番外編6 あなたを、少しだけ綺麗にしたい(ルシアン視点)
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ルシアン視点の番外編です。時系列は番外編5の後のお話になります。
クラリスは、装うことに興味がないわけではなかった。
そのことを、本人はあまり自覚していない。
自覚していない、というよりは、わざわざ言葉にする機会がなかったのだろう、とルシアンは思っている。興味がないのなら、鏡台の前でほんの一瞬立ち止まったりはしない。買い物の途中、仕立てのよい布地や、細工の繊細な髪飾りへ、ほんの少しだけ目を留めたりもしない。
興味がないのではない。
ただ、どう関わっていいのかわからないだけだ。
そして、その“わからない”を、クラリスはたぶん長いことそのままにしてきた。
勉強の仕方ならわかる。
書類の整え方も、仕事の進め方もわかる。
けれど、装いというものは、彼女にとって少しばかり曖昧すぎたのだろう。
正解が見えにくく、優先順位も低く、知らなくても困らない。
だから後回しにしているうちに、いつの間にか「自分には縁がないもの」のようになってしまった。
それは、何となくわかる気がした。
ルシアン自身、幼い頃から貴族として身なりを整えることは当然だったが、そこに“自分の楽しみ”を見つけるまでは少し時間がかかった。求められる装いと、自分が好きな美しさは、必ずしも一致しない。だからこそ、遊び方を覚えるまでは窮屈でもある。
けれど一度、自分のために選ぶ楽しさを知ってしまえば、話は別だ。
だから、クラリスにもそれを知ってほしいと思った。
たとえば今日みたいな日に。
休日の朝、ルシアンはいつもより少しだけゆっくり起きた。初夏の光が窓辺を明るく照らし、薄いカーテンの向こうで庭の葉が風に揺れている。朝の空気はもう冷たくなく、むしろ少し柔らかい。こういう日は、部屋の中にいても季節がちゃんと動いているのがわかる。
食卓にはクラリスが淹れた茶があり、焼いたばかりのパンの香りがしていた。
向かいに座るクラリスは、今日もきっちりとしている。休日なので文官服ではないが、それでも仕立てのよい簡素なワンピースに、装飾の少ない上着を羽織っているだけだ。色は落ち着いた灰青。彼女によく似合ってはいる。似合ってはいるのだが——。
もう少し遊べるのに、とルシアンは思った。
髪はいつも通りきちんとまとめられ、耳元にも首元にも何もない。清潔感があって、整っていて、申し分ない。けれど、それは“何も引かない美しさ”であって、“何かを足した楽しさ”ではない。
そこに、少しだけ手を入れてみたくて、うずうずする。
「何ですか」
クラリスがパンをちぎりながら言った。
「さっきから、こちらを見ています」
「あら、ばれた?」
「隠していませんでした」
「今日は何を着るのかなと思って」
「これですが」
「ええ、見ればわかるわ」
ルシアンは茶器を持ったまま首を傾げた。
「ねえ、クラリス」
「はい」
「今日、少し寄り道しない?」
「寄り道、ですか」
「ええ。買い物の前に、ちょっとだけ」
「必要なものがあるのですか」
「あると言えばあるし、ないと言えばない」
「曖昧ですね」
「こういうのは曖昧なくらいでいいのよ」
クラリスはわずかに眉を寄せたが、それ以上は深く追及しなかった。こういうとき、彼女は一度保留にして、あとから判断する。即座に否定しないところが好きだ。
「長くならないのであれば」
「ええ、ならないわ」
「では、構いません」
「ありがとう。大好き」
「そういうことを軽々しく言わないでください」
「軽くないのよねえ」
「知っています」
もう最近では、この返しも少し慣れてきたらしい。以前ほど本気で困った顔をしない代わりに、耳だけはちゃんと赤くなる。その変化を楽しみながら、ルシアンは内心で今日の計画を整えた。
行き先は、知り合いの婦人が営む小さな装飾店だった。
