嫉妬の行き着く先 破
クロイツは、セリーナをグレイヴスを引き寄せるための餌として使うつもりだった。
俺たちは、エリート専用エリアにあるクロイツの部屋にいた。セリーナも同席している。
「グレイヴスが持ち出した鍵は、施設内のほとんどの区域で使える。監視カメラや扉のキーロックまで操作できるのだよ」
クロイツは手元の端末から目を上げずに続けた。
「セリーナ君は運営エリア側の部屋で保護をしよう。扉の動作と監視カメラを二十四時間監視しているので異常を検知した場合は、五分以内に部隊を部屋まで向かわせる事ができる。」
「それで、セリーナを餌にするのか」
俺の声が強くなる。敬語を保つ余裕はなかった。
「そうとも取れるな」
クロイツは、ためらいなく答えた。
「五分もあれば、セリーナは傷つけられる!」
「その可能性は踏まえている」
「可能性がある、で済ませる気か!」
セリーナが、俺の袖をそっとつまんだ。怒鳴り続ける俺を止めるためではなく、自分はここにいると伝えるように。
クロイツはようやく端末を置いた。
「部屋の中に二人を配置しよう。監視カメラの死角がある。そこに隠れさせれば、見える所に人を置かずに済む。グレイヴスが入ってきた場合は、室内の二人がセリーナ君を守る。異常を検知すれば、別働隊も五分以内に到着する」
「その二人は、俺の飛行隊から選ぶ」
「構わんよ」
「俺とマレクで入る」
「君はグレイヴスの確保に動いた方が賢明ではないかね。彼を見つけ、捕らえる役を君が離れるのは得策ではない」
俺はすぐには返事をしなかった。
セリーナが狙われている以上、そばを離れたくはない。だが、グレイヴスを追う者が必要なのも事実だった。
「リンとマレクを置こう。二人なら、室内で何かあった時に判断できる」
「そうしよう」
クロイツは、もう決定事項のように端末へ配置を入力した。
俺はセリーナに向き直る。
「部屋にはリンとマレクがいるなら、どうだ、やれるか? セリーナ」
セリーナは、不安そうにクロイツを見てから、俺に視線を戻した。
「分かりました。お二人が一緒なら、大丈夫です」
「無理はするな。何かあったら、まず二人の指示に従え」
「はい、レン隊長」
*
イリヤたち飛行連隊の面々は、二十分後にエース専用エリアへ到着する予定だった。運営側は、到着次第、彼らを会議室へ通すという。
彼らが到着したら、運営の担当者がリンとマレクを先に保護部屋へ案内する。その二人が部屋の中の死角に配置についた後、俺とクロイツがセリーナを連れていく。セリーナには、そこで一人きりで過ごしているよう装ってもらう。グレイヴスは、恐らくセリーナや俺の動きを監視するはずだ。
「リンとマレクには、俺が直接指示を出す」
「その前に、二人を部屋へ入れるのは運営の人間だ。監視映像に細工をさせよう。短時間で済ませるため、完璧とは言えんが、姿を映像に残さずに済む」
クロイツは淡々と言った。
「彼らを先行させ、時間を空けて君と私がセリーナ君を連れていく。そこまで含めて配置だ」
「分かった」
*
予定の時刻が近づき、イリヤたち飛行連隊がエース専用エリアに到着した。
彼らは運営側の職員に案内され、会議室へ通される。その中からリンとマレクだけが別の職員に呼ばれ、保護部屋へ向かった。
二人を案内したのは、警備部の制服を着た男女だった。部屋に入ると、職員は監視カメラの死角と扉の位置、警備システムの異常通知について手短に説明した。
「ここでセリーナ・ヴェイルさんを保護します。異常があれば、システムが警備へ通知します。応援は五分以内に到着する手はずです」
「隊長から、ほかに共有事項は?」
マレクが確認した。
「レン・タチバナさんから後ほど伝達されると聞いています」
「了解しました」
