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第十三話 エネルギー


主任から連絡が来たのは、翌日の朝だった。

『10時から技術顧問へ報告します。9時半に会議室前へ来てください』

それだけ。

相変わらず簡潔だった。

昨日。

主任は一日中、何度も同じ測定を繰り返していた。

装置を変えて。

サンプルを変えて。

条件を変えて。

それでも。

最後には同じような数字へ戻ってくるらしい。

俺には、その数字を見せてくれなかった。

ただ。

一度だけ聞いた。

多いのか。

少ないのか。

主任は答えた。

私が、間違いであってほしいと思うくらいには。

その言葉が。

一晩経っても、頭から離れなかった。

*

9時25分。

会議室前に着く。

先輩はすでにいた。

「おはようございます」

「おう」

「先輩も出るんですか?」

「一応な」

「一応って」

「お前ら二人だけで顧問に報告させるの、ちょっと不安だから」

「俺を主任と一緒にしないでくださいよ」

「主任の方は心配してない」

「じゃあ俺だけ?」

「そう」

即答だった。

少しして。

主任が廊下の向こうから歩いてきた。

手には資料。

いつもと変わらない顔。

昨日。

自分が間違っていてほしいと言うほどの結果を見た人間には見えない。

「おはようございます」

「おはようございます」

先輩が資料を見る。

「結果、まとまった?」

「暫定ですが」

「暫定?」

「追加確認は必要です。ただし、本日報告する数値が大きく変わる可能性は低いと考えています」

先輩の表情が少し変わった。

俺は主任を見る。

「結局、いくつだったんです?」

「中で説明します」

「ここで教えてくれても」

「中で説明します」

取りつく島もない。

主任が扉をノックする。

「どうぞ」

聞き慣れた低い声。

扉を開ける。

技術顧問は一人で待っていた。

俺たちを見る。

「座ってください」

「失礼します」

前回と同じ席。

正面に技術顧問。

その隣に主任。

俺と先輩は並んで座る。

机の上へ資料が置かれた。

表紙。

特殊構造形成品 熱量測定結果

その下に。

暫定評価

と書かれている。

技術顧問は資料を手に取った。

「昨日のメールは確認した」

主任が頷く。

「はい」

「測定誤差だけでは説明できないと」

「現時点では、そう判断しています」

「説明してください」

主任が資料を開いた。

*

「今回の評価目的は、特殊構造形成品が純水との接触によって放出する熱量を定量することです」

最初のページ。

測定系の構成。

容器。

サンプル。

熱電対。

補正項目。

俺には半分も分からない。

主任は説明を続ける。

「これまで確認していたのは、反応時の温度変化です。しかし、温度上昇のみでは放出されたエネルギー量を判断できません」

技術顧問が頷く。

「今回、特殊構造の推定質量、基板の熱容量、純水量、容器への熱移動および周囲への熱損失を考慮し、放出熱量を算出しました」

ページがめくられる。

「最初の測定で、想定を大きく上回る値が出ました」

「その想定とは?」

「既知のSi系材料およびTiを含む反応から見積もられる範囲です」

「測定系は?」

「最初に疑いました」

主任が次のページを示す。

「校正用ヒーターによる確認。熱電対の交換。測定容器の変更。ブランク評価。通常の合成Si膜、Ti処理品、基板のみでの比較を実施しています」

「異常は」

「確認されていません」

「計算式は?」

「複数回確認しました。補正条件についても、結果が過大にならない方向で見直しています」

技術顧問が資料へ視線を落とす。

「別方式でも測定した?」

「はい」

「結果は」

「完全に同一ではありませんが、測定誤差を考慮すれば同じ傾向です」

「サンプル数は?」

「昨日の段階で6回。本日朝、追加サンプル3条件についても確認しました」

「合計9回」

「はい」

「全て?」

「形成領域中央のサンプルは、全て同等の範囲にあります。成立領域の上下限付近では、形成量と発熱挙動に変化が見られます」

技術顧問がページをめくる。

「水量を変えた場合は?」

「一定量までは総熱量に変化が見られます。ただし、水を過剰に加えても、特殊構造の単位質量あたりの放出エネルギーは大きく変化しません」

