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第一話 不老不死。ただし金欠につき

人間という生き物は、つくづく身勝手な未来像ばかりを妄想する。

昭和の終わり頃だったか。テレビや雑誌の向こうで、偉そうな科学者や評論家たちが競うように二十一世紀の絵空事を語っていた。二〇二六年にもなれば、都市の空中をきらびやかな流線型のクルマが飛び交い、人間は労働から解放され、誰もが優雅にカプセル型の高層マンションで暮らしているハズだった。

「……ハズだったんだがなぁ、クソが」

カチリ、と安物の電子ライターが頼りない音を立てる。

人差し指の先で小さな火を灯し、咥えた煙草の先端に近づける。吸い込んだ息とともに、安価で、それでいて不躾なほどに強い刺激を伴った紫煙が、俺の肺腑をじわじわと満たしていった。

銘柄は『ハイライト』。ラム酒の風味が隠し味だなんて洒落たことを言う奴もいるが、要するに昭和の高度経済成長期から形を変えずに生き残っている、タール17ミリの無骨な煙草だ。

吐き出した煙の向こう側。そこにあるのは、空中を飛ぶクルマどころか、今にも床が抜けそうな古い和室だった。四畳半の空間。黄ばんだ壁紙。万年筆の先でガリガリと引っ掻いているのは、デジタル全盛のこの時代に、時代遅れも甚だしいザラ紙の原稿用紙だ。

ペンネームは、朧月夜おぼろづき よる

一応はプロの文芸作家、ということになっている。この名前で小説を書き始めたのは、ちょうど昭和二十年代――あの激動の戦後まもない頃からだ。

それまでの俺は、ただの根無し草だった。

江戸、明治、大正。戸籍なんてあってもなくてもどうにでもなった緩い時代、俺は日本中をふらふらと放浪しながら、行き当たりばったりにその日暮らしを続けていた。

だが、戦後の激変は凄じかった。焼け野原から立ち上がったこの国は、ものすごいスピードで形を変え、豊かになり、同時に管理社会への階段を駆け上がり始めた。誰もが身分証を持ち、職に就き、定住する。もう、名もなき風の向こうへ消えるような放浪生活は許されない時代がやってきたのだ。

途方に暮れていた俺を拾ったのが、大吾の先々々代にあたる、当時の神主だった。

「行く宛てがないなら、うちの境内の離れに住みなよ。その代わり、時々街で悪さをするバケモノ退治を手伝ってくれ」

ひょんなことから始まった、都心に鎮座する古社との裏の協力関係。それが、俺の現代の始まりだった。

当時はまだ、日本の闇に人外や怪異がそこそこ生き残っていた。俺は先々々代と相棒になり、裏社会の化け物退治を食い扶持として、十分な報酬を得ていたのだ。あの頃の日本は、明日は今日より絶対に良くなると誰もが信じていて、二十一世紀の未来予想図は、目から火が出るほどきらびやかだった。

高度経済成長の波に乗り、東京がものすごいスピードでコンクリートの街へと作り替えられていく裏で、人外の領域だった闇もまた、容赦なく光に塗り潰されていった。アスファルトと蛍光灯が街の隅々まで埋め尽くす頃には、あんなにのさばっていた同類どもは人間たちの前から完全に姿を消し、都会のさらに深い死角へと息を潜めていった。当然、表沙汰になる化け物退治の仕事もなくなり、俺の食い扶持は一気に消え失せた。

「飯が食えなきゃ死ぬ。じゃあどうする?」

そこで俺が生き残るために始めたのが、小説の執筆だった。それまでの放浪生活や、先々々代と命を懸けて潜り抜けてきた実体験を、そのまま怪奇小説として原稿用紙にぶちまけたのだ。本物が書いているんだから、リアルな描写が売りになるのは当たり前だった。昭和の出版全盛期には、おもしろいように本が売れ、俺は文字通り流行作家として一世を風靡した。