二人は死角にある椅子のそばへ移動した。外から見えない角度を確認し、室内にいる人間が扉を開けた相手を確認できる位置に座る。
職員たちが部屋を出てから、リンは室内をもう一度見回した。
「監視カメラからは本当に見えないね」
「ただ、油断はしない方がいい。今この場を見られている。知られているつもりで対応するんだ。」
マレクは拳銃の位置を確かめ、扉から室内を見通す角度を測った。
それから少し遅れて、俺とクロイツがセリーナを連れて部屋へ向かった。
部屋の前で、俺はセリーナに声をかけた。
「この部屋で一人で過ごすことになる。何かあれば、すぐ連絡しろ」
セリーナは俺の言葉に頷く。俺は隠した手で、死角にいるリンとマレクへ合図した。
「何かあったら五分で財閥軍とイリヤがこの部屋に来る。それまで何とかするんだ。五分だぞ」
「扉を開ける前には、必ずノックを六回する。それが味方だ」
俺は手のひらを開き、死角側のリン、マレクへ指を五本立てて見せた。
リンとマレクは、拳銃を両手に携えたまま頷いた。
セリーナは部屋の椅子に腰掛けた。俺たちは、彼女が一人で過ごしているように見えることを確かめてから、扉を閉めた。
「これでいいのか」
廊下へ出てから、俺はクロイツに尋ねた。
「配置は済んだ。あとはグレイヴスが現れるのを待つ」
「現れなかったら?」
「もちろん、ただ座して待つだけではない。別の場所も同時に探す。だが、彼が君に叫んだ言葉を考えれば、セリーナ君の周辺に来る可能性は高い」
クロイツは、それ以上説明しなかった。
俺たちはそのまま会議室へ向かった。
*
会議室には、運営側の警備部と捜査部の面々が集まっていた。イリヤを筆頭に、俺たちの飛行連隊全員とレンナもいる。
イリヤは、俺とグレイヴスの因縁を考慮してレンナを連れてきてくれていた。
「連れて来てくれたのか」
「当然だ。彼女もグレイヴスの被害者になり得る」
イリヤが答えた。俺は彼の手を両手で握り締め
「ありがとう、イリヤ」
「礼は後でいい。まずは状況を聞こう」
クロイツは、レンナの首に光るロケットを見つけたようだった。
「気に入ってくれているようで何よりだ」
「大切にしています」
レンナはペンダントに手を添えた。
クロイツは全体を見渡し、会議を始めた。
「それでは、グレイヴス拘束までの案を出したまえ」
その言葉を受け、黒い制服の男がプロジェクターの横に立った。グレイヴスの青い制服とは違い、制服は全体的に黒く、ボタンはすべて金色。黒と金で縁取られた制帽をかぶっている。
「第三要塞警備局副局長、カーネルジュニア・ブライアンだ。今回、君たちに直接指示を出す」
彼は三十八歳。白人の血を引く黒人系の男性で、先祖代々軍人の家系に生まれた。父親は財閥軍のエリートだという。細身だが引き締まった体つきで、姿勢にも無駄がない。軍人らしく堅物で、レンたちや部下には上から目線の厳しい口調を使う。一方で、クロイツや上司には絶対服従の姿勢を貫いている。
カーネルは続けて、前列に座る三人を紹介した。
第三要塞警備局局長、マーカス・レインズ。五十六歳の白人男性。短く刈った灰色の髪と厚い眉が目立つ大柄な男で、腕を組んだままこちらを見ている。
第三要塞施設警備局警備部部長、サミュエル・オルセン。四十七歳の北欧系男性。淡い金髪を短く整え、眼鏡をかけた細身の男だ。手元の端末を操作し、必要な時だけ顔を上げる。
第三要塞警備局捜査部部長、アミナ・コール。四十二歳の黒人女性。髪を短くまとめ、鋭い目で会議室を見渡している。机には記録用端末が開かれていた。
俺が飛行連隊の紹介をしようとすると、カーネルが手で制した。
「必要ない。言われたことを実行したまえ」
俺は苛立ちを覚えた。
クロイツが口を挟む。
「まあ、待ちたまえ。そこにいるレン君は非常に優秀であるし、グレイヴスとの因縁関係にあるのは周知であろう。彼の意見も聞きたまえ」
