【第2話 失われたOSの再起動――『立春』の顕現】
【第2話 失われたOSの再起動――『立春』の顕現】
吹雪だった。
白い雪煙が唸り声のように谷を駆け抜け、岩肌を削る。空は灰色に濁り、太陽の位置すら分からない。
コヨミ・スメラギは毛皮の外套を握り締めながら、凍りついた坂道を一歩ずつ踏みしめていた。
靴底が雪を軋ませる。
冷たい。
肺に入る空気が痛いほど冷えている。
帝都を出て七日。
馬車すら途中で動かなくなり、最後は徒歩だった。
「……ここが、枯れ谷か」
吐いた息が白く散る。
見渡す限り、死んだ土地だった。
木は一本もない。
地面は凍土。
吹き抜ける風には湿り気がなく、生命の匂いがまるで存在しない。
普通の人間なら絶望しただろう。
だがコヨミは違った。
彼はゆっくりと膝をつき、雪を払って地面に触れる。
指先に伝わる感触を確かめるように、静かに目を閉じた。
「……気温、氷点下十五度。風速八。地表魔力流動、極端な偏りあり」
耳を澄ませる。
吹雪の奥。
もっと深い場所。
何かが流れている。
まるで脈拍のような、微かな振動。
コヨミは目を開いた。
「地脈は死んでいない」
その瞬間だった。
ザクリ、と足元の雪が崩れる。
コヨミは咄嗟に身体を捻った。雪の下の地面が陥没し、白い霧と共に暗い穴が口を開く。
危うく飲み込まれるところだった。
冷気が下から吹き上がってくる。
「……人工構造?」
コヨミは雪を払い、穴の縁を覗き込んだ。
石だ。
自然の岩肌ではない。
円形に削られた古代石材。
吹雪の下に埋もれていたそれは、明らかに誰かの手で作られていた。
コヨミは慎重に穴へ降りる。
地下は静かだった。
風の音が消え、代わりに低い振動だけが響いている。
奥へ進むにつれ、空気が変わった。
冷たい。
だが同時に、濃密な魔力が漂っている。
やがて彼は広い空間へ出た。
「……祭壇」
巨大な円形の石盤。
周囲に並ぶ二十四本の石柱。
だが、その全てに亀裂が走っていた。
まるで長い年月、忘れ去られていたように。
コヨミは静かに石盤へ近づく。
その瞬間だった。
頭の奥に、声が響いた。
『――だれ』
女の声。
幼く、か細い。
『……さむい』
コヨミは目を細めた。
「……季節神か」
空気が震える。
石柱の一本に、淡い光が灯った。
『だれも、呼ばなかった』
寂しそうな声だった。
『だれも……私たちを数えなかった』
コヨミはゆっくり周囲を見渡す。
二十四本。
周期。
季節。
そして地脈。
バラバラだった情報が、頭の中で繋がっていく。
「……なるほど」
この世界には元々、“季節を管理する仕組み”が存在していた。
だが帝国は忘れた。
魔法に溺れ、周期を捨てた。
その結果、世界の均衡が崩れ始めている。
コヨミは静かに息を吐く。
冷たい空気が白く広がった。
「ならば、再定義する」
彼は祭壇中央へ歩み出る。
革手袋を外し、凍った石盤に触れた。
瞬間。
膨大な情報が脳へ流れ込む。
季節。
温度。
降雨。
風向き。
地脈。
世界の循環。
コヨミの瞳に淡い光が宿った。
「『万物暦管理』起動」
低い声が地下空間に響く。
石柱が震えた。
眠っていた魔力が目を覚ます。
コヨミは静かに告げる。
「二月四日」
空気が変わる。
「立春」
次の瞬間。
世界が止まった。
吹雪の音が消える。
凍てついていた空気が静まり返る。
コヨミは真っ直ぐ前を見据えた。
「東風凍を解く」
石柱が一斉に輝いた。
轟音。
眩い光が祭壇から噴き上がる。
地下を揺るがす振動。
地脈が脈打つ。
まるで世界そのものが目覚めていくようだった。
「これより世界のOSを再起動する」
その瞬間だった。
ドォン――ッ!!
地上へ巨大な光柱が突き抜けた。
吹雪が弾け飛ぶ。
空を覆っていた灰雲が裂け、黄金色の陽光が谷へ降り注いだ。
雪が溶ける。
一瞬だった。
白銀の世界が、水音を立てながら崩れていく。
凍土だった地面から、柔らかな緑が芽吹き始めた。
風が変わる。
冷気ではない。
春の匂いだった。
湿った土。
若葉。
花の香り。
ありえない。
だが確かに、春が来ていた。
「……成功したか」
その時。
ふわり、と背後から抱きつかれた。
「みーつけた!!」
鈴のような声。
コヨミが振り向くと、そこには少女がいた。
薄桃色の髪。
花びらのような衣。
春の日差しそのもののような笑顔。
少女はぎゅうっとコヨミに抱きついている。
「やっと! やっと見つけたぁ……!」
「……君は」
「立春!」
少女は満面の笑みで答えた。
「立春の神、春蕾! ようやく私たちを正しく定義してくれる主様が現れたの!」
興奮したように彼の肩へ頬を擦り寄せる。
「嬉しい……! すっごく嬉しい……!」
その瞬間、さらに地面から花が咲いた。
雪が次々と溶けていく。
半径数キロに渡り、吹雪が消えていた。
暖かい。
まるで春そのものが、この谷だけに訪れたようだった。
春蕾はきらきらした目でコヨミを見上げる。
「主様! 寒くない!? お腹空いてない!? 土、もっと暖かくしようか!?」
「……落ち着いてくれ」
「やだ!」
即答だった。
「だってやっと会えたんだもん!」
春の風が吹き抜ける。
花びらが舞う。
凍てついていた死の谷は、もうどこにもなかった。
コヨミは静かに空を見上げる。
青空だった。
帝都では決して見ることのできなかった、澄み切った春の空。
その時、彼の耳に微かな声が届く。
二十四本の石柱。
その奥。
まだ眠る季節たちの囁き。
『……主?』
『起きたの?』
『やっと?』
コヨミは目を細めた。
どうやら、この世界の再起動は始まったばかりらしい。




