◆5-1 反省クラーラの毒実験
***
「まずはやってみます。手順書がないので手探りです」
コーエンは立ち上がると、そのまま一礼をした。
「仕事中ですので、解析室に戻ります。失礼しました」
顔を上げると、エピフィラムが妙な表情を浮かべていた。
思いがけず仕事が休みになった時の職人みたいな顔だった。
「……一級職人コーエン。お手並み拝見ね」
「その前に切片をいただかないと。現物がないと、どうにも」
「仕方ないわね」
エピフィラムが、露骨にため息をついた。
「今夜でいいわ。サズカから受け取りなさい。サッサとするのよ」
「……はい」
サズカも頷いたので、コーエンは丁寧に頭を下げた。
そのまま入口の扉に手をかけたが、立ち止まった。
コーエンは振り返ると、
「王女様、足首冷たいです。お身体お大事にしてください」
と告げ、管理塔を後にした。
*
「エックハルト様、すみません。切片の受け取り――」
解析室に戻ると、エックハルトは実験台のそばに腰かけていた。
いつものように手順書を見ているのかと思ったが違った。
何かの『紙切れ』を見ていた。
――手紙?
しかし、彼はコーエンに気づくと、すぐに折り畳んで胸ポケットにしまった。
「悪い。どうだった」
コーエンは一拍遅れて返事をした。
「すみません。王女様の都合が悪かったので、切片の採取、夜になりました」
コーエンは、カッターとハサミをポケットから取り出すと、実験台に置いてあるペン立てに戻した。
エックハルトは、「そうか」と相槌をうった。
「……今まで聞かなかったが、なぜお前だけ管理塔に出入りできるんだ?」
コーエンは、ついに聞かれたと思った。
いや、聞かれない方がおかしいだろう。
「……思いますよね」
コーエンは視線を横にずらしながら答えた。
「お前は採取室の人間でも王族でもない。ということは王女が個人的に面会を許可しているということだろ」
エックハルトは責めている訳でも怪しんでいる訳でもないようだ。
物言いは堅いが、どうやら彼の生来の喋り方らしい。
少しずつだが、分かって来た。
しかし、そろそろ避けては通れないと感じた。
エックハルトと、この『絶縁靴解析』を進めるのであれば、
エピフィラムのことを話せる範囲で報告しなければならない。
コーエンは、エックハルトの隣に腰かけた。
「靴を直した話は、しましたよね?」
「聞いた」
「王女様の絶縁靴……誰も直さなかったそうです。その修理を僕がアトリエで引き受けてしまったので――多分、職人として許されてます」
「……妙なこともあるもんだな」
コーエンは、「そうですね」と小さく頷いた。
エックハルトは立ち上がると、机の上に広げていた書類をまとめ始めた。
とんとん、と角を揃えて閉じ紐で閉じた。
コーエンは、結ばれる紐の動きをぼんやりと見た。
左右対称。エックハルトは几帳面だ。見ていると心地よい。
「一つ確認するが、シグリッド様への報告。アルミナイトはどうしたい」
脳裏に、シグリッドの華やかな笑みが蘇ってきた。
じわじわと危機感が這い上がってくる。
『――エピフィラム王女から情報を引き出してくれ。方法は君に任せるよ』
コーエンは立ち上がった。
「……すみません」
エックハルトは、司書室の印鑑が押された綴じ本を横に寄せた。
「なぜ謝る。順当に行くとひと月後だ。求められているのは毒の解析だが――仮に靴の解析の方が成果が出た場合は」
「やめましょう」
エックハルトが言い切る前に、コーエンはそう答えていた。
「――まだ材質も特定できてないので」
エックハルトは意外そうな顔をしていたが、しばらくして頷いた。
「……そうだな。当面は、毒の解析の進捗を報告することにしよう」
コーエンは、「ありがとうございます」と言って、少しだけ表情を緩めた。
「とはいえ、クラーラがいないんだがな」
「……それは、少し気になっていました。今日は一度もここに来ていないんですか?」
昨日のエックハルトの言葉がこたえたのだろうか。
