新しい日常
エースパイロットに抜擢されてから、俺の日常には少し変化があった。
知らない戦闘員から挨拶をされることがある。新人から尊敬の眼差しを向けられ、飛行隊に入りたいと言われることもあった。
「すまんが、配属を決めてるのは俺じゃない」
何度も同じことを言わされて、最近は返事をする前からうんざりしていた。
知らない女から声をかけられることも増えた。酒場で隣に座られたり、配給カウンターの前で名前を呼ばれたりする。試合映像で俺を見たという女にまで好意を向けられると、少し居心地が悪かった。
戦闘では、別の形で目立つようになった。
エースの機体は、迷彩を捨てた派手な色に塗られている。敵にも観客にも、どこにいるか分かりやすい。敵機が俺を狙ってくるのは早くなった。撃墜すれば見せ場になり、撃ち落とされればもっと分かりやすい見せ場になる。専用色は名誉の印というより、運営が観客に示す目印だった。
それでも、俺の小隊は今のところ誰も死んでいなかった。
出撃のたびに飛行隊全体では欠員が出る。隣の小隊に補充された戦闘員が、次の戦闘では戻らないこともある。それなのに、俺の小隊だけはネッサもペトルもマルクも生きて戻っていた。
珍しいことだった。
だからこそ、俺に注目が集まっているのかもしれない。生き残ることまで、いつの間にか見世物の一部になっていた。
そんな忙しない生活の中にも、変わらない人間はいる。
イリヤは相変わらず、出撃表と機体の整備記録を見比べていた。俺がエースになったからといって、彼の口調が変わることはない。飛行隊の副長として、二十機ほどの機体と人員をどう動かすかを考え続けている。
「次の訓練、時間をずらした。機体の整備が間に合わない」
「何機だ」
「二機。お前のところは予定通りだ」
「分かった」
それだけのやり取りで終わる。昔からそうだった。
レンナも俺に対する態度を変えなかった。俺の機体を点検する時、彼女が見ているのはエースの名前でも、塗装でもない。装甲の傷やノズルの振動、俺が出した整備申告だった。
彼女とは気軽に飯に行ける。必要な工具を買いに行くついでに、売店を覗くこともある。食事中に無理に話を続けなくていい。黙っていても、次に何を注文するか聞けば済む。
疲れない相手は助かる。
昼の話でも、夜の話でも。
それを口にすると、レンナは「便利な言い方ね」と言って、俺の皿から焼き過ぎた合成肉を一切れ取った。俺は返せとは言わなかった。
エースになっても、日常そのものは大きく変わらない。
朝、表示パネルで出撃や訓練の予定を確認する。顔を洗い、歯を磨き、食堂で飯を食う。その後は割り当てられた仕事をする。仕事の中身が頻繁に殺し合いになる。それだけだ。
仕事が終われば酒を飲む。気が向けば女を抱く。報酬の配給日なら、酒の量は少し増える。そうでなければ三杯か五杯。翌朝に操縦桿を握れる程度には抑えていた。
その程度の調整を、俺は長いこと続けている。
ある朝、飛行隊の点呼が終わったあと、イリヤが一枚の配属票を俺に渡した。
「お前の小隊に新人が一人入る」
「補充か」
「そうだ。要塞生まれ。十七歳。誕生日を迎えたばかりだそうだ」
「飛行経験は?」
「訓練課程は終えてる。実戦はない」
俺は配属票を見た。名前の欄には、リオ・サントスとあった。
俺が中隊長を務める飛行隊は、四つの小隊で編成されている。俺の隊長機を含む小隊は五機編成で、僚機が四機。イリヤの副長機を含む小隊も五機編成だ。残る二つの小隊は四機ずつ。合計すれば十八機で、予備機や補充待ちを含めて、飛行隊全体は二十機前後になる。
ただし、名簿どおりの機体が揃って飛ぶことは少ない。整備の遅れ、負傷、戦死。理由はいくらでもある。リオの配属で、俺の小隊は久しぶりに五人になった。
その日の午後、リオは格納庫にやってきた。背はまだ伸びきっていないように見える。制服の袖が少し余り、首輪だけが身体に不釣り合いなほど、ぴったりと喉元を囲んでいた。
要塞生まれだと聞いていた。だが、俺の知っている要塞生まれの新人とは雰囲気が違う。
