幕間1 門前町ヨイガサキ ーー 第七話 帰還者四名
帰還の鐘は、四人が帰還門を抜けるより先に鳴った。門前町ヨイガサキの市壁外、百鬼夜境の門と向かい合う夜境管理所では、職員たちが鉄柵を閉じ、銀色の検査枠を運んでいた。石造りの検査棟には黒瓦の大屋根が載り、深い軒に並ぶ魔法灯籠が、夜明けを迎えて一つずつ消えていく。帰還者を迎える、いつもの手順だった。
「帰還者、四名」
帳面を開いた監視官が読み上げた。
「入ったときも四名」
テレザが答える。
「確認しています」
「確認できてよかった」
「途中で構成人数に変化は?」
「身体は増えてない」
エリシュカが言うと、監視官が帳面から顔を上げた。
「身体は?」
「声が増えました」
「記録欄が足りなくなる言い方をしないでください」
監視官は余白へ小さな文字を書き込み、テレザが差し出した黒石の板を受け取った。表には、大きな耳を持つ獣。裏には、四つの小さな印。
「第二夜標を確認します」
壁際の台へ黒石を置いた。台の表面に四つの光が浮かび、部屋にいる四人へ一本ずつ伸びる。監視官が順に見比べた。
「登録構成員、四名とも一致。第二夜到達を記録します」
光が消え、夜標が返された。壁には、ほかの探索隊の名と到達夜を記した黒い木札が並んでいた。第五夜、第八夜。最も深いものは第十六夜で、名前の横に赤い線を引かれた隊も少なくない。監視官は夜標の登録欄へ印をつけ、その隣の空白で筆を止めた。
「隊名は、まだ未登録ですね」
「必要?」
クラーラが尋ねる。
「管理番号だけでも活動できます。ただ、報告書を探すときに不便です」
「四人組」
テレザが言った。
「それは人数です」
「図譜の隊」
エリシュカが提案する。ミラダが大盾へ手を置いた。
「私は図譜を持っていない」
「盾の隊なら?」
「私は盾を持ってない」
クラーラが答えた。
「全員が持ってるものにして」
四人は互いを見る。
「負傷」
テレザが言った。
「それは隊名にしないでください」
監視官は申請書の最上段を指した。
「現在は、申請代表者の姓から〈ヴェセラー隊〉として仮登録されています」
エリシュカが自分を指す。
「私が代表なの?」
「最初に申請書を提出した方です」
「図譜を見せに来ただけだったんだけど」
「そのまま探索申請まで書いていました」
クラーラが隣を見る。
「隊長」
「違うよ」
「変更する場合は、手数料として銅貨二枚が必要です」
監視官が付け加えた。テレザは即座に申請書を閉じた。
「ヴェセラー隊で」
「決まるのが早くない?」
「名前に銅貨二枚は高い」
「私の名前なんだけど」
ミラダが大盾を外し、検査枠へ向かった。
「隊長、次は何をする」
「ミラダまで言わないで」
「指示がないなら、検査を受ける」
「もう受けようとしてるよね」
「自主性のある隊員だ」
「隊員になった覚えもない」
監視官は仮隊名の横へ、小さく印をつけた。
「では、ヴェセラー隊で続けます」
「正式決定みたいに言わないで」
ミラダが大盾ごと検査枠へ入ろうとした。縁が左右へ引っかかる。
「装備は外してください」
「先に言え」
「今言いました」
大盾を壁へ立て、ミラダだけが銀色の枠をくぐった。淡い青の光が頭から足元へ下り、右肩と脇腹で黄色へ変わる。
「負傷あり」
「ない」
「光はあると言っています」
「私はないと言っている」
「どちらを記録すれば?」
「光の方」
後ろからテレザが答えた。ミラダが振り返る。
「おまえには聞いていない」
「怪我は本人に聞くと減る」
監視官は迷わず負傷欄へ印をつけた。テレザが枠を通ると、腰の金具と荷物の上で光が揺れた。
「夜境由来物を所持していますね」
「夜標とは別に一つ」
「形状は?」
「石に見える」
「石ではない可能性が?」
「声が出る」
監視官が顔を上げる。
「誰の声です」
「姉さんの」
クラーラの声だった。静かだったが、検査室の空気を止めるには十分だった。
「マルケータ・ハヴェルコヴァーの声ですか」
「そうです」
「三年前に失踪した、ハヴェルコヴァー調査隊の――」
「調査隊じゃない」
クラーラの声が硬くなった。
「姉さんの名前はマルケータです」
「記録上の呼称です」
「人にも記録以外の呼び方があります」
「分かっています。ただ――」
