどいて、また巻く。


 私が作った液体石鹸を使うようになってから、髪のきしみはかなりましになった。普通の石鹸で洗っていた頃とは全然違うし、洗い上がりもずいぶん良くなっている。


 でも、なんというか。


「……これじゃないんだよなぁ」


 もっとこう、するんとして、さらさらで。指を通した時に引っかからなくて、思わずもう一度触りたくなるような。


 そんな髪だったら――。


 シリルさんも、もっと触ってくれるかな。


 そこまで考えたところで、指に巻きつけていた髪が止まった。


「…………」


 今、私、何考えた?


 もっと触ってほしい?


「……っ!」


 私は勢いよく布団を頭までかぶった。


 何それ!


 触ってほしいって何!


 私、痴女か!


 誰も見ていないのに、布団の中で一人でもぞもぞと悶える。


 違う違う。そういうんじゃない。髪をきれいにしたいなんて普通のことだし、そもそもこれは商品開発にもつながる。


 そう。


 商品開発。


 私はそっと布団から顔を出した。


「……商品開発だから」


 誰に言い訳してるんだろう。


 気を取り直して、もう一度自分の髪を指に巻きつける。液体石鹸で洗いやすくはなった。香油もある。フィオラの香油は香りもいいし、髪を整えるには十分使える。


 でも、香油と私が欲しいものは少し違う。


 私が欲しいのは、洗ったあとの髪そのものをもっとさらさらにしてくれるものだ。


「リンス……?」


 口から出た言葉に、自分で少し驚いた。


 そうだ。リンス。


 いや、トリートメント?


「……何が違うんだっけ」


 そこは全然思い出せない。でも、そういうものがあったことは覚えている。髪を洗ったあとにつけて、流して、乾かしたあとの髪がさらさらになるやつ。


 私は体を起こして、枕元に置いていた紙と筆記具を手に取った。忘れる前に書いておこう。


 紙の上に『リンス? トリートメント?』と書き、その下で筆が止まる。


 ……で、何でできてた?


「知らないんだよなぁ」


 完成したものなら使った記憶はある。でも、作り方なんて考えたこともなかった。


 しばらく紙を睨んでいると、ふっと昔の記憶が引っかかった。


「レモン……?」


 そういえば昔、プールのあとだったか、髪にレモンがいいとか聞いたことがあるような気がする。


 いや、レモン汁をそのまま頭にぶっかけるわけじゃないよね。たぶん。


 酸っぱいもの。酸。


 それから、はちみつ? 保湿って、はちみつじゃなかったっけ。蜜蝋は……いや、あれは髪につけたら重そうだ。香油まであるのに、さらにべたべたにしてどうする。


 思いつくまま、紙に書き足していく。


 レモン、酢、はちみつ、香草。油は少し? 蜜蝋は保留。


 並んだ文字を眺めて、私は眉を寄せた。


「……全然分からん」


 でも、不思議と少し楽しくなってきた。


 昔の記憶が曖昧でも、試すことはできる。薄めてみて、髪につけてみて、駄目ならやめる。少しでも良くなったなら、そこからまた調整していけばいい。


 いつものことだ。


 私は紙を枕元へ戻し、もう一度横になった。指先にはまた、自分の髪がくるくると巻きついている。


 これがもっと、さらさらになったら。


 またシリルさんに触ってもらった時――。


「…………」


 私は慌てて髪から指を離した。


「だから、商品開発だってば」


 静かな部屋の中で、自分の声だけが妙に響いた。

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