彼は格納庫に入ってくるなり、周囲を見回した。
「うわ、これが隊長機ですか。思ったより派手ですね。敵から見つけてくださいって、機体に書いてあるみたいだ」
「実際、そういう色だ」
「じゃあ、敵も狙いやすい」
「よく気づいたな」
「褒められた」
「褒めてない」
リオは笑った。誰かを笑わせようとしているのか、緊張を隠しているのか、俺にはまだ分からなかった。とにかくよく喋る。整備士に挨拶し、機体の名前を尋ね、見学に来た別小隊の戦闘員にまで話しかけた。
可愛らしい小僧だとは思った。
ただ、こういうお調子者から先にいなくなる。それがここの通例だった。
「今日は戦闘アンドロイドとの模擬戦だ」
イリヤが訓練内容を告げた。リオは訓練区画の機体を眺めた。
「実戦機と同じ型ですね」
「訓練機だ。模擬弾を積んでる」
「了解です。隊形を守ります」
素直な返事だった。だが、目はすでに訓練区画の機体へ向いている。
訓練区画の入口には、別の訓練枠を待つ戦闘員たちがいた。その中に、トマ・イセがいた。彼は並んだ機体を見てから、近くにいたイリヤに尋ねた。
「あれも、店や通路にいるアンドロイドと同じですか?」
「違う。戦闘用だ。大型興行やパレードで出撃する」
「人間みたいに、自分で操縦するんですか」
「そうだ。機体の性能はこっちより低い。装甲も薄い。運営はやられ役として扱ってる」
トマは返事をせずに機体を見つめていた。見慣れないものを前にした顔だった。リオは何も聞かなかった。要塞で生まれた彼にとって、戦闘アンドロイドは珍しい存在ではないのだろう。
戦っているのは、人間だけじゃない。機械の兵士もいる。運営や店で働くアンドロイドとは違い、戦闘用のアンドロイドには個性が与えられていた。会話ができる。仲良くなることもあれば、喧嘩をすることもある。
だけど、俺達はあまり仲良くする事を避けている。なんでかって?彼らが撃墜すると全く同じ性格や癖を持った同じ見た目のアンドロイドが追加されるが、そいつらには俺らと暮らした記憶はないんだ。初めましてからスタートする。
俺も子供の頃に仲良くなったアンドロイドから急に俺の事を忘れられたと錯覚してショックを受けた物だ。
今日の相手は四機だった。
四機に乗っているのは、無人機を遠隔操作する人間ではない。それぞれ専用の機体を操縦する、戦闘用アンドロイドだ。俺たちの機体と同じようにコックピットに座り、自分で機体を操る。運営の指示を受けるだけの機械でもない。個別の性格を持ち、戦闘中に判断し、通信で言葉を交わす。
一番機のミカは慎重で、距離を取りたがる。二番機のロルフは相手を挑発して判断を乱す。三番機のサビーネは口数が少なく、必要な報告だけを返す。四番機のオスカーは接近してから相手の反応を見る癖があった。
模擬戦の前、ミカが通信を入れてきた。
『今日はよろしく。新しい人が入ったと聞いた』
「リオだ。実戦は初めてだ」
『そうか。無理をしないよう伝えてくれ』
「本人に言ってくれ」
『本人にも言う』
リオの機体に通信がつながった。
『リオ、無理はしないように』
「はい。よろしくお願いします」
その声は、さっきまでの調子より少しだけ硬かった。
訓練用の機体は実戦機と同じ型だったが、砲は模擬弾に換装されていた。被弾判定が出れば訓練終了。だが、機体同士がぶつかれば模擬戦では済まない。宇宙空間での衝突は、訓練用の装甲を簡単に壊す。
「隊形を崩すな。敵を追い過ぎるな。リオは俺の後ろにつけ」
「了解です」
信号が鳴り、訓練が始まった。
俺たちは広い訓練宙域へ出た。廃棄された輸送船の残骸が、目印のように何隻も浮いている。ミカたちは散開し、こちらの小隊を外側から囲むように動いた。
「右側、ロルフが誘ってる。輸送船の陰にオスカー」
ネッサの声が入る。小隊に来たばかりの彼女は、まだ俺の指揮の癖を測っているところだ。それでも、状況を見る目は落ち着いていた。
「リオ機、速度が落ちていません。左に切ると残骸に接触します」