王都の中心から少しだけ離れた通りにあって、表向きは落ち着いた貴婦人向けの店だが、実際には店主の審美眼がかなり信用できる。派手に飾り立てるのではなく、その人の持っている雰囲気を少しだけ引き上げる、そういうものの揃え方が絶妙なのだ。
昼前の街は、人通りがやわらかかった。
市場が本格的に賑わう少し手前で、通りには焼き菓子の匂いや花売りの声が漂っている。空はよく晴れていて、石畳の反射が明るい。ルシアンは隣を歩くクラリスをちらりと見た。
やっぱり、何もしなくても十分に綺麗だと思う。
背筋がまっすぐで、歩幅に無駄がなく、余計な愛想を振りまかないぶん、かえって視線を引く。本人は気づいていないのだろうが、ああいう“意図していない凛とした美しさ”は、むしろ作ろうとして作れるものではない。
だからこそ、少しだけ色を足したらきっともっと映える。
店の前に着くと、クラリスが看板を見上げた。
「装飾店、ですか」
「ええ」
「……必要なものがあるのですか」
「あるでしょう?」
「私にはありませんが」
「あなたにあるのよ」
そう言うと、クラリスが明らかに戸惑った顔をした。
この顔、可愛いのよね。
真面目に困ってる顔ってどうしてこんなに愛らしいのかしら。
「ルシアン」
「何?」
「私は本日、特に何かを買う予定は」
「知ってるわ」
「でしたら」
「だから、ちょっとだけ見ましょうって言ってるの」
「見るだけ、ですか」
「たぶん」
「“たぶん”なのですね」
「まあ、そのへんは流れで」
クラリスはしばらく店の扉とルシアンを見比べていたが、最終的には小さく息をついて中へ入った。
店内は明るすぎない灯りで整えられていた。壁際には髪飾りや手袋、繊細なレースの襟飾り、小ぶりの香水瓶などが並んでいる。どれも過剰ではなく、日常の延長線上にある美しさを持ったものばかりだ。
店主のマダム・エリゼは、二人の姿を見るなり目を細めた。
「あら、ルシアン様」
「ごきげんよう、エリゼ」
「今日はまた、素敵なお連れ様を」
「でしょう?」
「あなたが自慢げなのも納得ですわ」
ルシアンは楽しそうに笑い、クラリスはわずかに居心地悪そうに背筋を正した。
「妻のクラリスよ」
「クラリス・ヴェルディエです」
「あら、なんてきちんとしたご挨拶。ようこそいらっしゃいました」
マダムは押しつけがましくない。商売上手ではあるが、相手が構えているときに無理に距離を詰めたりはしない。そのあたりの勘の良さも気に入っている理由の一つだった。
「今日はね」
ルシアンが棚の一角へ視線をやる。
「この人に、少しだけ遊んでもらいたくて」
「まあ」
「私は遊んでいるつもりはありません」
すぐさまクラリスが言う。
「だから、その“遊ぶ”をこれから覚えるのよ」
「必要でしょうか」
「必要よ」
ルシアンはきっぱり断言した。
「あなたはそのままでも十分素敵だけど」
「……」
「“そのままでもいい”と“たまには少し変えてみる”は両立するの」
「……」
「それに、私は見たいわ」
「何を」
「あなたが少しだけ自分に手をかけたところ」
真正面からそう言うと、クラリスは目を逸らした。
耳が赤い。
ええ、可愛いわね、本当に。
まずは髪飾りからだった。
大ぶりのものではなく、小さな金具に淡い石をあしらっただけの繊細な品。灰青や乳白、薄紫。どれも主張しすぎず、けれど光に当たるときちんと表情が変わる。クラリスの普段の装いを壊さずに、ほんの少しだけ柔らかさを足してくれるものがいい。
「これは?」
ルシアンが一つ取る。
「……繊細すぎませんか」
「あなた、どうしてそうまず守りに入るの」
「壊しそうです」
「大丈夫よ」
「落とすかもしれません」
「そういうときは私が拾うわ」
「……そういう問題では」
「そういう問題にしておいて」
マダム・エリゼが微笑みながら言う。
「一度、合わせてみますか?」
「そこまでしなくても」
「してみましょう」
ルシアンが即答する。
