第二十九話「振り返り」
月曜日の朝。
田中はいつもの時間に、フロアに着いた。
金曜日のインシデントのあとの、週明けだった。
ブースに座ると、モニターにメールが一通、届いていた。
件名は、「金曜インシデント、振り返り会議のご案内」。
差出人は業務管理部。
「先週金曜日のAI障害対応に関する振り返り会議を、開催いたします。
対応現場で活躍されました、田中様、加藤様、ご参加お願いいたします。
日時:火曜日、十四時、会議室A。
IT推進部、監査部、業務管理部、合同」
田中はメールを三回読んだ。
三回読んでも、自分の名前が載っていた。
業務管理部からの会議の案内に、自分の名前があったのは、初めてだった。
田中は加藤のブースに行った。
加藤はもうメールを読んでいた。
「田中くん、見た?」
「はい」
「出ようか」
「はい」
「準備、必要?」
「……たぶん、当日の動きの説明くらいで、いいかな」
「そうですね」
加藤は少し笑った。
「田中くん、初めてのプレゼンだな」
「……プレゼン?」
「うん。説明すること、全部プレゼン」
「……」
田中は少し目を瞬かせた。
「加藤さんも、出られますよね」
「出るよ。俺は補佐に回る」
「はい」
「メインは田中くん、でいい」
「……え?」
「当日、動かしたのは田中くんだ」
「……加藤さんが一緒に」
「俺はいつもの通り、加藤。田中くんは別の動き、してた」
加藤は缶コーヒーを開けた。
「俺、補佐で気が楽、なんだ」
田中は自分のブースに戻った。
戻って、少しの間、動かなかった。
プレゼン。
田中はそんなことをしたこと、なかった。
でも、加藤の言い方は「できる」という前提だった。
「できる」か「できない」かは、田中にはわからなかった。
でも、「やる」しかなかった。
朝、十時頃。
田中は複雑案件を取った。
法人契約の解約に伴う、個別サービスの停止手続き。
前にも似た案件を取っていた。
田中は慣れた手順で対応した。
通話時間、三十五分。
先月の半分の時間だった。
通話の合間に、田中はノートを出した。
明日の発表の準備を始めた。
「何を話すか?」
田中は項目を書き出した。
「一. インシデント発生時の状況」
「二. 対応手順の変更(状況、先に聞き取り)」
「三. その効果」
「四. 今後の展望」
四つ書いた。
書いたが、「四. 展望」の中身が、まだわからなかった。
昼休み。
田中は自販機の前に立った。
いつものカフェオレ。
缶を受け取って振り返った。
男がいた。
缶コーヒーのボタンを押していた。
「君さ」
「はい」
「明日、出るんでしょ?」
「……はい」
「何、話すつもり?」
田中は少し考えた。
ノートの四つの項目を思い出した。
「……状況、手順、効果、展望、です」
「ふーん」
男は缶を受け取った。
「展望、どうする?」
「……まだ、考えてます」
「そう」
男は缶を口に運んだ。
一口飲んだ。
「展望、話すなら、『目的』から話すと繋がる」
「目的?」
「うん」
「書き換えの目的、思い出せた?」
田中は少し黙った。
「……まだ、はっきりしません」
「じゃあ、はっきりしない、と話せばいい」
「え?」
「『まだ、目的は、はっきりしていませんが、見え始めています』」
「……」
「正直に言うと、聞く人、動くよ」
男は缶を一口飲んだ。
「見栄張ると、話が薄くなる」
「はい」
「まあ、気になっただけ」
男は缶を持ったまま、去っていった。
田中は自販機の前で、少しの間立っていた。
(目的は、まだはっきりしていないが、見え始めている)
田中は頭の中で、その言葉を繰り返した。
言いやすい、と感じた。
言いやすい、と感じるのは、それが田中の正直な実感だったからだった。
ブースに戻って、田中はノートに展望を書いた。
「展望:目的は、まだはっきりしていないが、見え始めている。全員で動く仕組みを作ることが、一つの方向」
書いて、田中は少し頷いた。
「全員で動く仕組み」は、金曜日のインシデントで見えた、一つの形だった。
午後、田中はまた電話を取った。
取りながら、明日の発表の流れを、頭の中で何度か確認した。
確認するたびに、流れは少しずつ整理された。
火曜日の午後、二時。
田中は会議室Aに向かった。
加藤も一緒に歩いた。
会議室Aには七、八人いた。
IT推進部の佐藤もいた。
業務管理部の部長らしき人。
監査部のマネージャーらしき人。
そして、男もいた。
男は壁際の席に座っていた。
ノートPCを開いていた。
田中を見たが、何も言わなかった。
田中は会議室の前の席に座った。
加藤が隣に座った。
会議が始まった。
進行役は業務管理部の部長だった。
