通り雨
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辛いのは最初の1日だった。
まだ感覚が生きていて、断続的な目眩が止まらない。足が痙攣するように細かく震えた。
みんなに見えていないといい。
2日目になると幾分か楽になった。
代わりに、ひどく足が浮腫んできたのか、靴が窮屈だった。
3日目になると体の渇きがひどく不快だった。
口の中が渇いて、舌を動かすと別の生き物がのたうつような違和感だった。
試しに前を通り過ぎようとする者に声をかけた。
およそ人の言葉では無くて、ひどく驚かせてしまった。
……もう、喋る事もままならないようだ。
この頃になると、立ったまま気を失っている事があるのか、夢を見るような不思議な経験をした。
自分が幼い頃の記憶が、生々しく再現された――。
「顎が2度高い。下げろ」
言われて、わずかに顎を下げれば大人は納得して隣の者に視線を移した。
自分と同じように集められた子供達と並んで、同じ立ち姿、歩き方、喋り方、選び方が出来るように、徹底的に教育された。
会話につまらないように勉学を、不足の事態に備えて武芸を……寝る暇など、ほとんど無かった。
だが、1番辛かったのは――。
「やれ」
狭い、床をくり抜いたような穴が空いている。
穴には水が張られ、自分と似た顔の子供がその中に座っていた。
彼は落第だと言われた。
だからと言って、家に帰れるわけではない。知りすぎている。
結果、殺す事になる。
「解るな、教えた通り、抑えろ」
言われたから、教わった通りに動いた。
震えも涙も、そのままに。
最初はうまくいかなくて、ひどく時間がかかった。
そんな事を繰り返す。
1人死ぬ毎に、俺の中の俺も、死んだ。
やがて候補は2人になった。
俺が残ったのは、彼の身長が伸びなかったからだ。
「おい、俺を殺すお前」
穴の中に座る、俺とよく似た彼が声をかけて来た。……最後だからか、大人は何も言わなかった。
「もしどっかで夕陽を見たら、弔いだと思って俺を思い出してくれよ」
言葉の意味は、よくわからなかった。
「俺が生まれた街の記憶はそれしか無いんだ。体はきっと帰れないから……お前が夕陽に連れてってくれ」
さぁ、とっととやれよ。
言いたい事だけ言って、彼は目を瞑った。
彼の言葉が頭から離れなかった。
サチと、カナエと、港街で夕陽を見た。
今までだって何度も夕陽は見たはずなのに、ここで少し、彼を思い出した。
あれは、自由になったからだろうか。
俺だけが、生き残って……。
『選べねぇのは知らねぇからだ!』
沈みそうになる思考にサチの声が響いた。
砂漠の世界で、城門を砂に還した。
なぜだかわからない。
けれど、それが正しいと思った。
入江の世界でも、何度も夕陽を見た。
大勢で一緒に働いた後に見た夕陽が、染み込むように俺を暖めた。
最後の世界で見た夕陽が、俺の中に宿ったものを縁取った。
俺はこれの名前をまだ知らない。
頬にポタリ……と雨粒があたった。
粒の大きい雨粒が次々と体にあたり、髪に染み込んで、こめかみを通って顎から滴った。
渇き切った体が、水分を求めて勝手に口を開けそうになる。
唇を噛み締めて、耐えた。
口を開けて、上を向けば、この苦しみから幾分かでも楽になれるのに。
だめだ。
飲みたい。
耐える。
辛い。
痛い。
やり遂げる。
眠い。
苦しい。
みんなが……待ってる。
自分の思考がうるさくて、たまらなくなって強く目を閉じた。
しばらくして、雨は止んだらしかった。
緩慢に目を開けると、下がった視線に自分の物では無い足が見えた。
目線だけ、ゆっくりとあげれば傘を差したサチだ。
「夜風にあたろうと思って散歩に来ただけだ」
――嘘だ。わかるんだ。
「…………濡れちまったら、冷えるだろ」
――ほら、やっぱりサチは優しい。
「カナエはちゃんと俺とアヤで無茶しねぇように見とく」
――それに、なんでもお見通しだ。
「鍋……作ってもらわねぇといけねぇからな」
――あぁ……そうだった。
それきり、サチは何も言わなかった。
通り雨が過ぎれば、洗われたように空が澄んで星が見えた。
明日は晴れるといい……。
無性に夕陽が見たくなった。




