第九話 偶然を技術に
「もう一回やりましょう」
そう言ったのは俺だった。
目の前には、虹色のサンプル。
純水を落とした直後。
温度は六十度を超えた。
金曜日以来。
ようやく。
狙って作った一枚だった。
主任はサンプルより、測定データを見ている。
「同じ条件ですね?」
「同じでいきます」
「Ti処理も?」
「同じです」
「成膜時間は?」
「同じ」
「では、やりましょう」
俺は新しい基板を準備した。
正直。
少し興奮していた。
原因が見えた。
そう思っていた。
金曜日。
Ti系材料を処理した後の装置。
そこへ合成Si。
長時間成膜。
土曜日。
定期クリーニング。
月曜日。
何度やっても再現しない。
そして今日。
意図的にTi由来成分を薄く残した装置で合成Siを成膜すると。
できた。
なら。
次もできる。
そう思った。
*
二枚目。
虹色。
「出た」
思わず声が漏れる。
「まだです」
主任が言う。
「二回ですよ?」
「二回です」
「連続ですよ?」
「連続二回です」
「厳しいなあ」
「当然です」
純水を滴下する。
温度が上がる。
一枚目とほぼ同じ。
俺は少し笑った。
「これ、もういけるでしょ」
「三枚目」
「はいはい」
三枚目。
虹色。
発熱。
「今度こそ?」
「同一条件での再現は確認できました」
「やっと認めた」
「ただし」
やっぱり続く。
主任が三枚の結果を並べる。
「これでは、何が効いているか分かりません」
「Tiじゃないんですか」
「Tiだけですか?」
「…………」
違う。
当然。
そもそもの始まりは、成膜時間を三倍にしたことだった。
そこへTiが加わった。
「Tiと成膜時間」
「少なくとも、その二つは候補です」
「じゃあ振ります?」
主任が俺を見る。
「何を?」
「条件」
そう言いながら、俺はホワイトボードへ向かった。
ペンを取る。
縦にTi。
横に成膜時間。
簡単なマトリクスを書く。
「まずこれくらいで」
主任が横から見る。
「多くないですか」
「全部やる必要ないですよ」
中央。
今回成功した条件。
その周囲。
少なめ。
多め。
短め。
長め。
「最初にここ」
数点に丸をつける。
「ざっくり成立領域を見ます」
「その後は?」
「境界を詰める」
主任がホワイトボードを見る。
しばらく黙る。
「……いいと思います」
「珍しいですね」
「何がです?」
「一発で意見合うの」
「余計なことを言わなければ、もう少し頻繁に合うと思います」
「それは無理ですね」
「でしょうね」
少しずつ。
この人との付き合い方が分かってきた気がする。
*
翌日。
Tiを減らした。
失敗。
銀色。
純水。
変化なし。
「なるほど」
俺はホワイトボードに×を書く。
「少なすぎるとダメ」
次。
少し増やす。
虹色。
発熱。
○。
さらに増やす。
外観が変わった。
虹色ではある。
だが。
今までとは色味が違う。
主任が分析する。
「別の構造になっている可能性があります」
純水を落とす。
温度は上がった。
ただ。
今までより明らかに弱い。
「多ければいいってわけでもないのか」
「そのようですね」
△。
さらに増やす。
発熱しない。
×。
ホワイトボードに並んだ結果を見る。
×。
○。
○。
△。
×。
「……狭いな」
「少なくとも、Ti量には適正範囲がありそうですね」
俺は腕を組んだ。
「次、時間ですね」
*
成膜時間。
最初の成功条件は規定の約三倍。
少し短くする。
失敗。
伸ばす。
成功。
さらに伸ばす。
発熱量が下がる。
もっと伸ばす。
別の外観へ変わる。
「時間も範囲ありか」
ホワイトボードへ結果を書き込む。
主任が隣から、
「ここ」
と言った。
「何です?」
「この条件、もう一度確認したいです」
「境界?」
「はい」
見る。
成功と失敗のちょうど間。
「俺も同じこと思ってました」
「そうですか」
「…………」
「何です?」
「いや」
笑う。
「だいぶ意見合うようになったなって」
「仕事なので」
冷たい。
でも。
以前ほど本気で冷たく言っていないことくらいは分かるようになった。
*
それから数日。
ほとんど同じことを繰り返した。
作る。
測る。
分析する。
条件を変える。
また作る。
失敗。
成功。
また失敗。
時には、主任と予想が割れた。
「ここ出ると思います」
「私は出ないと思います」
「じゃあ賭けます?」
「嫌です」
「何なら賭けます?」
「何も賭けません」
結果。
失敗。
「ほら」
「主任、そういうところありますよね」
「何がです?」
「地味に勝ち誇るところ」
「事実を確認しただけです」
また別の条件。
今度は俺の予想が当たる。
「出た」
「出ましたね」
「ほら」
「何です?」
「いや、俺も勝ち誇ろうかなって」
「くだらない」
そんなやり取りをしながら。
ホワイトボードは少しずつ埋まっていった。
○。
×。
△。
最初はバラバラに見えた結果。
それが。
少しずつ。
形になっていく。
Tiが少なすぎると形成しない。
多すぎても形成しない。
成膜時間が短すぎても駄目。
