嫉妬の行き着く先 結
俺は、暗い通路の奥へ進んだ。
グレイヴスの足音が、曲がりくねった通路の向こうで反響する。遠ざかったかと思えば、急に近くで聞こえる。通路が入り組んでいるせいで、距離も方向も掴みにくかった。
俺は通信機に手を伸ばした。
「ルイス、現在位置を送る。イリヤにも共有しておけ」
『了解しました。レン隊長の位置を受信しました。イリヤさんにも送っておきます』
「俺はこのままグレイヴスを追う。ここから先は地図にない通路だ。見つけた分岐を順番に送る」
『分かりました。入口の位置は私が記録しています。イリヤさんにも通路の情報を回します』
「頼む」
ルイスは入口に残っている。負傷したエリサとノアは、イーサンが後方へ運んでいた。さっきまで一緒に動いていた仲間たちは、あの場で動ける状態ではない。
ここから先は、俺一人だ。
前方で、金属を蹴る音がした。
俺は壁際に身を寄せる。直後、銃声が通路に響いた。弾が頭のすぐ横を通り、背後の配管に当たって火花を散らす。
グレイヴスが、曲がり角の先から撃ってきていた。
「止まれ、グレイヴス!」
「追ってくるな!」
声が返ってくる。だが、彼の姿は見えない。
俺は壁の陰から銃口だけを出し、相手の位置を探る。暗い通路の奥で、わずかな閃光が瞬いた。俺はその場所へ向けて一発撃つ。弾は壁に当たり、破片が散った。
「銃を捨てろ! ここで逃げても、お前は終わりだ!」
「黙れ! お前はいつも、僕の前に立つ!」
グレイヴスが走り出す。靴音が遠ざかった。
俺はすぐに角を抜ける。床には薬莢が散らばり、壁には新しい弾痕がいくつも刻まれていった。彼は撃ちながら逃げている。
通路は右へ折れ、狭い傾斜を下っていた。俺が角を曲がった瞬間、グレイヴスが再び姿を見せた。銃を両手で構え、こちらへ向けている。
俺は反射的に身を投げた。弾が肩の装甲をかすめる。衝撃が腕まで響いたが、骨に異常はなさそうだった。
「このまま撃ち合っても、弾が尽きるだけだ!」
「お前が先に尽きればいい!」
グレイヴスはそう叫び、さらに奥へ逃げた。
俺は起き上がり、追いながら通信機に声をかける。
「ルイス、傾斜を下りた。通路は東へ折れている。位置を送る」
『受信しました。地図にない区画です。周囲の既存通路と照合しています』
「イリヤにも回してくれ」
『送っています』
俺は通話を切らずに、通路を進んだ。
前方で扉が開く音がした。グレイヴスが中へ入ったらしい。俺が追いつくと、そこは古い倉庫のような場所だった。工具箱や金属棚が積まれ、天井から太い配管が垂れ下がっている。
床には靴跡がいくつも交差していた。
足音を頼りに、俺は棚の間を進む。
「出てこい、グレイヴス!」
「もうすぐだ……もうすぐ、全部元に戻る」
彼の声は通路の奥から聞こえた。
「戻れるわけがない。運営側の人間を殺したんだ。逃げ切れると思うな」
「お前が僕をここまで追い詰めたんだ!」
グレイヴスが棚の隙間から撃ってきた。弾が箱を貫き、木片が頬に当たる。俺は棚の脚を蹴って倒し、できた隙間から射線を通す。
彼の腕を狙って撃った。弾は肩口をかすめたらしい。グレイヴスが短く呻いた。
「もう終わりだ。銃を捨てろ!」
「お前が決めるな!」
グレイヴスは横倒しの棚を蹴り、通路を塞ぐように倒した。俺が回り込む間に、彼は姿を消した。
床に落ちた金属音を聞き、俺は身を伏せた。黒い円筒形の物体が、棚の下を転がってくる。
