小山判官
享徳三年(一四五四年)の秋、蝦夷ヶ島。
花沢館の浜では、津軽から渡ってきた商船の荷揚げが続いていた。
米俵や塩、布、鉄の道具が船から降ろされ、代わりに昆布や干魚、獣の皮などが積み込まれる。
浜の一角には薪が高く積まれ、冬を前にした家々からは、食糧や燃料を買い求める者が集まっていた。
武田信広は、浜を預かる郎党が船荷を改める様子を見ていた。
安東師季に従って蝦夷ヶ島へ渡ってから、数ヶ月が過ぎている。
信広は花沢館で客人として遇されていたが、師季の供をする以外に、ときどき館の仕事を手伝うようになっていた。
浜では、船荷を取り仕切る郎党が、船頭と何やら言い争っていた。
「岩亀から、また使いが来たぞ。どうしてくれる」
「荷を降ろしたら向かうと言っておるだろう」
「先に岩亀へ寄る約束だったそうではないか」
「津軽で荷が増えたのだ。仕方あるまい」
「それなら、向こうへ知らせておけ。こちらへ文句を持ち込まれても困る」
「わしに言われてもな。商人に言ってくれ」
「そなたの船の話だろうが」
船頭は顔をしかめ、足早に積み荷の方へ歩いていった。郎党はその背中を睨み、舌打ちした。
信広は少し離れたところから、その様子を見ていた。
その日の夕刻、信広は蠣崎季繁に呼ばれた。
「岩亀館へ使いに行ってもらいたい」
季繁は書状を差し出した。
「塩の件で小山の悪四郎に話を通しておきたい。浜の者同士で争わせておいても仕方がないからな」
「承知いたしました」
信広が書状を受け取ると、季繁は少し顔をしかめた。
「ただし、あの男には気をつけよ」
「小山殿にございますか」
「うむ。以前、わしの館に客として迎えたことがある。下野の小山氏の一族というので、それなりにもてなしたつもりだったが、あれは何かにつけて家柄を持ち出す男でな」
季繁は苦笑した。
「席次が違う、盃の順が違うと、いちいち口を出しおった。こちらが館主だということを、忘れておるようだった」
「それで、岩亀へ移られたのでございますか」
「最初は花見岱に館を構えた。のちに岩亀へ移ったが、いずれにせよ、わしのところにいるのは性に合わなかったのであろう」
季繁は信広を見た。
「結城の合戦に加わった男だ。武芸の腕も確かだが、気性が激しい。悪四郎という名は伊達ではないぞ」
信広は頷いた。
小山隆政が結城合戦の生き残りであることは、以前にも季繁から聞いていた。
信広が武芸を師事した犬塚番作も、あの戦に加わった一人だった。もっとも、二人が面識を持っていたかどうかは分からない。
最後に季繁は信広の顔を見て付け加えた。
「武田殿。そなたは、あの男のようになってくれるなよ」
信広は、返事に困った。
*
翌朝、信広は郎党一人を伴い、岩亀館へ向かった。
花沢館を出てしばらくは、海岸に沿って北へ進んだ。
左手には海が広がり、右手には木々の茂った山が迫っている。ところどころに小さな沢が流れ込み、その河口には舟を引き上げた浜があった。
家々の軒先には魚が干され、山側の斜面には冬の薪にするために伐り出した木が積まれていた。
道は岬を回るたびに細くなり、岩場では馬を下りて歩かねばならないところもあった。
沖には雲が低く垂れ込め、海から吹きつける風には、すでに冬の気配が混じっていた。
昼近く、小さな浜に出たところで、舟を修繕している年配の男を見かけた。信広が岩亀への道を尋ねると、男は手にした木槌で北の岬を指した。
「判官殿の館なら、あの岬を二つ越えた先だ」
「判官殿は、どのようなお方だ」
「礼にはうるさいお人だな。だが、約束したことは守られるし、悪いお人ではない。うちの倅が舟を傷めたときにも、館の者を寄越してくださった」
男は笑った。
「もっとも、礼を申しに行くのが遅れたら、ひどく叱られたそうだが」
信広も笑い、礼を言って先へ進んだ。
次の浜では、数人の男が舟を陸へ引き上げていた。身なりや言葉から、和人ではないと知れた。そのうちの一人が、信広たちの馬を見て声をかけてきた。四十ほどの、日に焼けた男だった。和人の言葉をいくらか話せるらしい。
