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名前を忘れた私ですが、たぶん異世界で石鹸屋をはじめます。〜いい人しかいないんですが、罠ですか?〜  作者: まの月


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107話 もぐもぐ

「美味しい……」


 フォークで巻いたパスタを口に運んで、思わず声が漏れた。


 今日は普段あまり頼まない魚介のパスタにしてみたけど、これが大正解だった。魚介の旨みがしっかり出ていて、ソースも麺によく絡んでいる。


「美味しいですね」

「ここ、結構評判なんですよ」

「そうなんですか? シリルさん、何回か来たことあるんですか?」

「そうですね。二回くらい来ましたかね。結構前ですけど」

「へぇ。誰と来たんですか?」

「家族とですね。妹がここ、すごく好きなんですよ」

「そうなんですね」


 そんな何気ない話をしながら、またパスタを口に運ぼうとして――はっとした。


 待って。


 私、今なんて聞いた?


 誰と来たんですか?


 え、これってもしかして束縛系の質問じゃない!?


 付き合って早々、「誰と行ったの?」「誰といたの?」って確認するやつ!?


 やだやだやだ。しょっぱなからこれは嫌だ!


 いや、ただ気になっただけなんだけど。ほんとにそれだけなんだけど!


 でも恋愛初心者すぎて、どこからが普通で、どこからが重いのか全然分からない!


「ノアさん?」

「っ、はい!」

「どうしたんです?」


 シリルさんが不思議そうに私を見る。


「あ、あの! さっきの『誰と来たんですか』って聞いたの、別に変な意味じゃなくてですね! その、普通に誰と来たのかなーって気になっただけで、確認したいとかそういうのじゃなくて! 付き合ったからって、どこで誰と何してたとか全部知りたいわけじゃないですからね!? 束縛したいとか、そういう怖いやつでもなくて!」


 そこまで一気に言うと、シリルさんはしばらくぽかんと私を見ていた。


 そして。


「……ふっ」

「……シリルさん?」

「す、すいません……っ」


 口元を押さえて、肩を震わせる。


 次の瞬間。


「あははははっ!」


 めちゃくちゃ笑われた。


「ちょっ! なんでそんな笑うんですか!」

「だって……っ、俺、まったくそんなこと思ってなかったので……!」


 笑いながら言われて、顔が一気に熱くなる。


 うわああああ。


 余計なこと言った!


 はずい。はずすぎる。


 顔あついよー!!


「もう! 忘れてください!」

「いや、これはちょっと……ふふっ、無理かもしれないです」

「そこは忘れてくださいよ!」


 まだ笑ってる。


 そんなにおもしろかった!?


 シリルさんはようやく笑いを落ち着かせると、まだ楽しそうな顔のまま私を見る。


「でも、ノアさんになら束縛されてもいいですけど」

「……」


 今度は私が固まった。


「……昇天しそうなんでやめて下さい」

「あははっ!」


 また笑った。


「もう!」

「すいません。でも……楽しいですね」

「……何がですか」

「こういうの」


 そう言って笑うシリルさんを見ていたら、恥ずかしいのに、なんだか私まで少し笑いたくなってきた。


 さっきまで妙に緊張していたけど、ご飯を食べ始めてしまえば少しずついつもの調子に戻ってきた。


 ……いや。


 いつも通りかと言われると、やっぱりちょっと違う。


 向かいにいるのはシリルさん。それは今までと何も変わらないのに、今は恋人なんだと思った瞬間、さっき落ち着いたはずの心臓がまた急に騒がしくなる。


 だめだ。


 また意識してしまった。


 黙ってパスタをもぐもぐ食べる。


 今はご飯。


 ご飯に集中しよう。


「ノアさん?」

「はい?」

「いえ。急に静かになったので」

「パスタが美味しくて!」

「そうですか」


 少し笑われた。


 ……ばれてないよね。


 私は誤魔化すように、また一口食べる。


 その時、ふと思い出した。


「あ、そういえば前からちょっと気になってたんですけど」

「なんですか?」

「シリルさんって、自分のこと『俺』って言うんですね」

「……え?」


 シリルさんが目を瞬いた。


「え?」

「僕、言ってました?」

「言ってましたよ。なんか最近、いつの間にかずっと俺、俺って」

「……ああ」


 本当に今気づいたみたいな顔をしている。


「もともとは俺なんですか?」

「そうですね。素は、俺です」

「へぇ」

「嫌でした?」

「え? 全然」


 むしろ。


「似合ってるし、違和感ないですよ」

「そうですか」


 シリルさんが少し安心したように笑う。


 なんとなく不思議だ。


 最初に会った頃はずっと丁寧で、どこか一歩引いたような印象だったのに、こうして少しずつ知らなかった部分を知っていく。それが今は、なんだか面白いし、ちょっと嬉しい。


 またしばらく二人で食事を楽しんでいると、シリルさんが思い出したように顔を上げた。


「あ、ノアさん」

「はい?」

「王都でのシャボンノアの販売についてなんですが」


 一気に仕事の話になって、私も自然と姿勢を正す。


「明後日の昼過ぎ、リーベル商会へ来れそうですか?」

「明後日ですか? はい、昼過ぎなら行けると思います」

「では、その日迎えに行きますね」

「ありがとうございます」

「あと、今回の王都での販売については、俺が担当することになりました」

「シリルさんが?」

「はい。なので、これから一緒に動くことも多くなると思います」

「そうなんですね」


 それは助かる。


 王都で実際に売り場も一緒に見てもらったし、商会とのやり取りもシリルさんが担当してくれるなら話も早い。


「じゃあ、これからもよろしくお願いします」

「はい。こちらこそ」


 二人で顔を見合わせて、なんとなく笑う。


 仕事でも一緒で。


 それ以外でも一緒で。


「なんか……公私ともにパートナーみたいですね」


 ぽろっと口から出た。


「……」

「……」


 あ。


 今の。


 言ってから急に恥ずかしくなってきた。


 シリルさんを見ると、少しだけ顔が赤い。


 照れてる。


 珍しい。


 そう思ったら、今度は私まで余計に恥ずかしくなってきた。


「シ、シリルさん」


 呼びかけると、シリルさんが少し考えるように私を見た。


「……シリルでいいですよ」

「え」


 一瞬、何を言われたのか分からなかった。


「シリルって呼んで?」

「えぇ……」


 急にハードルが上がった。


「それ、結構難しいですね……」

「そうですか?」

「ずっとシリルさんだったので……」


 試しに頭の中で呼んでみる。


 シリル。


 ……無理。


 恥ずかしい。


「じゃあ!」


 私は思いついて、シリルさんを見る。


「シリルさんだって、私のことノアでいいですよ」

「……」


 シリルさんが少し目を見開いた。


 そして、ふわっと笑う。


「ノア」

「……っ!」


 早い!


 何のためらいもなく言った!


 名前を呼ばれただけ。たったそれだけなのに、一気に顔が熱くなる。


 無理。


 恥ずかしい。


 私は逃げるようにパスタへ視線を落とした。


 もぐ、もぐもぐ。


 とりあえず食べる。食べていれば喋らなくて済む。


 でも、向かいから視線を感じる。


 絶対見てる。


 顔を上げられない。


 もぐもぐもぐもぐ。


「ノア」

「っ……!」


 もう一回呼ばないで!


 ますます顔を上げられなくなって、私は黙々とパスタを食べ続けた。


 向かいから、シリルさんの小さな笑い声が聞こえた。

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