109話 手のひらの上
「よかったら、俺と一緒に住みますか?」
「…………え?」
一緒に住みますか?
一緒に住み……?
一緒に……住む?
シリルさんと、私が。同じ家に?
頭の中でさっきの言葉が何度も繰り返される。
待って。
それって、噂の同棲では?
同棲。
恋人同士が一緒に暮らす、あれ。
結婚前とかにする、あれ。
……いやいやいや。
でも、もし一緒に住んで、それでうまくいかなかったら?
実際に生活してみたら全然合わなかったとか、嫌なところが見えたとか、今まで知らなかった何かが――。
「……ノア?」
「…………」
「ノア?」
「……っ!」
はっと顔を上げると、シリルさんが少し心配そうに私を見ていた。
「すみません。急すぎましたよね」
「あ……」
「今すぐじゃなくてもいいんです」
さっきまでの真剣な表情が少しだけ困ったように変わる。
「……嫌でした?」
「違います!」
考えるより先に声が出た。
シリルさんが少し目を見開く。
「嫌とかじゃなくて、びっくりしたんです。いきなりだったから」
「はい」
「びっくりしたんですけど……」
言いながら、胸のあたりがむずむずする。
嫌じゃない。
それどころか。
「……嬉しい方が勝ってます」
口にした途端、恥ずかしくなって川へ視線を逸らした。
でも、本音だ。一緒に住みたいと思ってくれたことも、毎日会えると言ってくれたことも、嬉しくないわけがない。
少し迷ってから、今度は私の方から聞いてみる。
「……シリルさんは、私と一緒に住みたい?」
「すぐにでも」
「……っ」
早っ。
あまりにも迷いのない返事に、思わずシリルさんを見る。
「じゃないと、こんな提案しませんよ」
当たり前みたいに言って、シリルさんは少し笑った。
そんな真っ直ぐ言われたら困る。
嬉しいけど。
すっごく嬉しいけど。
ただ、嬉しいのと実際にできるかどうかは別だ。
「でも、お店もあるし……」
頭の中にシャボンノアが浮かぶ。毎日通う場所だし、今の宿からなら距離もちょうどいい。
「家がお店からあんまり遠いと無理だし」
「はい」
「朝もあるし、仕込みもあるし……」
毎日のことだから、通うのに時間がかかる場所だと困る。
「あと……」
住むなら当然荷物もあるし、生活する場所なら広さも気になる。周りの環境だって大事だし――。
そこまで考えて、ふと気づいた。
あれ?
私、めちゃくちゃ具体的に考えてない?
まだ一緒に住むって言ってないよね?
隣を見ると、シリルさんがものすごく嬉しそうに笑っていた。
「なんで笑ってるんですか」
「いえ」
「絶対なんか思ってる」
「何も」
「その顔で言われても説得力ないですよ」
笑ってる。
完全に笑ってる。
「まだ住むって決めてませんからね!」
「はい」
「考えてるだけです!」
「はい」
返事がやたら素直なのも腹立つ。
でも口元は全然隠せていない。
「もう……」
小さく息を吐いて、もう一度考える。
お店から遠くなくて、通いやすくて、生活にも困らない場所。でも、そんな都合のいいところがすぐにあるものなのかな。
「家って、そんな簡単に見つかるもんですか?」
「家ですか?」
「はい。住む場所って探すの大変そうだし」
「ああ」
シリルさんは少し考えるように視線を上げたあと、何でもないことのように言った。
「いくつかありますよ」
「……何が?」
「土地とか、家とか」
「……はい?」
「資産として何ヶ所か持ってます」
「何ヶ所か……」
さらっと言ったけど。
「他にあまり使い道がなかったもので、欲しいと思った分だけですけどね」
「……え?」
欲しいと思った分だけ?
それ、何ヶ所あるの?
「ど、どんだけ……。これ、聞いてよかったやつです?」
「別に隠してません」
「……」
そうだった。
この人、普通にお金持ちだった。
しかも商会の息子とか以前に、有名な冒険者だったんだ。
たぶん、私が思ってる以上に。
「今すぐ一緒に住むかどうかは関係なく」
シリルさんが私を見る。
そのまま耳の後ろあたりの髪を一房すくい、指先ですっと毛先まで滑らせた。
「ノアが希望するような場所があるかどうか、一度見てみませんか?」
「……見る?」
「はい。場所だけでも」
するりと髪が指先から離れていく。
……っちょ!
今、家の話してたよね?
急にそんなことされたら、また心臓がうるさくなるんですけど。
平常心、平常心。
「家とか土地を見るだけ……だよね?」
「はい」
「同棲するって決めるわけじゃなくて」
「もちろん」
それなら、まあ。
見るだけならいいよね。
「……ちょっと見てみたいです」
「分かりました」
シリルさんが嬉しそうに笑う。
「でも、まだ何も決まってませんからね!」
「分かってますよ」
そう言いながら、全然隠せてない。
絶対喜んでる。
……まあ。
私もちょっと楽しみになってるけど。




