105話 小さな◯◯ボン
昼を少し過ぎた頃、店内もようやく落ち着いてきた。
午前中に減った商品を棚へ補充しながら並びを整えていると、入口の扉が開く音がした。
「こんにちは」
聞き覚えのある声に顔を上げる。
「あ、リディアさん!」
「こんにちは、ノアさん」
リディアさんは、いつものように穏やかに笑いながら店へ入ってきた。
「この前はわざわざ来てくださったのに、すいません」
「いいのよ。王都に行ったって聞いたわ。どうだった?」
「溢れんばかりの人でした!」
「へえ! そんなになの?」
「はい。どこ見ても人、人、人って感じで」
「いつか行ってみたいわ。ファッションも見てみたいし」
「ぜひぜひ。なんか、みんなキラキラしてましたよ」
「ふふ。楽しみだわ」
服を作るのが好きなリディアさんなら、王都の服装を見るだけでもきっと楽しいんだろうな。
そんな話をしていると、ふとリディアさんの視線が私の胸元で止まった。
「あら、そのネックレスかわいいわね」
「あ、これ……王都で」
「素敵なデザインね。この辺ではあまり見ない感じだわ」
「ありがとうございます……」
そう答えながら、無意識に月の飾りへ指先が触れる。
その瞬間、シリルさんにつけてもらった時のことまで一緒に思い出してしまった。
まずい。
顔が熱い。
「……あら?」
リディアさんが私の顔を見て、少し目を細める。
「あらあらあら?」
「ち、違います! いや、違わないけど……!」
「ふふ。じゃあ、また今度詳しく教えてね」
「……はい」
絶対に何か察された。
でも、それ以上聞かれなかったことに少しだけほっとする。
「それでね。今日はこの前のお礼。ちょっとしたお菓子よ」
リディアさんが手にしていた包みを私へ差し出した。
「えっ、そんな! お礼なんていいのに」
「いいのいいの。受け取って」
「ありがとうございます!」
ありがたく包みを受け取ったところで、私も思い出した。
「あ、そうだ。リディアさんにもこれ」
奥に置いていた小さな包みを持ってくる。
「王都のお土産です。ちょっとしたお菓子なんですけど」
「あら、私に?」
「はい。……なんか物々交換みたいになっちゃいましたけど」
「ふふ。本当ね」
「でも、よかったら食べてください」
「ありがとう。嬉しいわ」
そう言って受け取ってくれたあと、リディアさんが少し楽しそうに笑った。
「あと、こんなのも作ってみたの」
「え?」
もうひとつ、小さなものを差し出される。
それを見た瞬間、私は固まった。
「……え」
手のひらにすっぽり収まってしまうほどの、小さなアラボンだった。
今、店の棚に飾っているものは、リラとリラのお母さんが作ってくれたもので、子犬くらいの大きさがある。
でも、これは本当に小さい。
前の世界でいうなら、鞄につけるキーホルダーくらいの大きさだ。
「かわいい!!」
思わず大きな声が出た。
「え、なにこれ! かわいい! リディアさん、これ作ったんですか!?」
「ええ。余ってた布があったから、ちょっとね」
「すごい! めちゃくちゃかわいい!」
両手で持ち上げて、正面から見て、横から見て、また正面へ戻す。
小さいのに、ちゃんと形も分かるし、顔もついている。
何これ。
欲しい。
「リディアさん、これ、おいくらですか?」
「え?」
「これ! 買います!」
財布を出そうとした私を見て、リディアさんが慌てて手を振った。
「違う違う。この前のお礼よ」
「えっ」
「だから、お金はいらないわ」
「……ほんとに?」
「ほんとよ」
「うわー! ありがとうございます!」
これはかなり嬉しい。
手のひらに乗せて眺めているだけで、顔がにやけてくる。
「アラボン先輩、小さくなったっすね」
いつの間にか近くまで来ていたノエルが、横から覗き込んだ。
「アラボン先輩って呼んでるの?」
「もう先輩っすよ」
いつの間にそんな呼び方になったんだ。
でも確かに、ノエルより先にこの店にいるから先輩……なのか?