ペトルが続けた。彼は位置と速度を確かめ、必要な情報だけを伝えてくる。
「隊長、俺が後ろを押さえます」
マルクも通信に入った。訓練成績は悪くないが、実戦経験は浅い。それでも、今は自分が何をすべきか分かっている。
「全機、左へ寄せる。リオ、俺の位置を維持しろ」
「了解です」
その瞬間、ロルフが急加速した。
リオの機体が前へ出た。
「リオ、待て」
俺の警告を聞くより先に、彼はロルフを追い始めた。残骸の隙間へ飛び込み、相手の進路を塞ごうとする。動きは速かった。訓練課程で身につけた操縦技術もあるのだろう。
だが、ロルフは逃げていたわけではなかった。
『おいで。そっちは空いてるぞ』
ロルフが軽い口調で言う。リオはその挑発に乗った。彼の機体がさらに加速する。
「リオ、追うな。戻れ」
返事がない。
ロルフが進路を変えた。リオの機体は追従し、輸送船の残骸へ近づいていく。その先には、オスカーが回り込んでいた。
「リオ、減速しろ!」
「速度、まだ高い。右に逃げると俺たちと重なります」
ペトルの声が続いた。
「隊長、後方は見ています。リオを残骸から離してください」
マルクが言った。
「了解。射線は取るな。退路を空けろ」
「了解」
ネッサの機体が左側を押さえ、マルクは後方の間隔を保った。リオは急に操縦桿を引き、残骸を避けようとした。機体の鼻先が大きく跳ねる。
俺はリオの進路へ割り込み、翼を傾けて彼の機体を残骸から遠ざけた。警告音が鳴る。俺の機体の左翼が、リオの右の翼端をかすめた。
ロルフは追撃をやめ、ミカが残骸の向こうへ抜ける。ネッサが俺たちの左を塞ぎ、ペトルがリオの後方を確保した。訓練宙域の表示に、接触警告が点滅している。
「リオ、機体を止めろ」
今度は、彼は従った。
俺たちも動きを止めた。模擬戦は中断され、訓練宙域の信号が黄色に変わる。
「機体に損傷は?」
「ありません」
リオの声から、笑いが消えていた。
「相手はどうだ」
「全機、問題なし」
「分かった。隊形に戻れ」
訓練は再開された。誰も撃墜されなかった。だが、俺の左翼には小さな擦り傷がついた。機体をぶつける前に、リオの進路へ割り込んだ時のものだった。
二度目の接敵で、ロルフはまたリオを誘った。
『今度は来ないのか?』
リオの機体が前へ出かけた。
そこで一度、止まった。
彼はすぐには追わず、俺の位置を確かめた。続けてネッサとペトルの機影を確認し、ロルフの進路を読む。機体を少しだけ旋回させ、敵の退路に回った。
「その位置だ。追うな」
「はい」
リオの機体は、撃てる距離に入っても引き金を引かなかった。ロルフが離れた後も、彼は隊形を保った。
その隙に、ネッサが模擬弾を当てた。ロルフの機体に被弾判定が出る。
『今のは俺の負けだな』
ロルフが愉快そうに言った。
「そうだな」
俺が答えると、リオは小さく息を吐いた。勝ったからではない。さっき自分が何をしようとしていたか、ようやく分かったのだろう。
模擬戦はその後、予定通りに終了した。俺たちは誰も撃墜されず、アンドロイド側も一機だけ被弾判定が出た。訓練結果としては悪くない。ただし、リオの最初の突進は記録に残るだろう。
格納庫へ戻ると、レンナが俺の機体を見ていた。彼女は翼の擦り傷を見つけると、すぐに作業端末を開いた。
「これ、訓練で?」
「少し擦っただけだ」
「少しでも記録は記録よ」
彼女は傷の位置を入力した。指先が翼の縁をなぞる。俺はその横で、ヘルメットを外した。汗がこめかみから流れ、首輪の縁に沿って乾いていく。
「新人は?」
「機体は無事だ」
「本人は?」
「大丈夫だ」
レンナは俺の顔を見た。俺は肩をすくめる。
「次からは、前に出過ぎないように教える」
「あなたが?」
「隊長だからな」
「エースだからじゃなくて?」
「それは運営が勝手につけた呼び名だ」
レンナは小さく笑い、端末を閉じた。
「レン、食堂に行く?」
「今日は酒じゃなくて飯だ。反省会だ」
「誰の?」
「小隊のだ。レンナも来るか?」
彼女は俺の顔を見てから、少し笑った。
「整備の話もするなら行く」