電磁爆弾だ。
俺は棚の陰へ飛び込み、両腕で頭を覆った。
爆発音は小さかった。だが、直後に通信機から雑音が弾け、端末の表示が消える。手元の装備が一斉に沈黙した。
「ルイス、応答しろ!」
返事はない。
通信が切れた。
俺は通信機を叩いて再起動を試みたが、反応はなかった。爆発の衝撃で耳鳴りが続き、遠くの音もぼやけている。
棚の向こうで、グレイヴスが息を切らしながら笑った。
「これで誰も呼べないな!」
俺は銃を握り直し、棚の端から撃ち返した。弾は彼の腕をかすめた。グレイヴスは舌打ちし、さらに奥へ走っていく。
俺も追う。
*
通路は、進むほど形を変えていった。
狭い廊下が何度も折れ、行き止まりに見えた場所から別の通路が伸びている。壁面の表示は剥がされ、端末の地図も使えない。床には古い埃と泥が積もり、その上に新しい靴跡が重なっていた。
俺は足音を頼りに進んだ。
右へ折れる。しばらく直進して、また左。床に残った靴跡は途中で途切れ、壁際に移っていた。グレイヴスは何度も進路を変え、こちらを迷わせようとしている。
前方から、銃声が響く。
俺は壁のくぼみに身を寄せた。弾が角を抜け、俺の腕をかすめる。痛みが走り、手がわずかに痺れた。
撃ち返す。銃口の閃光は見えない。代わりに、弾が壁に当たる鈍い音がした。
「出てこい、グレイヴス!」
「お前が来るのを待っていた!」
彼の声は右から聞こえた。俺がそちらへ向かうと、銃声が左の通路から返ってくる。
誘いだ。
俺は足を止め、通路の床を見る。右側の埃には新しい足跡がない。左側の壁には、肩が擦れた跡が残っていた。
左へ進む。
角の先で、グレイヴスが銃を構えていた。距離は十メートルほど。俺が姿を見せると、彼はすぐに引き金を引いた。
俺は身を低くして撃ち返す。グレイヴスの銃弾が肩の装甲を叩き、体勢が崩れる。俺の弾は彼の脇腹をかすめた。
彼はよろめきながら、扉の隙間に身をねじ込む。扉が閉まる直前、俺は銃を二発撃った。弾は扉に弾かれた。
ロックはかかっていない。俺は扉を蹴り開けた。
中は、用途の分からない保管区画だった。空の容器や古い機械部品が床に積まれ、通路の奥には同じような扉が三つ並んでいる。
グレイヴスの姿はない。
俺は左端の扉へ手を伸ばした。扉の隙間から、血のついた布切れが見えている。
その時、真後ろで銃声がした。
弾が俺の背中の装甲を叩く。衝撃で前へよろめき、膝をついた。
グレイヴスは、入ってきた扉の上にある点検口から降りてきていた。銃を構えたまま、口元を歪めている。
「やっと追いついてきたな」
俺は振り向きざまに撃つ。グレイヴスは横へ転がり、空の容器の陰へ身を隠した。
「お前は俺を殺したいのか?」
「違う。生きたまま捕まえる」
「なら、どうして撃つ!」
「お前が撃ってくるからだ!」
俺たちは遮蔽物を挟んで撃ち合った。グレイヴスは容器の隙間から銃を突き出し、俺は積み上がった部品の間から狙いを定める。
弾が金属を叩く音が、狭い室内で何度も跳ね返る。
俺は相手が弾を込め直す一瞬を狙って身を乗り出した。グレイヴスの手にした銃を撃つ。弾は銃身をかすめ、彼は腕を押さえて呻いた。
それでも、グレイヴスは止まらない。床に落ちた拳銃を拾い、反対側の通路へ駆け込んだ。
俺は残弾を確認する。まだ撃てる。だが、追跡を続けるには心許なかった。
部屋の奥で、扉が開閉する音がする。俺はそちらへ走った。