半ば押し切るような形で、クラリスは鏡台の前へ座らされた。
大袈裟な化粧台ではない。店の奥に置かれた小ぶりの鏡台で、自然光が斜めに差し込む位置にある。ルシアンはその後ろに立ち、クラリスのまとめられた髪を見下ろした。
きっちり留められた髪は、彼女らしい。
けれど、今日はそこへほんの少しだけ違う風を通したい。
「少しだけ、いい?」
「……少しだけ、なら」
「ええ、少しだけ」
結い目の横に垂れていた細い後れ毛を指先ですくう。驚くほど手触りがやわらかい。本人はあまり意識していないのだろうが、クラリスの髪は光の当たり方でわずかに色が変わる。真面目な印象の黒に近い茶色だが、日に透かすと柔らかい栗色の気配がある。
そこへ、淡い灰青の石がついた小さな飾りを留める。
「……」
鏡の中で、クラリスがじっと自分を見ていた。
「どう?」
「……」
「だめ?」
「いえ」
「いえ?」
「……思っていたより、違和感がありません」
「でしょう?」
ルシアンは嬉しくなって笑った。
違和感がない。
その言葉は、クラリスにしてはかなり大きな肯定だ。
マダムも頷く。
「お似合いですわ。奥様のお色によく馴染みます」
「ありがとうございます」
そう返しながらも、クラリスはまだ鏡を見ていた。
その顔が、少し不思議そうだったのをルシアンは見逃さなかった。まるで、自分の知らない自分を見つけたみたいな顔だ。
次は襟元だった。
飾り立てすぎるのではなく、仕事用のきっちりした服にも合わせられそうな細いレースの付け襟を一枚。白すぎず、生成りに近い柔らかい色で、線の細い刺繍が入っている。
「これは休日用」
「休日用」
「そう。仕事着にはつけなくていいの。でも、少しだけ気分を変えたい日に」
「そういう日が、私にあるでしょうか」
「作るのよ」
クラリスは真顔で考えていた。
本気で“そういう日”の必要性を検討している顔だった。あまりにらしくて、ルシアンは吹き出しそうになる。
「笑わないでください」
「ごめんなさい、でも」
「何ですか」
「あなた、本当に真面目なんだもの」
「真面目に考えるべきでは?」
「考えてくれるのは嬉しいけど、もう少し気楽でいいのよ」
ルシアンはその襟飾りをクラリスの首元へそっと当ててみた。布地に白が差し込まれるだけで、驚くほど印象が柔らかくなる。きっちりした顔立ちの奥にある静かな女性らしさが、ふっと前へ出る。
「……あら」
思わず声が漏れた。
「何ですか」
「だめね」
「だめ?」
「可愛すぎるわ」
クラリスは鏡越しに、ほんの少しだけ目を丸くした。
「……そういう評価は」
「不本意?」
「どう返せばいいのか困ります」
「じゃあ困ってて」
「理不尽です」
そう言いながらも、クラリスの視線は鏡に落ちている。
たぶん、気になっているのだ。
似合うのかどうか。
自分に馴染むのかどうか。
変ではないか。
場違いではないか。
そういうことを一つずつ確認しているのがわかる。
だからルシアンは、そこで変に畳みかけなかった。
「全部変えなくていいの」
穏やかに言う。
「髪を下ろせとか、化粧を覚えろとか、そういう話じゃないわ」
「……はい」
「ただ、あなたが少しだけ“こういうのも悪くないかもしれない”って思えたら、それで十分」
「……」
「義務じゃないのよ。楽しめそうなら取り入れる、くらいでいいの」
クラリスは鏡の中の自分を見たまま、しばらく黙っていた。
やがて、ほんの少しだけ息を吐く。
「……私は」
「うん」
「自分には、こういうものはあまり似合わないと思っていました」
「どうして?」
「わかりません。ただ」
言葉を探すように視線が揺れる。
「必要性が、なかったので」
「ええ」
「それに、やり方もわかりませんでした」
「うん」
「だから、今さら手を出すのも不自然な気がして」
「クラリス」
ルシアンは鏡越しに彼女を見た。
「今さら、なんてことは何もないの」
「……」
「似合うかどうかは、試してから決めればいいし、やり方は覚えればいいのよ」
