第二十五話「評価」
月曜日の朝。
田中はモニターを起動した。
メールが一通、届いていた。
件名は、「四半期、人事面談のご案内」。
差出人は人事部。
面談は水曜日の午後三時と指定されていた。
面談者は「佐々木部長」と書いてあった。
田中は少し考えた。
(佐々木部長、って誰だったかな)
顔が浮かばなかった。
コールセンターの部長ではなかった。
たぶん、もっと上の階層の人だった。
田中はメールを閉じた。
応答ランプが点滅していた。
ヘッドセットをつけた。
「お電話ありがとうございます、サポートセンターの田中が承ります」
朝一番は怒鳴り声だった。
「お前、同じ電話、何回もかけさせやがって」
「申し訳ございません」
田中は落ち着いて対応した。
状況をもう一度聞いた。
顧客は同じ問い合わせを三回かけていた。
今回が四回目らしかった。
田中は履歴を確認した。
前回の対応の内容が記録されていた。
AIが二回、人間に振っていた。
三回目は別のオペレーターが対応していた。
今日が四回目で、田中のブースに振られた。
顧客の話を聞いているうちに、田中は気づいた。
前回の対応で、「交換品を来週発送」と約束していた。
でも、交換品はまだ届いていなかった。
田中は社内システムで、手配状況を確認した。
手配は完了していた。
発送予定日は来週だった。
「来週」の定義が、顧客と会社でずれていた。
「お客様、来週発送、と承っていました」
「そうだ」
「弊社の『来週』は、注文から七営業日後、という意味です」
「……え?」
「お客様の『来週』と、ずれがあるかもしれません」
「そんなの、書いてなかっただろ」
「はい、大変申し訳ございません」
田中は即日発送に変更する手配をした。
その費用は再び、田中が会社負担で処理した。
顧客は最終的に納得した。
でも、最後に、
「書き方、ちゃんとしてくれよ、なあ」
と言った。
田中はモニターに、そのままメモを書いた。
「『来週』の定義 / マニュアル外」
書いて、少し見ていた。
また、一つ、書き換え候補が増えた。
午前中、田中は他にも電話を取った。
対応は早かった。
判断も早かった。
モニターのログには、「平均対応時間、十二分」と表示されていた。
先月までは二十分前後だった。
水曜日の午後三時。
田中は会議室に呼ばれた。
面談の時間だった。
会議室は本社フロアのほうだった。
コールセンターとは別の階だった。
佐々木部長は五十代の男性だった。
背広を着ていた。
田中は会議室に入って、軽く会釈をした。
会釈が自然にできた。
「田中さん、お疲れさまです」
「お疲れさまです」
「四半期の評価、お伝えします」
部長はA4の紙を一枚、田中の前に置いた。
紙には簡単な表があった。
「総合評価 / B」
「B」は「中の上」を意味した。
五段階評価の、上から二番目。
「田中さん、対応時間、顕著に短くなってますね」
「はい」
「クレーム解決率も高いです」
「はい」
「今回、B評価とさせていただきました」
「……はい」
部長は少し笑った。
「田中さん、安定していて良いですね」
田中は少し黙った。
「……ありがとうございます」
「マニュアル改善の提案、拝見しました」
「はい」
「良い提案でした」
「……ありがとうございます」
「ただ、これは本来、オペレーターの仕事の範囲外ですね」
田中は少し目を瞬かせた。
「……え?」
「マニュアルは業務管理部の管轄です」
「はい」
「田中さんの本業は電話対応です」
「はい」
「両方こなしてくれるのはありがたいですが、本業の評価が優先されます」
「……」
「だから、B、です」
田中は少し黙った。
部長は紙を田中の方向に押した。
「ご確認ください」
田中は紙を取った。
「総合評価 / B」
「本業:電話対応 / A」
「付随業務:マニュアル改善 / 評価対象外」
「副次効果:対応時間短縮 / B」
「総合:B」
「副次効果、って書いてあります」
田中は言った。
「はい」
「マニュアル、改善したから対応時間、短くなったのでは、ないのでしょうか」
「因果関係は評価できません」
「はい」
「田中さんの個人の努力による短縮、という見方もあります」
「はい」
田中はそれ以上、言わなかった。
言っても、意味がなかった。
佐々木部長は田中のことを、「書類上」でしか見ていなかった。
「他にご質問ありますか」
「……いえ」
「じゃ、今期もよろしく」
「よろしくお願いします」
面談は十五分で終わった。
短かった。
田中は会議室を出た。
エレベーターでコールセンターの階に戻った。
ブースに座った。
応答ランプが点滅していた。
田中はヘッドセットをつけた。
「お電話ありがとうございます、サポートセンターの田中が承ります」
午後、田中は電話を取り続けた。
取りながら、頭の隅で「B」という文字がときどき浮かんだ。
浮かぶたびに、田中は少し呼吸を浅くした。
浅くなった呼吸を、田中は意識して深くした。
深くすると、少し落ち着いた。
でも、「B」は消えなかった。
五時半。
田中は帰り支度をしていた。
ふと、モニターのログに目が行った。
「対応件数、今日、十七件」
「平均対応時間、十一分」
「月間、件数 / 部内、一位」
一位だった。
でも、評価はBだった。
(そういうものか)
田中は少し思った。
思ったが、何も言わなかった。
モニターを閉じた。
通路を歩いた。
監査部のプレートの前を通った。
会議室に男がいた。
ノートPCを見ていた。
男は田中を見なかった。
田中も男を見なかった。
でも、すれ違う瞬間に、田中は一瞬だけ口を動かした。
「B、でした」
声にはならなかった。
男は気づかなかった。
駅のホーム。
電車を待ちながら、田中はノートを開いた。
「兆し」の下に、
「B / 中の上 / 副次効果、評価対象外」
と書いた。
書いて、少し見ていた。
書いた文字が、田中の中で重く感じた。
重いが、田中にはその重さが何なのか、わからなかった。
電車が来た。
田中は乗った。
車内で吊革につかまって揺られた。
揺られながら、田中は考えた。
(僕は、何のために書き換えをしたんだろう)
評価のためではなかった。
じゃあ、なぜ?
答えはすぐには出なかった。
でも、出ないこと自体が、田中には少し気になった。
家に着いた。
ノートをテーブルに置いた。
缶ビールを買ってきていた。
開けた。
一口飲んだ。
苦い。
苦さは今日は、少しだけ多かった気がした。
気のせいかもしれない。
布団に入った。
目を閉じた。
眠るまでに、田中は一つだけ考えた。
(僕の目的、なんだっけ?)
答えは出なかった。
考えているうちに、田中は眠った。
眠りは深くも浅くもなかった。
ただ、「B」という文字が、夢の中で一度、出てきた気がした。
気のせいかもしれない。
でも、気のせいでも、朝、目が覚めた時に、「B」はまだ田中の頭の隅に残っていた。
残ったまま、火曜日が始まった。