次の通路は、さらに狭かった。左右の壁は古く、ところどころに錆が浮いている。頭上の照明は点滅し、足元には水が流れていた。
グレイヴスの影が、通路の先で横切る。
俺が追いつくと、彼は振り返りざまに撃った。弾が壁に当たり、破片が目元に飛び込む。俺は片目をかばって身を隠した。
「まだ追ってくるのか!」
「当たり前だ!」
「お前は昔からそうだ。自分が正しいと思い込んで、誰の話も聞かない!」
「それはお前だ!」
「僕はリリアを愛していた!」
「愛していた相手を、企みの道具にしたのか!」
グレイヴスの銃声が返る。
俺は遮蔽物から身を出し、彼の脚を狙った。弾は膝の横をかすめ、彼が壁に手をつく。倒れる前に、彼は銃を撃った。
弾が俺の左肩の装甲に当たり、鈍い痛みが走る。腕が一瞬動かなくなった。
俺は壁を背にして、肩を押さえた。出血はない。だが衝撃が強く、指先まで痺れている。
グレイヴスはそれを見て、また逃げた。
俺は歯を食いしばり、追跡を続ける。
彼はこの迷路のような通路を知っていた。行き止まりに追い込んだと思えば、壁の裏の抜け道へ消える。角を越えた先で待ち伏せし、俺が進んだ瞬間に撃つ。正面からの撃ち合いではなく、通路そのものを使って俺を削ろうとしていた。
何度目かの曲がり角で、俺は床に落ちた薬莢を拾った。まだ温かい。グレイヴスはすぐ近くにいる。
左側の壁に、擦れた靴跡があった。右側には何もない。俺は左へ進む。
先の扉は半開きだった。
中へ入ると、機械室のような空間が広がっていた。天井から太いケーブルが垂れ、大型の配電盤が並んでいる。暗がりの奥で、グレイヴスが配電盤の陰に身を隠していた。
「グレイヴス。銃を捨てろ」
「僕はまだ終わっていない」
「責任者を殺した。お前が手にした鍵も奪われる。薬物の流れも調べられる。もう逃げ場はない」
「僕にはまだ、彼女がいる!」
「セリーナはお前のものじゃない」
グレイヴスが配電盤の陰から飛び出した。銃をほとんど狙わずに連射する。
俺は機械の陰へ飛び込む。弾が配電盤を叩き、火花が散った。俺は低い姿勢のまま横へ移動し、彼が弾を撃ち尽くすのを待つ。
銃声が途切れた。
俺は飛び出し撃った。弾はグレイヴスの太腿をかすめ、彼は膝をついたが、倒れなかった。壁に手をついて立ち上がり、歯を剥き出しにして走り出す。
「撃てるなら撃ってみろ!」
俺は銃口を向けた。だが、彼は配電盤の裏へ消え、追い打ちの射線を切る。
俺は追った。
設備室を抜けた先で、通路の床が大きく傾いていた。グレイヴスは壁に手をつきながら進み、時折、後ろへ向けて撃ってくる。
俺の弾も残り少なくなっていた。二発、三発と撃ち返すたび、銃の残弾表示が減っていく。
グレイヴスが、また振り返る。
「お前はレンナがいる。俺には何も残っていない!」
「それを俺のせいにするな!」
「お前のせいだ! お前が黙って死んでいれば、僕は課長のままだった。リリアだってまだ僕の手の――」
「黙れ!」
俺は撃った。弾がグレイヴスの肩をかすめる。彼は壁にぶつかり、呻きながらも立ち上がる。
彼は銃をこちらへ向ける。俺も引き金を引いた。
弾が切れた。
銃は作動音だけを返す。
グレイヴスはまだ弾を持っているらしい。彼は撃ちながら走り、俺は壁や機械を盾にして距離を詰めた。銃弾が装甲を叩き、破片が頬を切る。
俺も銃をホルスターへ戻した。腰のコンバットナイフを抜き、柄を握りしめる。