カーネルはすぐに敬礼した。
「はっ。承知いたしました」
*
カーネルはスクリーンに映像を表示した。
「まず、状況を説明します。グレイヴスは前日、十八時から翌二時まで、居住区内にある扉の前で勤務予定でした。実際に勤務していたことも確認しています」
俺がグレイヴスと話をしたのは十七時四十五分頃だ。勤務に入る直前に釘を刺したことになる。
映像には、その時の俺とグレイヴスが映っていた。
「レン・タチバナ、グレイヴスとは何を話しましたか?」
「セリーナに近づくなと伝えた。手紙と贈り物のことも把握していると話した」
「薬物依存の可能性は?」
「疑った。俺は、薬物を使っている可能性が高いと判断した」
カーネルは俺の答えを記録させ、映像を早送りで再生した。
俺と別れたグレイヴスは、爪を噛むような仕草を見せた。それから壁を数回蹴りつけ、警備勤務に入った。
勤務中、彼はその場を何度か回り、扉の前から離れては戻ることを繰り返した。それでも、持ち場を放棄することはなかった。
時刻が零時に近づき、人通りがなくなってから一時間ほど経った頃、グレイヴスは懐をまさぐりながら、カメラの死角へ移動した。
その後、戻ってきた彼は急に直立不動になった。首を小刻みに左右上下へ動かし、壁を見つめ続けている。勤務終了の二時を過ぎても動かず、三時まで同じ壁を眺めていた。
まるで壁の傷や模様を数えているようだった。
三時になると、警備部の時間帯責任者が彼を呼びに来た。動きから、グレイヴスを叱責しているように見える。
カーネルは映像を止めた。
「この人物は警備部の時間帯責任者です。今回の被害者でもあります」
時間帯責任者は、グレイヴスを叱責している途中で何かに気づいたようだった。彼は叱責をやめ、二人は一緒にその場を離れていった。
「この先の映像は、要塞の機密に関わるため、レン・タチバナたちには公開できません。ただし、帰路でグレイヴスが時間帯責任者を後ろから襲い、物陰へ連れて行ったことは確認しています」
「その後、居場所は追えたのか?」
イリヤが尋ねた。
「付近のカメラを順に停止させながら移動しています。大まかな方向や区域は分かっていますが、その先のどこにいるかまでは特定できていません」
「なぜ、そこで発覚しなかった?」
クロイツが尋ねた。
カーネルは別の記録を表示した。
「グレイヴスは時間帯責任者を殺害した後、端末から警備部の管理システムへ侵入しています。監視映像の中継機能を停止し、過去の映像を流していたようです。警備部の人間は、映像が差し替えられたことに気づきませんでした」
「翌朝、時間帯責任者が退勤報告に現れないことで不審に思い、部屋を確認した。その後の捜索で、殺害が判明したということか」
クロイツが確認した。
「その通りです。監視カメラの履歴を調べ、今回の映像にたどり着きました」
俺は、勤務中のグレイヴスの様子を思い返した。
「薬物の作用で錯乱していたのだろう。勤務中死角へ入った時に打ったんじゃないか。戻ってから壁を見続けていたのも、薬の影響に見える。それが責任者にバレて凶行に及んだ」
「警備局もその線を疑っています」
カーネルが答えた。
「カメラの映像から、レン・タチバナの言う通り、錯乱状態での犯行の可能性を考慮しています。ただし、検査ができていないため断定はしていません」
*
カーネルは、要塞の地図を表示した。
「薬物の流通地域は把握しています。要塞内では、違法取引の拠点、通称『闇市』が複数確認されています」
この要塞には、運営が要塞内での売買を禁じている品物がある。
薬物。人。運営が管理していない銃火器。刃渡り四インチ以上のナイフ。運営が提供していない酒類。
