第3話 七客の古い器
陶器修復師ジョドは、学院から届いた呼出状を三度読み返したあと、四度目でようやく来た。
「急用と書いてある手紙ほど、急いで行くとろくなことがないんだ」
昼を少し過ぎたころ、彼はそう言いながら旧実習棟の作業室へ入ってきた。
肩まで伸びた髪には雪がつき、片腕には木箱、もう片方には布に包まれた細長い筒を抱えている。上着の釦は一つずれていたが、木箱だけは両手で扱う宝石箱のように丁寧だった。
「ジョド。遅い」
「来たんだから褒めてほしい」
「依頼時刻から三時間二十分」
「ヴイアン君は相変わらず数字が怖いね」
「正確なだけです」
クイリーは二人のやり取りを遮り、中央の作業台を示した。
「これを見て」
絶縁箱の蓋を開ける。
白い陶器片。
青い釉薬の線。
ジョドはさっきまでの軽い表情を消した。
「触っていい?」
「まだ駄目。魔力反応があるわ」
「陶器に?」
「十二秒周期。暖房設備の逆流と同じ」
ジョドは目を細め、顔を近づけた。
「拡大鏡」
クイリーが渡す前に、彼は木箱から自分のものを取り出した。
さすがに道具だけは早い。
「白土じゃない。灰を混ぜてる。青は顔料だけじゃないな……釉薬に細かい粒がある」
「魔導鉱物?」
「たぶん。けど、普通は器にこんな混ぜ方をしない。加熱すると膨張率が変わる。焼くのが面倒になるからね」
「では、なぜ混ぜるんです」
ヴイアンが聞く。
「色を出すためじゃない。機能を持たせるため、と考えるのが自然かな」
ジョドは絶縁箱の周囲を一周した。
「裏を見たい」
クイリーは絶縁鉗子で欠片を持ち上げ、ゆっくり裏返した。
裏面には、ごく薄い焼成痕があった。
ジョドが息を呑む。
「これ、百年は前だ」
「分かるの?」
「窯の癖が出てる。昔の王都北窯は底火が強くて、こういう細い灰筋が残る。六十年前に窯場ごと閉じたけど、この焼き方はさらに古い」
彼は突然、筒を開いた。
中から古びた拓本が出てくる。
「何それ」
「昔の器の意匠帳。僕の師匠の、そのまた師匠が集めたやつ」
「持ち歩いてるの?」
「美しいものは、必要なとき手元にないと困る」
ジョドは床へ紙を広げ始めた。
「机を使って」
「床のほうが並べやすい」
「踏むわよ」
「それは困る」
しぶしぶ作業台の端へ移す。
クイリーは彼が扱いづらいことを思い出した。
同時に、腕が確かなことも思い出した。
十枚ほどめくったところで、ジョドの指が止まった。
「これだ」
古い紙には、浅い椀のような器が描かれていた。
白地に青い線。
外周を巡る細かな模様。
欠片の曲線とよく似ている。
「名称は?」
ヴイアンが横から読む。
「『北方航路竣工記念、七客組深椀』……深椀?」
「当時の呼び方だね。今ならスープボウルに近い」
「七客組」
クイリーはその語を繰り返した。
ミルが机の下から顔を出す。
キュウ。
「反応しました」
ヴイアンが淡々と言う。
「ミルまで記録対象にするの?」
「すでに対象です」
ジョドがしゃがみかける。
「触らないで」
「まだ何もしてない」
「しようとした顔だった」
ジョドは両手を上げて降参した。
そのとき扉が開き、ジオンニが入ってきた。
午前中に約束した調査権限の書面を、本当に昼までに整えてきたらしい。後ろの書記官が封蝋付きの書類束を抱えている。
「邪魔をしたか」
「ちょうど鑑定中です」
クイリーが答えると、ジオンニは作業台から距離を取って立った。
「触れていいものと悪いものが分からない。ここから聞く」
ジョドがクイリーを見る。
「ずいぶん話の通じる公爵だね」
「本人の前で評価しないで」
「構わない」とジオンニが言う。
ジョドは少し笑い、意匠帳を示した。