彼女のことを深く知っているわけではないが、誰かの発言一つで気持ちを折るような人には思えなかった。
エックハルトは、拡大鏡をちらりと見て、苛立ちの混じった息を吐いた。
「職務を投げ出すなど官吏として論外だ。いないなら勝手に進める。別にクラーラに頼らずとも、仕事は回る」
――こういうこと、アリアナさんがアズソールによく言っていたな。
コーエンは、そんなことを思い出しつつ、戸棚に鍵を差し込んでまわした。
そして一瞬で冷えた。
「エックハルト様。毒の小瓶、ありません」
「クラーラを捜索しに行く」
エックハルトが即答した。
外に出るためか、白衣を脱いでハンガーにかけたので、コーエンは止めた。
「いや、クラーラ様が持ち出したとは――」
「鍵の場所を知っているのは、俺とクラーラとお前だけだ。これでは仕事が進まん。することなければお前も探せ」
気づけば彼は、既に解析室からいなくなっていた。コーエンはエックハルトの後を追った。
「エックハルト様、居場所に心当たりは」
「ない」
「宿舎にいらっしゃるのでは」
「いなかった」
コーエンはいつの間に、と思いながらもつい聞いてしまった。
「行き違いになるかも。待った方が」
「早い方がいい。あいつは、何をするかわからん」
エックハルトは解析室から出て、道が二股に分かれるところまで速足で歩くと、左側を指さした。
「俺はこっち側を探す。お前はそっち。どうせどこかにいる」
そう言うやいなや、彼の背中は遠ざかっていた。
「なんだ……?」
コーエンは、その後ろ姿を見送ると、あまり事態を把握できぬまま、彼とは反対の方角へ進んだ。
この時間、研究官吏たちは職務の最中だからだろう。
砂利道に置かれた白いベンチは、みんな空席だった。
しばらく歩くと、壁の黒い建物が見えてきた。
四角くて壁が厚いが、窓枠と入口扉に、花を模した装飾が施されている。
――何だっけ、あの建物。
コーエンはパンタルのポケットを探ったが、何もヒットしなかった。
地図は白衣の方に入れたままだった。
コーエンは建物に近づいて、花結晶のプレートに彫り込まれた文字を確認した。
「あ、司書室……」
そう言えば、エックハルトは解析室に来る前にここに所属していたって言ってたっけ。
まさかとは思うが、この中にクラーラがいないとも限らない。
扉を開けて中に入ってみると、結晶質の通路が建物の奥まで走っていた。
その通路を挟むように扉が四つほど。
室名札を見る限り、右手が官吏たちの執務室、左手は手順書保管室になっているようだった。
自然とその扉に手を伸ばした時、右手の奥の扉から人が出てきた。
「あ」
栗色のゆるい癖毛。猫毛具合は俺と同じくらいだ。
「……お?君、あの時の外部から来た人!何、手順書保管室の使用か?いいぞ?官吏なら自由に使えるから」
彼は、親指でくいっと保管室を指し示した。
ひと懐っこい目に、弾むような喋り方。
初めてカンパニーに来た日に出会った、エックハルトの元同僚だ。
「ま、俺も今からそっちで、承認された手順書の納書だ」
「納書……?」
「何だ、知らないのか?カンパニーの花形の仕事だぞ。今日は久しぶりに八枚花弁の登録だから、気分がいい」
鼻歌を歌うように、首からぶら下げた印鑑を白衣の襟下から引っ張り出した。
――花結晶装飾が施された印鑑。
上下にどちらも蓋がついていて、押印できるようになっている。
下面は五枚花弁の花印、上面は……八枚花弁。
「それ......」
コーエンは、つい手を伸ばしそうになってとどまった。
八枚花弁の花印。
どこかで見たことがあるが、どこだっただろうか。
エックハルトの同僚は、ふと思い出したように言った。
「そういや、朝早くにヘルベル来たぞ。変な格好で」
「ヘルベル?……クラーラ様ですか!?変な……格好って」
「なんかこう、アクティブな」
コーエンは、エックハルトの同僚を二度見した。アクティブと聞こえた気がしたが、空耳だろうか。
あと、この男はクラーラとも知り合いなのか?