グレイヴスの足音はまだ前にある。
俺は走った。
*
迷路のような通路は、先へ進むほど形を変えていった。狭い廊下が何度も折れ、行き止まりに見えた場所から別の通路が伸びている。壁の表示も端末の地図も頼りにならない。
俺はグレイヴスの足音を追った。
靴音が近づく。次の瞬間、右の壁に仕掛けられていた何かが破裂した。金属片が飛び、俺は腕で顔をかばった。
通路の向こうからグレイヴスが撃つ。俺は身を低くして進み、手近な扉の陰へ転がり込んだ。
彼は狙いを定めていた。俺が少しでも顔を出せば、弾が飛んでくる。
俺は腰のポーチから煙幕弾を取り出し、通路へ投げた。白い煙が広がる。グレイヴスの銃声が止まり、足音が遠ざかる。
俺は煙に紛れて反対側へ出た。
薄い視界の向こうで、グレイヴスの影が動く。俺は追いすがるが、彼は前方の扉を閉めた。俺はナイフの柄で端末を叩く。ロックが外れず、扉は動かない。
隣に、保守用の手動レバーがあった。力を込めて引く。金属が軋み、扉がわずかに開く。その隙間へ肩を入れ、こじ開けた。
「グレイヴス!」
返事はなく、遠くで走る音がする。
俺は狭い隙間を抜け、再び彼を追った。
やがて通路の向こうから、かすかな人声が聞こえ始めた。扉の向こうに、共有廊下があるらしい。だが、その手前にまだ複雑な通路が続いている。
そこで、グレイヴスが振り返った。
彼は黒い円筒形の物体を手にしていた。
俺は足を止める。
「また使う気か」
「お前に追われるのは、もううんざりだ!」
グレイヴスが投げた。
俺は近くの壁の凹みに飛び込む。電磁爆弾が爆発した。小さな破裂音とともに、通信機と端末が一斉に沈黙する。予備の表示灯も消え、通路がさらに暗くなった。
再度通信が切れた。
「イリヤ! ルイス!」
返事はなかった。
グレイヴスの足音が、暗闇の中で遠ざかっていく。
俺は壁を伝いながら進んだ。銃はもう使えない。視界も悪い。頼りになるのは、靴音と、時折聞こえるグレイヴスの荒い呼吸だけだ。
彼が右へ走った。靴底が水を蹴る音がした。俺は右の通路へ入る。
そこは細く、壁から突き出した配管が肩に当たった。ナイフを握った手を前へ出し、足元を確かめながら進む。少し先で、金属扉が鳴った。
俺は扉へ走り、取っ手を引いた。
開かない。
中から鍵がかかっているのか、ロックが働いているのか分からない。俺はナイフの柄で扉を叩いた。
「グレイヴス!」
返事の代わりに、銃声が扉を貫いた。弾が俺の腕をかすめ、壁に食い込む。
俺は扉の脇へ伏せ、手動ロックを探した。暗闇の中、指先でレバーを見つけて押し下げる。ロックが外れる音がした。
扉を開けると、グレイヴスはすでに奥へ走っていた。彼の背中が、非常灯の赤い光に一瞬浮かぶ。
俺はまた追った。
*
通路を抜けた先で、空気が変わった。
人の声、食器の触れ合う音、店から漏れる音楽。飲食区画の共有通路が近い。
グレイヴスは、そこへ続く扉を開けた。
俺は距離を詰め、彼の背中を追う。
共有通路は、昼時の人出で混雑していた。配食カウンターには列ができ、テーブルはほとんど埋まっている。仕事を終えた整備士や、交代前の警備員、休憩中の戦闘員が行き交っていた。
グレイヴスは人混みの中へ飛び込んだ。
「止まれ!」
俺の声を聞いて、彼は振り返る。拳銃を構え、そのまま通路へ向けて撃った。
一発目で、天井の案内灯が割れる。二発目は壁に当たり、三発目が逃げ遅れた男の肩に命中した。