そんなことを考えながら、もう一度手のひらを見る。
そこでふと、昨日描いていた王都の売り場が頭に浮かんだ。
小さなリーヴェルの一角に作る、小さなシャボンノア。
淡い水色の棚に商品を並べて、POPを置いて、アラボンの絵も飾るつもりだった。
そこに、こんな小さな子がちょこんといたら。
「……リディアさん」
「なに?」
「これって、たくさんお願いすることできないですか?」
「これを?」
「はい。もちろん、お金はちゃんとお支払いします。こういう小さいのを何個か作ってもらえたらなって」
私が手のひらを見せながら言うと、リディアさんは少し考えるように首を傾けた。
「そうねぇ……実は私、小さなぬいぐるみとか作るのも好きなのよ」
「そうなんですか?」
「ええ。服を作るのももちろん好きだし、今の仕事も好きよ。でも、こういう細かい手芸も昔から好きなの」
「へぇ……!」
だからこんなに上手なんだ。
洋服を作って、店頭にも立って、それだけでもすごいのに、こんな小さなものまで作れるなんて。
「ただ、本職は服屋だから、たくさんは難しいわね」
「あ、もちろんです!」
「少しずつなら作れると思うわ」
「ほんとですか!? じゃあ、ぜひお願いします!」
ほとんど考える間もなく答えていた。
大量じゃなくていい。
王都の売り場にも飾りたいし、こっちの店にも置きたい。こういうものが少しあるだけでも、棚の雰囲気はきっと変わる。
何より、かわいい。
それが大事。
王都の売り場を考えている時、商品だけ並べるんじゃなくて、見ただけでシャボンノアだと分かるようにしたいと思っていた。
絵だけじゃなく、本物の小さなぬいぐるみがいたら、もっと目を引くかもしれない。店の商品を買いに来た人が、この子を見て足を止めてくれる可能性だってある。
そんなことを考えながら、手の中の一個目を見る。
「ただし、これは売らない」
「え?」
リディアさんが目を瞬かせる。
「この子は私のです」
「ふふ。そんなに気に入ってくれたのね」
「はい!」
これは絶対に私のだ。
リディアさんが最初に作ってくれた一個目で、しかもこの前のお礼として私にくれたもの。
これは売り物にはできない。
胸元へ当ててみる。
安全ピンみたいなものをつければ、服にもつけられそうだ。店にいる時は胸元につけて、仕事が終わって制服を脱いだら鞄につける。
それならずっと一緒にいられる。
「……かわいい」
思わずもう一度呟く。
リディアさんはそんな私を見て、楽しそうに笑っていた。
その後もしばらく話をして、リディアさんがそろそろ帰ろうとした時だった。
「あ、そうだ」
入口へ向かいかけたリディアさんが、ふと思い出したように振り返る。
「ここへ来る途中、ちょっと気になったことがあったの」
「気になったこと?」
「ええ。店の前を何度か見てる男の人がいたわよ」
「男の人?」
思わず入口の方を見る。
「入ってくるわけでもなくて、少し離れたところからこっちを見てたの。お客さんなのかなとも思ったんだけど……なんとなく気になって」
「そうなんですか」
「私の気にしすぎかもしれないけど、一応気をつけてね」
「はい。ありがとうございます」
そう答えたものの、その時はそこまで深く考えなかった。
店の中を覗いて、そのまま入らずに帰る人なんて珍しくない。たまたま気になって見ていただけかもしれない。
「じゃあ、またね」
「はい! ありがとうございました!」
リディアさんを見送り、閉まった扉からもう一度手元へ視線を戻す。
昨日はまだ紙の上にしかなかった小さなシャボンノアが、少しずつ形になり始めている。
その時の私の頭は、すっかり王都の売り場と、手のひらの小さな一個でいっぱいだった。




