出発
「この期に及んでご褒美とはな……」
サチさんはヒロさんの話を聞いてこめかみを揉んだ。
サチさんと一緒に居たアヤさんも連れて屋上に戻れば、ヒロさんは毛布を畳んで食堂に降りるところだった。
少しふらつくヒロさんを支えて、食堂に集まった。
「だがまぁ……最後の晩餐が鍋ってのが俺たちらしくていいじゃねぇか」
サチさんが困り顔で笑えば、ヒロさんも満足気だ。
「ご褒美とは……ヒロは本当に欲張りになったな。好ましいよ」
アヤさんは眩しいものを見るように笑った。
「そろそろ出し切ったし……明日から始めようと思うんだ」
――来た。
ついに始まるのか……。
旅の間、ヒロさんが見せてくれた表情が蘇る。
なんの感情も映さない顔がいつのまにか色を持ち始めた。
ヒロさんは入江の世界で見つけた綺麗な目をしてる。
ほおがこけても、もっと酷い顔になっても……きっと変わらない。
ヒロさんが見つけたヒロさん自身を、ちゃんと、受け止めたい。
「美味しいお鍋準備しとくんで、ちゃっちゃと終わらせちゃいましょ!」
――ヒロさんの世界で、私は生きたい。
***
木戸の前。
窓から射す、白い朝の光が床に伸びて道のように見えた。
ヒロさんは道の入り口に立って、こちらに振り返った。
クリーム色の麻のジャケットに同じ色のパンツ。インナーは白いシャツ。キャメル色の革靴。
――見覚えがある。
初めてヒロさんを見つけた時に着ていた服だ。
あの時より服は少しだぼついていた……。
「鍋には鶏つくねを入れて欲しい。ショウガがいいアクセントになってて好きなんだ」
ジャケットの襟を正してそう言うヒロさんは、どこまでもヒロさんだ。
よく眠れたのか、声には張りがある。
昨日の夜、こっそり様子を見に行った。
雑巾がヒロさんを温めるように胸の上にいた。
茶器さんたちも寄り添って、ティーポットからは加湿器みたいに湯気が出ていたっけ。
「白菜はたんまり入れろ。シャキシャキとクタクタにハマったからな」
サチさんがヒロさんの軽口に乗る。
ヒロさんと飲み明かしたあの屋上で、伝えたい事は全部伝えられたんだろう。
早く帰ってこいよ!と、肩をポンと叩いた。
「エビも入れよう。ちゃんと殻を剥くとうまい」
「アヤさん、もう殻はたべないで下さいね!」
思わず突っ込んでしまった。
アヤさんが柔らかい。色んな人を最後の世界で見送ってきたんだろう……。
でも、こんなに呑気な会話で送り出すのはきっと私たちだけ。
「ヒロさんのわがままがみんなにうつっちゃったみたい。私は餅巾着いれたい!」
餅巾着ならおでんなんだろうけど……鍋に入れたってきっと美味しい。
耳馴染みの無い食材に、みんながなんだそれは!?と食いつくのが面白くて笑ってしまう。
「モチキンチャクも気になるし、早く帰ってくるよ」
そう言って木戸に向かうヒロさんをみんなで見送った。
「いってきます」
「いってらっしゃい」
いつもと同じ言葉を交わす。
いつもと同じ温度で……。
でも……。
雑巾が、茶器さん達が寿ぐように揺れた。
この時ほど、おかえりが言えますようにと祈った事は無い。
引き留めそうなる手を、後ろ手に握って……強く握りしめた。




