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【第4話 感覚派帝国の「狂った歯車」】

【第4話 感覚派帝国の「狂った歯車」】


 腐っていた。


 帝都中央市場に積み上げられた麦束は、収穫前だというのに黒ずみ、ぬめった異臭を放っている。


「うわっ……!」


 荷運びの男が鼻を押さえた。


「また腐ってやがる!」


「昨日までは平気だったろ!?」


 市場には怒号が飛び交い、腐臭と湿気が重く漂っていた。


 気温がおかしい。


 三日前までは汗ばむほど暑かったのに、昨夜から急激に冷え込んだ。朝には霜が降り、畑の野菜は半分以上が変色していた。


 だが昼になると今度は蒸し暑くなる。


 狂っている。


 季節が壊れていた。


「値段がまた上がるぞ!」


「冗談じゃねえ!」


「パン一個が銀貨二枚だと!?」


 泣き叫ぶ女。


 怒鳴る商人。


 痩せた子供が空腹に耐えきれず、道端にしゃがみ込む。


 そんな帝都の喧騒とは対照的に、皇宮の温室庭園はむせ返るような熱気に包まれていた。


「えいっ!」


 ぱあっと赤い魔力光が広がる。


 エレナが両手を振り上げると、凍えかけていた花々が一斉に開いた。


「ほら! ちゃんと暖かくなったじゃない!」


 彼女は得意げに笑う。


 額には汗が滲み、白い頬が少し赤く染まっていた。


 アルベルト皇太子は満足そうに頷く。


「素晴らしいぞ、エレナ」


「ふふん♪ だから言ったでしょう? 季節なんて魔法でどうにでもなるって」


 だが、その時だった。


 ぱき。


 妙な音が響いた。


「……え?」


 花弁が凍った。


 ついさっき咲いたばかりの花が、薄氷に包まれていく。


 次の瞬間。


 バキバキバキッ!!


 一斉に砕け散った。


「きゃっ!?」


 エレナが悲鳴を上げる。


 冷気だった。


 真冬のような風が、突如として温室へ吹き込んできたのだ。


 暖房魔導具の炎が揺れる。


 侍女たちが震え上がった。


「な、何これ……!?」


「外気温が急低下しています!」


「そんな馬鹿な、今は春だぞ!?」


 兵士が慌てて扉を開ける。


 外は吹雪だった。


「は……?」


 アルベルトの顔が引きつる。


 ほんの数時間前まで暖かかった帝都が、今や白い雪に覆われていた。


 だが雪だけではない。


 風が臭かった。


 腐敗臭だ。


 冷気で傷んだ作物の匂いが、街全体に広がっている。


「皇太子殿下!!」


 慌てた様子の役人が駆け込んできた。


「北部農地、全滅です!」


「なんだと!?」


「小麦が一夜で腐敗しました! さらに南部では高温障害が発生、収穫量は前年比五割以下に……!」


「そんな馬鹿な!!」


 アルベルトは机を叩いた。


 木杯が倒れ、赤ワインが地図の上へ広がる。


「エレナ!」


「わ、私のせいじゃないわ!」


 エレナは顔を青くした。


「ちゃんと暖めたもの!」


「なら何故こうなる!」


「知らないわよ!!」


 彼女の声は半ば悲鳴だった。


 気づいているのだ。


 魔法が効いていない。


 いや、正確には“その場しのぎ”にしかなっていない。


 無理やり暑くする。


 無理やり冷やす。


 そのたびに大地が壊れていく。


 だが、どう止めればいいのか分からない。


 アルベルトは苛立たしげに髪を掻き上げた。


「……食糧を集めろ」


「は?」


「ギルドだ! 備蓄を全部吐き出させろ!」


 数時間後。


 帝都最大商業ギルド『金鹿商会』。


 豪奢な応接室には、重苦しい沈黙が流れていた。


 ギルド長のバルドは、脂汗を流しながらも視線を逸らさない。


 その正面で、アルベルト皇太子が不機嫌そうに足を組んでいた。


「聞こえなかったのか?」


 低い声だった。


「帝国が食糧を必要としている」


「……はっ」


「ならば全在庫を差し出せ」


 バルドは唇を引き結ぶ。


 胃が痛い。


 本来なら逆らえる相手ではない。


 だが。


「申し訳ございません、殿下」


「何?」


「現在、我が社の穀物在庫は……既に契約済みでございます」


「誰とだ」


 バルドは一瞬だけ迷った。


 だが、すぐに答える。


「枯れ谷の、コヨミ様です」


 空気が凍った。


「……は?」


 アルベルトの目が見開かれる。


「誰だと?」


「コヨミ・スメラギ様でございます」


 その瞬間、エレナが叫んだ。


「嘘よ!!」


 机を叩き、立ち上がる。


「あいつは追放されたのよ!? 枯れ谷なんて死の土地じゃない!」


「ですが事実です」


 バルドは震えながらも続けた。


「現在、最も品質の高い穀物を安定供給しているのは枯れ谷です」


「ありえない……」


「しかもコヨミ様は、今後の冷害発生率まで事前に予測されておりました」


 アルベルトの背筋を、嫌な汗が伝う。


 思い出す。


 あの日。


 宮廷を去る直前の男。


『あと百五十日で、この国は自滅します』


 まさか。


 本当に?


「……っ」


 窓の外で風が鳴った。


 冷たい。


 まるで真冬の風だ。


 その時、再び役人が飛び込んでくる。


「ほ、報告!!」


「今度はなんだ!」


「東部街道、全面凍結!! 物流が停止しました!!」


「な……」


「さらに港湾部で異常高温が発生、魚類が大量死しています!」


 エレナの顔から血の気が引いていく。


「そ、そんな……」


 彼女は震える手を見つめた。


 魔法は使っている。


 ちゃんと暖めている。


 なのに。


 なのに何故。


 どうして季節が壊れていくのか分からない。


 その時だった。


 ギルド長バルドが、小さく呟く。


「……暦、ですかね」


「何?」


「コヨミ様は仰っておりました」


 バルドは静かに言った。


「自然には順番がある、と」


 部屋が静まり返る。


 外では雪が降っている。


 だが同時に、遠くでは雷鳴も響いていた。


 冬と夏が、同時に暴れている。


 帝国そのものが悲鳴を上げていた。


 一方その頃。


 枯れ谷では。


「主様ー! 見て見て!」


 春蕾が笑顔で駆け回り、啓蟄が泥だらけになりながら畑を耕していた。


 暖かな春風。


 青空。


 黄金色へ育ち始めた稲。


 その中心で、コヨミは静かに帳簿をめくる。


「……予測誤差、一・二%」


 さらさらと羽根ペンを走らせた。


「帝国崩壊まで、あと百三十六日」




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