「……」
「それに、誰だって最初は知らないわ」
自分もそうだった。
最初から、全部わかっていたわけじゃない。
綺麗なものが好きだった。可愛いものも、筋肉も、顔の整った男も好きだった。自分のことだって好きだし、美しく在るための努力も楽しめる。けれど、その全部が最初から自分の中で綺麗に整理されていたわけではない。
わからないまま手を伸ばして、少しずつ、自分の好きなものを自分で選べるようになっただけだ。
だから、クラリスにもその自由を知ってほしかった。
「……あなたは」
クラリスが小さく言う。
「楽しそうですね」
「ええ、楽しいわ」
「なぜですか」
「好きな人を綺麗にするの、楽しいもの」
すると、クラリスは完全に言葉を失った。
鏡の中で耳まで赤くなる。
そこまで赤くなるのなら、もう少し自覚してもいいのに、とルシアンは思う。
「そういうことを」
「軽々しく言わないで、でしょう?」
「……はい」
「軽くないのよねえ」
「……知っています」
最近、その返事が少し柔らかくなった。
それが嬉しい。
結局その日は、小さな髪飾りと、休日用の襟飾り、それから薄い色の手袋を一組だけ買った。どれも高価すぎず、けれどしっかりした作りのものだ。クラリスは店を出るときまで、本当にこれでよかったのだろうかという顔をしていたが、その手にはちゃんと包みを抱えていた。
その姿がすでに少し可愛らしい。
帰り道、街の大通りを並んで歩きながら、ルシアンはちらりとその包みを見た。
「後悔してる?」
「していません」
「本当に?」
「……少し、不思議な気分ではあります」
「どういう?」
「自分で買うとは思っていなかったので」
「そう」
「ですが」
そこで、クラリスは少しだけ視線を伏せた。
「……嫌ではありません」
その一言で、今日の買い物の価値は十分だった。
家へ戻ったあと、ルシアンはさっそく「つけてみましょうよ」と言った。まだ昼下がりで、窓の外の光も明るい。せっかくなら、その日のうちにもう一度ちゃんと見たい。
クラリスは少し迷っていたが、最終的には折れた。
「少しだけです」
「ええ、少しだけ」
居間の窓辺に立たせる。
淡い光の中で、先ほど買った髪飾りをもう一度結い目の横へ留める。今度は店の鏡ではなく、自宅のいつもの鏡台だ。見慣れた場所で見ると、印象はまた少し違う。
襟飾りも合わせる。
白い刺繍が首元をやわらかく縁取り、灰青の服にほんのりと明るさが差す。髪飾りの淡い石が光を拾うたびに、きっちりした輪郭の中へ、少しだけ“遊び”が生まれる。
ルシアンはしばらく見入ってしまった。
「……」
「何ですか」
「だめね」
「またですか」
「想像してたよりずっと素敵」
「……大げさでは」
「大げさじゃないの」
そう言うと、クラリスは鏡の中の自分とルシアンの顔を見比べた。
たぶん、ルシアンが本気なのかどうかを見極めようとしているのだろう。そういう慎重さもまた彼女らしい。
だから、ルシアンは冗談っぽさを抜いた声音で言った。
「クラリス」
「はい」
「あなたは、何も足さなくても十分きれいよ」
「……」
「でも、少しだけ選んだものを乗せると、“あなたが自分を大事にしてる”って見えて、私はすごく好き」
「……自分を、大事に」
「ええ」
クラリスが鏡の中の自分を見る目が、ほんの少しだけ変わった。
似合うか似合わないか。
変ではないか。
そういう評価の目ではなく、もっと静かな確認へ変わる。
自分を大事にする。
その言葉は、クラリスにとって新しかったのかもしれない。
彼女は真面目だ。仕事も、人も、誠実に扱う。けれど、“自分自身”に対しては、必要最低限以上の手をかけることに、どこか遠慮があった。そんなことをしている暇があるなら、もっと優先すべきことがあると、ずっとそうやって生きてきたのだろう。
だからこそ、その優先順位の中に自分を少しだけ入れてほしいと思う。
「……ルーシー」
不意に呼ばれて、ルシアンは顔を上げた。