「水が主要なエネルギー源である可能性は?」

「現時点では判断できません」

「反応後の物質は?」

「分析中です。ただ、Tiが著しく消費された形跡は確認されていません」

質問が続く。

主任は一つずつ答える。

分かっていること。

分かっていないこと。

確認したこと。

まだ確認できていないこと。

曖昧にしない。

昨日。

俺と話していた時とは違う。

もう。

最初の数字を見て動揺していた人ではなかった。

主任は。

完全に仕事の顔へ戻っていた。

技術顧問が資料を止めた。

「では」

一度。

主任を見る。

「結果を」

会議室が静かになった。

主任が最後の数ページを開く。

グラフ。

表。

測定値。

数字が並んでいる。

俺には、どれが重要なのか分からない。

主任が言った。

「形成された特殊構造の推定質量を基準とし、測定誤差および熱損失を考慮した結果」

そこで。

一度、言葉を切った。

「単位質量あたりの放出エネルギーは」

資料へ視線を落とす。

「約130 MJ/kgです」

「…………」

誰も喋らなかった。

130。

単位は分かる。

でも。

その数字が大きいのか。

小さいのか。

俺には分からない。

先輩も同じらしい。

資料を見たまま、表情が動かない。

技術顧問だけが。

ゆっくりと顔を上げた。

「130 MJ/kg?」

「はい」

「補正後の値か」

「最も保守的な条件では、これを若干下回ります。ただし、複数の測定結果は130 MJ/kg前後へ収束しています」

「下限は?」

「現時点の評価では、120 MJ/kgを下回りません」

また。

沈黙。

俺は我慢できずに聞いた。

「あの」

全員がこちらを見る。

「それって、多いんですか?」

技術顧問が俺を見る。

すぐには答えない。

その代わり。

主任へ聞いた。

「比較できるものは?」

主任が少し考える。

「単純比較には注意が必要です」

「構わない」

「現在比較しているのは、単位質量あたりの放出エネルギーです。体積基準、システム全体の利用効率、製造時の投入エネルギーは含まれていません」

「分かっている」

技術顧問の声が低くなる。

「一般的な燃料で比較してくれ」

主任は資料を一枚めくった。

「例えば」

視線を数字へ落とす。

「ガソリンの重量あたりの発熱量は、およそ46 MJ/kgです」

「…………」

俺は主任を見る。

130。

46。

頭の中で計算する。

すぐには割れない。

だが。

感覚的には分かる。

「……3倍?」

思わず口に出た。

主任が答える。

「正確には約2.8倍です」

「2.8倍……」

先輩が小さく呟いた。

俺は資料を見る。

130 MJ/kg。

数字は変わらない。

「ちょっと待ってください」

自分でも。

何を聞けばいいのか分からなかった。

「ガソリンって、燃料ですよね」

先輩が横を見る。

「当たり前だろ」

「いや、そうじゃなくて」

言葉を探す。

「これ、膜ですよね」

誰も答えない。

「Siの」

主任が訂正する。

「合成Siを主体とした、未特定の特殊構造です」

「どっちでもいいですけど」

「よくありません」

「今そこ?」

いつもなら。

少しくらい空気が緩む。

でも。

今日は違った。

俺は聞く。

「これが、ガソリンの約2.8倍の熱を出すってことですか?」

主任はすぐに答えなかった。

「単位質量あたりの放出エネルギーだけを比較すれば」

「そうなります」

技術顧問が言った。

俺は技術顧問を見る。

その表情からは何も読み取れない。

「でも」

先輩が口を開く。

「これは薄膜ですよね」

「はい」

主任が答える。

「実際に形成されている量は、現時点では極めて少量です」

「なら、総熱量としては」

「現在のサンプル一枚では大きくありません」

少し。

安心しかけた。

だが。

技術顧問は違った。

「量の問題ではない」

静かな声だった。

「え?」

「今は薄膜でしか作っていない。それだけだ」

技術顧問が資料を指す。

「条件を合わせれば形成できる」

主任が頷く。

「はい」

「量を増やせないと確認したわけではない」

「いいえ。大型化、厚膜化については未評価です」

「なら」

技術顧問は資料へ視線を戻す。

「単純に、今はそれだけしか作っていないということだ」