「この欠片、百年以上前の器です。しかも一客ものじゃない。七客一組だった可能性が高い」
「七客」
ジオンニの眉がわずかに動く。
「心当たりが?」
クイリーが尋ねた。
「いや。ただ、北方公爵家の古い倉庫に、似た青絵の器があった気がする」
「今も?」
「確認させる」
即答すると、彼は書記官へ指示した。
「本邸の管理官へ。食器目録ではなく、旧航路関係の記念品目録を先に当たらせてくれ」
「承知しました」
ジョドが嬉しそうに頷いた。
「その順番はいい。こういうものは、使われなくなると食器じゃなくて記念品になる」
「あなたも調査員みたいね」
「僕は美しい器を追っているだけ」
「結果として助かるなら何でもいいわ」
ヴイアンは意匠帳の図を記録紙へ写し始めていた。
「主任。青線の配置を、昨夜の旧航路図と重ねたいです」
「やりましょう」
二人で大判の旧航路図を広げる。
ジョドの意匠帳に描かれた椀の青線を薄紙へ転写し、その上から縮尺を合わせて重ねた。
最初は偶然に見えた。
曲線が一本。
枝分かれが二つ。
器の縁に沿って伸びる細い線。
「北方主線」
ヴイアンが言った。
「まだ断定しない」
「はい。では一致候補です」
紙を数度ずらす。
青線の一部が、十年前に封鎖された区画の形と重なった。
さらに、欠片の端にある小さな点が、学院地下の位置へ来る。
クイリーの背筋が伸びた。
「装飾じゃない」
ジョドも黙っている。
「地図だ」
今度は彼が言った。
クイリーは携帯魔力計を取り出し、欠片の青線へ沿って針先を動かした。
一番強く反応する場所がある。
ちょうど学院地下と重なった点だった。
「ヴイアン、位置を記録」
「記録しました」
「別角度でも」
「測ります」
同じ測定を三度繰り返した。
結果は同じ。
ジョドは楽しそうに見えていた顔を、だんだん真剣なものへ変えていった。
「クイリー」
「何?」
「これ、器としては妙すぎる」
「さっきも言っていたわね」
「釉薬に魔導鉱物。航路図の意匠。七客一組。しかも百年以上前。飾るだけなら、こんな手間をかけない」
彼は意匠帳の余白を指した。
「ここ。作者名の横に、小さく工房番号がある」
擦れて読みにくい数字が残っている。
「この工房は、王室食器じゃなく技術院向けの耐熱陶器を作っていたはずだ。昔、窯跡を調べたことがある」
「技術院向け?」
「薬液容器、温度試験皿、魔導導線を焼き込んだ絶縁器。つまりこれは、見た目は食器でも、最初から道具だった可能性がある」
作業室が静かになった。
クイリーは昨夜の現象を思い出す。
温かい陶器片。
暖房管への接触。
十二秒間だけ戻った正常運転。
「加熱が条件かもしれない」
ヴイアンがすぐ反応した。
「陶器は井戸から出た時点で温かかった。暖房管に触れた際も発光しています」
「でも、欠片だけで試験するのは危険」
クイリーは言った。
「残りの器を探す。少なくとも形と用途を確定してから」
ジョドが意匠帳を閉じかけ、また開いた。
「待って。移管記録があるかもしれない」
「移管?」
「七客一組なら、どこかの収蔵目録に載ったはずだ。工房が閉じたあと、何度か王室倉庫の整理があった。その写しを師匠が買っていた」
「買っていた?」
「古書市で。たぶん」
「どこにあるの」
ジョドは視線を逸らした。
「僕の工房の、どこか」
クイリーは無言で彼を見た。
「探せば出る」
「いつ?」
「今日中」
「学院へ持ってきて」
「分かった。人を借りてもいい?」
その一言で、クイリーは少し驚いた。
ジョドは自分の仕事には強いこだわりを持つが、できないことまで一人で抱え込む人ではない。
「何人?」
「紙を扱える人を二人。僕はどこに何があるか分かるけど、探すのは遅い」
