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第三十七話「普通」

月曜日の朝。


田中はいつもの時間に、フロアに着いた。


来栖が抜けて、一週間が経っていた。


ブースに座って、モニターを起動した。


応答ランプが点滅を始めた。


田中はヘッドセットをつけた。


「お電話ありがとうございます、サポートセンターの田中が承ります」


朝一番、電話は複雑案件だった。


午前中、田中は電話を七件取った。


七件。


三週間前は十四件取っていた。


件数が半分に減っていた。


佐藤のAI判定ロジック変更が反映されていた。


「断らない人に集中」から、「全員平均化」になっていた。


田中の件数はフロア平均と同じに戻っていた。


「普通」の件数だった。


田中はモニターの隅の「月間ランキング」を見た。


先月、一位だった。


今、三位に落ちていた。


鈴木が一位、中村が二位。


田中は三位。


田中は少し驚いた。


自分の順位が落ちたことを、あまり気にしていなかった。


以前なら、落ちたことで田中は少しへこんでいたはずだった。


今はへこまなかった。


(普通になった)


田中は思った。


「普通」という言葉は、以前の田中には少し重かった。


今は軽く感じた。


普通でいい。


普通でも動く。


動く分だけ進む。


昼休み。


田中は自販機の前に立った。


いつものカフェオレ。


缶を受け取って振り返った。


来栖はいなかった。


最近、来栖をフロアで見かけない日が続いていた。


監査部の会議室も空いている時が多かった。


田中は少しぼんやりした。


ブースに戻って、午後、電話を取った。


午後は案件が少し多かった。


五件取った。


うち二件は感情ケア案件だった。


田中は丁寧に聞いた。


聞きながら、田中は少し思った。


(この仕事、自分で選んでやってる感じがしてきた)


以前は「やらされている」感覚だった。


呪いの「はい」で、仕事を受けていた。


今は違った。


選んで仕事をしている。


五時半。


田中は帰り支度をしていた。


モニターにメールが届いた。


佐藤からだった。


「田中様


カタログ変更プロジェクト、全体の八百種類のうち、三百種類完了しました。


予定より順調です。


田中様の他の提案についても、今後聞かせてください。


佐藤」


田中はメールを読んで、少し笑った。


「他の提案」と書いてあった。


田中はまだ、次の提案を明確に固めていなかった。


でも、佐藤は待っていた。


田中は返信した。


「佐藤様、ありがとうございます。


次の候補、ノートに整理中です。来月、ご相談させてください。


田中」


送信した。


「来月」と書いた。


来月まで、田中は次の提案を固める。


固めると決めた。


通路を歩いた。


監査部のプレートの前を通った。


会議室は空いていた。


来栖の姿はなかった。


田中は通り過ぎた。


駅のホーム。


電車を待ちながら、田中はノートを開いた。


「件数、普通になった」


「順位、三位。気にならない」


「次の提案、来月までに固める」


書いた文字を見ながら、田中は少し頷いた。


「普通」が田中には少し違和感だった。


以前の田中は「普通」でいいとは思っていなかった。


今、「普通」でいいと思っているのは、田中の中で何かが変わったからだった。


でも、「普通でいい」と、「普通のままで終わる」は違った。


田中は普通の場所から、次の動きを考えていた。


普通をベースにして動く。


それが今の田中のスタンスだった。


電車が来た。


田中は乗った。


車内で吊革につかまって揺られた。


家に着いた。


ノートをテーブルに置いた。


缶ビールを開けた。


一口飲んだ。


苦い。


布団に入った。


目を閉じた。


眠るまでに田中は一つだけ考えた。


(次の方向、どこかな)


社内で今の仕事を続けるか。


別の部署に移るか。


転職するか。


独立するか。


選択肢はいくつかあった。


でも、どれもまだ具体的ではなかった。


具体的でないから、今日は決めなかった。


決めない日があってもよかった。


決めない日は、考える日だった。


田中は眠った。


眠りは深かった。


深い眠りの中で、田中は来栖の最後の言葉をもう一度聞いた気がした。


「じゃあ、またね」


「また会える時に、気になること訊くよ」


「また」はまだ来ていなかった。


でも、いつか来るかもしれない。


来なくても、田中は進む。


進みながら、田中は次の方向を探す。


眠りの奥で、田中は自分の姿を少し俯瞰で見た気がした。


見えた自分は、今のブースで座っていた。


座っているが、視線は少し遠くを見ていた。


遠くに何かがあった。


形ははっきりしなかった。


でも、何かはあった。


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