◆5-2 サロン・ダイニング
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エックハルトは植木鉢の前にしゃがみ込むと、盛られた土の高さや植木鉢の深さ、大きさを確認した。
「記録は取ってるな?初期条件はそろえとけよ」
「やってるよさすがに。いつまで言い続けるのかな、それ」
コーエンも植木鉢の前にしゃがみ込んだ。
まかれた粉の状態が微妙に違う。十七の花通液で処理したものは、透明っぽくてガラス質。五番で処理したものは淡黄色で、見た感じしっとりしている。熱したものは茶色い。
「……全然見た目が違いますね。クラーラさん、何か書くものありますか?」
「ん?あるけど?」
クラーラはコーエンに紙とペンを渡した。
「あ、何か堅いもの……手順書でいいか。アルフィーに借りたやつだけど」
コーエンは手順書の上に紙を載せ、粉の状態を注釈付きでスケッチしていった。
クラーラとエックハルトが上から覗き込んでいる。
「何でしょうか……」
コーエンはペンを止めると、二人を見上げた。
「いや、上手いもんだな、と思って。職人はみんなそんな感じか?」
エックハルトが感心したように言った。
「アズ……棟梁の方がスケッチは上手です。この実験では、これくらいしかできないので」
「ありがたいや!先輩はスケッチ下手だもんね」
クラーラはにこやかに言った。
コーエンはペンを動かしながら、ふと変な感覚がした。
俺——前も似たものを描いたような気がする。
スケッチブック。
父さんのスケッチブックを写していた時と同じ感覚がする。
いや、おかしい。あのスケッチブックには、リグレッティリアなんて写さなかったし、こんな粉なんて――
「あ!」
クラーラが思い出したように言った。
「先輩……一個失敗した。この植木鉢さ、官吏たちに見つからない方がいいよね」
エックハルトが止まった。
「当たり前だ」
「解析室の前は日陰だし、気流が良くないから避けたいんだよね。できればここに置いておきたい。雨もよけれる造りになってるし」
「東側は司書室の管轄だ……」
エックハルトとクラーラは顔を見合わせた。コーエンにも、何となく二人の考えていることが分かった。
*
「びっくりしたよ。二人して、あ!外部の人も。何エック。戻って来るの?」
コーエンたちは、アルフレッドを司書室近くのベンチまで呼んでいた。
「東壁の花壇を使わせてほしい。詳しいことは話せないが、頼む。アルフレッド」
アルフレッドは、困ったように眉を下げた。
「うーん、事情が分からなさすぎるかな、エック」
「理解してる。管理は俺が責任持つし、司書室に迷惑はかけないよう注意する。その点は任せてくれ」
エックハルトはためらいなくそう言い切った。
アルフレッドは、ふうっとため息をつくと、冗談めかして言った。
「ラントルの鍵に賭けるか?エックハルト・ラントルくん」
エックハルトが、決まり悪そうに「……賭ける」と、頷いた。
「しょうがねえなあ……その代わり約束してくれる? エック、ヘルベル」
アルフレッドは栗色の猫毛を掻くと、眉を下げて笑った。
「ひと仕事終わったら、俺に、全部話してくれるか?」
エックハルトは、少し黙った後「ああ、約束しよう」と答えた。
クラーラは、ふにゃりと目を細めて笑った。
「アルフィーありがとう……」
アルフレッドはわざとらしく真面目な顔をした。
「ヘルベルは、俺と結婚してくれるか?」
「……しないかな!」
*
解析室に戻る途中、コーエンはエックハルトに問いかけた。
「エックハルトさん……八枚花弁の納書って何ですか」
「何だ、唐突に」
「……いえ、アルフィー様が喜んでいらしたので。今日は八枚花弁の納書だと」
エックハルトは、少しだけ口元を緩めた。
「八枚花弁は――手順書発行数が百を超えた研究官吏に与えられる勲章だ。受勲者の手順書に押印するんだが、アルフレッドは昔から好きなんだよ。その仕事」
エックハルトが説明すると、後ろにいたクラーラが付け加えた。
「アルフィーちょっと変だもんね。手順書好きすぎて」
