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第7話:新しいお天道様

あの大騒動から、さらに半月が経った。 私が公儀の最高戦力を一瞬でねじ伏せ、その武器をすべて身ぐるみ剥いだという噂は、どうやら王都の陰陽寮のトップたちを完全に震撼させたらしい。 彼らもようやく理解したのだ。あの女は、こちらから手出しをしなければ牙を剥かないが、もしその生活圏を脅かせば、今度こそ国ごと自分たちを消滅させかねない怪物の種族だと。 お上からの追っ手の気配は、私の気配察知の網から完全に消え去っていた。「ミサコ殿、本当に行ってしまうのか」 山あいの宿場町の外れ、街道の分岐点で、源次郎が名残惜しそうに私を見つめていた。 彼はあの後、私が公儀から奪い取った高価な霊晶の杖や刀をいくつか譲り受け、それを元手に独自の勢力を集め、公儀の不正を正すための世直しを始めるのだという。なろう小説の主人公なら、喜んで彼と一緒に王都へ乗り込み、新たな国造りに励むのだろう。「はい。ここはもう、瓦版売りの声がうるさくて落ち着きませんから」 私は荷物を詰めた小さな風呂敷包みを背負い直し、淡々と言った。「お前ほどの力があれば、新しい国の重鎮にだって、あるいは王妃にだってなれるというのに……」「お断りします。私はただ、自分の手で稼いだお金で、誰の顔色もうかがわずに、静かにパンを食べたいだけなんです。国のトップなんて、他人の都合の最たるものでしょう」 東京にいた頃、あの男は「俺が売れたら、ミサコを世界一幸せなデザイナーの奥さんにしてやるからな」と、よく大きな夢を語っていた。その言葉を信じて、私は自分の生活を削り、彼に尽くし続けた。 けれど、他人が約束する「大きな幸せ」ほど、不確実で、自分を縛り付ける罠になるものはなかった。 私はもう、誰かに幸せにしてもらう必要なんてない。私の幸せのスケールは、自分でコントロールできる範囲だけで、十分に満たされているのだから。「……そうか。お前らしいな」 源次郎は苦笑し、懐から三枚の、見たこともないほど綺麗な銀貨を取り出した。「これは、最初の長屋での命の代金と、これまでの迷惑料だ。受け取ってくれ」「確かに。これで貸し借りはなしです」 私は容赦なくその銀貨をひったくるように受け取り、巾着へと仕舞った。 源次郎に背を向け、私は誰も私を知らない、新しい土地へと向かって歩き出した。 それから数日後。 私は王都から遥か遠く離れた、海沿いの小さな漁師町にいた。 磯の香りと、穏やかな波の音が響く静かな街。 そこにある、曰くも何もない、ごく普通の古い平屋の小さな一軒家。それが私の新しい家だった。「はい、これが今月分の店賃。銀貨三枚ね」 私は大家の気の良さそうな漁師の親父に、源次郎から貰った銀貨をそのまま手渡した。 前払い。これで一ヶ月間、ここは誰にも侵されない、私だけの絶対的な聖域になる。 部屋に入り、畳の上に腰を下ろす。 足元に影の袋を広げ、内職用のハサミと針、そして新しい街の案内所で引き受けてきた「漁網の補修」のための太い糸を取り出す。 一本直して、一文。 私は究極術式の一つである微細認識を無駄に発動させ、魔力消費ゼロの贅沢な出力で、網の結び目をミクロン単位で完璧に修復していく。淡々とした、しかし確実な私の世界の営み。 お腹がぎゅう、と鳴った。 私は台所に立ち、新しく買った土鍋で、この街で手に入れた白米を炊いた。 ぱちぱちと音がして、ふっくらとしたお米の甘い香りが部屋に満ちていく。 炊き上がった真っ白なご飯を茶碗に盛り、東京から持ってきた最後の塩昆布をふたつまみ、その上にそっと乗せる。 窓を開けると、穏やかな海の向こうから、新しいお天道様がゆっくりと昇ってくるのが見えた。  私の影の袋の中には、今でも世界を何度も滅ぼせる十個の究極術式が眠っている。 けれど、そんな最強のチート能力は、今日も私の店賃にはなってくれない。  私は箸を手に取り、真っ白なご飯を口に運んだ。 噛み締めるたびに、お米の甘みと塩昆布の旨味が広がる。 誰にも頼らず、誰にも奪われず、自分の力だけで手に入れた、この四畳半の平穏。 それだけで、私のこれからの人生には、もう十分すぎるほどの価値があった。(完)

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