会議室の温度が。

少し下がった気がした。

確かに。

そうだ。

今は数センチ角。

薄い膜。

だから。

発生する熱の総量は小さい。

でも。

もし。

大きく作れたら。

厚く作れたら。

大量に作れたら。

そこまで考えて。

思考を止めた。

「主任」

技術顧問が聞く。

「この数字を、既知の化学反応で説明できるか」

「現時点ではできません」

「Siの酸化反応は?」

「反応後分析と質量変化が一致しません。仮に全量が反応したと見積もっても不足します」

「Tiは」

「検出量が少なすぎます。また、大きく消費されていません」

「水は?」

「反応へ関与しています。ただし、エネルギー源であると断定できる根拠はありません」

「外部からのエネルギー供給は」

「測定中にはありません」

「形成時に蓄積された可能性は?」

「否定できません」

「成膜時の投入エネルギーとの比較は?」

「まだ評価途中です」

「仮に、成膜時に蓄積されたエネルギーを放出しているだけなら」

「製造時の投入分を含めて、全体のエネルギー収支を評価する必要があります」

技術顧問が頷く。

当然だ。

作る時に130 MJ/kg以上のエネルギーを使っているなら。

取り出す時に130 MJ/kg出ても。

新しいエネルギー源にはならない。

俺にも、それくらいは分かる。

だが。

技術顧問は続けた。

「現時点の概算は?」

主任の返事が。

ほんの少し遅れた。

「成膜装置全体の消費電力を、そのままサンプルの形成エネルギーとして比較することはできません」

「分かっている」

「ただ」

主任が資料を見る。

「現在の条件と設備効率を保守的に見積もっても、説明は困難です」

「つまり?」

「形成時に投入したと考えられるエネルギーより、放出した熱量の方が大きい可能性があります」

俺は主任を見た。

「……可能性?」

「まだ確定ではありません」

「でも」

「確定ではありません」

強い声だった。

これ以上は。

今の段階で言わせるな。

そう聞こえた。

技術顧問は黙っている。

長い沈黙。

誰も。

次の言葉を選べない。

俺の頭の中には。

ずっと同じ数字があった。

130 MJ/kg。

ガソリン。

46 MJ/kg。

約2.8倍。

ありえない。

そう思う。

でも。

虹色のサンプルは。

実際に熱を出した。

何度も。

俺自身が見た。

作った。

条件も見つけた。

偶然ではない。

同じ条件なら。

また作れる。

「もう一度確認する」

技術顧問が言った。

主任を見る。

「この数字に、自信はあるか」

難しい質問だった。

主任は。

すぐには答えなかった。

資料を見る。

何度も測った結果。

複数の測定方法。

補正。

ブランク。

追加サンプル。

そして。

顔を上げた。

「この数字が最終値であるとは申し上げられません」

技術顧問は待つ。

「ただし」

主任の声は。

いつも通り落ち着いていた。

「測定誤差だけで、既知の反応範囲まで下がるとは考えていません」

「そうか」

それだけ。

技術顧問は資料を閉じた。

そして。

質問が変わった。

「この結果を知っている人間は?」

俺は顔を上げた。

今までとは違う。

Siでも。

Tiでも。

熱量でもない。

主任が答える。

「測定には私と作製担当者が立ち会っています」

「ほかには」

「測定設備の準備に1名。ただし、評価目的と全体結果は伝えていません」

「分析担当者は」

「必要な試料情報のみです」

「データはどこに保存している」

「測定端末と、アクセス制限をかけた社内領域です」

「通常の共有フォルダには?」

「入れていません」

「紙資料は」

主任が机の上を見る。

「この場のものを含め、3部です」

「社外は?」

「出ていません」

「メールは?」

「昨夜、暫定結果について技術顧問へ送信したもののみです。数値は記載していません」

次々に確認される。

俺は途中から。

会話についていけなくなった。

なぜ。

いきなりそんな話をする。

測定結果が正しいか。

ほかに原因がないか。

それを話すんじゃないのか。

「作製条件の資料は?」

「限定管理です」

「設備履歴は」

「通常の保全記録にあります。ただし、Tiと特殊構造の関係は記載されていません」

「合成Siの開発元には?」

「伝えていません」