「……そうですか」
コーエンは、二人の声がだんだんと遠くなって行くような気がした。
記憶の中を探っても、はっきり思い出せない。
どこで――あの花印を見たのだろうか。
*
解析室に戻って来ると、実験台の上に用具がたくさん広げられていたので、クラーラが驚いた。「何しようとしてたの?」と問われたので、コーエンは靴の解析計画について、クラーラにも共有した。
「じゃあコーエンと先輩は、この靴の解析をすることで、王女様とリリーの関係を調べようとしてるんだね。面白そう」
そう言って、彼女は設計図を見つめた。
コーエンは時計を見た。十七時。まだ受け取りに行くには早い。
「僕はまだ残るので、皆さんは構わず切り上げてください」
「ん?」
クラーラが不思議そうに首を傾げた。
「王女様から――切片を貰いに行きます」
「こんな時間から?王女様は昼間、何してるのかな」
コーエンは苦笑しながら答えた。
「仕方ありません」
*
管理塔の扉を叩くと、リリー灯を持ったサズカが出迎えてくれた。
今日は青ではなくて、白い光を持っている。
「コーエンさん。お仕事お疲れさまでした」
「……あまり何もしてないですよ。靴を作っているわけではないので」
サズカは、二つ持っていた灯のうちの一つをコーエンに手渡した。
「コーエンさんはお夕食、食べられました?」
管理塔の冷たい石の廊下を歩きながら、サズカが問いかけた。
「クラーラさんが研究室にため込んでいるナッツと干し肉、貰いました」
サズカがぎょっとした顔をして振り返った。白い光が彼女の顔を照らし出す。
「……少ない!倒れますよ。それじゃあ」
「いつもじゃないです。エックハルトさんが顔をしかめるので食堂にも行きます……それより」
コーエンは白いリリー灯に視線を落とす。
「この光の色、何か意味があるんです?」
サズカは、目をぱちっと瞬かせると、唇に指をあてた。
「内緒です。そこは」
「そうですか」
今日は螺旋階段の上には登らない。エピフィラムは上にいるのだろうか。
階段の上には、ぽつぽつと白い光がともっている。
やはり――白。
普通に気になる。きっと意図的だろう。
その様子を見て、サズカが言い添えた。
「本当のことを言うと、私もエピ様も管理塔の決まりの意味を理解していません。手順書にしたがっているだけ。内容は秘密ですけどね」
サズカも手元のリリー灯に目をやった。
「いろんな手順があるから『管理塔』って呼ばれてるんですよ」
「……その手順書っていつから」
コーエンは、ついサズカに問いかけた。
「国ができた時から。初代ハノイットさんが書いたんです」
「……サズカさんは随分僕に教えてくれるんですね。禁学、なんですよね。それ」
そう問いかけると、サズカは立ち止まった。
「そうですね、禁学です。管理塔に関するものは全て」
独り言のように言うと、正面の扉を開けた。
かなり重たい青銅。サズカは事もなげに開いたが、この子の筋力はどうなっているのだろう。
通された部屋は、サロン・ダイニングみたいな造りになっていた。
壁紙は薄いブルー。ところどころに白い縦線が飾りのように入っている。
正面奥には花油の暖炉。上には装飾品がいくつか載っている。
丸テーブル、角テーブルに、猫足のひじ掛け椅子。
管理塔に、突然王宮の一室が現れたようだった。
「管理塔、こんな部屋が……?何に使うんです」
コーエンは、あっけにとられた。
「国王様、ロゼリア王妃様、あとは……エリカ王女殿下がいらっしゃるときは、こちらに」
サズカは少し厳しい声でそう答えた。
コーエンは堅い動きでサズカの方を向いた。
「こんな所に入って、僕処刑されません?」
「国王様も王妃様も、年に一度くらいしか見えません。リリー奉納の前日に、打ち合わせに来られるくらいです」
サズカの言葉尻には、どことなく含みがあるように感じた。
「エリカ様は……?」
「コーエンさん。絶縁靴、こちらです」
サズカが角テーブルの上にかけてあった布を取ると、その下からエピフィラムの絶縁靴が現れた。話を逸らされた気もしたが、靴を見たら段取りの方に頭が切り替わってしまった。