先に挙げた物ほど罪が重く、後ろの物は比較的軽い。俺が緊急時に持ち歩いているナイフも、実は禁制品だ。要塞では身を守るために所持している者が多く、運営も公然の秘密として扱っている。
興行で使う武具は、普段は格納庫に置いてある。運営が遠隔操作でロックを解除しなければ、銃はただの鈍器でしかない。手榴弾やスモーク弾に至るまで、すべて遠隔ロック式だ。
だが、闇市で売られている物品は違う。運営の手が届きていない。
「闇市といっても、昔のように一か所で店が連なっているわけではありません。摘発を避けるため、場所を変えながら営業しています。居住区の飲食店街に多く見つかっています」
「なぜ飲食店街に多い?」
ネッサが尋ねた。
「違法な食材や酒類を扱うのに都合がいいからでしょう」
カーネルの答えを聞き、俺は以前から聞いていた噂を思い出した。
この要塞には人以外の動物がいない。肉は基本的に手に入らない。そんな場所で手に入りやすい肉が何か、考えたくもない。禁制品にある「人」は、奴隷だけを指しているわけではないのだろう。
人肉を食用として売る店がある。俺も、眉唾物の噂として聞いたことがあった。飲食店街なら調理して提供できる。だが、店員はアンドロイドばかりだ。どうやって調理しているのか、ずっと疑問だった。
「各区域には、運営の管理データから消去された部屋や区画あります」
カーネルはその答えを口にした。
「誰がどのような手段で消去偽造し利用しているのか、すべては分かっていません。監視カメラやアンドロイドの記録に細工されており、自動検知は現状機能していない。人手で捜索して摘発していますが、次は別の場所で営業を始める。いたちごっこです」
「巨大な施設ならではか」
イリヤが言った。
「そうです。飲食店街で摘発が多いのは事実ですが、居住区商業区訓練区画の一角などにもあります、実眼では一見普通に見える場所が運営のシステムでは存在していない場合も存在します」
俺は納得した。ドネルが訓練生を居住区へ連れていったことも、花街に違法店があったことも、運営が知らなかったと考える方が不自然だ。カメラを偽装し、区画をデータから消去、あるいは改ざんする。裏で手を回していたのだろう。
*
「グレイヴスについて、現在分かっている経路は三つです」
カーネルは地図に印をつけた。
「レン・タチバナと接触した扉の前。時間帯責任者が襲われた場所。そして、住居侵入の被害を受けたセリーナ・ヴェイルの居室です」
カーネルは別の区域を拡大した。
「居室周辺を調査した結果、データから削除された区域が三か所見つかりました。セリーナ・ヴェイルを狙うため、周辺に潜伏している可能性があります」
「そこに部隊を送るのか」
俺が尋ねた。
「いや、その前に周辺をもう少し調査する。見落としがないか情報の正誤性を確認してもらいたい。君たちの作戦開始直後から三十分後には警備局の部隊が対象区域へ突入する」
俺は了承し、飛行連隊を四つに分けた。
イリヤとともに会議室に残る班。セリーナのいる保護部屋を担当するリンとマレク。俺とともに捜索する班。俺とは別の区域を捜索する班だ。
「三十分で周辺を洗う。見つからなければ、突入が始まった後に不審な動きを探せ。単独で建物に入るな。見つけたら必ず連絡しろ」
「了解」
イリヤが全体の通信を担当した。
*
俺の捜索班には、エリサ、ルイス、ノア、イーサンが加わった。ネッサは自分の小隊を率い、別の区域を調べる。イリヤは会議室に残り、警備局や各班との通信をまとめる。セリーナ、リン、マレクは保護部屋で待機していた。
「俺たちは居住区の東側を調べる。エリサは隊列の後方を見てくれ。ルイスは通路と区画記録の食い違いを確認。ノアとイーサンは人の出入りを見ろ。怪しい人物を見つけたら、先に報告しろ」
「了解です」