――だが、それも今は昔。

Webで話題の異世界転生モノなんかの陰で、俺のリアルな怪奇小説は今や古臭い地味な過去の遺物。打ち切り寸前まで追い込まれていた。

「先生、筆が止まっていますよ。まさか、また文字数を稼ぐために無駄な昔語りを入れようと考えているわけではありませんね?」

低く、妙に理知的な声が、耳からではなく脳の裏側から直接響いた。

視線を落とす。万年筆を握る俺の手元、そのすぐ傍らに、一つの黒い毛玉が鎮座していた。

ポメラニアン。それも全身がカラスの羽のように真っ黒な、いわゆる黒ポメだ。

名前は大福。見た目はただの愛くるしい小型犬だが、中身は俺の従者ペットだった。

数十年前に俺の血液を分け与えたことで、大福とは脳の情報を直接共有している。細かい理論や仕組みは、長年生きている俺自身にもさっぱり分からない。ただ、自分の血を分けた化け物の身内とは脳のパイプラインが繋がり、お互いの思考がリアルタイムで流れ込んでくる――そういう能力だということだけは、経験則で知っていた。

「大福。俺は今、作中の主人公が時代に取り残されていく悲哀を描写しているんだ。これを文学的表現と言う」

脳内でそう念じ返しながら、俺はハイライトの灰を空き缶の灰皿へと落す。言葉にしなくとも、俺の呆れた感情は筒抜けだろう。

「言葉を変えれば、ただの現実逃避ですね。文芸新報社の新しい担当編集者から、先ほど蓮次のスマホに最終通告のメールが届いていました。今風の異世界転生モノに路線変更するか、さもなくば次の一作で打ち切りだそうです。今日の深夜、駅前のファミレスで打ち合わせの約束でしょう。さっさと準備をしてください」

大福は黒くて丸い瞳でじっと俺を見つめ、ふい、と冷淡に鼻を鳴らした。犬の形をした脳の癖に、語彙のチョイスが相変わらず生意気だ。

「異世界転生、ねぇ。俺に言わせれば、現実のこの世界だって十分に異世界だよ。戸籍はコンピュータで管理され、人間が数字で縛られる。おかげで俺たちみたいな、戸籍を誤魔化しながら生きている人外がどれだけ生きづらいか分かってない」

不老不死の超生物。その実態は、人間よりも遥かに新陳代謝が激しく、エネルギー消費の激しい燃費最悪のバケモノだった。

「ただでさえ我が家の今月の食費はピンチなんですからね。蓮次、あなたがまたハイライトをカートン買いしたせいで、来月から私のドッグフードは一番安いカリカリになります。もし私の毛並みがパサついたら、末代まで呪いますよ」

「お前、もう末代だろうが……」

ため息をつきながら、俺は二本目のハイライトに火をつけようとした。

その時、激しい飢餓感が、胃の腑の底から競り上がってきた。

――血が、欲しい。

頭の芯がカッと熱くなり、視界がわずかに赤く染まる。吸血鬼としての本能的なバグ、多幸感を求める強烈な渇望。現代社会において、人間の血を調達するのは犯罪だ。捕まれば、戸籍のない俺は一生地下の実験室行きだろう。

「……すぅ、はぁ……」

俺は必死に、ハイライトの煙を肺の奥深くへと吸い込んだ。

血を吸いたいという脳の飢えを、強引にニコチンの渇望へと結びつける。成分が効いているわけじゃない。ただ、衝動が来るたびにタバコを吸して、俺が今欲しているのは血じゃない、タバコだ、と何十年もかけて脳を騙し、慣らしてきたのだ。

じわじわと理性が戻り、視界の赤みが引いていく。

冷や汗を拭いながら煙を吐き出した瞬間、離れの薄い木の扉が、ドンドドンドン! と激しく叩かれた。

「蓮次さん! 朧月先生! 起きてますかい!? 警察からヤバいネタが回ってきましたよ!」

入ってきたのは、薄くなった髪を雑に整え、ヨレヨレの作務衣を羽織った普通のオッサンだった。

名前は大吾。この土地で代々続く神社の神主だが、結界も張れなければ呪文も使えない、ただの冴えない四十代だ。だが、俺がこの神社の敷地内にある古びた離れに何十年も住み続けられているのは、すべて大吾の取り計らいだった。

大吾は部屋に踏み込むなり、手にした缶コーヒーを俺の机に置き、懐から一枚のクリアファイルを取り出した。中には、警察の公式な刻印が入った猟奇事件の現場写真が挟まれている。

大吾のバックには、警察庁の「特殊事案対策係」という裏の組織がいる。表沙汰にできない人外絡みの事件を極秘処理するため、大吾を通じて、俺のような人外に怪異討伐を裏で依頼しているのだ。

もっとも、日本の街から闇が消え失せて久しい現代、そんな依頼は数年に一度、あるかないかのレアケースだ。俺にとっても、どうしても小説の原稿料だけでは食えない時の、ごく稀な臨時の副業に過ぎなかった。その見返りが、俺の戸籍の隠蔽と、この隠れ家だった。