「自覚があるのね」
「芸術家だから」
「整理が苦手なだけでしょう」
ヴイアンがすでに人員表を開いていた。
「文書庫から二名出せます。主任、割り当てますか」
「お願い」
ジオンニが口を開く。
「私の書記官も一人出せる。旧航路関係なら公爵家側の分類にも詳しい」
クイリーは彼を見た。
「助かります。ただし、学院側の資料閲覧規則には従ってください」
「もちろんだ」
また即答だった。
午後には、ジョドの工房から箱が六つ運び込まれた。
陶器の拓本。
窯元台帳。
旧技術院の発注書。
収蔵家の売買記録。
クイリーたちは一枚ずつ年代順に並べた。
夕方近く、ヴイアンが一枚の古い台帳で手を止めた。
「ありました」
全員が集まる。
紙の上部には、二十年ほど前の日付。
――旧北方航路保守方式廃止に伴う記念品移管。
その下に、七つの番号が並んでいた。
一号。
二号。
三号。
四号。
五号。
六号。
七号。
そして、それぞれ別の移管先。
「七客を、ばらばらにした」
クイリーが呟く。
「一号は……王立技術学院、旧保守区画」
ヴイアンが読む。
クイリーと彼の視線が同時に絶縁箱へ向いた。
欠片は井戸から来た。
だが台帳上、一客目は学院に移されている。
「井戸に落ちたんじゃない」
クイリーは言った。
「学院のどこかに、本体が残っている」
ミルが突然、机の上へ前脚をかけた。
キュウ、キュウ。
青い耳がぴんと立っている。
ヴイアンが台帳の二号欄へ指を移す。
「二号。北方公爵家旧航路倉庫」
今度は全員がジオンニを見る。
彼はしばらく文字を見つめてから言った。
「やはり、家にあるかもしれない」
「三号以降は?」
「王立測候台。旧航路建設家系。北方接続駅。事故区間保守詰所。中央管制資料室」
クイリーは順番に書き写した。
場所が分かる。
少なくとも、二十年前にはそこへあった。
「全部追える可能性がある」
ジョドの声には、器を見つけたい職人の熱が戻っていた。
「七客そろったら、元の模様も分かる。欠けた部分も復元できる」
「目的を忘れないで」
「忘れてないよ。機能を調べる。そのついでに完全な姿も見たいだけ」
ジオンニは台帳を見ながら、静かに言った。
「二十年前に、なぜ保守方式そのものを廃止したのかも調べるべきだろう」
クイリーは頷いた。
「はい。器を散らした理由も」
技術が新しくなって、古いものが不要になることはある。
けれど、不要になった設備なら、普通は廃棄記録や置換記録が残る。
これは違った。
七つを壊さず、別々の場所へ移している。
記念品として。
まるで、役割だけを忘れさせるように。
窓の外では、冬の日が傾き始めていた。
クイリーは欠片を絶縁箱へ戻す。
青い線が、夕日の中で一瞬だけ濃く見えた。
七客。
七つの移管先。
学院地下の一点。
そして、夜になるたびに学院へ逆流してくる十二秒の波。
「まず一客目を探す」
クイリーは決めた。
「次に二客目。順番に確認する。推測で七つを結ばない。実物と記録が一致したものだけ残す」
「賛成です」とヴイアン。
ジョドは「できれば割れていませんように」と祈るように言った。
ジオンニは二号の移管先を見つめたあと、クイリーへ視線を戻した。
「本邸から返答が届き次第、知らせる」
「お願いします」
その瞬間、ミルが台帳の一号欄を前脚で叩いた。
キュウ。
そして作業室の床を向き、もう一度鳴く。
下へ。
地下へ。
クイリーは立ち上がった。
「どうやら、一客目の案内役はもういるみたいね」
ミルは得意げに尾を振った。
古い器は、ただの骨董品ではなかった。
七つに分けられ、名前を失った器が何のために作られ、なぜ別々の場所へ残されたのか。
答えはまだ、氷の下にある。