エリサは短く答え、すぐに後方の視界を確保した。
ルイスは端末の区域図を開く。
「記録上、削除区域は三か所です。ただ、周辺のカメラを確認したところ、建物の裏側に未登録の通路がある可能性があると情報が来ています」
「そこを確認しよう」
ノアは人の流れを注意深く観察し、イーサンは区画の角ごとに出入口を数えていく。
「人の出入りは多いですが、同じ建物へ入る人が偏っています」
イーサンが報告した。
「どこだ?」
「飲食店街の裏手です。正面は閉店しているのに、裏の通路だけ人が出入りしています」
「覚えておけ。先に周囲を回る」
俺たちは店舗の正面へ近づかず、隣接する通路から建物の裏へ回った。扉は壁の色に塗られ、案内表示もない。だが床には、最近ついた靴跡が重なっていた。
エリサが小声で言った。
「ここを使っている人間がいます」
「扉には触るな。記録を取って共有する」
俺は写真を撮り、イリヤへ送った。
『こちらでも確認する。警備局の突入前に、別の出入口を見つけたら位置だけ送れ。まだ入るな』
「了解。外側を調べる」
俺たちは裏通路を進み、別の出入口と換気設備を確認した。ノアが床面を見て、靴跡の新しさを比べている。
「複数の人間が出入りしています。一人は急いでいたようです。踏み跡が深い」
「追跡はしない。建物の周囲を見張る」
ルイスは端末を見ながら、区域図に印をつけた。
「この通路は、施設の記録上だと壁です。実際には隣の店舗の裏へ抜けています」
「削除区域につながっている可能性があるな」
三十分のうち、残りは半分を切っていた。
別の区域を調べていたネッサから通信が入る。
『こちら、異常なし。削除区域のひとつは空室。人が出入りした形跡もない』
続いて、警備局側からも報告があった。最初に指定された三か所のうち、二か所は空だった。残る一か所は、内部の確認に時間がかかっている。
「こちらは裏口を見つけた。正面は閉店しているが、裏側だけ人の出入りがある。位置情報を送る」
『受信した。警備局にも共有する。突入までは待機してくれ』
イリヤの指示を受け、俺たちは店の周囲に分かれて監視を続けた。
イーサンは人の出入りを見ていた。ノアは通路の奥を確認し、エリサは俺たちの背後を警戒する。ルイスは端末の地図と実際の通路を照らし合わせていた。
警備局の突入開始時刻まで、あと数分。
その時、通路の向こうから若い男が現れた。何度も肩越しに後ろを振り返り、壁沿いに歩いている。店の裏口へ近づくと、ためらいなく扉を開け、中へ駆け込んだ。
「若い男が入った」
イーサンが囁いた。
「追うな。入口を見張れ」
俺はイリヤに連絡した。
「裏口を使う人間を確認した。若い男が建物へ入った。闇市の可能性が高い」
『警備局の突入が始まる。そちらは応援を待て。独断で入るな』
その直後、施設内の複数区域で銃声やグレネードの炸裂音が鳴った。警備局の突入が始まったのだ。
建物の中で物音がした。続いて、裏口の向こうを人影が横切る。
「飛び出してくるかもしれない!」
ノアが息を潜めて言った。
「突入部隊が来るまで待つ」
俺はそう命じた。だが数秒後、裏口の扉が開いた。先ほどの若い男が顔色を変えて外へ飛び出してくる。手には黒い袋を抱えていた。俺たちを見ると、男は反射的に袋を落とし、反対方向へ走り出す。
「止まれ!」
俺は追いかけず、通信機へ叫んだ。
「不審者が建物から逃走! 西通路へ向かう!」
エリサがすぐに別方向へ動き、男の進路を塞ぐ位置についた。ノアは入口から目を離さず、イーサンが逃げた男の位置を報告する。
「西側、角を曲がりました! 速度が落ちています!」
ルイスは端末を見て、通路の先を指した。
「そこは行き止まりです。次の区画へ抜ける通路は、手前にしかありません」