男は回転するように倒れ、周囲の人々が一斉に悲鳴を上げた。
グレイヴスは走り続ける。進路を塞ぐ人を肩で突き飛ばし、銃を振り回して近づく者を遠ざけた。通路の両側で、店の扉が次々と閉まる。テーブルが倒され、皿やカップが床に散乱した。
弾が案内板を砕き、破片が降り注ぐ。逃げようとした男が背中を撃たれて倒れた。隣にいた女性が助け起こそうとするが、別の銃声に驚いて身を伏せる。
俺は柱の陰から陰へ移動した。グレイヴスは撃ちながら、飲食店のテーブルをなぎ倒して進む。皿やカトラリーが床へ散らばった。
「伏せろ! 全員、壁際へ逃げろ!」
俺は通路の人々に叫びながら、グレイヴスを追う。彼は立ち止まらず、こちらへ銃弾を放ち続けた。
一人の戦闘員が、手にしたナイフを抜いて周囲を警戒していた。逃げる人波に押され、別の戦闘員がその肩にぶつかる。ナイフを持った男は敵だと誤認したのか、反射的に相手の腕を切りつけた。
「何しやがる!」
切られた男が相手を殴り返す。近くにいた仲間が止めに入り、別の者が銃を抜いた。グレイヴスの銃撃で始まった混乱に、疑心と恐怖が重なり、通路の一角が乱闘へ変わっていった。
俺は通信機を押した。
「イリヤ、共有通路で乱戦が起きている。負傷者が出た。警備局と飛行連隊で鎮圧してくれ。俺はグレイヴスを追う!」
『了解した。警備局へ伝える。現場の指揮は警備局に任せ、こちらからも動ける隊員を送る』
「頼む!」
『レン、追跡を続けていい。だが、住民を巻き込むな!』
「分かってる!」
俺は通信を切り、グレイヴスの後を追った。
彼は飲食店のカウンターを飛び越え、厨房の搬入口へ向かう。俺が角を抜けた時、グレイヴスは振り返って撃った。弾が俺の脇の壁に当たり、熱と破片が頬に走る。
俺は反撃せず、身を隠した。背後で誰かが倒れる音がする。振り返る余裕はない。
「グレイヴス!」
「来るな!」
彼は厨房の台から包丁を掴み、俺へ投げつけた。刃は壁に突き刺さる。グレイヴスはそのまま厨房を横切り、裏手の扉を蹴り開けた。
俺は後を追う。
通路には、逃げ遅れた客が一人うずくまっていた。グレイヴスはその脇を通り抜けざま、肩で押し倒す。客は床へ転がった。
俺は立ち止まり、客を壁際へ引きずった。
「ここから動くな。警備局が来る」
「た、助けて……」
「大丈夫だ。頭を下げてろ」
そのわずかな間に、グレイヴスとの距離が開いた。俺は通路へ戻り、走り出す。
曲がり角の先で彼の姿が消える。床に落ちた血の跡が続いていた。彼の怪我からか、誰かのものかは分からない。
俺は迷わず跡を追った。
共有通路から離れるほど、銃声は遠くなった。代わりに警報音が聞こえ始める。警備局が封鎖を進めているのだろう。
通路の端に、運営専用エリアの表示がある扉が見えた。
グレイヴスは端末を操作し、扉を開ける。彼が中へ滑り込む直前、俺は先程の混乱時に拾った拳銃を構え撃った。
弾は扉の縁に当たり、火花を散らした。
扉が閉まる。
俺は追いついて端末を操作したが、アクセスは拒否された。
「くそっ」
俺は通信機を取り出した。
「イリヤ、運営専用エリアの扉だ。警備局から運営へ解錠を依頼してくれ」
『了解。警備局に伝える。運営側の担当者を通じて解錠させる』
「急いでくれ。グレイヴスは中だ」
『伝えた。扉の担当が操作する。少し待て』
待つ間も、扉の向こうから足音が遠ざかっていく。
「急いでくれ!」
