表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
35/48

第三十五話「納品」

水曜日の朝。


田中はブースでモニターを起動した。


佐藤から返信が届いていた。


「田中様


倉庫訪問、お疲れさまでした。


カタログ表示変更について、IT推進部で検討しました。


システム側の変更、三週間で対応可能です。


箱の機能表示について、物流部にも連携しました。


詳細、明日、電話でお話しできますか。


佐藤」


田中はメールを読んで、少し息を吐いた。


三週間。


早いのか、遅いのか、田中にはわからなかった。


でも、「対応可能」と書いてあったから、進む話だった。


田中は返信した。


「承知いたしました。明日、午後、お電話、お待ちいたします」


送信した。


朝一番の電話は、複雑案件だった。


法人顧客の解約に伴う、過去三年分のデータ移管依頼。


田中は関連部署に内線を入れて、交渉した。


通話、一時間。


完了した。


顧客は納得した。


田中は通話を終えた。


ヘッドセットを外した。


耳の後ろが少し痛い。


でも、今日の痛みは悪くなかった。


(一ヶ月前の僕なら、三時間かかってたかもしれない)


田中は思った。


判断の速さが、格段に上がっていた。


判断が速いと、顧客も楽になる。


顧客が楽になると、田中も楽になる。


昼休み。


田中は自販機の前に立った。


カフェオレ。


缶を受け取って振り返った。


男はいなかった。


最近、来栖は自販機で見かけない日が多かった。


田中はブースに戻った。


戻って、午後、電話を取った。


三時、佐藤から電話が来た。


「田中さん、お疲れさまです。佐藤です」


「はい、お疲れさまです」


「カタログ変更の詳細、お話しできますか」


「はい」


「同一シリーズ、機能違い商品、全体で八百種類ほどあります」


「はい」


「それ、全部の表示見直しは、三ヶ月かかります」


「はい」


「でも、大葉産業様の納品先の十種類だけ優先でやれば、三週間」


「はい」


「どちらにしますか」


田中は少し考えた。


胸の中で、何かが少し騒いだ。


三週間と、三ヶ月。


三週間のほうが、楽だった。


楽な道は、いつも分かりやすかった。


(来栖さんなら、どっちを選ぶだろう)


頭の中に、来栖の声が浮かんだ。


「目的、なんでしたっけ?」


田中は息を、少しだけ深く吸った。


吸ってから、答えた。


「……全体、お願いしたいです」


「三ヶ月、かかりますが」


「はい」


「それでも、全体ですか」


「はい」


「大葉産業様以外でも、同じミス、起きる可能性ありますので」


佐藤は少し黙った。


「……わかりました。全体で進めます」


「ありがとうございます」


「大葉産業様には、十種類、先行で、三週間」


「はい」


「残りは、三ヶ月」


「はい」


「それで調整します」


田中は少し息を吐いた。


吐いた息は、いつもより少し重かった。


(三ヶ月、僕、待てるかな)


責任、という言葉が頭の中で浮かんで、消えた。


責任、はまだ田中には大きい言葉だった。


大きかったが、選んだのは自分だった。


選んだことは、もう、変えられなかった。


「全体」と即答できたことに、田中は驚いた。


三週間の方が早かった。


早い方が楽だった。


でも、全体を選んだ。


(目的)


田中の頭の中で、その言葉が浮かんだ。


田中の目的は、「全員で動ける仕組みを作る」だった。


大葉産業だけの対応は、仕組みではなかった。


個別対応だった。


全体の変更が、仕組みだった。


目的に沿った判断をした。


田中はそれをした自分に、少し驚いた。


夕方、五時。


田中は帰り支度をしていた。


モニターにメールが届いた。


藤村からだった。


「田中さん


本社の牧田から、カタログ変更の話、聞きました。


三週間で進めてくれるとのこと、ありがとうございます。


助かりました。


藤村」


短いメールだった。


田中は三回読んだ。


「助かりました」。


それだけで、田中には十分だった。


返信した。


「藤村様


メール、ありがとうございます。


IT推進部と連携、進めております。


また何かありましたら、ご連絡ください。


田中」


送信した。


通路を歩いた。


監査部のプレートの前を通った。


会議室に来栖がいた。


ノートPCを見ていた。


田中は通り過ぎた。


通り過ぎる時、来栖は顔を上げなかった。


田中も声をかけなかった。


距離は保たれていた。


でも、田中は通り過ぎたあとで、ふと振り返った。


会議室の窓越しに、来栖の横顔が見えた。


来栖は画面を見ながら、少し笑っていた。


笑い声は聞こえなかった。


でも、口の端が少しだけ動いていた。


田中はその微笑みを、記憶に留めた。


来栖も今日は、少しだけ楽になっていたのかもしれない。


駅のホーム。


電車を待ちながら、田中はノートを開いた。


「カタログ変更、全体八百種類、三ヶ月」


「大葉産業、十種類、三週間、先行」


「藤村様、『助かりました』」


書いたあとで、田中は少し笑った。


電車が来た。


田中は乗った。


車内で吊革につかまって揺られた。


揺られながら、田中は思った。


(僕、目的のために動けた、かもしれない)


「全員で動ける仕組みを作る」。


その目的に沿って、「全体、八百種類」を選んだ。


選べたことが、田中の中で大きかった。


目的は動くと固まる。


固まると、次の判断が早くなる。


判断が早くなると、もっと動ける。


それは一つの螺旋だった。


時間の螺旋と似ていた。


「書き換え」が「時間」を作り、「時間」が「書き換え」を深める。


家に着いた。


ノートをテーブルに置いた。


缶ビールを開けた。


一口飲んだ。


苦い。


布団に入った。


目を閉じた。


眠るまでに、田中は一つだけ考えた。


(来栖さん、今日、笑ってた気がする)


田中の動きが、来栖に何か小さなものを届けたのかもしれない。


届けたのは、田中ではなかった。


来栖自身が田中の動きを見て、何かを感じただけだった。


田中はただ、動いていた。


動いたことが、来栖に届いた。


それは来栖の呪いを解く動きにはなっていなかった。


でも、小さな光だったかもしれない。


眠った。


眠りは深かった。


深い眠りの中で、田中は来栖の微笑みを、もう一度見た気がした。


気がしただけかもしれない。


でも、気がしただけでも、田中には意味があった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