「警備局へ共有。俺たちは裏口を押さえる」
逃げた男は、すぐに警備局の隊員に確保された。黒い袋からは、未登録の銃器と薬物らしい小袋が見つかった。
建物の中から銃声が響いた。
「突入部隊が交戦してる!」
俺たちは、警備局の突入班を援護するため、裏口から中へ入った。
*
店内は薄暗く、通路の両側に棚が積まれていた。棚には、運営の管理番号がない銃火器、パケに入れられた薬物、ラベルの剥がされた酒瓶が並んでいる。奥には、冷蔵設備の並ぶ区画が見えた。
正面入口では、警備局の突入班が店内へ入ろうとしていた。先頭の隊員が扉を押し開けた瞬間、カウンターの陰から銃撃が飛んできた。
「伏せろ!」
隊員たちが入口の両脇へ身を隠す。先頭にいた男が首を撃たれ、後ろへ倒れた。続いて入ろうとした隊員も腕を撃ち抜かれ、銃を取り落とす。
「警備局員が被弾! 入口を維持しろ!」
店の奥から、間を置いた正確な射撃が続く。闇市の連中は、逃げ惑う店員ではなかった。カウンターや棚を遮蔽物に使い、入口からの射線を切っている。
「表の入口側は警備局が押さえています!」
エリサが後方を確認しながら報告する。
「右手に二人、奥の棚の陰です!」
ノアが見つけた。
イーサンは敵の銃口が動くのを見ていた。
「今、撃ってくる!」
「頭を下げろ!」
銃声が連続し、弾が俺たちの遮蔽物を叩いた。ルイスは店内の配置を端末に入力しながら、奥へ伸びる通路を探す。
「左の棚の後ろに通路があります。道の表示はありませんが、床の跡が続いている」
「エリサ、援護を頼む。ノアは俺と動け。イーサンは出入口を見て、敵が回り込んだら知らせろ。ルイスは通路の先を確認してくれ」
「了解」
エリサがカウンター越しに射線を作り、敵の銃撃を抑える。俺とノアは棚の隙間を進んだ。棚の向こうから銃を構えた男が飛び出す。俺は撃ち、男の身体を貫いた。男はその場に倒れ、銃が床を滑っていった。
「武器から手を離せ! 動くな!」
返事はなかった。
「奥にもう一人!」
ノアが叫ぶ。
敵が棚の向こうから撃つ。俺たちは床へ伏せた。銃弾が頭上を通り、背後の瓶を砕いた。床に流れた酒の刺激臭が、割れたガラスの匂いに混じる。
ルイスが棚の反対側から位置を報告した。
「男は移動しています。奥の通路へ向かっている!」
「イーサン、逃げ道を見ろ!」
「正面入口は警備局が確保しています。店の裏手は、まだ確認できていません。奥にもうひとつ通路があります!」
「そこを逃走路に使う気か」
エリサが身を乗り出し、敵の動きを牽制した。その隙に俺とノアが前へ出る。棚の向こうにいた男は、銃を捨てずにこちらへ撃ち返してきた。俺は棚の隙間から狙い、男を撃った。男は一発だけ撃ち返してから、棚に身体を預けるように崩れた。
正面入口では、警備局員たちが店員と武装した者たちを押さえていた。だが、入口の床には倒れた隊員が横たわり、別の隊員がその身体を遮蔽物の陰へ引きずっている。
さらに奥から、短い連射音が聞こえた。
「奥に通路があります!」
ルイスが指をさした。
棚の陰に、壁と同じ色に塗られた扉があった。縁に新しい擦り傷があり、人が頻繁に通っているのが分かる。
「イリヤに連絡。正面入口では警備局に死傷者が出ている。俺たちは店内の奥を確認する」
俺が通信を入れると、イリヤが応じた。
『了解。正面入口の部隊はその場を維持する。応援は店舗の裏手へ回す。無理に奥へ突っ込むな』
「分かってる」
「隊長、こちらの通路は記録にありません」
ルイスが扉の向こうを確認した。
「壁の向こうに空間がある。位置を送ります」
彼は端末に現在地を入力し、イリヤへ共有した。返事を待つ間にも、通路の奥で足音が遠ざかっていく。
「行くぞ。隊列を崩すな」
俺たちは扉を抜けた。
*
扉の向こうから、足音が遠ざかっていく。
