エースパイロット
着艦レールに機体を固定された途端、全身に鈍い衝撃が走った。
推進器が止まり、警告音がひとつずつ消えていく。左翼の損傷。冷却系の異常。推進器の出力低下。飛んでいる間は気にならなかった警告が、静かになった機体の中でひとつずつ耳についた。
ハッチが開く。格納庫の空気が流れ込み、汗で濡れた首筋を冷やした。整備員たちが機体を囲み、損傷箇所の確認を始める。俺がヘルメットを外すより早く、ひとりが翼の下へ潜り込み、別のひとりが記録端末を構えた。
格納庫の端に、ネッサとペトルが立っていた。
二人はパレードに選ばれず、要塞に残っていた。ネッサがこちらへ歩き出し、何かを尋ねようと口を開く。ペトルはその後ろで、俺の顔を見ていた。
「隊長、あの――」
「疲れた、勘弁してくれ」
ネッサは言葉を止めてうなずいた。ペトルも何も聞かなかった。
俺はヘルメットを抱えて、整備班の作業区画へ向かった。機体の脇では、レンナが損傷箇所を調べていた。照明を当て、傷の深さと位置を確かめては、端末に数字を打ち込んでいる。俺の機体が次の出撃に耐えられるか。それが彼女の仕事だった。
「三つね」
「そんなにあったか」
「見える範囲だけでね。細かい損傷はこれから調べる」
彼女は端末から目を離さない。
「機体は?」
「冷却系の配管を交換。左翼は外板だけなら今日中に直る。推進器は分解点検が要る」
「そうか」
「あなたの方は?」
「寝れば戻る」
「機体と同じようにはいかないでしょ」
返す言葉はなかった。
俺はそのまま居住区へ戻った。部屋の扉を閉めても、パレードの映像は頭の奥に残っていた。誰がどこで撃たれ、どの機体が回転し、どの脱出ポッドが画面から消えたか。思い出すつもりがなくても、身体の方が覚えていた。
その夜、俺は別の女の部屋にいた。
リーネ・ヴェル。別小隊の戦闘員で、出撃のない夜に何度か一緒に過ごしたことがある。彼女は部屋に入ると、手首の古傷をさすりながら言った。
「明日は訓練?」
「朝からだ」
「じゃあ、寝る前に忘れさせて」
それ以上の約束はしなかった。俺たちは互いの身体に触れ、しばらくのあいだ、明日の出撃表も、空いた席も、首に沿う金属輪の位置発信も忘れた。朝になれば、彼女は別の格納庫へ行き、俺は操縦席に戻る。
情を持たないわけではない。ただ、ひとりに集めすぎないようにしている。それは俺だけでなく、この要塞で生きる者たちの多くが身につけたやり方だった。
翌朝、俺は訓練区画へ出た。
格納庫の壁には、パレード後の編成表が貼られていた。いくつかの名前には黒い線が引かれ、空いた欄には新しい人員の仮番号が記されている。ジョリの名前は、次の出撃に参加する者の欄にはなかった。
俺の小隊には、ネッサ、ペトル、それから新しく配属されたマルク・エダがいる。四機編成の最後の枠を埋める新人だった。
「レン中隊長、マルクです。配属の挨拶が遅れて申し訳ありません」
二十代半ば。訓練記録は悪くないが、実戦経験はほとんどない。首輪の位置発信機が、彼の喉元にぴたりと沿っていた。
「謝ることじゃない。ここでは、飛べる奴が足りない」
「はい」
「俺が直接見るのはこの小隊だ。命令は聞け。分からない時は確認しろ。格好をつけて死ぬな」
「了解しました」
マルクは緊張を隠そうと、背筋を伸ばした。ネッサはその様子を横目で見ている。ペトルはすでに、彼の機体の整備状態を確認していた。