「どこへ行く」
「岩亀の館だ」
「エシャシか」
「エシャシ?」
男は北の方角を指した。
「あの岬の向こうだ。ハンガンカムイの館がある」
「ハンガンカムイとは、判官殿のことか」
男は頷いた。
「強い男だ。あそこで大勢殺した」
「戦があったのか」
「判官が来たときだ。あの浜には、わしらの仲間がいた。舟を置き、魚を干していた」
男は舟の舷に手を置いた。
「判官は、そこに館を建てると言った。仲間の長は断った。戦になった」
「それで、どうなった」
「長は死んだ。生き残った者は、山の向こうへ行った」
信広は北の岬を見た。海岸に沿って木々が続き、その先はここからでは見えなかった。
「今も、そなたたちは判官殿と争っておるのか」
「いや。あの館へ魚を持っていく者もいる。鉄を買う者もいる」
男は傍らの舟を見下ろした。
「だが、あの浜へは戻れぬ」
近くにいた若い男が何か声をかけた。男はアイヌの言葉で答え、再び舟を引く仕事に戻った。
信広は礼を言い、馬を進めた。
さらに進むと、荷を背負わせた馬を連れた商人の一行と行き会った。津軽から渡ってきた者たちで、岩亀で商いを済ませ、花沢へ向かうところだという。
小山判官の名を出すと、商人の一人が言った。
「あの方と商いをするなら、決めたことは忘れぬ方がよろしい。去年の約束でも、昨日のことのように覚えておいでですから」
「理不尽なことを申されるのか」
「いいえ。むしろ、話は通じるお方です。ただ、こちらの言い分が筋違いなら、相手が誰でも容赦なさいませぬ」
信広は礼を言って別れた。
季繁から聞いた話と、浜の者たちの話は、少しずつ違っていた。だが、約束や礼を重んじるというところは、誰の話にも共通していた。
やがて道は海から離れ、緩やかな坂を登り始めた。
木立が途切れると、眼下に広い浜が見えた。浜には舟が幾艘も引き上げられ、その背後には小さな家々が集まっている。
さらに向こうには岩礁が連なり、白い波が砕けていた。
岩亀館は、その浜を見下ろす高みにあった。
花沢館ほど大きくはないが、柵や門はよく手入れされていた。門の脇には薪が整然と積まれ、庭では若い郎党たちが弓の稽古をしている。
信広が馬を下りると、門番が名を確かめ、奥へ取り次いだ。
ほどなく、一人の武士が現れた。
白髪の交じった髪を後ろで束ね、広い肩を持つ男だった。年は五十を過ぎているように見えたが、背筋はまっすぐで、歩き方にも衰えは感じられない。
「武田信広殿か」
「はい」
「小山悪四郎だ。蠣崎殿の使いと聞いた」
信広が頭を下げると、隆政は軽く頷いた。
「遠いところをよう参られた。まずは中へ入られよ」
広間へ通されると、湯が運ばれてきた。
隆政の傍らには、四十前後と見える武士が控えていた。隆政より幾分小柄で、日に焼けた顔をしている。
「長門藤六広政だ。わしの義弟でな。館のことは、たいていこの男に任せておる」
「長門にございます。どうぞお見知りおきを」
藤六は丁寧に頭を下げた。
隆政は信広から書状を受け取り、しばらく黙って読んでいたが、やがて口元を緩めた。
「季繁殿は、わしが塩を横取りしようとしておると思っているらしい」
「そのようなことは、書状には」
「書いておらぬ。だが、あの男の考えそうなことよ」
隆政は声を立てて笑った。
「藤六、浜の者を呼べ」
「承知いたしました」
ほどなく、岩亀の浜の者が広間へ通された。
隆政は船の到着予定を確かめ、花沢で荷を降ろしてから岩亀へ回ることになったと聞くと、眉を寄せた。
「先に知らせを寄越せば済む話ではないか。まったく、待つ身にもなってみよ」
「塩の俵数は変わらぬと聞いております」
傍らから藤六が言った。
「船が来れば、すぐに荷を受け取れるようにしておきます」
「うむ。そうしてくれ」
隆政は浜の者に向き直った。
「そなたも、船が来ぬなら確かめに行けばよかった。待っているだけでは塩は届かぬぞ」
浜の者が頭を下げると、隆政はもう下がってよいと手を振った。
信広は黙ってその様子を見ていた。