「追うぞ。音を見失うな」
俺は先頭に立ち、靴音を追って通路へ入った。足音は壁の向こうへ消えたかと思うと、少し離れた場所からまた聞こえてくる。通路が折れ、分かれ、行き止まりに見える場所にも、脇へ抜ける細い道があった。
「右です。足音が反響しています」
ルイスが端末を片手に、音の方向を確かめる。
「いや、正面にも残響がある。二手に分かれて聞こえる」
イーサンが立ち止まり、耳を澄ませた。
「一人じゃないのかもしれません。足音が重なってる」
「決めつけるな。全員、距離を保て。ルイス、通った道を記録しろ」
壁面には区画表示がない。端末の地図も、ここを通路として認識していなかった。曲がるたびに通信の反響が変わり、どちらから来たのか分からなくなる。
それでも、靴底が床を打つ音は続いていた。
俺たちは何度も角を曲がり、低い配管の下をくぐった。足音が急に途切れる。全員が止まり、銃口を向けた。
「……右奥だ」
マーカスの声が通信に入った。店内の制圧を手伝った後、別経路からこちらへ合流していた。
その直後、金属を蹴る音が響いた。足音がまた走り出す。
「いた。追うぞ!」
俺たちは音を追って、さらに奥へ進んだ。細い通路を抜けた先で、天井の高い広い区画に出る。照明は半分ほど消え、古い配管が壁を這っていた。端末の地図では、ここは壁のはずだった。
床には細かな泥と、複数の靴跡が残っている。足音は、区画の奥へ続いていた。
「この先に人がいる」
イーサンが言った。
「警備局の応援は?」
『そちらへ向かっている。ただ、記録されていない区画なので、エリアや道順のデータを作成中だ。合流には時間がかかる』
通信の返答に、俺は舌打ちした。
「エリサ、後ろを頼む。ルイスは通路の分岐を記録。ノアとイーサンは左右の死角を見ろ」
「了解」
慎重に進んだ先で、銃声が一発響いた。
俺たちは壁際に身を寄せる。通路の先に、人影が見えた。グレイヴスだ。片手で壁を支え、もう一方の手には拳銃を握っている。
「グレイヴス!」
奴は一度こちらを振り返った。
その顔は、俺が扉の前で見た時よりもさらに痩せこけ、目が異様に見開かれていた。こちらを認識したのか、それとも誰を見ているのかも分からないのか。奴は口を動かしたが、声は届かない。
次の瞬間、グレイヴスは奥へ走り出した。
「グレイヴスだ! 奥へ逃げた!」
俺はすぐにイリヤへ連絡した。
「逃げ道へ入った。応援を寄越せ!」
『了解。こちらからも向かう。単独で追い詰めるな』
「敵の抵抗を抑えながら追う。急いでくれ」
通路の横から、銃撃が飛んできた。
「伏せろ!」
俺たちは床へ身を沈めた。弾が壁を削り、頭上の配管に当たる。白い蒸気が噴き出し、視界が一瞬で悪くなった。
「左側の扉が開いた!」
イーサンが叫ぶ。
エリサが後方から射線を作り、敵の動きを抑える。ノアは彼女の援護位置を崩さず、通路の角に現れた敵を撃った。男の胸が跳ね、壁に背を打ちつけて床へ崩れる。手から離れた銃が、通路の中央を滑っていった。
「武器を捨てて! 床に伏せろ!」
返事の代わりに、奥から銃声が返ってきた。
敵は一人ではなかった。蒸気の向こうで影が二つに分かれ、片方がこちらへ撃ち続け、もう片方が横の通路へ回り込もうとしている。
「ルイス、分岐を見ろ!」
「右の通路は袋小路です。左はさらに奥へ続いている。グレイヴスが左へ行きました!」
「イリヤ、聞こえたか。グレイヴスは左の通路だ」
『了解。増援も裏側から回り込む。待てるか?』
「無理だ。目の前で逃げている」
『レン、単独で追い過ぎるな!』
「分かってる!」
横道から敵が姿を現した。イーサンが気づいて声を上げる。
「右、回り込み!」
エリサが振り返るより早く、男が撃った。