技術顧問が先輩を見る。

「今日以降、この案件の情報管理レベルを上げる」

「分かりました」

先輩の返事も。

いつもより硬い。

「作製条件、分析結果、熱量測定結果を分離して保管する」

「はい」

「全体を見られる人間を限定する」

「はい」

「追加試作は、私の承認なしに行わない」

そこで。

俺は聞いた。

「ちょっと待ってください」

全員がこちらを見る。

言ってから。

少し後悔した。

でも。

聞かずにはいられなかった。

「追加試作まで止めるんですか?」

「止めるのではない」

技術顧問が答える。

「管理する」

「でも、まだ確認が必要ですよね」

「必要だ」

「だったら」

「君」

技術顧問の声が低くなった。

怒っているわけではない。

だが。

会議室の空気が一瞬で締まる。

「今、この場で確認されたことを整理しよう」

「……はい」

「正体不明の特殊構造を、我々は意図的に形成できる」

「はい」

「その材料は、国が低コスト化を目的に開発してきた合成Siだ」

「はい」

「形成に必要なTiはごく微量」

「はい」

「既存の成膜設備で作製できる」

「……はい」

「そして」

資料を指す。

「単位質量あたり、ガソリンの約2.8倍のエネルギーを放出する可能性がある」

言葉にされると。

急に。

現実味がなくなった。

技術顧問は続ける。

「発生機構は不明」

「はい」

「安全性も不明」

「はい」

「大型化した時の挙動も不明」

「はい」

「反応を完全に止める方法も、密閉以外には確立されていない」

「…………はい」

「それを」

技術顧問が俺を見る。

「これまでと同じ評価サンプルとして、自由に作らせるわけにはいかない」

何も言えなかった。

正しい。

言われてみれば。

当たり前だ。

でも。

俺の中では。

まだ。

あの装置で作る小さなサンプルだった。

設定を入れる。

処理する。

取り出す。

主任へ渡す。

それだけ。

いつもの仕事の延長。

そのはずだった。

「分かりました」

俺は答えた。

技術顧問が視線を外す。

「主任」

「はい」

「追加測定は続けてください。ただし、作製枚数と保管数を毎日報告すること」

「分かりました」

「反応後生成物の特定を優先する」

「はい」

「製造時の投入エネルギーも正確に算出する」

「はい」

「結果が崩れる可能性を、最後まで探すこと」

主任が頷く。

「そのつもりです」

その返事を聞いて。

技術顧問が少しだけ目を閉じた。

まるで。

その言葉を求めていたように見えた。

結果が崩れる可能性。

測定ミス。

既知反応。

計算間違い。

何かの見落とし。

それが見つかれば。

元の話に戻る。

変な膜ができた。

水に触れたら、少し熱くなった。

それだけ。

だが。

何度調べても。

結果は崩れなかった。

再現できた。

熱量も測れた。

そして。

130 MJ/kg。

技術顧問が資料を閉じる。

「この件は」

言葉を選ぶように。

ゆっくり話した。

「すでに、通常の社内開発として扱える範囲を超えている」

先輩が聞く。

「経営へ上げますか」

「上げる」

即答だった。

「社長と、限られた役員だけだ」

「国への報告は?」

技術顧問は答えなかった。

数秒。

机の上に置かれた資料を見る。

合成Si。

国の支援。

国との距離が近い会社。

俺にも。

少しだけ。

話の先が見えた。

技術顧問が静かに息を吐く。

「この合成Siは、国費を投入して開発された材料だ」

誰に説明するでもなく。

言った。

「ただし、特殊構造の形成条件を見つけたのは我々だ」

「はい」

「知的財産の整理も必要になる」

「はい」

「それ以前に」

技術顧問の指が。

熱量の数字で止まる。

「これは産業技術だけの問題ではない」

誰も何も言わなかった。

「エネルギー政策」

低い声。

「資源安全保障」

一つずつ。

「外交」

会議室が静まり返る。

今まで話していたのは。

ずっと技術だった。

Si。

Ti。

成膜条件。

熱量。

それが初めて。

会社の外にある言葉へ変わった。

技術顧問が顔を上げた。

「これ以上、会社の判断だけで進めるべきではない」

先輩が聞く。

「では」

技術顧問は答えた。

「国に報告する」

会議室が静まり返る。