隆政は、季繁の話から想像していたほど気難しい人物ではなかった。船が約束どおりに来なかったことには腹を立てているが、事情が分かれば、それ以上は騒がない。
藤六も、隆政が細かく指図するまでもなく、必要な手配を進めていた。
用件が済むと、隆政は信広に酒を勧めた。
「ところで、そなたは弓がうまいそうだな」
「多少は心得ております」
「熊を一矢で仕留めたと聞いた。どこで習った」
信広は盃を置いた。
「関東で、武芸を教わったことがございます」
「関東か。師の名は」
「犬塚番作殿と申します」
隆政の目が動いた。
「犬塚番作?」
「ご存じでございますか」
「結城で見たことがある。頬に傷のある男ではないか」
「はい」
「そうか。あの男がそなたの師か」
隆政は頷いた。
「番作は生きておったのだな。あの戦では、ずいぶん人が死んだからな」
信広は、それ以上は何も言わなかった。隆政も詳しく尋ねず、酒を飲んだ。
「わしも結城を落ち延びた一人よ。安房の里見義実も知り合いだ。あれも今では一城の主になったという」
信広は里見義実という名を知らなかったが、隆政はたいそう得意そうだった。
「結城の年には、京でも赤松が将軍を屋敷に招いて討った。あれから十余年、世の中は少しも静かにならぬ」
「嘉吉の変でございますな」
「うむ。関東でも、公方と上杉がまた揉めておるという。いずれ大きな戦になるやもしれぬ」
隆政は盃を干し、藤六に酒を注がせた。
「わしは関東に戻るあてもなく、奥州をさまよっておったが、そこでこの藤六と知り合うた。出羽の男でな」
「殿がこちらへ渡られる前のことでございます」
藤六が言った。
「その頃からのお付き合いでございますか」と信広が尋ねると、隆政は頷いた。
「もう十年以上になる。あの頃は、わしも随分と世話になった」
「今もあまり変わりませぬ」
藤六がそう言うと、隆政は笑った。
「口の減らぬ男よ」
藤六も笑い、隆政の盃に酒を注ぎ足した。
「そういえば、小山殿は判官とお呼びするよう、門の者から伺いましたが」
信広が尋ねると、隆政は嬉しそうに顔を上げた。
「おお、それか。奥州におった頃、ある寺で面白い話を聞いてな。九郎判官義経公は、衣川では死なず、さらに北へ逃れたというのだ」
「義経公が」
「うむ。海を渡り、この蝦夷ヶ島まで来られたという。どこまで本当かは知らぬがな」
隆政は盃を置いた。
「わしもあの頃は、関東へ戻る道が見えず、奥州にも落ち着く先がなかった。それなら、判官殿の渡られたという島を見てみようと思ったのよ」
「その話を聞いて、海を渡ると決められたのですか」
「ほかにも事情はあったが、あの話には心を動かされた。義経公には遠く及ばぬが、わしも戦に敗れて北へ流れた身。判官の名くらい借りても、罰は当たるまい」
「殿は、渡海する前から判官を名乗ると仰せでした」
藤六が口を挟んだ。
「わしは、まず海を無事に渡ってからになされてはと申し上げたのですが」
「ははは。そうであったな」
隆政は愉快そうに笑った。
「もっとも、季繁殿は気に入らぬらしい。何の判官だと、会うたびに申しておった」
信広は、返事の代わりに軽く頭を下げた。
「そなたはどう思う」
「義経公にあやかろうとなさるお気持ちは、分かるように存じます」
「ははは。そなたは、なかなか口が堅いな」
隆政は思い出したように、手を打った。
「それはともかく、そなたの弓を見せてもらえぬか」
庭に出ると、藤六が郎党に命じて的を立てさせた。
信広は弓を受け取り、距離を確かめてから矢を番えた。
一射目は的の中央に当たった。
隆政は頷いた。
「もう一射」
信広が二本目を放つと、矢は先の矢のすぐ脇に突き立った。
「なるほど。番作も、よい弟子を持ったものだ」
隆政はそう言って笑った。
「また来い。今度は、わしの弓も見せよう」
信広は頭を下げた。
帰り際、隆政は藤六とともに門まで見送った。
「季繁殿には、よろしく伝えてくれ」
「承知いたしました」
「もっとも、あの男は、わしの名を聞くだけで機嫌を悪くするかもしれぬがな」
隆政は愉快そうに笑った。
藤六は信広の馬を引いてきた郎党に声をかけ、手綱を確かめさせた。
