第四十一話「通りながら」
月曜日の朝。
田中はいつもの時間に、フロアに着いた。
先週の金曜日、来栖からもらった問いが、まだ頭の中で回っていた。
「前例、作る」と「前例に、なる」。
田中は「通りながら、整備する」方にシフトした。
朝一番、田中は佐藤にメールを書いた。
「カタログ変更の進捗、お伺いしたいです」
「近々、打ち合わせ可能でしょうか」
送信した。
次に、業務管理部の担当者にもメールを書いた。
「マニュアル改善、次の候補、整理できました」
「お打ち合わせ、ご都合いかがでしょうか」
こちらも送信。
最後に、加藤にメールを書いた。
加藤の退職は今月末だった。
「加藤さん、今週、時間ありますか」
「先週の部長の件を踏まえ、次の動きをご相談したいです」
三通送信して、田中はモニターを少し見た。
応答ランプが点滅していた。
田中は取った。
朝一番の電話は強めのクレームだった。
「うちの商品、またミスかよ!」
男性の声。
息を吸いながら喋っていた。
田中は落ち着いて対応した。
履歴を確認した。
同一シリーズ、別型番の納品ミス。
大葉産業と同じパターンだった。
「お客様、カタログ全体、見直し、今、進行中でございます」
「は?」
「型番の表示を機能別に分ける案が、ほぼ確定しました」
「……ほんとかよ」
「はい。今月中に、お客様がご利用のシリーズも対応予定です」
「……」
「今回の件、即日交換、対応させていただきます」
「……お願いする」
通話は十五分で終わった。
顧客は最後、少し納得していた。
「変わってるんだな、最近、おたく」
男性は電話を切る前に言った。
田中は通話を終えた。
少し頷いた。
「変わってる」。
そう見えるくらいには変わっていた。
午前中、佐藤から返信が来た。
「明日水曜日十四時、会議室でお願いします」
加藤からも。
「今日夕方、時間ある」
業務管理部からも。
「来週月曜日、打ち合わせ調整します」
田中は三通の返信にそれぞれ「承知」、返信した。
返信しながら、田中は少し息を吐いた。
(動いてる気がする)
でも、どれも「部長経由」ではなかった。
「通りながら、整備」の動きだった。
部長の正式承認はない。
ないけど、動ける。
昼休み。
田中は自販機の前に立った。
来栖はいなかった。
田中はカフェオレを持って、ブースに戻った。
午後、田中はまた電話を取った。
取りながら、田中はふと思った。
(部長の承認、あったら楽だけど)
(なくても進む)
(それが「通りながら」の意味)
夕方、加藤が田中のブースに来た。
「田中くん、メール見た。時間、あるよ」
「はい」
「休憩室、行こう」
休憩室で、田中は先週の面談の結果を話した。
加藤は聞きながら、少し笑った。
「まあ、そうなるよな」
「はい」
「次、どうする?」
「……通りながら、整備します」
「ほう」
「部長、通さず、各部署と直接連携してます」
「いいね」
「でも、人事制度は変えられません」
「うん」
「だから、正式なポジションは当分ない」
「うん」
加藤は缶コーヒーを飲んだ。
「田中くん」
「はい」
「俺、来月定年だけど」
「はい」
「最後の週、田中くんの『非公式ポジション』の中身、整理、手伝うよ」
「……」
「俺、なんとなく業務プロセス書くの好きだから」
「はい」
「最後に残せるもの、作りたい」
田中は少し黙った。
「……ありがとうございます」
「いや、こっちこそ」
加藤は少し笑った。
「田中くんが動いてくれたから、俺も退職前、面白い」
「……」
「俺、十五年前、『壊した』って言っただろ」
「はい」
「今、田中くんの動きを支えることで、少し取り戻せそうな気がする」
「……」
「『取り戻す』って言葉、変だけど」
加藤は少し笑った。
「まあ、そういう感じ」
田中は頷いた。
加藤が田中を通じて、自分の過去と少し向き合おうとしていた。
田中にはそれが少しだけわかった。
休憩室を出て、田中はブースに戻った。
夕方、退勤。
通路を歩いた。
監査部のプレートの前を通った。
会議室に来栖がいた。
ノートPCを見ていた。
田中は通り過ぎるとき、少し来栖を見た。
来栖は顔を上げなかった。
でも、田中は気づいた。
来栖は画面ではなく、別の資料を見ていた。
紙の資料だった。
田中には内容は見えなかった。
でも、来栖の顔は少し真剣だった。
何かを進めている顔だった。
田中は通り過ぎた。
駅のホーム。
電車を待ちながら、田中はノートを開いた。
「通りながら、整備」
「佐藤、加藤、業務管理部、直接連携」
「加藤さん、退職前、手伝う、って」
書いたあとで、田中は少し笑った。
田中は一人ではなかった。
部長の承認はなくても、周りに動いてくれる人がいた。
その連携が、田中の「通りながら」の力だった。
電車が来た。
田中は乗った。
家に着いた。
缶ビールを開けた。
一口飲んだ。
苦い。
布団に入った。
目を閉じた。
眠るまでに田中は一つだけ考えた。
(部長、無視してるわけじゃない)
田中は自分に言い聞かせた。
(正式、承認できないって言われたから)
(正式以外の道を探してるだけ)
それで、田中は眠った。
眠りは深かった。
眠るまでに、田中は明日の予定を、頭の中で並べた。
明日、佐藤さんと、十四時。
来週月曜、業務管理部。
加藤さんの最後の週は、再来週。
予定が、三つ、並んでいた。
並んでいるだけで、田中の中は、少し温かかった。




