幕開き
115、幕開き
***
もう……何日、立ったんだろう……。
もう、足も腕も、感覚がない。
まだ腕が動くうちに、ポケットに手を入れられてよかった。
わずかに動く指先で、お守りの感触を確かめた。
なんだか今日はやけに人の気配がする……。
ざわざわと人の声がするが、頭の中で意味を結べない。
ただ揺蕩うように、意識が落ち始めた……。
「ヒロさん!!」
カナエの声が聞こえた。
驚くほど、鮮烈に響いた。
***
「すみません、通してください!」
人垣が厚い。かき分けて進んでいく。
急ぐあまりに、押してしまった人が迷惑そうに振り返る。
でも、構っていられない。
最後の1人を押し退けて、ヒロさんの前に出た。
「ヒロさん!!」
ヒロさんは、乾いて、飢えて……。
割れた唇。肌はシワがよって粉が吹いて白い。
それでも……。
ポカンと口を開けて、目を丸くしてこちらを見ている。
吹き出しそうなくらい、いつもの表情。
黙っていれば貴公子然としているのに、表情を崩したら途端に幼い……。
喉が締め付けられて言葉が詰まる。目の奥が熱をもって視界が曇る。ダメ、泣かない。
ぎゅっと目を瞑って追い出した涙を首振って弾いた。
だって……ご褒美が、待ってるんだ。
「そろそろ暇になって来た頃でしょう?また私のお話を聞いて」
私は、抱きしめるように持って来たノートをヒロさんに見せた。
***
『なになに!?』
『女子高生登場』
『あの人ヒロっていうんだ……』
『お話って何?』
なんだか動きがあったらしい。
ちらほらとあった投稿が徐々にその数を増している。
人が集まってるんだ……。
投稿を目で追っていると、Live配信を見つけた。
思わず立ち止まって、また歩き出した。
気付いたら、早足になっていた……。
『なんか……不思議なお話』
***
「えっ何?」
「あの制服見たことなくない?」
ざわめきの中で、カナエがすっと息を吸い込む音が聞こえた。
――しまった。
雨が降っている。私は塾から出ると寒空を見上げてため息をついた――
耳に優しい声だった。
屋上でいくつも物語を紡いだ声だ。
桃から生まれる赤ん坊の冒険や、ガラスの靴で再会する恋人達……どれも聞いた事の無い話だった。
――だが、この話は……。
カナエがここに招かれた物語だ。
不意に緩い風が吹いて、ノートの端がパラパラと音を立てた。
『秘密!女の子の秘密は魅力だから』
秘密の物語が始まる。




