↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
7/16

第七話 見えていない条件


報告は、その日のうちに上げることになった。

正直。

明日にしてほしかった。

朝から三回。

同じ条件で作って。

三回とも失敗。

金曜日のサンプルを再測定して。

比較して。

分析して。

そして出た結論が、

再現性、確認できず。

もう十分だろ。

そう思っていた。

「顧問、まだいるって」

先輩が言った。

「…………」

「なんだよ、その顔」

「いや」

俺は椅子にもたれた。

「明日じゃダメなんですか」

「今日の結果は今日報告する」

「主任だけじゃダメです?」

「お前も来いって」

「俺も?」

「作ったのお前だろ」

「その言葉、便利ですね」

「便利だから使ってる」

最悪だ。

俺は重い身体を起こした。

*

会議室に入る。

昨日と同じ部屋。

昨日と同じ席。

正面には技術顧問。

隣には物性分析班の主任。

俺の隣に先輩。

違うのは。

机の上に三枚の銀色のサンプルが置かれていることだった。

今日作ったもの。

三枚。

全部失敗。

普段なら何とも思わない銀色が、今日はやけに腹立たしく見える。

「では」

技術顧問が資料を開く。

「今日の結果を」

主任が説明を始めた。

「金曜日の再現確認時と、可能な限り同一条件で三回作製を実施しました」

技術顧問の目が止まる。

「可能な限り?」

やっぱりそこ拾うんだ。

主任は表情を変えない。

「同一材料ロット、同一基板ロット、同一装置を使用。設定値、成膜時間についても一致を確認しています」

「結果は」

「三回とも、金曜日に確認された外観変化はありませんでした」

ページをめくる。

「純水滴下後の発熱も確認できていません」

「三回とも?」

「はい」

「作製したのは?」

視線が俺に向く。

「俺です」

「金曜日の三枚も?」

「はい」

「最初の一枚も」

「はい」

技術顧問が資料へ視線を戻した。

「金曜日に四枚」

「はい」

「月曜日に三枚」

「はい」

「四枚は発熱した」

「そうです」

「三枚は発熱しなかった」

「はい」

顧問がペンを置いた。

「金曜日のサンプルは、今日もう一度確認したんだね」

主任が答える。

「はい」

「結果は」

「発熱しました」

資料が一枚差し出される。

今日再測定した結果。

純水滴下後。

温度上昇。

60℃付近。

金曜日と大きく変わらない。

「つまり」

顧問が言う。

「測定方法が原因で今日だけ発熱を検出できなかった、と考えるのは難しい」

「現時点ではそう判断しています」

「物性分析は?」

主任が別の資料を出す。

二つのスペクトル。

金曜日。

今日。

金曜日の方には、例のピーク。

今日のものにはない。

「今日作製した三サンプルでは、金曜日品の特徴的なピークを確認できませんでした」

技術顧問はしばらく画面を見ていた。

何も言わない。

俺も何も言わない。

先輩も。

主任も。

こういう時間が一番嫌いだ。

やがて。

技術顧問が俺を見る。

「君」

「はい」

「今日の作製条件に問題はあった?」

「ありません」

「断言できる?」

一瞬、迷った。

「……装置上で確認できる範囲では」

「それでいい」

少し意外だった。

「金曜日と同じだった?」

「はい」

「材料」

「同じです」

「装置」

「同じです」

「基板」

「同じです」

「成膜時間」

「同じです」

「作製者」

「俺です」

「金曜日にも三回できた」

「はい」

「今日にも三回やった」

「はい」

「そして結果が違う」

「そうです」

技術顧問は椅子にもたれた。

「では、一つ聞こう」

俺を見る。

「本当に同じ条件だったのか?」

「…………」

少しムッとした。

朝から何度条件を確認したと思ってるんだ。

「同じです」

答えた。

「ログも確認しました」

「ログ?」

「はい」

「私はログの話をしていない」

言葉に詰まった。

技術顧問が続ける。

「君が言っている条件とは何だ」

「材料、温度、圧力、成膜時間とか……」

「設定値だね」

「はい」

「それが、製造条件のすべてか?」

「…………」

意味が分からなかった。

主任が顧問を見る。

技術顧問は資料を閉じた。

「例えば」

机の上のサンプルを指す。

「同じ温度で、同じ材料を使って、同じ時間処理した」

「はい」

「だから同じものができる」

「普通は……」

「普通は?」

詰められる。

「できると思います」

「今日できなかった」

「…………はい」

「だったら」

顧問の声は静かだった。

「我々が同じだと思っているだけだ」

会議室が静かになる。

その一言が。

妙に引っかかった。

「主任」

「はい」

「金曜日品と月曜品の差を、もう一度徹底的に分析してください」

「分かりました」

「目的材料だけを見る必要はない」