二十機ほどの飛行隊をまとめるのは俺の仕事だが、毎日顔を合わせて面倒を見るのは、この四機の小隊だった。ほかの小隊には、それぞれの隊長がいる。イリヤは副隊長として、全体の編成や出撃順を調整していた。
訓練を終え、食堂へ向かう途中で、俺の端末に呼び出しが入った。
運営本部への出頭命令だった。
指定された区画へ行くと、居住区とは別の認証扉を通された。扉の向こうは静かで、空調の匂いまで違っていた。案内役のアンドロイドが、俺を責任者の部屋へ通す。
男は机の向こうに座っていた。整えられた髪、磨かれた靴、表情の読めない笑顔。壁面にはパレードの映像が流れている。俺が最後に残った場面で映像が止まり、画面の隅に視聴率と賭けの売上が並んだ。
「君は注目を集めた」
男は椅子を勧めなかった。
「最後まで残り、帰還した。視聴者の反応もいい。賭けの売上も想定を超えた。君をエースの名簿に加える」
「断ったら?」
「その選択肢はない」
男は笑った。冗談ではなかった。
エースパイロットには専用の機体が与えられる。各要塞に何十人もいるらしい。迷彩は考えない。宇宙空間で目立ち、映像の中で誰が飛んでいるか一目で分かる色に塗る。戦闘のための塗装ではなく、客に見せるための塗装だ。
「君の機体も塗り替える。視聴者が一目で分かる色にね」
「敵からも見つけやすくなる」
「だから面白い」
男は資料を閉じた。
「初めての戦闘ではない。そんなことは分かっている。だが、エースとしての初興行は別だ。君がどう戦うか、客は見たがっている」
俺は返事をせず、部屋を出た。
エース区画にはラウンジがあった。
低いソファに酒の並ぶカウンター、普段の食堂では見ない皿に盛られた合成肉。いつもの配給より厚く切られ、表面には焼き色がついていた。味まで違うのかは分からない。見た目には、まともな食事に見えた。
同じ要塞の別の飛行隊から来たエースたちが、好きなように時間を過ごしている。女を隣に座らせて酒を飲む男。ソファの端で本を読む女。戦闘映像を眺めながら、撃墜数の賭けについて話す二人組。
ラウンジの壁には、同じ要塞に所属するエースの名簿が表示されていた。俺の名前も、その日のうちに加えられている。
首には、ほかの戦闘員と同じ首輪がある。位置情報を送るだけの金属輪。ここが多少快適になったところで、要塞から出られるわけではなかった。
壁際のテーブルに、オルド・ヴェインという男がいた。別の飛行隊のエースで、赤い髪を短く刈り込んでいる。彼は酒のグラスを回しながら、俺を見た。
「パレードの勝者か。おめでとう。次は何人殺せば、ここを気に入る?」
「酒を飲むだけなら人数は関係ない」
「いい答えだ」
オルドはグラスを掲げた。俺は付き合わず、ラウンジを出た。
翌日、機体の塗装案が届いた。濃紺を基調に白い帯を走らせ、翼の付け根にエースの識別章を入れる。迷彩としては意味がない。遠くからも、画面越しにも目立つ色だった。
レンナが塗装見本を三枚並べた。彼女は整備士として、塗料の重量や機体表面の仕上がりも確認している。
「運営が決める前に、少しでもましな色を選んだ」
彼女が最後に残したのは、深い青と白の組み合わせだった。
「赤や金よりはいい」
「そうね。目立つことに変わりはないけど」
「敵にも見つかりやすい」
「それでも、これはあなたの機体らしいと思う」
彼女は見本を整備班の担当者へ渡した。俺は礼を言わなかった。礼を言うようなことではない気がしたし、言えば何か別の言葉まで出そうだった。