最近少しずつ増えてきたその呼び方も、まだ毎回ちゃんと嬉しい。
「何?」
「これをつけていて」
「ええ」
「……変では、ないのですね」
「全然」
「あなたがそう言うなら」
「もっと自信持っていいのに」
「……そこはまだ、難しいです」
鏡の中で、クラリスは少しだけ困ったように笑った。
その表情に、ルシアンは完全にやられた。
だめだ。
これは本当にだめ。
可愛い。好き。困る。
「……あなた、今すごく可愛いこと言ってる自覚ある?」
「ありません」
「そうでしょうね」
「何ですか、その諦めたような返事は」
「だって、自覚したらあなたじゃないもの」
「意味がわかりません」
「わからなくていいの」
そう言って、ルシアンはふっと笑った。
鏡の前に立つクラリスは、まだ少しぎこちない。いつもの自分と違うものを身につけているのだから当然だ。けれど、そのぎこちなさの中に、確かに“嬉しそうな気配”があることを、ルシアンはちゃんと見ていた。
興味がなかったわけではないのだ。
ただ、知らなかっただけ。
どう向き合えばいいのか。
それが少しでも、今日変わったのならいいと思う。
「ねえ」
ルシアンが言う。
「今度、お休みの日にもう少しだけ違うのも見に行かない?」
「……またですか」
「またよ」
「増えすぎるのは困ります」
「増やす前提になってるのね」
「否定はしません」
「あら、嬉しい」
クラリスは鏡越しにこちらを見た。
「ただし」
「はい」
「私ひとりでは選べません」
「ええ」
「ですから」
そこで少しだけ間が空く。
「……あなたが、一緒にいてください」
ルシアンはしばらく黙ってしまった。
そんなことを、そんな真面目な顔で、そんなふうに言うの。
本当に、あなたはずるいわね。
「もちろん」
ようやくそう返すと、声が少しだけ掠れていた。
「何度でも、一緒に選ぶわ」
「……ありがとうございます」
「お礼はいらないの。私がしたいんだから」
「そういうところは、一貫していますね」
「好きなことには一貫する主義よ」
そう返すと、クラリスは小さく頷いた。
窓の外では、午後の光がやわらかく傾き始めている。庭の葉が風に揺れ、室内に木漏れ日のような影を落とした。
鏡の前に立つクラリスは、いつもと少しだけ違う。
けれど、違いすぎない。
それがよかった。
彼女らしさを消さずに、彼女の中に元からあったものを少しだけ前へ出す。そういう変化が、いちばん綺麗だと思う。
そして、その変化を一緒に見つけていけることが、どうしようもなく嬉しかった。
「……ルーシー」
また呼ばれる。
「何?」
「この飾りは」
「うん」
「休日だけにします」
「ええ」
「仕事の日にはつけません」
「もちろん」
「ですが」
クラリスは鏡の中の自分を見ながら、ほんの少しだけ口元をやわらげた。
「休みの日に、あなたと出かけるなら」
「ええ」
「……また、つけてもいいです」
その言葉に、ルシアンはもう何度目かわからないくらい胸を撃ち抜かれた。
ああ、やっぱり。
この人の“不器用な肯定”は、どうしてこんなに効くのかしら。
「クラリス」
「はい」
「今すぐ抱きしめたい」
「やめてください」
「断られたわ」
「鏡の前です」
「そういう問題じゃない気もするけど」
「そういう問題です」
「ふふ」
笑ってしまう。
こうして少しずつ、自分の好きなものを自分で選ぶようになっていくのだろう。焦らなくていい。急がなくていい。クラリスはクラリスの歩幅で覚えればいいし、その隣で、似合うわよ、素敵よ、と言える立場にいられるのなら、それだけで十分幸せだ。
いや、十分どころではない。
たぶん、ものすごく贅沢だ。
そんなふうに思いながら、ルシアンは鏡越しのクラリスに微笑んだ。
彼女はまだ少し照れた顔のまま、けれどもう、さっきよりほんの少しだけ自信のある目で、自分自身を見ていた。
お付き合いいただきありがとうございます。
次回番外編は明日18時に更新予定です。