俺は思わず聞いた。

「国って……」

技術顧問がこちらを見る。

「そのままの意味だ」

「でも」

俺は資料を見る。

数センチ角の虹色のサンプル。

俺が条件を間違えて。

捨てようとして。

少し気になって。

測っただけのもの。

「そんな大きな話なんですか」

技術顧問は。

すぐには答えなかった。

俺を見る。

そして。

静かに言った。

「大きくなるかどうかは、まだ分からない」

一度。

資料へ目を落とす。

「だが」

130 MJ/kgという数字。

その下に並ぶ測定結果。

「もし、この結果が正しいなら」

ゆっくりと。

資料を閉じた。

「我々が気づいていないだけで」

言葉を続ける。

「すでに大きな話になっている」

誰も。

何も言えなかった。

*

会議が終わったあと。

俺と先輩は、廊下を歩いていた。

主任は追加分析の準備があると言って、先に戻った。

しばらく。

どちらも喋らなかった。

エレベーターの前に着く。

ボタンを押す。

待つ。

「先輩」

「ん?」

「国に報告って、何するんですかね」

「知らん」

「官僚とか来るんですか」

「顧問も元官僚だろ」

「そうでした」

エレベーターが来ない。

妙に長く感じる。

「俺も出るんですか?」

「何に?」

「その報告」

先輩が俺を見る。

「出たいの?」

「出たくはないです」

「じゃあ、いいじゃん」

「でも、作ったの俺ですよ」

「便利だな、その言葉」

言い返された。

「いや、いつも先輩が言ってるじゃないですか」

「国相手でも使えると思うなよ」

「じゃあ俺、関係ない?」

先輩は少し考えた。

「関係ないことはないだろ」

「どっちです?」

「知らん」

「先輩までそれ?」

エレベーターが到着する。

二人で乗る。

扉が閉まる。

「しかし」

先輩が言った。

「ガソリンの約2.8倍か」

「重量基準で、です」

「お前、主任に似てきたな」

「それ褒めてます?」

「知らん」

少し考える。

「まあ……」

俺は答えた。

「安くなるなら、いいんじゃないですか」

先輩は何も言わなかった。

一階に着く。

扉が開く。

廊下の先には。

いつもの職場。

いつもの机。

いつもの装置。

何も変わっていない。

その日の午後も。

メールを返した。

資料を修正した。

次のサンプルを作った。

主任に確認された。

先輩に呼ばれた。

いつもの仕事だった。

*

その頃。

会社の最上階では。

技術顧問が、一人で机に向かっていた。

目の前には。

熱量測定結果。

何度見ても。

数字は変わらない。

約130 MJ/kg。

技術顧問は端末を操作する。

普段ほとんど使われることのない連絡先。

以前。

自分が省庁にいた頃。

国の重要案件だけで使用していた番号。

画面に表示された相手を。

しばらく見つめる。

そして。

発信する。

数回の呼び出し音。

相手が出る。

『はい』

技術顧問は短く名乗った。

電話の向こうから声が返る。

『久しぶりだな。どうした。珍しいじゃないか』

「相談したい案件がある」

『新しい合成Siの件か?』

技術顧問は。

机の上の資料を見る。

約130 MJ/kg。

「関連はしている」

『どういう意味だ』

数秒。

沈黙。

そして。

技術顧問は答えた。

「直接会って話したい」

電話の向こうも。

黙った。

声の温度が変わる。

『……いつだ』

「可能な限り早く」

『分かった』

通話が切れる。

技術顧問は端末を机へ置いた。

窓の外を見る。

街は。

いつもと変わらない。

道路には車。

遠くには工場。

高圧線。

ビル。

その全てが。

当たり前のようにエネルギーを消費している。

誰も。

まだ知らない。

その当たり前を変えるかもしれないものが。

この建物の中にある。

数センチ角。

虹色の薄膜。

始まりは。

たった一つの条件ミスだった。

そして今。

その失敗品は。

一企業の会議室を離れようとしていた。

会社から。

国へ。

小さな試験片を中心に。

止まっていた歯車が。

ゆっくりと。

回り始める。  


※全13話のプロローグ完結済み!第14話より本章(外交・国家編)突入!



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