初興行のブリーフィングは、その翌日に行われた。
目標は敵要塞の旗艦。こちらの艦隊と敵艦隊が交戦し、先に敵旗艦を撃沈した側が勝利する。戦闘機の任務は、敵の直衛機を排除し、旗艦への砲撃路を開くことだった。
「今回、敵側にもエース機が出る」
イリヤが画面を切り替えた。白と赤に塗装された機体が映る。操縦者の顔写真も、名前もない。
「目立つ塗装だから見分けはつく。操縦記録は長い。正面から追いすぎるな」
「了解」
「レン、お前は二十機の隊をまとめる。自分の小隊だけに意識を寄せるな。俺が副隊長機から全体を見て、必要なら指示を出す」
「分かってる」
俺の小隊は四機。俺、ネッサ、ペトル、マルク。マルクは新しい機体の配置を見ながら、手元の資料を何度も確認していた。
「質問はあるか」
「敵の直衛機が散開した場合、どこまで追うべきでしょうか」
「旗艦から離れるなら追うな。俺たちの目標は敵機を全部落とすことじゃない。旗艦へ撃ち込める時間を作ることだ」
「はい。分かりました」
出撃当日、濃紺と白の機体が格納庫に並んでいた。新しい塗装はまだ艶があり、傷ひとつない。俺の機体だけでなく、飛行隊のほかのエース機にも、赤や黄、銀の派手な色が入っていた。
「全機、発進」
発進レールが機体を宇宙へ押し出す。
敵艦隊はすでに陣形を組んでいた。大型艦を前面に並べ、その後方に駆逐艦と護衛艦が続く。艦隊の周囲では、戦闘機が互いの位置を探りながら旋回している。
戦闘開始の合図と同時に、両陣営の艦砲が火を噴いた。
砲弾が艦体の装甲を叩き、光線が暗い宙域を横切る。爆発の閃光が通信画面を白く染めた。俺は小隊を率いて敵の直衛機へ向かう。
「敵機、二機接近。左舷側」
ネッサの報告が入った。
「ネッサ、ペトルは右の一機を散らせ。マルクは俺についてこい」
「了解」
敵機の一機がこちらへ照準を向ける。俺は機体を傾け、砲撃を避けながら距離を詰めた。敵の射線を外し、機関砲を短く撃つ。弾が相手の翼を削った。敵機は姿勢を崩し、艦隊の影へ逃げる。
マルクは命令どおり俺の後ろを保った。敵機が戻ってきたところへ、彼は短い連射を浴びせる。弾は直撃しなかったが、相手の進路が変わった。ペトルがその横腹を撃ち抜く。
敵機は爆発せず、回転しながら遠ざかった。脱出ポッドが射出される。
「敵機撃墜。脱出ポッドを確認」
管制の報告に続いて、司会者が撃墜数を読み上げた。観客の賭けの倍率が更新され、俺の機体が画面に映る。
敵旗艦の砲撃は続いていた。こちらの艦隊も損傷を受けている。回収船は戦闘宙域の外にいて、ポッドへ向かう様子はない。
俺は照準を合わせ、撃った。
ポッドが閃光に包まれた。通信回線の向こうで歓声が沸く。撃墜数と戦闘時間の賭けが、また更新されていく。
「隊長、次の敵機が来ます」
「見えてる。戦闘を続けろ」
敵の直衛機は、旗艦の前に壁を作っていた。俺たちはその壁に食い込み、撃ち、避け、隊形を崩す。味方艦の砲撃が敵旗艦へ届くたび、装甲の一部が剥がれていった。
「敵旗艦、砲撃を継続。第三艦隊に損傷!」
味方駆逐艦の一隻が、敵旗艦の砲撃を受けて船体を割られた。護衛機が散る。通信には短い悲鳴と、位置報告が重なった。
「イリヤ、砲撃路は」
『あと三十秒。レン、敵のエース機がそっちへ向かった』
白と赤の機体が、艦隊の影から現れた。敵要塞のエース機だ。識別名はない。塗装と機動で、それと分かる。