俺たちは小隊全員で食堂へ向かった。ネッサ、ペトル、マルク、リオ、レンナ、それに俺が同じテーブルについた。配給の合成肉と、冷めかけたスープが並ぶ。
「リオ、二度目は隊形に戻れたわね」
ネッサが皿を置いて言った。
「一度目は危なかった。輸送船の残骸まで、あと少しでした」
ペトルは端末に残した訓練記録を見ている。
「俺も最初は、目の前の敵しか見えてなかったです」
マルクが言った。
「次は、追う前に味方の位置を確認しろ」
「はい。次はちゃんとやります」
「その返事は、次の訓練で見せろ」
ネッサが合成肉を切り分けた。
「食べなさい。空腹で飛ばれても困る」
リオは小さくうなずき、肉を口に運んだ。
レンナは彼を見たまま、しばらく何も言わなかった。それから、低い声で口を開いた。
「リオ。あんた、自分が何をしたか分かってる?」
リオの手が止まる。
「すみません。俺が前に出過ぎて……」
「謝れば終わりじゃない。あのまま残骸に突っ込んでいたら、あんたが死ぬところだった。レンも巻き込んで殺すところだったのよ」
食堂のテーブルから、食器の音が消えた。
リオは目を伏せた。いつもの笑い顔はなかった。
「……はい」
「レンが割り込んだから、二機とも戻ってこられた。次は助けが来ると思わないで。あんたが隊形を守らなかったら、誰かが間に合うとは限らない」
「レンナ、もういい」
「よくない。機体を直すのは私だけど、飛ぶのはあなたたちでしょ。あの距離でぶつかれば、訓練機でも人が死ぬ」
彼女はリオから目を離さなかった。怒っているのは、彼を怖がらせるためではない。訓練の記録に残った接触警告と、俺の翼についた傷を見たからだ。少し角度が違えば、俺もリオも機体を制御できなくなっていた。
リオは皿を見つめたまま、小さく頷いた。
「次は、確認します」
「次は、じゃない。飛ぶたびに確認しなさい」
ネッサがスプーンを置いた。
「レンナの言う通りよ。追う前に位置を見る。それができないなら、敵を追わないで」
「分かりました」
ペトルは端末の画面を閉じた。
「二度目は、リオが自分で速度を落としました。次も同じようにできるか確認すればいいと思います」
「次も同じ相手とは限らないけどな」
俺が言うと、マルクが頷いた。
「実戦なら、相手は同じ手を二度使わないかもしれません」
「だから、相手を見る前に自分の位置を見ろ。隊形を崩したら、味方まで巻き込む」
「はい」
リオは今度は笑わずに答えた。
レンナが俺の皿に目をやった。
「左翼の傷、記録したから。次の出撃前に整備する」
「助かる」
「あの擦り傷で済んだのは、運がよかっただけよ」
「分かってる」
彼女はまだ怒った顔をしていた。俺に向けた怒りではない。俺はそれを分かっていたし、余計なことは言わなかった。
しばらく、食器の音だけが続いた。誰もが腹を満たすことを優先している。明日の訓練予定や整備記録は、食べ終わってからでも確認できる。ここでは、食事が途中で終わることもある。だから俺たちは、皿に残ったものを無理にでも食べる様にしてる。
食事を終えると、ネッサは次の訓練時間を確認し、ペトルは点検記録を保存した。マルクはリオに、訓練機の操縦桿の癖を説明している。レンナは俺の機体の整備票を持って席を立った。
リオは、笑いを取ろうとはしなかった。
俺はあいつが明日も同じように笑っている保証はないと思った。ここでは、昨日まで食堂で騒いでいた奴が、次の日には出撃表から消えている。新しい人間が来るたび、誰かの空席が埋まる。慣れたはずの光景だった。
それでも俺は、リオの名前と機体番号を覚えた。
覚えておけば、少なくとも次に出撃表を見た時、そこにいるかどうかは分かる。
食堂を出る時、俺たちはそれぞれ別の通路へ向かった。レンナは整備区画へ戻り、ネッサとペトルは記録端末のある区画へ、マルクとリオは格納庫に残った機体を見に行くと言った。
俺は明日の予定を確認するため、表示パネルのある通路へ向かった。
今日の飯は、ひとりで食うより少しましだった。