「分かってないから、そう呼ぶんです」
ミラダが二人の間へ腕を伸ばした。
「続きは中で話す」
監視官は一度口を閉じ、管理所の奥を示した。四人が通された報告室には、壁際へ長机が並んでいた。窓には鉄格子。床には幾重もの魔法陣。
奥の扉には三つの錠と、赤い封印札が貼られていた。テレザが部屋を見回す。
「椅子は四つ」
「帰還者が四名だからです」
「途中で増えなくてよかった」
「その話は書きました」
監視官は長机へ四枚の申告書を置いた。
「名前、所属、探索上の役割。負傷と損耗品は別紙へ」
「別紙は何枚ある?」
テレザが尋ねる。
「必要なだけ」
「よかった」
荷物を下ろし、切れた縄を机へ置いた。曲がった杭が二本。泥の染みた布。端の欠けた小瓶。
水を吸って崩れた押し飯の包み。
「まず、怪異の報告を」
「その前に、縄の補償申請を」
「報告が先です」
「報告書では縄はつながらない」
切れた両端を机へ並べ、テレザは申告書の所属欄へ探索用品店の名を書いた。
「この縄は私物です。補償の対象になる?」
「探索許可の条件によります」
「許可は出てる」
「暫定です」
「縄は暫定で切れたわけじゃない」
次に、水を吸って形を失った押し飯の包みを机へ置いた。魚醤の染みた紙の隙間から、茶色い水が一滴落ちた。
「これも」
監視官が包みを指で押した。
「食べられますか」
「食べようと思えば」
「では、損耗品にはなりません」
「誰が食べるの?」
「規則上の話です」
「規則が食べるなら、置いていく」
もう一滴、水が落ちた。
「……著しく品質が低下した食料として記録します」
「補償は?」
「現物を確認したあとに審査します」
「今、確認したでしょ」
「食べられるかどうかの確認です」
「食べてない」
「私は食べません」
「私も食べない」
二人は崩れた押し飯を挟んで見つめ合った。隣で申告書を書いていたミラダが、顔を上げずに言う。
「捨てろ」
「補償が決まってから」
「食べ物より長く残りそうだな」
「記録は腐りません」
監視官が答えた。テレザは少し考え、押し飯の包みを相手の側へ押した。
「では、記録と一緒に保管して」
包みはすぐに押し返された。その隣では、ミラダが責任者欄へ自分の名を書いていた。所属欄には何も書かなかった。
「現在の契約先は?」
監視官が尋ねる。
「ない」
「以前は街道警備隊に?」
「いた」
「遺跡調査の護衛歴もありますね」
「ある」
「マルケータの調査にも?」
ペン先が紙の上で止まる。
「二度」
「三年前の最後の調査には――」
「入っていない」
答えはそれだけだった。監視官は先を待ったが、ミラダが再び書き始めたため、質問を変えた。
「今回の落石について、術式の使用者は?」
「私です」
クラーラが顔を上げた。
「三方向へ音を出しました。反響が連鎖して、岩盤が――」
「実行したのはクラーラ。許可したのは私だ」
ミラダが遮る。
「止めても、やったと思う」
「止めなかったこととは別だ」
責任者欄の下へ、落石の原因を書き足した。クラーラは不満そうにその手元を見たが、紙を奪おうとはしなかった。向かいでは、エリシュカが別のところで監視官と揉めている。申告書には、遭遇した魔物の分類を選ぶ欄があった。
獣型。霊体。変異生物。自律魔道具。
どれにも印はついていない。
「霊体でいいでしょう」
監視官が言った。
「身体がありました」
「では獣型」
「獣の姿をしていることと、獣であることは別です」
「何と書けばいいんです」
「ヤマビコ」
「それは名前ですね」
「名前の方が分類より正確な場合もあります」
「管理上、既存の区分が必要です」
「既存の区分にいないから、調べる必要があるんです」
所属欄には、古文書院図像資料室。
「図像文献研究員が、なぜ自分で夜境へ入ったんです」
「本が入ったからです」
「普通は持ち帰って調べます」
「三年前、それができなかったので」
監視官の視線が、エリシュカの抱える図譜へ落ちた。マルケータが探索へ持ち込み、失踪後に一冊だけ戻ってきた本。その経緯は、管理所の記録にも残っているらしい。奥の扉が開き、灰色の外套を着た女性が入ってきた。
胸元には、封鎖官を示す銀の鍵がある。
「イヴァナ・ロウチュコヴァーです。声が出るという欠片を確認します」