「船の件では、お手数をおかけしました。蠣崎殿にも、明朝には荷を運ぶとお伝えください」
「承知いたしました」
信広が馬に乗ると、藤六は一礼した。その傍らでは、隆政がまだ上機嫌で笑っていた。
*
花沢館へ戻ると、季繁はすぐに信広を呼んだ。
船の件を報告すると、季繁は頷いた。
「それならよい。悪四郎も、話の分からぬ男ではない」
「よくしていただきました」
「ほう」
季繁は少し意外そうな顔をした。
「そなたには愛想がよかったか」
「武芸の師を知っておられましたので」
季繁は苦笑した。
「あれは、武芸の話となると機嫌がよい。だが、家柄の話になると厄介だ。わしも昔は、何度も腹を立てたものよ」
「それでも、今は行き来がございますな」
「近隣同士だからな。いつまでも昔のことで争ってはおれぬ」
季繁は信広を見た。
「そなたも、あの男と親しくするのは構わぬ。ただし、あれの言葉を何もかも真に受けるでないぞ」
「心得ております」
信広は頭を下げた。
*
秋が深まるにつれ、花沢館では冬の支度が始まった。
浜では舟を陸へ引き上げ、家々の軒下には薪が積まれた。干した魚や昆布が倉へ運び込まれ、米俵の数を確かめる声が朝から聞こえた。
信広は、蝦夷ヶ島の冬がどのようなものか、まだよく知らなかった。
若狭でも丹後でも雪は降った。関東でも冷え込む日はあったし、陸奥の山では深い雪を見たこともある。
しかし、花沢の人々が冬支度に費やす手間は、それまで信広が見てきたものとは少し違っていた。
ある日、信広が薪を運んでいると、雪が小萩を伴って現れた。
「武田殿、またお手伝いですか」
「はい」
「お客人なのですから、そこまでなさらなくても」
「何もせずにいるのも、落ち着きませぬので」
雪は笑った。
「父上も、同じようなことをおっしゃいます。館の者が働いているのに、自分だけ座っておれぬと」
「季繁殿らしいお言葉です」
「でも、父上が薪を運ばれると、皆が困るのです。置き場所を変えられたり、積み方を直されたりして」
小萩が笑った。
「姫様も、よく似ておいでです」
「わたくしが?」
「はい。昨日も、干し魚の並べ方を直しておられました」
「あれは、日が当たりにくかったからです」
「皆、殿と同じことをなさると申しておりました」
雪は小萩を睨んだが、すぐに笑った。
信広は二人のやり取りを聞きながら、薪を積み終えた。
「武田殿は、こちらの冬は初めてでございましょう」
雪が尋ねた。
「はい」
「寒さには、お強いのですか」
「陸奥の山で冬を過ごしたことがございます」
「それなら、雪には慣れておいでですね」
「多少は」
「でも、こちらは風が違います。海から吹く風は、着物の中まで入ってまいりますから」
雪は空を見上げた。
「もうじき、浜に立っているのも嫌になる日が来ます」
「そのような日にも、船は出るのですか」
「出ることもございます。でも、無理をしてはいけません。父上は、風を見て船を止めることもあります」
信広は頷いた。
「それは、覚えておきます」
雪は少し得意そうに笑った。
「ほかにも、教えて差し上げられることがございますよ」
「では、また伺います」
「ええ。冬の間は、外へ出られぬ日も多くなりますから」
「そのときは、よろしくお願いいたします」
信広が頭を下げると、雪は笑った。
「姫様、そろそろお戻りになりませぬと」
小萩が促した。
「そうですね。武田殿も、あまりお身体を冷やされませんように」
「お気遣い、かたじけのうございます」
雪と小萩が館へ戻ると、信広は残りの薪を軒下へ運んだ。
浜の方からは、舟を引き上げる者たちの掛け声が聞こえていた。沖には低い雲が広がり、海から吹く風が、積み上げた薪の間を抜けていった。
小山判官隆政は実在性は不確かなものの、伝承に名前が残る人物です。
ただし、一時期蠣崎季繁のもとに身を寄せていたというのは本作の創作設定です。花沢館そのものを小山隆政が築いたという伝承もあることを踏まえています(一時的な逗留が後世に誤伝されたというもの)