「器具は何も準備してないですけど――大丈夫ですか?」
コーエンは、クラーラから借りた布鞄から、道具を取り出して並べた。
自分の工具と針はアトリエに置きっぱなしだ。
なので、エックハルトとクラーラに頼んで、手当たり次第使えそうなものを借りてきた。
「代用品でやります」
コーエンはそう言って腕をまくった。
「底と石。どうやって取るんですか?」
サズカは興味深そうに見つめている。
コーエンは靴をひっくり返してカッターを持つと、指で刃の進行方向を示した。
「ソール部分は、歩いて削れる方向に削ぎます。ソールは元々減るものですし、削いでも問題ないと思います」
コーエンは、絶縁靴のソール部を指で軽くなでると、最も削ぎやすそうな場所にカッターの刃を寝かせて、薄くはぎ取った。
「ひゃあ、一ミリくらい」
サズカが感心したように覗き込む。
「サズカさん、危ないから覗き込まないで」
サズカは、ぴょんっと飛びのくと、恥ずかしそうに笑った。
次にコーエンは、ソールに埋め込まれた結晶石を指さした。
「この結晶は、抜き取ってしまったら機能が保たれるかちょっと分かりません。ですから、ちゃんと戻せるように工夫しますね。一応」
「……どうやって?」
サズカはまた身を乗り出そうとしたが、おずおず戻った。
コーエンは花油を筆に少量垂らしてなじませた。油を薄く含んだ筆で、革の上に塗っていく。
「その花油、ロベリカさんですね」
「はい。よくわかりますね」
「伊逹にエピ様の護衛をやってませんよ」
サズカは、ふんっと胸を張った。
「エピフィラム様は、花油の種類もご存じで」
「エピ様は、リリーのことたくさん知ってます。多分、研究官吏のみなさんと同じくらい博識ですよ」
「……へえ」
コーエンは、サズカの話を片耳に聞きながら、手元の動きは止めない。
ポケットナイフを取り出すと、花油のランプで数秒間あぶる。
コバゴテの代わり。結晶石の周りの合花革を温めて、柔軟性を持たせる。
触れると、反応残渣が少し動いた。十秒ずつ温め直す。
ロベリカとイートラは、デポンほど熱への反応が早くない。
じっくり時間をかけて。そう言う意味ではこれくらい緩い加熱方法は理にかなっている。
ナイフを置くと、一度指先で革の硬さを確かめてから、冷たくならないうちに裏から針を数か所刺す。跡がつかないように絶対に手首を返さない。
こういうのは刺す場所があって、ひと思いにやってしまうのがよい。
そのあと、浮き上がってきた石と台座の間に針を差し込み、軽く振動を与えながら結晶石を掻きだした。
コロンっと、机の上に乗せた布の上に転がった。
サズカが「わあっ」と嬉しそうな声を上げた。
コーエンは、結晶石が抜かれた跡を小指の先で触った。
この糊、リリー原料じゃない。何だろう。
普通、合花靴には接着力の強いリリー混合の糊を使うんだけど。
こだわり……なのか?
コーエンは、指先をこすり合わせて糊を落とすと、サズカに向き直った。
「サズカさん、お願いです。王女様の公務が終わったら、試履していただきたいです。問題なければ、この石をそのまま持って帰ります。だめならいったん復元させて、別の方法考えます」
サズカは「はい、それなら」と言って、頷いた。
コーエンが使わない道具を戻していると、サズカが言った。
「コーエンさん、エピ様のお仕事まだ少しかかります。お紅茶だけ飲みましょう?あと、甘いものも」
と言って、部屋を出て行った。
コーエンは、残された部屋で手持ち無沙汰になった。
ふと目についた。暖炉の上にある装飾品に。
小さな肖像画がたくさん――
コーエンは自然に近づいて絵を見た。
全員女性だ。かなり古い絵から、新しいものまである。そして――
一番新しい絵を見て、コーエンの背筋は少し寒くなった。
似てる。
エピフィラムの顔に似ている。緑色の目。黒い髪。白い肌。
でも違う人間だ。エピフィラムよりも顔のパーツが大きい。
小さな額縁をひっくり返すと、右下に埋め込まれた銘板に、文字が記されていた。
『マーガレット・ハノイット 第三十五代 享年三十二』