『解錠された。進んでいい』
ロックが外れる音がした。俺は扉を押し開け、中へ入った。
そこは無人の管理通路だった。グレイヴスの姿はない。壁際の端末だけが起動しており、複数の扉の解錠履歴が流れている。
「見失った。イリヤ、警備局に周辺の記録を確認させてくれ」
『分かった。警備局へ依頼する』
通信にノイズが混じった。端末の表示が乱れ、通話が途切れる。
『レン、警備局からの情報だ。グレイヴスは――』
そこで通信が切れた。
俺は端末を叩いて再接続を試みる。応答はない。遠くで、低い破裂音が響いていた。
また電磁爆弾だ。
付近の通信機器が一斉に沈黙した。端末も暗転する。警備局からの情報も、イリヤの声も聞こえない。
俺は周囲を見回す。管理通路の壁に設置された案内表示は、運営エリアの簡易図だった。扉の解錠履歴が消える直前、居住区へ続く通路が一瞬表示されている。
その先には、セリーナの保護部屋がある。
グレイヴスは、セリーナのもとへ向かっている。
俺は迷わず走り出した。
*
通路の先で、グレイヴスの背中が見えた。
彼は扉の端末に手を伸ばし、開いた隙間へ滑り込もうとしている。俺は銃を構え、走りながら撃った。弾が壁に当たり、火花を散らす。
グレイヴスも振り返って撃ち返す。俺は壁のくぼみへ身を寄せ、弾を避けた。彼が扉の向こうへ消える。ロックが閉まる前に、俺は距離を詰めて飛び込んだ。
通路の先で、また銃声がした。
俺は応射する。グレイヴスは走りながら撃ち、角を曲がるたびに姿を隠した。何度か弾が壁をかすめ、肩の装甲に衝撃が走る。こちらも撃ち返すが、弾は残り少ない。
引き金を引いても、銃は空しい作動音を返すだけになった。
弾切れだ。
俺は銃を道へ投げ捨て、腰のコンバットナイフを抜いた。
グレイヴスの足音はまだ前にある。
俺は走った。
二つ目の分岐を抜けた先に、見覚えのある扉があった。保護部屋の扉だ。
グレイヴスが端末を操作し、扉を開ける。
「いやああああっ!」
中から女性の悲鳴が聞こえた。
だが、銃声は続かない。リンやマレクが応戦する音も、セリーナの声も聞こえなかった。
不自然だった。
俺は扉の脇へ身を寄せ、ナイフを構えたまま中をうかがう。
そこは、セリーナの保護部屋ではなかった。
部屋の中央に、女性が一人立っていた。
リリア・ヴァイスだった。
以前の彼女は、整った顔立ちと綺麗なスタイルをしていた。白い肌は絹のように光り、メイクや眉も丁寧に整えられていた。可愛らしく、どこか人を惹きつける雰囲気があった。
今のリリアは、黒いミニスカートのドレスワンピースを着ていた。露出のある可愛らしい服装だが、化粧は以前より濃く肌荒れを隠しているようだ。身体は大きくそして醜く太り、腕にはリストカット跡の傷跡がいくつも残っている。腕や太ももには肉割れがあった。
部屋には酒瓶や酒缶が散乱している。鏡は赤い口紅のようなもので塗りつぶされていた。
グレイヴスは、その惨状もリリアの姿も気に留めていないようだった。
「ああ……リリア。会いたかった! 君に!」
彼は両手を広げ、彼女へにじり寄る。
リリアは彼を見ているのに、誰なのか分からないようだった。部屋の隅へ後ずさり、壁に背を押しつける。目は見開かれ、喉から怯えた声が漏れていた。
「来ないで……! いや……!」
グレイヴスは聞こえていないかのように、さらに一歩近づいた。
俺は入口から、その光景を見つめていた。