そいつは直線で突っ込んでこなかった。俺の小隊の外側を回り、ネッサとペトルの射線を避けながら、少しずつ俺との距離を詰めてくる。
「相手も看板を出してきたか」
マルクが息を呑む音が通信に混じった。
「マルク、俺の後ろ。敵の機影を見失うな」
「はい」
敵エースの射撃が機体の脇を抜けた。俺は急旋回し、敵の照準から外れる。警告灯がひとつ点いた。
「損傷軽微。飛行に問題ありません」
マルクが報告した。俺の機体の警告表示を見ていたらしい。
「自分の敵を見ろ」
「はい、隊長」
敵エースは、旗艦から俺たちを引き離そうとしていた。追えば、敵艦の防空砲が待っている。追わなければ、そいつは小隊を拘束し続ける。
『レン、こっちは保つ。旗艦へ行け』
イリヤの声が割り込んだ。
「小隊、離脱する。旗艦へ」
敵エースが追ってきた。ネッサとペトルは敵の直衛機を抑え、マルクは俺の後ろにつく。旗艦の防空砲が火を噴く。砲撃の間隔を見て、俺は射線の隙間へ機体を滑り込ませた。
敵艦の装甲が近づいてくる。艦首の防御板は、味方の砲撃で削られていた。俺は機首を合わせ、ミサイルを一発放つ。
迎撃弾が飛び、ミサイルは途中で破壊された。だが、敵の砲撃が一瞬だけ止まった。
その隙に、味方戦艦の主砲が撃ち込まれる。
旗艦の外壁が裂けた。
「直衛機、右から二機!」
マルクが叫ぶ。ペトルが片方を撃ち、ネッサがもう一機の進路を塞いだ。敵エースは俺の背後に回り込み、射撃を続ける。弾が後部装甲を叩き、機体が揺れた。
俺は機首を返した。相手もすぐに応じる。互いの射線が交差する。敵の弾が左翼をかすめ、俺の弾が相手の機体腹部を削った。決定打にはならない。
そこで、味方艦隊の主砲が再び火を噴いた。
砲撃は敵旗艦の中央を貫いた。艦体の内側から光が漏れ、少し遅れて爆発が広がる。敵旗艦の識別信号が消えた。
『敵旗艦、撃沈を確認。興行目標達成』
司会者が勝敗を告げる。観客の歓声が通信回線に流れ込んだ。敵艦隊は隊形を崩し、残った機体は戦闘宙域から離れ始める。
敵エースも距離を取った。俺は追わなかった。機体には損傷があるようだが、まだ飛べる。撃墜判定はつかない。次の興行で、また向かい合うことがあるかもしれなかった。
「全機、戦域を離脱する」
俺たちは帰還航路へ向かった。
格納庫に着くと、整備員たちが機体の損傷を調べ始めた。マルクはヘルメットを外したまま、しばらく立ち尽くしていた。初めての実戦を終えた顔だった。
「隊長。あのポッドを撃ったのは……」
「俺だ」
「はい」
「次に同じ状況になった時は、戦況を見ろ。迷ってる間に、別の誰かが死ぬ」
「分かりました」
マルクはうなずいた。ネッサは損傷報告を整備員へ渡し、ペトルは黙って自分の機体の周りを一周した。
イリヤが歩いてきた。
「初興行、悪くない数字だそうだ」
「俺の初戦じゃない」
「分かってる。エースとしての初興行だ」
彼はそれ以上、余計なことを言わなかった。
レンナは俺の機体の損傷記録を取り始めていた。濃紺の翼に、新しい傷が一本増えている。彼女は照明を当て、傷の深さを確かめ、端末に記録した。
エースになっても、俺の居場所は変わらない。
訓練は続き、出撃表は更新される。死者の名札は外され、空いた席には新しい人間が入る。首輪は位置を送り続ける。自由を買えるほどの金は、まだない。
そのうえ、エースの名がついたことで、俺は以前より高く売られるようになった。