主任の目がわずかに動いた。

「分かりました」

次に。

俺を見る。

「君は工程だ」

「工程?」

「金曜日と月曜日の違いを探せ」

「でも、条件は」

「設定値だけを見るな」

遮られた。

「装置ログに残っている数字だけが、工程ではない」

言葉が出なかった。

「金曜日まで、その装置がどう使われていたのか」

「材料がどう扱われていたのか」

「そのサンプルを作る前に何があったのか」

「月曜日までに何が変化したのか」

一つずつ。

ゆっくり。

「作業者も」

「設備も」

「材料も」

「環境も」

「前後の工程も」

技術顧問が俺を見る。

「全部だ」

気が遠くなりそうだった。

「全部……ですか」

「そうだ」

「かなりありますよ」

「だから何だ」

一言だった。

何も言えなくなる。

「これは原因解析だ」

技術顧問は続ける。

「自分たちが原因だと思っているものだけ調べても、原因は見つからない」

俺は黙って聞く。

「最初から成膜時間が原因だと決めつけるな」

その言葉に少し引っかかった。

確かに。

俺は最初からそう思っていた。

条件を間違えた。

成膜時間が三倍になった。

変なものができた。

翌朝。

同じ時間で三回作った。

三回ともできた。

だから。

成膜時間が原因。

いつの間にか。

それを前提にしていた。

「君」

「はい」

「金曜日にあって、今日なかったもの」

「……はい」

「逆でもいい」

「え?」

「今日あって、金曜日になかったもの」

技術顧問は言った。

「それを探せ」

なるほど。

と思った。

でも。

同時に。

そんなの分かるか。

とも思った。

「期限は?」

先輩が聞く。

技術顧問は少し考えるような素振りを見せた。

「期限を設定するつもりはない」

一瞬だけ。

安心した。

「ただし」

やっぱり続いた。

「再現できないなら、この現象は評価に値しない」

主任の表情が変わった。

俺も。

意味は分かる。

一度。

たまたま。

変なものができました。

それだけなら。

技術ではない。

「何度でも偶然に期待するわけにはいかない」

顧問が言う。

「狙って作れるようにしろ」

資料を指で叩く。

「なぜできたのかを説明できなくてもいい」

少し意外だった。

「理屈は後からでもいい」

「まず」

技術顧問が俺と主任を見る。

「同じ結果を、意図的に出せる状態に戻せ」

短い沈黙。

そして。

「必ず再現させろ」

主任が先に答えた。

「分かりました」

俺も。

「……分かりました」

と答えた。

言ってしまった。

正直。

どうすればいいのか。

まったく分からなかった。

*

会議室を出る。

扉が閉まる。

数歩。

廊下を歩く。

「…………無理じゃないです?」

思わず言った。

先輩が横を見る。

「何が」

「全部洗えって」

「言われたな」

「めちゃくちゃありますよ」

「あるな」

「もうちょっとないんですか」

「何が?」

「ヒントとか」

先輩が笑った。

「顧問が答え知ってると思ってんの?」

「……知らないんですか」

「知ってたら、お前ら呼んでないだろ」

それもそうだ。

「最悪だ」

「頑張れ」

「他人事じゃないですよ」

「分かってるって」

「絶対手伝ってくださいよ」

「たぶん」

足を止める。

「今の顧問の前で言ってきてください」

「嫌だよ」

即答だった。

少し笑った。

でも。

頭の中にはもう。

さっきの言葉が残っていた。

本当に同じ条件だったのか。

エレベーターに乗る。

主任も一緒だった。

珍しく三人。

誰も喋らない。

俺は頭の中で考える。

基板。

同じ。

合成Si。

同じ。

装置。

同じ。

作業者。

同じ。

成膜時間。

同じ。

温度。

同じ。

圧力。

同じ。

じゃあ。

何が違う。

「主任」

「何です?」

「明日、何からやります?」

少し考えてから答えた。

「私は金曜日品と月曜品をもう一度比較します」

「さらに?」

「検出対象を広げます」

「じゃあ俺は?」

「顧問に言われたでしょう」

「全部洗え」

「はい」

「…………」

先輩が笑いをこらえている。

「何がおかしいんです?」

「いや」

「手伝ってくださいよ」

「分かってるよ」

一階に着く。

扉が開く。

主任が先に降りる。

その背中を見ながら。

俺は思った。

俺は分析屋じゃない。

物質の細かい構造なんて分からない。

主任ほど材料にも詳しくない。

まして。

あの技術顧問みたいに、物事を広く見ることもできない。

俺に分かるのは。

装置と。

工程と。

普段どうやって作っているか。

そのくらいだ。

でも。

だったら。

そこを調べるしかない。

金曜日。

月曜日。

何かが違った。

その何かを。

俺たちはまだ。

気付けていなかった。

第7話 終

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。