「……行先、知りませんか?」
エックハルトの同僚は、笑顔で首を左右に振った。
コーエンは「そうですか」とだけ言って、出口の方に足を向けた。ここにクラーラがいないなら、別を当たらねば。
「あ、待て」
「何でしょうか」
「エックとヘルベルに......アルフィーが待ちくたびれてると伝えておいてくれ」
そう言って、少しだけ眉を下げてヒラヒラ手を振った。
コーエンは司書室を出て、さらに東側を探したがクラーラの姿は見当たらなかった。点在する一次リリーや、花油の保管倉庫には全て鍵がかかっていた。
流石にこんな広い敷地では.......と周囲に目を向けた。少し先には東端の壁がみえるから、ここまでだ。東壁の近くには、作り付けの花壇があるだけで、人が入る場所はない。今も庭師が一人、土を手入れをしているだけだ。
コーエンは解析室に帰ることにした。
解析室の建物の前で、向こう側からやってきたエックハルトと、ちょうど鉢合わせた。
「いたか」
「いえ.......ただ、アルフィー様?が、クラーラ様が今朝方、司書室にいらしたと」
「アルフレッドが?」
エックハルトは、コーエンの口からその名前が飛び出してくると思わなかったらしい。
「はい。それ以外は、変わったことは何も。人の姿も見当たらなかったです。強いて言えば庭師がいたくらい」
「それ、どこだ」
「東壁の花壇ですが」
エックハルトは突然踵を返した。
「え?どうしました?」
コーエンはエックハルトの背中を追った。
全く早歩きしているように見えないのに早い。この男は歩幅が大きいのに重心がブレないからだろうか。歩き方に妙に品があるのに、早い。
そんな場違いな考えを抱いている間に、先ほどの東壁までやってきた。
エックハルトは、庭師の所まで直行すると、あろうことか庭師の持っていたスコップを奪い取った。
コーエンは驚いて「え、ちょっと」と柄にもなく止めようとした。
庭師のスコップを取り上げる理由が、今のところ見当たらない。
「おい、クラーラ」
コーエンは差し出しそうになった手を止めた。エックハルトが、庭師のつばひろの帽子を剥ぎ取った。
結んだ紐だけが首に残り、帽子が背中のあたりにぷらん、とぶら下がった。
団子状に丸まった、はちみつ色の髪がのぞいた。
紛れもなく、クラーラ・ヘルベルだった。
「何をやってる」
クラーラは目線を泳がせると、少しだけ首を傾げた。
「ええと……反省?」
「反省するとお前は庭師になるのか」
クラーラは、布で手についた土をぬぐうと、ポケットから小瓶を取り出した。
コーエンは思わず声を出した。
「クラーラ様、それ……」
エックハルトが何かを言おうとしたが、その前にクラーラがつぶやいた。
「……私の意見は変わらない。この毒がどういう作用を与えたか、王女様の身体で検証してみたいし、私が被検体になってもかまわない。合理的だと思う」
コーエンも、新しい製法や素材を見つけると、試さずにはいられないし、作らずにはいられない。クラーラの考えが分からないわけでもない。でも――同意はできなかった。
エックハルトは少し俯くと、クラーラの手から小瓶を取り上げようとした。
「……お前は官吏の仕事に向いてない」
その口調は、どことなく悔し気だった。
しかし、クラーラは瓶を離さなかった。
教師に反抗する子供みたいな表情を浮かべた。
「だけど!ちゃんと思い出した。先輩が昔、言ってたから。『思うのは勝手だ。行動は選べ』って」
エックハルトは、掴んだクラーラの手を緩めた。
クラーラは、視線を外さず訴えた。
「だから昨日一晩中、この毒の分析するための別の方法を考えてた」
クラーラは、花壇を指さした。
よく見ると、花壇には五つの大きめの植木鉢が置かれていた。
それぞれの植木鉢には均等に花が植えられている。それを見て、コーエンはわずかに息を飲んだ。
マゼンタ色の小さな花弁。
「……リグレッティリア」
東部地方に咲く、秋の野菊だ。
クラーラが懐かしそうな目をした。
「私が久しぶりに見たくなっちゃったのもあるんだけど――このリグレッティで実験しようと思って」
コーエンはクラーラに聞いた。
「何の……実験?」
「リリーの毒に、ちょっとした処理をして、植木鉢に撒いてみたんだ」
クラーラは、指を指しながら説明し始めた。
「Aの鉢は何も処理していない毒を撒いた。Bは加熱処理、Cは手順書十七番花通液処理、Dは手順書五番花通液処理、Eは毒なし」
「十七番、五番——どっちもよく溶ける」
コーエンは、独り言のようにつぶやいた。
「……なんでコーエン、花通液の性質知ってるの」
クラーラが、ぎょっとしたように言った。
コーエンは、はっと顔を上げると、左右に首を振った。
「すみません。変なこと言いました。気にしないでください」
エックハルトは、謎の植木鉢を前に眉間に皺を寄せていた。
「行動する前に一言相談しろ。取り返しのつかないことになったらどうする」
「……直接まいてないよ」
「仕事の進め方の問題だ、バカ……で、これで何を確かめる」
クラーラは『すみません』と小さくなった後、ぽそりと言った。
「毒って本当か。条件振って調べてみようと思ってさ」




