106話 会いに来ちゃいました
「お疲れ様でした!」
「お疲れさまでーす」
今日の作業を終え、通いで来てもらっている人を見送る。
店の中もすっかり静かになり、あとは片付けを終えれば帰るだけだ。
「じゃあ、うちも先帰ります。お疲れ様っす!」
「うん、お疲れさま」
ノエルが鞄を持って入口へ向かい、扉を開けた。
その瞬間。
「うわっ」
「ん?」
少し離れたところにいた私は、思わず顔を上げる。
「ノエル、どうしたの? 何かあった?」
「えっ。いや、なんも……なんでもないっす! お疲れっす!」
「え?」
何やら妙に慌てたノエルは、そのまま外へ出ると、ばたんと扉を閉めてしまった。
なんだったんだろう。
猫でもいた?
そう思いながら片付けに戻ろうとした、そのすぐあと。
カランカラン。
もう一度、入口のベルが鳴った。
「あれ? ノエルどうしたの? 忘れ物――」
振り返る。
「こんばんは」
「……シリルさん」
「来ちゃいました」
あ。
さっきの「うわっ」って、もしかして。
「こんばんは」
返事をした瞬間、シリルさんがふわりと笑った。
「……っ」
まぶしい。
思わず手をかざしそうになって、慌てて両手を胸元で握りしめる。
「どうしたんですか、ノアさん」
「い、いえ! いえいえ、なんでもないです!」
なんでもなくはない。
私の彼氏、光ってた。
しかも、いつもより少し嬉しそうな顔で。
そんな顔をまともに見られるわけがない。
こっちへ帰ってきてから、気を抜けば頭の中がふわふわしてしまうから、今日は必死に仕事へ集中していた。それなのに、いざ本人が目の前に現れると全然だめだ。
「お店はもうすぐ終わりですか?」
「はい。片付けもほとんど終わったので、そろそろ帰ろうかなって思ってました」
「そうですか」
シリルさんが少し笑う。その笑顔がまたまぶしくて、今度は手をかざさないようにするだけで精一杯だった。
なんだろう。
私も妙にもじもじするし、シリルさんもいつもより少しだけ落ち着かないように見える。
恋人。
彼氏。
昨日から何度も頭の中で繰り返した言葉なのに、こうして顔を見ると改めて実感してしまう。
すると、シリルさんが私の方へ歩いてきた。ゆっくり距離が縮まって、そのまま目の前まで来る。
うっ。
近い。
そう思った次の瞬間、シリルさんが胸元へ手を伸ばした。
「……!」
指先が、王都でもらったネックレスにそっと触れる。
「つけてくれてるんですね」
「……はい」
もちろん。
せっかくもらったんだもん。嬉しくて、今日も朝からつけてきた。
シリルさんは小さな月を見つめ、嬉しそうに目を細める。その視線が少し下へ動いた。
「ん?」
「どうしました?」
「ネックレス以外にも、何かついてますね」
「あっ」
今度は胸元につけていた小さなアラボンへ指が触れる。
「……っ」
いや。
アラボンを見てるだけ。
分かってる。分かってるんだけど、場所が場所だけになんか恥ずかしい!
「こ、これ! 今日リディアさんにもらったんです。めっちゃかわいいでしょ! それで、リディアさんにもネックレスかわいいねって言われちゃって……」
最後の方は、自分でも分かるくらい尻すぼみになった。
もー、しっかりしろ! 自分!
誤魔化すように、小さなアラボンを持ち上げて見せる。
「へぇ、よくできてる。確かにアラボンですね」
「そうなんです! 小さいんですけど、すごくないですか?」
アラボンの話になった途端、さっきまでの恥ずかしさが少し飛んだ。
「今日はここにつけてたんですけど、今から鞄につけ直して持って帰ろうと思ってて」
「気に入ったんですね」
「めちゃくちゃ気に入りました!」
「ネックレスも?」
うわっ。
照れる。
答える代わりに、こくっと頷く。
シリルさんはそんな私を見て、少し楽しそうに笑っていた。
「あの、ノアさん」
「はい?」
「このあと、ご飯一緒に食べに行きませんか?」
「……!」
行きたい。
返事は一瞬で決まった。
「行きたいです!」
言ってから、ふと思い出す。
「あ。でも、一回エマさんに言わないと。今日ご飯いらないって言ってないから、帰ってこなかったら心配するかも」
「あ、それなら大丈夫です」
「え?」
「もう伝えてきました」
「……はい?」
シリルさんは何事もなかったような顔をしている。
「実は、一緒に食べられたらと思っていたので。ここへ来る前に宿へ寄って、エマさんに伝えてきました」
「……」
そこまでしてから来たの?
「シリルさん……」
「はい」
「策士ですね」
「そうですか?」
本人はあまり自覚がなさそうだ。
でも絶対そうだと思う。
「じゃあ、ちょっと着替えてくるので待っててくださいね」
「はい。ゆっくりで大丈夫ですよ」
私は一度店の奥へ下がり、仕事着を脱いで外へ出られる服に着替える。胸元についていた小さなアラボンも外して、今度は鞄へつけ直した。
「よし」
鞄について揺れる小さな姿を見て、ちょっとだけにやける。
かわいい。
ほんとにかわいい。
身支度を整えて店へ戻ると、シリルさんが待っていた。
「お待たせしました」
「いえ。行きましょうか」
「はい」
店の戸締まりを済ませ、二人で夜の街へ出る。
向かったのは、前から少し気になっていたパスタのお店だった。
「あ、ここ来てみたかったんです」
「それなら良かった」
中へ入ると奥には個室もあるらしく、シリルさんはそちらをお願いしていた。
案内された部屋には二人分の席が用意されている。扉が閉まると店内のざわめきも少し遠くなり、向かいに座ったシリルさんと二人きりになった。
なんだか急に緊張してきた。
付き合ってから、こうして二人でゆっくりご飯を食べるのは初めてだ。
話したいことは、たくさんある。
たぶん、シリルさんも。
しばらくして料理が運ばれてきた。
魚介の入ったパスタから、ふわっといい香りが立ち上る。緊張していたはずなのに、それを見た途端ちゃんとお腹が反応した。
「おいしそう……」
「食べましょうか」
「はい!」