長すぎても別の状態になる。
そして。
二つの条件が重なる、狭い領域。
そこだけ。
毎回。
あの虹色が現れる。
俺はホワイトボードの一角を囲んだ。
「ここですね」
主任が隣に立つ。
「現時点では」
「また慎重だなあ」
「技術ですから」
「はいはい」
でも。
今回は俺にも分かる。
これはもう。
最初の一枚とは違う。
条件を決める。
作る。
同じ外観になる。
水を落とす。
同じように発熱する。
条件を外す。
できない。
戻す。
またできる。
つまり。
狙える。
*
週の終わり。
最後の確認をした。
条件中央。
三枚。
連続作製。
一枚目。
虹色。
二枚目。
虹色。
三枚目。
虹色。
主任が一本ずつ測定する。
一枚目。
発熱。
二枚目。
発熱。
三枚目。
発熱。
温度変化も大きく外れていない。
分析結果。
例の特徴。
三枚とも確認。
主任がデータを保存した。
俺は横で待つ。
「主任」
「はい」
「今度こそいいですよね」
返事がない。
画面を見ている。
「主任?」
「聞こえています」
「じゃあ」
主任が椅子からこちらを見る。
「再現性ありとして報告していいと思います」
少し。
間が空いた。
「…………」
「何です?」
「いや」
なんだろう。
もっと。
「やった!」
みたいになると思っていた。
でも。
実際にその言葉を聞くと。
意外と、静かだった。
最初は。
成膜時間を間違えただけだった。
捨てるつもりだった。
なんとなく気になって。
分析した。
水を落とした。
熱くなった。
あの時は。
何が起きているかなんて、何も分かっていなかった。
今だって。
正直。
大して分かっていない。
なぜ。
合成Siに微量のTiが特定の状態で存在すると、あの構造になるのか。
なぜ。
その構造が水と触れて発熱するのか。
なぜ。
発生する熱量が説明できないのか。
何一つ。
答えは出ていない。
でも。
一つだけ。
違うことがある。
俺はホワイトボードを見る。
大量の○と×。
数え切れないメモ。
条件。
分析結果。
失敗したサンプル。
「主任」
「はい」
「最初のやつは偶然ですよね」
「そうですね」
即答かよ。
「そこはちょっと考えてくださいよ」
「条件設定を間違えたのでしょう?」
「……そうですけど」
主任が少しだけ笑った。
「でも」
珍しく。
向こうから続けた。
「今は違います」
俺は主任を見る。
「少なくとも」
主任がホワイトボードを見る。
「今私たちが作っているものは、偶然ではありません」
その言葉が。
なんとなく嬉しかった。
*
午後。
主任が報告資料を作っていた。
俺は横から画面を覗く。
タイトル。
特殊構造形成現象 再現条件確認結果
「特殊構造形成現象って」
「何です?」
「固くないです?」
「報告書ですから」
「虹色膜とか」
「却下します」
「まだ最後まで言ってないのに」
「結論が分かります」
ページを送る。
形成条件。
Ti量。
成膜時間。
成立領域。
分析結果。
再現確認。
俺が一週間かけて眺めてきたものが、十数枚の資料に整理されている。
その中の一文。
設定条件下での再現性を確認。
しばらくそこを見る。
「できちゃいましたね」
俺が言った。
主任は画面から目を離さない。
「作った本人が言うことではないと思います」
「いや、最初こんなことになると思ってなかったし」
「それは私もです」
そこは同意するんだ。
メールが届いた。
主任が確認する。
「技術顧問、今日このあと時間取れるそうです」
「…………今日?」
「はい」
時計を見る。
金曜日。
夕方。
嫌な記憶が蘇る。
「また金曜日じゃないですか」
「だから?」
「いや……なんか金曜日いいことないなって」
「今回は再現性確認の報告です」
「怒られない?」
「なぜ怒られるんです?」
「顧問だから」
主任が呆れた顔をした。
「行きますよ」
「はい」
資料を印刷する。
ホチキスで留める。
主任が一部。
俺が一部。
会議室へ向かう。
廊下を歩きながら。
少しだけ。
緊張していた。
前回。
技術顧問から言われた。
必ず再現させろ。
正直。
無茶言うなよ。
と思った。
でも。
できた。
俺たちは。
金曜日に偶然できた条件を追いかけて。
Tiに辿り着いて。
成膜条件を振って。
失敗して。
また試して。
ようやく。
狙って作れるところまで持ってきた。
会議室の前に着く。
主任が扉に手を伸ばす。
「主任」
「何です?」
「顧問、これ見たら何て言いますかね」
少し考える。
「分かりません」
「本当にその言葉好きですね」
「分からないものは分かりません」
「でしょうね」
主任がノックする。
中から声がした。
「どうぞ」
扉を開ける。
技術顧問が一人、机に向かっていた。
俺たちを見る。
そして。
俺の手元の資料へ視線を落とした。
主任が机の上に資料を置く。
「再現条件について、確認が完了しました」
技術顧問は何も言わない。
資料を手に取る。
表紙を見る。
次の瞬間。
ほんのわずかに。
その表情が変わった。
第9話 終