「ほら、これ見てくださいよ。駅裏の薄暗いコインパーキングの片隅で見つかった遺体です。全身の血が、見事なまでに一滴残らず抜かれてる。典型的な『鬼人』の仕業です」

大吾が指差した写真には、ミイラのように干からびた人間の無惨な姿が写っていた。

始祖である俺に噛まれた人間は、知性と力を引き継いだ眷属となる。だが、その眷属に血を吸われた人間は、理性を根こそぎ失った末端のバケモノ――鬼人へと成り下がる。脳が衰退し、本能のままに血を求めるだけの哀れな存在だ。

だが、その写真を一瞥した瞬間、俺の指先がピクリと止まった。

大福が横から、どうします、と脳内に静かな気配を送ってくる。

「……大吾、お前相変わらず節穴だな。これのどこが鬼人の仕業だ」

俺はハイライトを灰皿に押し付け、写真の背景を凝視した。

「鬼人は飢えに任せてその場で人を襲い、獣みたいに肉を食い破って血を貪り食う。だからいつも、現場は血の海になるハズだ。……なのに、この遺体の周り、一滴も血が垂れた痕跡がない。それどころか、まるで上質なワインを最後の一滴まで嗜んだかのように、喉元の傷口も驚くほど綺麗に吸い切られてる」

「え? でも、それくらいなら執念深い化け物ならやるんじゃ……」

「問題は場所だ。ここは都心のど真ん中だぞ。周辺の道路には警察の監視カメラが死ぬほど設置されてる。室内ならともかく、外だぞ。なのにこいつら、カメラの画角にただの一コマも映らずに、この死角の駐車マスに死体を置いていきやがった。……いいか。鬼人の縮んだ脳みそで、現代の監視システムなんて理解できるハズがねえんだよ」

大吾が、ごくりと唾を読み込んだ。

「ってことは……まさか」

「ああ。後ろにいるのは鬼人じゃねえ。眷属だ。街から闇が消えて、とっくに絶滅したと思ってた上等なバケモノが、今更になって現れやがった」

俺は立ち上がり、壁に掛けてあった古びたトレンチコートを羽織った。

「あいつらは自分たちを気高き捕食者だと信じ込んでる。鬼人みたいに浅ましく血を撒き散らす真似はプライドが許さねえから、別の場所で綺麗に『完食』したのさ。……だが、不可解なのはそこからだ」

俺はトレンチコートのポケットに手を突っ込み、大吾を睨み据えた。

「カメラを完璧に避ける頭がありながら、なぜわざわざこんな目立つ場所に死体を残していった? 用済みになった空き瓶をポイ捨てしたにしては、あまりにも不自然だ。警察への宣戦布告か、あるいは俺たちみたいな同類を誘い出すための美味い餌か……。奴らが今更姿を現した理由も、その死体をあそこに置いた本当の意図も、さっぱり見えねえ。――心底、嫌な予感がするな」

「そ、そんな奴が、今の時代に動いてるんですかい……!?」

「その答えを、今から確かめに行くんだよ。……ちょうどいい、どのみち深夜に区外れのファミレスで新しい担当編集者を待たせているんだ。ついでにそのプライドの高いお仲間が残していった、きな臭いゴミの匂いでも嗅ぎにいくか」

「大吾。特殊係のダチに言っとけ。今回の件、この離れのタダ借り分じゃお釣りが来ねえ。警察の特別ボーナスを出せってな。なにしろ俺たちは、Webの流行に迎合できねえせいで、本が売れずに破産寸前なんだからよ」

大福がトコトコと俺の足元に並び、不敵に小さく吠えた。

脳のパイプラインを通じて、コイツには俺の、やってやるか、という静かな腹の括り方がリアルタイムで伝わっているはずだ。

現代のシステムを冷静に理解し、対策して行動している新しい闇。奴らの隠された真の目的は、未だ闇の中だ。

「ま、空飛ぶクルマが走るのを見るまでは、飯を食い繋がなきゃならんからな。……あーあ、めんどくせえ」

ここ数年はすっかりご無沙汰で、もう完全に終わった仕事だと思っていた。あの泥臭い化け物退治の副業で、まさかこんな本格的な大物とまた踊る羽目になるとはな。俺は懐のハイライトの箱を軽く叩き、トレンチコートの襟を立てて夜の闇へと足を踏み出した。


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