「先週金曜日のAI障害時、現場で対応手順の変更をリードいただいた、田中さん、加藤さん、まず状況をご説明いただけますか」
加藤は田中のほうを見た。
「田中くん、どうぞ」
田中は少し息を吸った。
吸って、吐いた。
「では」
田中は話し始めた。
「先週金曜日、九時十五分、AI判定、異常を確認しました」
「九時半、IT推進部にご連絡、ありがとうございます」
「十時、フロア全体、人間対応に切り替わり」
「十二時半、現場で対応手順、変更」
「内容は、状況を先に聞き取る、その後、マニュアル照会」
田中は淡々と話した。
話しながら、田中は少し驚いた。
話している自分が、少し落ち着いていた。
喉は詰まらなかった。
田中は続けた。
「効果は、一件あたり三分から五分の短縮」
「全員で実行することで、フロア全体の回転が加速」
「結果、IT復旧前に、待ち時間ピークを解消」
「……以上が、当日の流れです」
会議室、静かだった。
業務管理部、部長が頷いた。
「ありがとうございます」
「今後の展望は、どうお考えですか」
田中は少し間を置いた。
「……目的は、まだはっきりしていません」
会議室の誰かが、小さく息を吸った気がした。
「でも、見え始めています」
「ほう」
「全員で動く仕組みを作ることが、一つの方向だと、考えています」
「はい」
「個人の対応時間短縮から、フロア全体の動きの設計へ」
「……」
話し終わった。
会議室、しばらく静かだった。
佐藤が声を上げた。
「いい方向だと思います」
「はい」
「IT推進部として、共同で設計、進めたいです」
業務管理部、部長が頷いた。
「業務管理部として、運用ルールの更新、支援します」
監査部、マネージャーも頷いた。
「監査部として、内部統制上のチェック、協力します」
田中は少し驚いた。
三つの部門が、同じ方向を向いた。
田中の発表、一つで動いた。
男はずっと黙っていた。
ノートPCを見ているだけだった。
でも、田中が話している間、一度も別のことに目を向けなかった。
ずっと、田中のほうを見ていた。
会議は一時間で終わった。
田中は加藤と一緒に、会議室を出た。
廊下を歩きながら、加藤が言った。
「田中くん、すごかったな」
「……そうでしょうか」
「うん。『目的、まだはっきりしない』って最初、言えたのが大きい」
「……」
「正直に言うと、みんな協力する」
「はい」
「嘘、言うと、協力されない」
加藤は少し笑った。
「覚えとけよ」
「はい」
ブースに戻って、田中はしばらく動かなかった。
動かないまま、モニターを見た。
応答ランプは点滅していた。
でも、田中はすぐに取らなかった。
一分ほど動かないあとで、田中はヘッドセットを取った。
つけた。
応答ランプを押した。
「お電話ありがとうございます、サポートセンターの田中が承ります」
午後、田中は普段通り、電話を取り続けた。
取りながら、頭の隅で、さっきの会議室の光景をときどき思い出した。
三つの部門が田中に協力を申し出た瞬間。
田中はその瞬間、少しだけ立ち位置が変わった。
変わった立ち位置は、まだ慣れなかった。
でも、嫌ではなかった。
五時半。
田中は帰り支度をしていた。
ふと、モニターにメールが届いた。
佐藤からだった。
「今日はお疲れさまでした。来週、三部門合同の設計会議、設定お願いできますか」
田中はメールを読んで、返信した。
「承知いたしました。来週、月曜日以降でしたら、ご調整お願いします」
送信した。
通路を歩いた。
監査部のプレートの前を通った。
会議室に男がいた。
ノートPCを見ていた。
男は田中を見なかった。
田中も男を見なかった。
でも、二人の間には、昨日までと少しだけ違う空気があった。
駅のホーム。
電車を待ちながら、田中はノートを開いた。
「今日、インシデント。フロア全員、動いた」の下に、
「今日、振り返り会議。三部門、協力、約束」
と書いた。
書いて、田中は少し笑った。
電車が来た。
田中は乗った。
家に着いた。
ノートをテーブルに置いた。
今日は缶ビールを買ってきた。
開けて、一口飲んだ。
苦い。
苦さは今日は、達成感の風味だった。
布団に入った。
目を閉じた。
眠るまでに、田中は一つだけ考えた。
(「はっきりしていない」と正直に言うと、人は動く)
(「わかってる」ふりをしない)
それは田中がこれまでの人生で、あまりしていなかったことだった。
していなかったから、人と繋がれなかったのかもしれなかった。
眠るまでに、田中は明日のことを考えた。
明日、佐藤さんに、もう一通、メールを書く。
業務管理部にも、状況、共有する。
書きたいことが、頭の中で並んでいた。
並べているうちに、田中は眠った。