弾がエリサの左腕をかすめ、彼女の身体が壁にぶつかった。銃は落とさなかったが、腕から血が流れ始める。
「エリサ、下がれ!」
「撃てます!」
「止血しろ。後ろへ下がれ!」
イーサンが彼女の腕を押さえ、通路の陰へ引き戻す。その間に俺とノアが横道へ銃を向けた。敵は二発撃ってから、さらに奥へ引いた。
「全員、間隔を保て。角の先を確認してから進め。グレイヴスを見ても、俺の合図なしに撃つな」
俺たちは敵からの抵抗を抑えながら、通路の奥へ進んだ。銃声が背後で続いている。負傷したエリサは後方へ下がり、イーサンが彼女を支えながら援護につく。ノアは左右の死角を見張り、ルイスは分岐の位置を逐一イリヤへ送り、退路を失わないよう記録していた。
「エリサ、動けるか」
「腕だけです。射撃はできます」
「無理に撃つな。敵を見つけたら位置を伝えろ」
「了解」
エリサは悔しそうにしながらも、壁際へ下がった。イーサンは彼女を一人にせず、互いに死角を補い合う位置についた。
一つ目の角を曲がった先で、グレイヴスが再び姿を見せた。
奴は通路の壁に手をつき、こちらを向いていた。拳銃が震えている。
「グレイヴス、銃を捨てろ!」
俺が叫ぶ。
奴は俺を見ているようで、視線がわずかにずれていた。
「また……またお前か」
「銃を捨てろ!」
グレイヴスの腕が上がる。俺たちは壁に身を寄せた。銃弾が通路の端を削り、火花が散る。
その背後で、敵が横の扉から飛び出した。
ノアがこちらに気づき、俺を押しのける。銃声が鳴り、ノアの脇腹に弾が食い込んだ。彼は壁に肩を打ちつけて、その場に膝をつく。
「ノア!」
「撃たれました……!」
イーサンがエリサを支えたまま、ノアのもとへ向かおうとした。
「動くな! 敵がまだいる!」
俺は敵へ向けて撃った。男は銃を構えたまま一発返し、頭を撃ち抜かれて倒れた。通路に銃声が反響し、男の身体が床に落ちる。
「ノア、意識はあるか!」
「あります……。でも、立てません」
「ルイス、応援に連絡。負傷者二名、ノアは戦闘継続不能だ」
「送信しました。警備局の医療班にも共有します」
「イーサン、ノアを角の向こうまで下げろ。エリサと一緒にそこを確保しろ」
「了解!」
ノアは悔しそうに歯を食いしばった。
「隊長、俺も行けます」
「行けない。ここで止血を受けろ。それがお前の仕事だ」
「……了解」
イーサンはノアを肩に担ぎ、エリサとともに後方へ下がる。エリサは負傷した腕を押さえながら、銃口を通路の奥へ向けていた。
俺たちの班は、これで前進できる人数が減った。ルイスは端末と通信を維持し、俺は彼の前に出る。
グレイヴスは、隣の扉へ体をぶつけるようにして飛び込んだ。
「逃がすな!」
俺たちは仲間の間隔を保ったまま、扉へ向かう。
中から、家具を倒す音と短い銃声が聞こえた。
「突入前に確認する。ルイス、出口は?」
「この部屋の奥から、さらに未登録区画へ抜けています。分かりません。通路は狭い、扉の向こうに別の出口があるかもしれません」
「イリヤに位置を送れ」
ルイスが送信する。返答を待つ間にも、室内で何かが倒れた。
「入るぞ。エリサたちは後方で待機。ルイスは入口を見ていろ」
「隊長、俺も前へ出られます」
「端末を持って帰れ。ここで通信が切れたら、後続が迷う」
ルイスは一瞬口を結び、頷いた。
俺は扉の脇に身を寄せ、合図を出した。
扉を押し開ける。
中は、雑多な箱や棚が積まれた倉庫だった。奥に、さらに細い通路が伸びている。その先で、グレイヴスの影が消えた。
「追う!」
俺たちは倉庫を抜け、暗い通路へ踏み込んだ。背後では、負傷者を運び出す隊員たちの声と、なお続く銃撃が混じって聞こえる。
グレイヴスの姿は、曲がり角の向こうへ消えていた。
「全員、俺と再会するまで生きてろよ!!」
俺は、暗い通路の奥へ進んだ。




