104話 集中しないと
ぱんっと頬を叩き、目の前の棚へ意識を戻す。
今日は定休日明け。三日も店を空けていたんだから、やることはたくさんある。
開店前の静かな店内を歩きながら棚の商品を確認し、少なくなっているものを頭の中で数えていると、入口の扉が開いた。
「おはようございまーす! 店長!」
朝から元気いっぱいの声が店内に響く。
「おはよう、ノエル」
振り返ると、ノエルがいつもの調子で店内へ入ってきた。
「店長、どうだったっすか? 王都?」
「王都……」
その言葉を聞いた瞬間、王都で過ごした二日間の光景が一気に浮かんだ。
繋いだ手。首元につけてもらったネックレス。それから――。
「……っ」
まずい。顔が熱い。
「店長?」
ノエルが不思議そうに私の顔を覗き込む。
「どうしたんすか?顔赤くないっすか?」
「な、なんでもない!」
いかん。仕事!今は仕事!
無理やり頭を切り替える。
「王都、すごかったよ! お城なんて大きすぎてびっくりしたし、からくり時計もすごかった! あ、そうだ。ノエルにもお土産あるよ!」
「おお! あざっす!」
ノエルの顔がぱっと明るくなる。
よし。切り替えられた。
「いや、でもそっちじゃなくて仕事の話っすよ」
「!」
そうだった!
「すごく感じのいいお店だったよ。お店の人たちもすごく良くしてくれたし、場所も見せてもらって。王都でも商品を置かせてもらおうと思う」
「おお! いいっすね!」
「うん。細かい話は、またリーベル商会で決めてくるんだけどね」
そう言いながら、私は店内を見渡した。
王都で見てきた小さなリーヴェルの店内が、今いるシャボンノアと重なる。
商品を置いてもらうこと自体はもう決めた。なら、次は何が必要なのか考えないといけない。
商品をどれくらい持っていくのか。どの商品を並べるのか。見本も必要だし、棚だってそのままというわけにはいかない。
せっかくなら、ここにあるシャボンノアと同じように、ひと目でうちの店だと分かる場所にしたい。
淡い水色を使って、離れたところから見てもシャボンノアだと分かるようにして。
アラボンもいるな。
飾り用に、また描かないと。
それに、王都では私がずっと店頭に立てるわけじゃない。販売員さんには商品説明を覚えてもらうつもりだけど、お客さんが見ただけでもある程度分かるように、商品の特徴を書いたものもあった方がいい。
前の世界でいうPOPみたいなもの。
「……時間、足りるかなぁ」
「店長?」
「あ、いや、こっちの話!」
考え始めると、このままずっと売り場のことを考えてしまいそうだ。
でも、その前にやることがある。
私は棚に並ぶ石鹸へ視線を戻した。
「とりあえず! 三日も休んじゃったから、私、石鹸の仕込みやってくるね」
「了解っす!」
作業場へ向かいかけて、ふと思い出して足を止める。
「そうだ。私がいない間、お店どうだった?」
「あー、特になんもなかったっすよ」
「そっか。よかった。ありがとうねノエル」
「ふふーん。あ、でもリディアさんが来てたっす」
「リディアさん?」
振り返ると、ノエルが思い出したように頷いた。
「また来るって言ってたっす」
「そっか。ありがと!」
「はいっ!」
ノエルに店を任せ、私は奥の作業場へ向かった。
扉を開ければ、見慣れた道具と材料がいつもの場所に並んでいる。王都へ行く前と何も変わっていない光景を見ていると、自然と気持ちが仕事へ戻っていく。
材料を確認して必要なものを揃え、順番に作業を始める。
配合や大事な部分は自分でやる。そこまで終われば、あとは通いで来てもらっている人に混ぜる作業や乾燥を任せられる。
何度も繰り返してきた作業だから、手は自然に動いていく。それでも頭の片隅では、王都の店のことがずっと離れなかった。
あの一角に棚を置いて、棚の上には店のイメージカラーを入れたい。
淡い水色なら、離れたところからでも目に入りそうだ。その上に小さな看板を置いて、横にはアラボン。商品ごとに説明もつけて――。
「……あ」
ふと手が止まる。
胸元に揺れた、小さな月が少しだけ視界に入った。
「……」
シリルさん…
いやいやいや。だめだー。気を抜くとすぐ考えちゃう。
だってたぶんだけど 初彼……
「石鹸!」
誰もいない作業場で、自分に言い聞かせる。
今は仕事。
もう一度気合いを入れ直して、目の前の作業へ集中する。
ひと通り仕込みを終え、あとは任せられるところまで進める頃には、頭の中に浮かんでいた王都の売り場もだいぶ形になっていた。
「よし」
手をきれいに洗い、紙と筆記具を持ってくる。
机の上へ広げ、まず棚を描いた。
小さなリーヴェルの一角に置けるくらいの大きさ。棚の上には淡い水色を使い、商品は今の店と同じように包装したものを並べる。その前には見本を置いて、横にはそれぞれの商品がどういう石鹸なのか、一目で分かるように説明をつける。
「ここにアラボン……」
紙の端に、見慣れた顔を描き足していく。
場所は小さくても、ちゃんとシャボンノアだと分かる場所にしたい。
リーヴェルの店にある、小さなシャボンノア。
描いているうちに、頭の中だけにあった売り場が少しずつ形になっていく。その様子を眺めていると、自然と口元が緩んだ。
「……いいかも」
王都でも。
ここから、また始めよう。




